2016年11月09日

ゆっくり時間をかけて[甲州印伝]




「あ、これ持ってます」

生方(うぶかた)ななえさんは、小さな印鑑ケースを指差した。桜花の文様があしらわれた、小粋な一品。






この店は、甲州印伝(こうしゅういんでん)の老舗である。その創業は、本能寺の変と同年の1582年と、じつに歴史が深い。

店長の前田英二さんは、言う。

「この小桜の文様は、もともと戦国時代の武将がつかっていました」

生方さんは驚く。

「こんなカワイイのを? 武将が?」

前田さんは言う。

「桜が散るときの美しさ、それを武将は好んだようです」

甲州印伝とは、鹿革にウルシの文様をほどこした工芸品で、インド(印度)伝来ということから「印伝」と呼ばれるようになったらしい。甲州とは言わずもがな、今の山梨県のことである。



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もとは武具や甲冑にはじまったという甲州印伝、いまでも定番の「トンボ」柄や「菖蒲」柄は、武士に好まれた図柄であった。

トンボは前を向いて飛ぶことから「勝ち虫」として縁起がよく、菖蒲には「尚武(武をたっとぶ)」という意味が込められていた。







戦国の世がおわると、甲州印伝は武具から小物へと姿をかえた。タバコ入れや合切袋など、身の回りの生活に役立つ品々が作られるようになった。

池田屋13代目の上原勇七さんは言う。

「戦国時代には戦国の、江戸時代には江戸の、そのときどきの状況に合わせて職人さんが甲州印伝をつくってきました。これが一番大事なことだと思います。これからも時代は変化していくのでしょうけれども、それをどうつかんで、対応できるかですね」



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時代を反映してきた甲州印伝、すでに現代的なデザインも取り入れはじめている。たとえば現代の若者が好む「ヒョウ」柄などは、400年の歴史のなかで初めての試みだ。



とはいえ、400年の歴史は深い。

ある気鋭のデザイナーは言う。

「真似しようとしても真似できない、唯一無二の存在であるのが甲州印伝です。そこに一番の魅力を感じました」



じつは甲州印伝のルーツをたどっていくと、その歴史は1,300年前にまでさかのぼることができる。

「うわー、すごく柔らかい。ふにゃふにゃ(笑)」

生方(うぶかた)さんが手にしたのは、幻の印伝と云われる逸品。千年前の技法でつくられたものだった。



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「さわってて、すごく気もちいい。吸い付くような革ですね」

”燻(ふす)べ”とよばれる古代の技法によって、その極上の質感は生まれるのだという。







さっそく、その工房を訪れる。

伝統職人の戸澤武士さんは言う。

「こちらは”焼き擦(す)り”という工程で、野生のシカ革特有の凸凹したところをきれいにしていきます」

鹿革は天然素材であるため、その表面に凸凹や硬い部分などがまだらにある。それを熱したコテで擦(す)りならし、さらに研磨して表面をなめらかにしていく。何度も何度も根気よく、シカ革がしっとりと柔かくなるまで繰り返す。



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次に、色を付けていく。

その色はなんと、煙で付ける。”太鼓”とよばれる回転ドラムに巻きつけられた鹿革が、稲ワラの煙に燻(いぶ)される。”燻(ふす)べ”と呼ばれる由縁である。

燻す前、鹿革にタコ糸を平行に巻いていく。このタコ糸があとで縞模様をつくることになる。



「こんなに煙がでるんですね!」

あえて煙をだすため、カマドは不完全燃焼の状態に保たれる。

「こんなに早く、色が付くんですね」

見る間に鹿革は煤(すす)けていく。均等に色づくよう、”太鼓”の回転や位置を微妙に調整しつづけなければならない。一回の”燻(ふす)べ”は20〜30分ほど。これを10回以上くり返す。2日がかりの大仕事だ。

燻べ職人の神宮寺秀哉さんは言う。

「ゆっくりゆっくり、”燻(ふす)べ”が仕上がっていくのです。時間をかけるということが大切です」



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時間と根気が生み出す、究極の手ざわり。

”燻(ふす)べ”を行うことによって、鹿革のコラーゲンがねじれて絡み合い、あの吸い付くような独特の柔らかさが生み出される。



古代の煙が、現代の心をいやす。







posted by 四代目 at 18:01| Comment(0) | 芸術 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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