54歳になって一ヶ月、夏樹静子(なつき・しずこ)さんは突然、「得体の知れない腰痛」に襲われた。
彼女は言う。
「腰から背中にかけて『鉄の甲羅』でも貼り付けられたよう」
痛くて立っていられない。椅子に座っても痛い。やむなく歩くが、休もうと立ち止まると、もっと痛む。もはや、本人の存在自体が「痛み」と化してしまっていた。
以下、夏樹さん本人の談による。
「突然、椅子にかけられなくなっちゃったんです」
1993年1月のある朝のことだった。
「で、当然ながら検査をうけますね」
整形外科はじめ、神経内科、内臓などあらゆる検査をうけた。
「でも、なんにも出てこないんです」
ある医者は言った。
「あなたは長いこと座ってばかりいて、筋肉が弱ったんだろう。運動不足です。水中で歩くのがよろしい」
それを聞いて、作家である夏樹さんは納得した。
彼女は言う。
「わたしは思い込むと単純でございますから、一週間に3〜4回もプールにいきました。でも、水中歩行っていうのは、おもしろくもおかしくもないんですよ(笑)」
3〜4ヶ月は、治りたい一心で歩きつづけた。
されど、さしたる効果はみられない。
「そのうち今度は『霊が憑いてる』とか言われて(笑)。『あんた、推理小説でいっぱい人を殺したから、その被害者の霊がみんな、あんたの腰に取り憑いてるんんだ』とかって(笑)」
ある人は「池が悪い」と言った。
「家に『動かない水』があるのが良くないんだ」と。
その言葉を最初は、せせら笑って聞いていた夏樹さんであったが、半年も痛みがつづくと、もう笑ってなぞいられない。
「池を埋めました(笑)。あと、お祓いもやっちゃって(笑)」
それでもダメだった。腰はギリギリギリギリ悪化する一方。
とはいえ作家の仕事に穴はあけられない。連載をドタキャンなどできるわけがない。
「もう、腹ばいで書きました」
そんな腰痛の日々が2年、3年とつづいた。
夏樹さんは言う。
「もう治らないんじゃないか、と思いはじめたら、人間、ほんとに落ち込みますね。希望を捨てた途端に、もうドッと落ち込みます。もう治らないんだったら、なんの夢もない。楽しみもない。家族に迷惑はかけるし、かっこ悪いし…。もう死にたい、もう人間やめたいという思いになりました」
不安で夜も眠れない。
「わるい悪いと思いながら、睡眠薬をずいぶん飲みました。この痛み、苦しみから逃れるためには、もう眠る以外にないわけです。でも、薬で眠っても、はやばやと眼が覚めてしまいます。そうしますと、朝まで二度と眠れなかったですね」
「”こころ”が原因です」
と、ある心療内科のドクターは言った。
しかし夏樹さんには、その言葉に非常な抵抗を感じた。
彼女は言う。
「たかが心因(ストレス)で、こんな酷い症状が起こるわけがないと思って、頑として受け入れられなかったんです。受け入れられなかった最大の理由は『症状が酷すぎる』と思ったからです」
夏樹さんは、真っ向からドクターに刃むかった。
「たかが心因で、こんな症状がでるとは思えません」
ドクターから返ってきた言葉は、意外なものだった。
「心因だからこそ、どんな激しい症状でも起こりうるのです」
結局、不承不承ながら、夏樹さんは入院することになった。
腰痛発症から3年、1996年1月のことだった。
心療内科でまず課されたのは「絶食療法」だった。
「12日間、なんにも食べない。精神的にも、あらゆる情報をカットする。電話も、読書、新聞、ラジオ、そして面会者も」
絶海の個室で接するのはドクターとナースのみ。
するとどうだ。
「ウソのように治る」どころか、この3年なかったほどの猛烈な痛みが、夏樹さんの腰をめがけて一斉に襲いかかってきた。
苦しみにあえぐ夏樹さんを尻目に、ドクターは落ち着いた声で言った。
「あなたは、自分が意識できる”こころ”だけを、自分だと勘違いしているのではないですか? 人間の心には、意識と、その下に何倍もの潜在意識があるのですよ。あなたの潜在意識は『もう休みたい、休みたい』と悲鳴をあげているのです」
そしてドクターは、夏樹さんの本当の病名を明らかにした。
「『疾病逃避』というのが、あなたの病気のカラクリです。潜在意識が『休ませてくれ、休ませてくれ』と悲鳴をあげているのに、顕在意識のほうは『やるぞ、やるぞ』といきり立ってばかりいる。そして両者がどんどんどんどん乖離していって、とうとう潜在意識のほうが疾病に逃避、逃げ込んだのです。『病気になれば休んでくれる』と思って」
顕在意識である「作家としての夏樹静子」から、潜在意識たる「出光静子(本名)」が逃げ出した、というのである。
そしてドクターは言った。
「『夏樹静子』の葬式をだしましょう」
この段になって、夏樹さんも観念した。
「わかりました。『夏樹静子』はもう捨てます」
快方にむかいはじめたのは、その頃からだった。
夏樹さんは言う。
「ほんとようやく、『やっぱりストレスが原因だったのかなぁ』と思えるようになってから、ほんとにウソのように不思議なことですけれど、あの激痛が、すこしずつ少しずつ穏やかになっていったんです」
まる3年間、夏樹さんを執拗に苦しめた腰痛は、この2ヶ月間の入院で完治した。
1996年3月のことだった。
夏樹さんは言う。
「すべての原因は『おのれの心』のなかにあったのだ、ということを悟らされました」
書籍「腰痛放浪記 椅子がこわい」が出版されるのは、退院から丸一年がたってからである。そろそろ、「作家である夏樹静子」も退院させようということになったのであった。
この愚直なまでの闘病記は、予想外の反響をよんだ。
「いままで読んだ、夏樹静子のどの小説よりも面白かった」
そんな読者の率直な感想を、「作家である夏樹静子」は苦々しく聞くのであった。
(了)
出典:夏樹静子「腰痛放浪記 椅子がこわい」
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