2016年10月26日

日本一のパン [竹内久典]



なんの取り柄もなかった。

足は遅い、頭は悪い、おまけにチビ。

あまりの劣等感に、朝おきても体が動かなかった。



完全に不登校になったのは中学2年生のときだった。

竹内さんは言う。

「なんかホント、社会からはみ出したみたいな感じがすごいありました。ほんま、きつかったっす。あーぁ、このまんま終わっていくんかな、って」



人生、早々に打ちひしがれながらも、夢中になったテレビ番組があった。さまざまな社長が自らの成功秘話を語るシリーズだった。

竹内さんは言う。

「もう絶対、金持ちになろうって考えました。社長になって大金持ちになろうって」



あこがれの大金持ちになるため、竹内さんが選んだ就職先は「パン屋」だった。

「なんでかって考えたとき、パンは毎日食べると思ったんです。成功するイコールお金持ちになれるのは、もうパン屋さんやって」

必死に修行した竹内さんは、みるみる頭角をあらわしていった。



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27歳のとき、とある洋菓子屋のシェフから声がかかる。

「これまでにない新しいパンをつくってほしい」

その依頼にこたえるために、竹内さんは毎日毎日、「いままで見たことのないパン」をつくりつづけた。そして、確信した。

「常識にとらわれない、どこにもないパン。これで一番になれる」

竹内さんは言う。

「パンだけは負けたないっす。もう、いろんなもんすべてに負けてきましたから。なにひとつ一番やっていうのはなかったっすもんね」



そして独立。

竹内久典(たけうち・ひさのり)、28歳のときだった。

その5年後、悲願の日本一を成し遂げる。

「一番になったーっ! ほんと嬉しくって。あのとき泣いたんやないですかね。めちゃくちゃ嬉しくて。ずっと一番になりたくてやってましたから。ようやく認められたって思いましたね」



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大阪の竹内さんのパン屋、『ブランジェリ・タケウチ』には連日1,000人以上が列をなすようになった。日本一のパンを食べたいと、お客は朝4時から開店を待った。

焼いても焼いてもパンが足りない。24時間体制でパンをつくっても、まだ足りない。1日の売り上げは100万円を超えた。

一等地にタワーマンションを買い、高級車に乗った。まさに、むかしテレビで見た、あの華麗なる生活が現実のものとなっていた。



だが…、なにかおかしい。

なんの満足感もない。

成功したかったはずなのに…、大金持ちになりたかったはずなのに…。いざ、それらを手にしてみても、すべてが嘘のように虚しかった。



竹内さんは言う。

「いや、ちがうねん。おまえ、なにやりたいねんって」

怒涛の来客に、身も心もボロボロになっていた。追いたてられるように、無数のパンをひたすら焼きつづけた。

「もう作品ではなかったです。つくりたいもんが作れなくなってました。なんか自分を騙しているような、嘘をついているような感じがイヤやった。『ほんまはオレ、こんなん作りたいんちゃうねん』って、『お客さんに失礼やで』って、自分にずっと言ってました」

妻の直美さんは言う。

「目つきも変わってしまってました。こわかったです。もう、くたくたでした」



理想と現実は、かくも乖離したものだった。

大金持ちになれば、すべてが解決するはずだった。しかし実際のところ、問題は増える一方だった。

なんのために働いているんだ?

家族のためか?

社会のため?



「もう、やる意味ないなぁ…」

人気絶頂の渦中に、竹内さんは店をたたんでしまった。

「なんて言ったらいいんですかね…、金儲けっていうのがすごいイヤになったっていうか」






それから3年、日本一のパン職人は鳴りを潜めた。

自分がやりたかったのは「パンづくりそのもの」だったことに、改めて気がついた。

そして、新しいパン屋『生瀬ヒュッテ』が生まれた。かつての都会の喧騒を離れた、郊外の山中に。



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夜も明けやらぬ午前3時。

竹内さんのパンづくりははじまる。

これから12時間、まったく休憩をはさまずに焼きつづける。



まずは看板商品である食パン。

「これが水の量の限界やと思います」

その生地は極度にやわらかい。通常の倍もの水が加えられている。

「水を増やしたら美味しくなったから、増やしました(笑)。そしたら機械も通らなくなって、ぜんぶ手で成形しないといけなくなって(笑)」

大量の水を含んだ生地は、もちもちした食べごたえと、ノドごしの良さを実現した。その食感のためなら、竹内さんは伝統の技法も製法もすっかり無視してしまう。ときには邪道とけなされたとしても。

