うぶ声もあげられなかった。
彼女には生まれつき、ノドに障碍(しょうがい)があった。
「宇宙人みたいな声だ」
そうバカにされるたび、思った。
「自分の声なんて、大っ嫌い」
柏田ほづみ(かしわだ・ほづみ)さんは言う。
「ノドの異物感で、声をだすことが辛くて辛くて。いまでも忘れられないんですけど、授業参観の日に先生にあてられたのに、声がでなくて、もう悲しくて悲しくて、立ったままボロボロ泣いたことがあります」
音楽が好きだった。
柏田さんは言う。
「先生をしていた父が、自宅でピアノを弾いてくれるのを聴くのが大好きで、演奏がはじまると私はいつも、『わぁーっ』て、声にならない声をだして踊っていたんです」
中学校からフルートをはじめた。
柏田さんは言う。
「自分の声にずっと苦しめられていたから、代わりに『歌をうたうようにフルートを吹くんだ』っていう気持ちがあって。もうフルートが大好きで大好きでしょうがなかったんです」
音楽の短大にすすみ、卒業後はドイツにいくことになっていた。
しかし…
「交通事故で、指を骨折してしまって…」
一時、音楽はあきらめた。
マッサージ師として働きはじめた。
それでも、あきらめきれない思いが残っていた。
「このまま人生を終えたくない! どんな苦労をしても、音楽をやりたい!」
もう一度、フルートを手にとった。
しかし、どこか軽い。
そこで、オーボエを選んだ。
「憧れていたオーボエに挑戦することにしました。『オーボエで絶対に、ドイツのオーケストラの奏者になろう』って」
仕事がおわると、カラオケBOXにむかう。
「毎日、最低4時間の練習をきめていました。26歳っていったら、もうオーケストラにはいってなきゃいけない歳ですから。4時間でも足りないくらいだと思って、必死にやっていました。気がついたら朝の5時になっていたり」
そうして3ヶ月ほどした頃、ハンブルク歌劇場のオーボエ奏者にレッスンをうける機会にめぐまれた。
すると…
「ドイツに来なさい」
ところが今度は、尺骨(しゃっこつ)神経麻痺になってしまった。オーボエの練習過多と、マッサージの仕事で、手に負担がかかりすぎていた。
柏田さんは言う。
「オーボエのキーも押さえられなくなったんです。結局、泣く泣く断念しました…」
音楽への扉は、また閉ざされた。
しかし、新たな扉が、大きく開かれようとしていた。
柏田さんは言う。
「ドイツにいるときに『オペラ』を聴いて。もう、お客さんの拍手の大きさっていうか、感激の度合いがケタ違いで、
『あぁ、人間の声ってやっぱりスゴいんだなぁ』
って実感したことがありました」
そのときは、自分が歌手になるとは、ゆめ思っていなかった。
ノドに障碍(しょうがい)をもつ自分が。
28歳のとき、ノドの手術をすすめられた。
「日本の声楽家専門に多くの手術をされている先生をご紹介いただきまして。手術のあとで先生が、
『こんな手術ははじめてだ。血が一滴もでないなんて』
って驚かれるくらい、みごとに成功したんです」
ひと月したら、声をだせるようになった。
「すごく楽に声がだせて、
『あぁ、わたし、こんな声をもってるんだ』
って」
オペラの先生に、こう言われた。
「あなた、大劇場で歌うような歌手になれるわよ」
そしてミュンヘンで、本格的にオペラの勉強をはじめた。
柏田さんは言う。
「ずっと楽器をやってきて肺活量なんかが鍛えられていたことが、声をだすときにプラスになったようなんです。それにフルートをやっていた頃に、歌をうたうような気持ちで吹いていたこともあってか、わたしの歌ってよく
『楽器のように不思議な声ですね』
って言われるんです」
イタリアの国際オペラコンクールで優勝。
「優勝したときは、もう子供みたいに泣きじゃくりました。それまで辛いこともたくさんあったけど、人生にムダなことってないんだなって思います」
柏田さんの「不思議な声」は、小鳥たちにも喜ばれた。
「イタリアでコンクールに参加するまえ、知人の家の中庭で歌わせていただいたんですが、小鳥がやってきて、わたしの声に共鳴して、いっしょに歌いはじめたんです。絶妙のタイミングで合いの手を入れてくれて、おもしろいセッションになったので、YouTubeに『小鳥とセッション』ってタイトルをつけてアップしています」
柏田さんは言う。
「わたしの声には『倍音(ばいおん)』といって、実際に発声している音階よりも高い周波数の音がすごく含まれているそうです。脳波を研究している志賀一雅先生が調べてくださったところ、わたしが歌っているときには、地球の周波数といわれる『シューマン周波数(7.8ヘルツ)』がとても長い時間おこって、それが人や生き物に対して癒(いや)しとして伝達されるそうなんです」
小笠原諸島では、ザトウクジラと歌をうたった。
「ザトウクジラって、求愛するときに歌うっていわれているんですけど、わたしの歌声を聞かせたらどんな反応をしてくれるのかな? と3年前にロケ隊を組んで小笠原に行ったんです。
ザトウクジラは私らが到着した5日前からまったく姿を現していなかったらしいんですけど、最初に陸で歌の撮影をはじめたら、びっくりするくらいのカツオドリがやって来て、旋回をしはじめて。
『これはいける』って海にでて、20〜30分船を走らせていると、遠くにザトウクジラが現れましてね。わたしの歌に合わせてジャンピングを繰りかえすんですよ。
わたしも感激して、カンツォーネからオペラ、日本の『ふるさと』まで、いろんな歌を日が暮れるまで歌いつづけました。
丘からもたくさんの観光客のかたが見てくださっていて、
『船のまわりで、クジラがピョンピョン跳ねていて、不思議な光景でした』
って驚いてらっしゃいました」
「わたしね、ゲーテと誕生日がいっしょなんですよ。
そのゲーテが
『おまえの本当の腹底からでたものでなければ、人を心から動かすことはできない』
って言っていて、わたし自身のポリシーにしています。いくら取り繕っても、心の底で思っていることは、その人の声をきけばすぐ分かりますからね」
(了)
出典:致知2016年6月号
柏田ほづみ「私の歌声で人を、地球を癒したい」
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