なんの取り柄もなかった。
足は遅い、頭は悪い、おまけにチビ。
あまりの劣等感に、朝おきても体が動かなかった。
完全に不登校になったのは中学2年生のときだった。
竹内さんは言う。
「なんかホント、社会からはみ出したみたいな感じがすごいありました。ほんま、きつかったっす。あーぁ、このまんま終わっていくんかな、って」
人生、早々に打ちひしがれながらも、夢中になったテレビ番組があった。さまざまな社長が自らの成功秘話を語るシリーズだった。
竹内さんは言う。
「もう絶対、金持ちになろうって考えました。社長になって大金持ちになろうって」
あこがれの大金持ちになるため、竹内さんが選んだ就職先は「パン屋」だった。
「なんでかって考えたとき、パンは毎日食べると思ったんです。成功するイコールお金持ちになれるのは、もうパン屋さんやって」
必死に修行した竹内さんは、みるみる頭角をあらわしていった。
27歳のとき、とある洋菓子屋のシェフから声がかかる。
「これまでにない新しいパンをつくってほしい」
その依頼にこたえるために、竹内さんは毎日毎日、「いままで見たことのないパン」をつくりつづけた。そして、確信した。
「常識にとらわれない、どこにもないパン。これで一番になれる」
竹内さんは言う。
「パンだけは負けたないっす。もう、いろんなもんすべてに負けてきましたから。なにひとつ一番やっていうのはなかったっすもんね」
そして独立。
竹内久典(たけうち・ひさのり)、28歳のときだった。
その5年後、悲願の日本一を成し遂げる。
「一番になったーっ! ほんと嬉しくって。あのとき泣いたんやないですかね。めちゃくちゃ嬉しくて。ずっと一番になりたくてやってましたから。ようやく認められたって思いましたね」
大阪の竹内さんのパン屋、『ブランジェリ・タケウチ』には連日1,000人以上が列をなすようになった。日本一のパンを食べたいと、お客は朝4時から開店を待った。
焼いても焼いてもパンが足りない。24時間体制でパンをつくっても、まだ足りない。1日の売り上げは100万円を超えた。
一等地にタワーマンションを買い、高級車に乗った。まさに、むかしテレビで見た、あの華麗なる生活が現実のものとなっていた。
だが…、なにかおかしい。
なんの満足感もない。
成功したかったはずなのに…、大金持ちになりたかったはずなのに…。いざ、それらを手にしてみても、すべてが嘘のように虚しかった。
竹内さんは言う。
「いや、ちがうねん。おまえ、なにやりたいねんって」
怒涛の来客に、身も心もボロボロになっていた。追いたてられるように、無数のパンをひたすら焼きつづけた。
「もう作品ではなかったです。つくりたいもんが作れなくなってました。なんか自分を騙しているような、嘘をついているような感じがイヤやった。『ほんまはオレ、こんなん作りたいんちゃうねん』って、『お客さんに失礼やで』って、自分にずっと言ってました」
妻の直美さんは言う。
「目つきも変わってしまってました。こわかったです。もう、くたくたでした」
理想と現実は、かくも乖離したものだった。
大金持ちになれば、すべてが解決するはずだった。しかし実際のところ、問題は増える一方だった。
なんのために働いているんだ?
家族のためか?
社会のため?
「もう、やる意味ないなぁ…」
人気絶頂の渦中に、竹内さんは店をたたんでしまった。
「なんて言ったらいいんですかね…、金儲けっていうのがすごいイヤになったっていうか」
それから3年、日本一のパン職人は鳴りを潜めた。
自分がやりたかったのは「パンづくりそのもの」だったことに、改めて気がついた。
そして、新しいパン屋『生瀬ヒュッテ』が生まれた。かつての都会の喧騒を離れた、郊外の山中に。
夜も明けやらぬ午前3時。
竹内さんのパンづくりははじまる。
これから12時間、まったく休憩をはさまずに焼きつづける。
まずは看板商品である食パン。
「これが水の量の限界やと思います」
その生地は極度にやわらかい。通常の倍もの水が加えられている。
「水を増やしたら美味しくなったから、増やしました(笑)。そしたら機械も通らなくなって、ぜんぶ手で成形しないといけなくなって(笑)」
大量の水を含んだ生地は、もちもちした食べごたえと、ノドごしの良さを実現した。その食感のためなら、竹内さんは伝統の技法も製法もすっかり無視してしまう。ときには邪道とけなされたとしても。
「おいしかったら、なんでもええんです。製法なんて関係ないです。どんだけこだわっても、おいしくなかったら何の意味もない。手をぬいておいしいんやったら、手をぬく。時間かけておいしくなるんやったら、時間をかける」
そんな型破りな竹内さんの焼くフランスパンは、教科書に照らせば「0点」だと自ら笑う。
「バゲットとしては怒られるやつです(笑)」
なにせ、固いはずの皮が柔らかく、気泡だらけのはずの内層が詰まっている。
「100点のバゲット食べたら、パン自体はおいしいです。でも、ぜったい料理より先になくならないです、皮が気になって」
