「これから母を殺しにいきます」
カバンから包丁をとりだすと、その人は立ち上がった。
その時のことを、皆藤章(かいとう・あきら)臨床心理士は語る。
「その人は幼いころ、母親が目をはなしたスキに車にひかれ、身体に重い障碍(しょうがい)が残ってしまいました。面談ではしばしば、鬱積した母親への憎しみを繰りかえすのでした」
「よろしいですね」
包丁をもった男は言った。
皆藤氏は、なにも答えられずにいた。
皆藤氏は言う。
「ここは体を張って止めるべきところではあるけれども、この人の気持ちも痛いほどわかる。はたして私は、自分の心に一点の曇りもなく『やめなさい』と言えるだろうか…」
知らず、皆藤氏の頬に、幾筋かの涙がつたっていた。
男は、その涙をじっと見つめ、言った。
「すみませんでした…」
包丁をカバンにおさめた。
「死は決して私たちと無縁ではありません」
臨床心理士として生きる皆藤氏は言う。
「生と死のギリギリの境目で苦しむ人たちがいるのです」
皆藤氏が臨床心理士となったのは、日本を代表する心理学者、河合隼雄(かわい・はやお)の影響がおおきかった。
皆藤氏は言う。
「河合先生の最初の授業が、わたしの人生を変えたのです。臨床心理学の『臨床(りんしょう)』は『床(とこ)に臨む』と書く。そして『床(とこ)』は死の床を意味している。つまり臨床とは、死に逝(ゆ)く人のからわらに臨み、その魂のお世話をすることだ、と話されたのです」
河合先生は温和な人であった。
しかしその先生が珍しく、声を荒げたことがあった。
皆藤氏は言う。
「学会に出席するため、ある方との面談をお休みしているあいだに、その人が自死されたことがありました。面談を休んだことを悔いた私は、
『もし私が学会になど行かずに面談していれば、その方は亡くならずにすんだかもしれない』
と話したとき、河合先生は
『馬鹿者!!』
と、わたしを一喝されたのです。
なんと甘いことを考えているのだ、と。
『人間の死というものは、そんな単純なことではない。解き明かせないほどの要因が幾重にも連なって、人は亡くなっていく。きみが会っていれば死ななかったというのは、その人に対して、ものすごく傲慢な態度だ!』
懇々(こんこん)と諭(さと)され、わたしは心を穿(うが)たれる思いでした」
皆藤氏はつづける。
「わたしが取り組んでいるのは、『治る、治らない』といった次元にとどまるものではありません。わたしの思いの根底には、『ひとの心や運命は、意図して操作できるものではない』という河合先生の教えがあるのです」
皆藤氏は言う。
「わたしが専攻したユング心理学には、コンステレーション(Constellation)という考え方があります。
たとえば北斗七星は、7つの星が柄杓(ひしゃく)のかたちに並んでいるように見えますが、それは、そう見えるように意図して並んだわけではありません。一つ一つがただ輝いているだけで、全体がひとつの形を成しているように見えるだけです。
そういう有りようを『コンステレーション(Constellation、配置)』とユングは言いました。
同じように人間の縁や運命も、意図してつくられるものではなく、一人一人が生きるなかで自ずと形づくられるものなのです」
「先生っ! わたしに生きていける言葉をください」
遠く南米からの手紙であった。
自尊心を剥奪(はくだつ)されるような過酷な人生。途方もない痛みを、どうすることもできずにいた。
皆藤氏は言う。
「ゆっくり返事を考えている場合ではありませんでした。その方の心にとどく言葉が必要だったのです。夜どおし考えました。夜が明けたとき、わたしに語れる言葉はこれだけでした。
『黙々黙々。ただ黙々と生きてください。待っています』
」
半年後、その人は無事帰国してきた。
皆藤氏は言う。
「もし、わたしの返事がその方の心にどどかなかったら…? いまでも身震いします」
(了)
出典:致知2016年6月号
皆藤章「出会いを生かし、ともに関を越える」
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