「おいしかったら、なんでもええんです。製法なんて関係ないです。どんだけこだわっても、おいしくなかったら何の意味もない。手をぬいておいしいんやったら、手をぬく。時間かけておいしくなるんやったら、時間をかける」



そんな型破りな竹内さんの焼くフランスパンは、教科書に照らせば「0点」だと自ら笑う。

「バゲットとしては怒られるやつです(笑)」

なにせ、固いはずの皮が柔らかく、気泡だらけのはずの内層が詰まっている。

「100点のバゲット食べたら、パン自体はおいしいです。でも、ぜったい料理より先になくならないです、皮が気になって」

なぜ0点のバゲットをつくったかといえば、それは料理に合わせるためだった。そのために、あえて脇役に徹ししめたのだった。

「軽いし、食事にぴったりです。ぜったい料理より先に溶けてなくなります。自分だけで考えてたら、やっぱり限界があります。他の業種の人と組んだら、すごいものができるようになります」



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竹内さんの店『生瀬ヒュッテ』は、電話のみの完全予約制。

「200回かけて、やっとつながったんです」と、あるお客は言う。電話予約が月曜の朝10時から午後2時までと限られているため、その時間帯、店には予約の電話が鳴りつづける。

「1,000回電話しました」と、また別の客。パンの数には限りがあるため、予約のみしか受け付けられない。かつて大阪のド真ん中に店を構えていたときに比べると、パンを焼く数は5分の1に減っていた。



期待が大きいだけに、「ふつうに美味しい」ではお客は満足してくれない。

竹内さんは言う。

「こんな所まで電話してもらって、こんな所まで来てもらって、ふつうに美味しいかったら絶対ダメでしょ」



巨大な期待にこたえるためにも、日々の改良に余念はない。

あたらしい食パンづくりがはじまっていた。

「いままでの食パンより、あっさりしてるんです。バターの量も半分以下ですし、砂糖も半分以下で、軽い食パンです。ボリュームを出すため、ガス抜きを一回ふやしました。あと、水分を昨日より増やしました、2%」

材料にこだわるあまり、ときには原価割れもおこす。

「売れたら売れただけ損してるわ、みたいなね(笑)」



ある日、めずらしいお客が来た。

「10年前、ほんのちょっとだけお世話になった…」

すこし考え、竹内さんは思い出した。

「あ、知ってるわ」

かつて大阪で店を開いていたときの従業員だった。

「いま何してんの?」

「福岡でお店をしてます」

「そうなん。すごいな」

ニコニコと言葉を交わしてくれる竹内さんに、かつての従業員は内心おどろいていた。というのも、かつて金の亡者だった頃の竹内さんとは、まるで別人のようだったからだ。

「こんなに話してもらえるとは思っていませんでした(笑)」



人が変われば、パンも変わる。

竹内さんのパンは、おいしくなりつづける。

「たまに出来がよすぎて、これは売りたくないなっていうパンもあるんすよ(笑)」

もはや唯一無二のパン。

舌の肥えた客でさえ、舌をまく。

「話にならんくらい、うまいわ」



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竹内さんは言う。

「まだ、おいしなるんですよ、絶対」

なぜ、そう言い切れるのか?

「え? がんばるから。なるまで(笑)」













(了)






出典:NHKプロフェッショナルの流儀
「パン職人 竹内久典」



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posted by 四代目 at 18:33| Comment(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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