なぜ0点のバゲットをつくったかといえば、それは料理に合わせるためだった。そのために、あえて脇役に徹ししめたのだった。
「軽いし、食事にぴったりです。ぜったい料理より先に溶けてなくなります。自分だけで考えてたら、やっぱり限界があります。他の業種の人と組んだら、すごいものができるようになります」
竹内さんの店『生瀬ヒュッテ』は、電話のみの完全予約制。
「200回かけて、やっとつながったんです」と、あるお客は言う。電話予約が月曜の朝10時から午後2時までと限られているため、その時間帯、店には予約の電話が鳴りつづける。
「1,000回電話しました」と、また別の客。パンの数には限りがあるため、予約のみしか受け付けられない。かつて大阪のド真ん中に店を構えていたときに比べると、パンを焼く数は5分の1に減っていた。
期待が大きいだけに、「ふつうに美味しい」ではお客は満足してくれない。
竹内さんは言う。
「こんな所まで電話してもらって、こんな所まで来てもらって、ふつうに美味しいかったら絶対ダメでしょ」
巨大な期待にこたえるためにも、日々の改良に余念はない。
あたらしい食パンづくりがはじまっていた。
「いままでの食パンより、あっさりしてるんです。バターの量も半分以下ですし、砂糖も半分以下で、軽い食パンです。ボリュームを出すため、ガス抜きを一回ふやしました。あと、水分を昨日より増やしました、2%」
材料にこだわるあまり、ときには原価割れもおこす。
「売れたら売れただけ損してるわ、みたいなね(笑)」
ある日、めずらしいお客が来た。
「10年前、ほんのちょっとだけお世話になった…」
すこし考え、竹内さんは思い出した。
「あ、知ってるわ」
かつて大阪で店を開いていたときの従業員だった。
「いま何してんの?」
「福岡でお店をしてます」
「そうなん。すごいな」
ニコニコと言葉を交わしてくれる竹内さんに、かつての従業員は内心おどろいていた。というのも、かつて金の亡者だった頃の竹内さんとは、まるで別人のようだったからだ。
「こんなに話してもらえるとは思っていませんでした(笑)」
人が変われば、パンも変わる。
竹内さんのパンは、おいしくなりつづける。
「たまに出来がよすぎて、これは売りたくないなっていうパンもあるんすよ(笑)」
もはや唯一無二のパン。
舌の肥えた客でさえ、舌をまく。
「話にならんくらい、うまいわ」
「200回かけて、やっとつながったんです」と、あるお客は言う。電話予約が月曜の朝10時から午後2時までと限られているため、その時間帯、店には予約の電話が鳴りつづける。
「1,000回電話しました」と、また別の客。パンの数には限りがあるため、予約のみしか受け付けられない。かつて大阪のド真ん中に店を構えていたときに比べると、パンを焼く数は5分の1に減っていた。
期待が大きいだけに、「ふつうに美味しい」ではお客は満足してくれない。
竹内さんは言う。
「こんな所まで電話してもらって、こんな所まで来てもらって、ふつうに美味しいかったら絶対ダメでしょ」
巨大な期待にこたえるためにも、日々の改良に余念はない。
あたらしい食パンづくりがはじまっていた。
「いままでの食パンより、あっさりしてるんです。バターの量も半分以下ですし、砂糖も半分以下で、軽い食パンです。ボリュームを出すため、ガス抜きを一回ふやしました。あと、水分を昨日より増やしました、2%」
材料にこだわるあまり、ときには原価割れもおこす。
「売れたら売れただけ損してるわ、みたいなね(笑)」
ある日、めずらしいお客が来た。
「10年前、ほんのちょっとだけお世話になった…」
すこし考え、竹内さんは思い出した。
「あ、知ってるわ」
かつて大阪で店を開いていたときの従業員だった。
「いま何してんの?」
「福岡でお店をしてます」
「そうなん。すごいな」
ニコニコと言葉を交わしてくれる竹内さんに、かつての従業員は内心おどろいていた。というのも、かつて金の亡者だった頃の竹内さんとは、まるで別人のようだったからだ。
「こんなに話してもらえるとは思っていませんでした(笑)」
人が変われば、パンも変わる。
竹内さんのパンは、おいしくなりつづける。
「たまに出来がよすぎて、これは売りたくないなっていうパンもあるんすよ(笑)」
もはや唯一無二のパン。
舌の肥えた客でさえ、舌をまく。
「話にならんくらい、うまいわ」
竹内さんは言う。
「まだ、おいしなるんですよ、絶対」
なぜ、そう言い切れるのか?
「え? がんばるから。なるまで(笑)」
(了)
出典:NHKプロフェッショナルの流儀
「パン職人 竹内久典」
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なぜ、そう言い切れるのか?
「え? がんばるから。なるまで(笑)」
(了)
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