2016年04月23日

選手がコーチをこえるとき [ラグビー日本]



2013年10月

トイレから戻ると、エディー・ジョーンズの顔が土気色になっていた。

「吐いた…」

エディーは小声でいった。



羽田空港に到着したとき、エディーは自力で立てないほどに弱っており、車椅子で順天堂大学病院へと急行した。

診断は「脳血栓」だった。

即座に「血栓を溶かす薬」が投与され、エディーは一命をとりとめた。



当時、エディー・ジョーンズはラグビー日本代表、HC(ヘッドコーチ)の重任にあった。

もしこの時、エディーの身になにかあったら…?

その後のW杯、ラグビー日本代表はどうなっていたかわからない。







W杯に向け、エディーはとことん選手らを追い詰めていた。

通訳の佐藤英典は言う。

「エディーさんは、日本人に対する最も効果的なペナルティは、もっとやらせることではなく、『やらせないことだ』と言っていました。仕事を奪ってしまうんです。だから『練習やめ』だとか、『もういい、帰れ』と言って出ていくようなことが多い。たしかに効果があったと認めざるを得ません」

佐藤はつづける。

「ひと言でいえば、人間をハッピーな状態にしないということです。振り返ってみると、1週間に一度か二度は、スタッフがあたふたするような爆弾をあえて落とします。『ギリギリの状態をわざとつくりだす天才』なんですよ。休みがほとんどなく、疲れが空気が緩んできたと感じたら、徹底的に追い詰める。話し合いが膠着すると、『もうミーティングはやめだ』と言って席を立ったこともありました。『君たちだけで考えろ』と。そしてコーチ陣が真っ青な顔をして集まって、知恵をしぼる。日本人だけでなく、外国人にとってもタフだったと思います。FWコーチのスティーブ・ボーズウィックでさえ、W杯期間中に『あと10日』、『あと一週間で終わる』と、指折り数えていたほどですから」

総務を担当していた大村武則は言う。

「たしかに選手、スタッフに対するエディーの追い込み方は尋常じゃなかったですよ。でも、ニコニコしていい人間なんだけど勝てないコーチより、『どんな手段をつかってでも勝てるコーチ』のほうがいいに決まってる。われわれはプロですから」







W杯代表選手だったクレイグ・ウィングは、エディーと初めて会ったときから、エディーのコーチング手法は「選手を徹底的に揺さぶることにある」と感じていた。

ウィングは言う。

「エディーはいつも『マインドゲーム』を仕掛けてくる。合宿中、何人もの選手に『もう家に帰れ!』と突き放したとき、そこでバックアップの選手に転落してしまうのか、それともステップアップして前に進んでくるのか、じっと観察していた。それは当確線上にいる選手だけじゃなく、トシ(廣瀬俊明)のようなベテラン選手に対してもね。スーパーラグビーの参戦でもめていたとき、早朝に『あなたのおかげでチームはめちゃめちゃです』だなんてメールを出す。もちろん怒りもあっただろうけど、どんな反応を見せるのかテストしていたと思う。それは日本人であろうが外国人であろうが関係なかった。実際に自分がそういう状況で言われたら、あのタイミングではチャレンジしたと思う。競争のなかにいるアスリートは、本能で戦いにいくものだからね。エディーはその本能を自主的に発揮することを求めていたんだ」



「自主性」

エディーはそれを選手らに求めた。それが日本人に欠けていた「ミッシングリンク」であった。事実、エディーは「自ら課題を創出し、改善に向かう力がある選手」、たとえば堀江翔太や五郎丸に雷を落とすことは決してなかった。


このままではW杯で勝てないことをエディーは知っていた。

最後のキーワードは「自主性」である。

「自分たちの力で勝つ」という意識がなければ、W杯という戦場では勝てない。

(Number誌)


メンタルコーチだった荒木香織は言う。

「最初はみんな、ミーティングでも下を向いて、何も考えていませんでした。日本人は部活動などでも『やらされることばかり』で、自分で考える習慣がありませんでした。エディーさんは、選手に従順であることを要求する一方で、自主性を求めていきました。選手からすれば、『どっちやねん!』ってなると思うんですけど、そこのサジ加減が絶妙だったと思います」



「従順」「自主性」

その狭間で、エディーは選手たちを揺さぶっていたのだった。







「クソみたいな練習しやがって!」

W杯の本番前日、エディーはキャプテンのリーチに、そう吐き捨てた。



そう言われたリーチは、シリアスな表情にならざるをえなかった。

その異変に気づいた堀江翔太。リーチに声をかけた。

「なに言われたん?」

リーチは言葉をにごした。

「大したことじゃない」



堀江は言う。

「またまた〜。そんなこと言わんと、言うてみ」

すると、リーチは重く口をひらいた。

「クソみたいな練習しやがって…」



確かに、その日の練習はいつもと違っていた。

Number誌はこう記す。


南アフリカ戦は翌日に迫っていた。その前日練習をまえに、主将のリーチマイケルはかすかに緊張をおぼえた。いつもに比べてメディアの数が多く、試合に向けて準備してきたことをテレビカメラの前にさらしたくない。南アフリカが日本の練習内容を目にすることが十分に考えられたからだ。だったら、メディアがいるあいだはストレッチをやったりして、当たり障りのない練習にしよう。

それがエディーの逆鱗にふれたのだ。エディーは例外を嫌う。周到な準備によって、すべてを「アンダー・コントロール」、支配、把握することで戦いの準備をととのえる。集大成となる大一番をまえに、これまでやったことのない練習をするなど考えられなかった。いや、信じられなかった。

(Number誌)



エディーは、キャプテンとしてのリーチの力量をみとめていた。だからこそ、エディーは「選手主導の練習」をリーチにまかせていた。

だが最後の最後、肝心の南アフリカ戦をまえに、リーチのリーダーシップがエディーの癇にさわったのだった。



エディーの爆弾発言「クソみたいな練習」は、選手間に知れわたった。

「なんやねん!」

選手らは反発にいきりたった。

「勝ったろやんけ!」



一方、リーダーズ・グループ(リーチ、畠山、堀江、伊藤、五郎丸、立川)はエディーの発言に対して冷静だった。

五郎丸は言う。

「ボス(エディー)の機嫌しだいですから」

堀江は言う。

「イングランドに入ってから、精神的にいちばん不安定だったのがエディーさんだったと思います。『緊張してはいけない』と言いつつ、緊張しているのはエディーさん、あなたでしょ! みたいな(笑)」

リーチは言った。

「エディーさんは、元々スタメンだったウィング選手が怪我で、ハル(立川理道)に代わったことでナーバスになってたんだと思う。いちばん緊張してるのはスタッフの人たちだから、怒られたりしても、選手は変にネガティブにならないようにしよう」



決戦前夜、選手らの「自主性」は、いよいよ確固たるものになっていた。


ヘッドコーチ(エディー)に何と言われようと、選手たちはリーチの示す方向にしたがい、気持ちは一つに固く結束していた。

Beat the Boks
ビート・ザ・ボクス

南アフリカを倒すのだ。

(Number誌)


その夜、コーチらとの全体ミーティングが終わると、選手だけの「プレーヤーズ・ミーティング」が開かれた。

このときのためにと、廣瀬(俊明)はビデオを用意していた。それは日本のトップリーグ全チームからの応援メッセージだった。

選手たちは、村田のピタピタTシャツに、山中のダッシュに、トープリーガーたちのユーモアに大爆笑した。



高ぶっていた感情が解放された。

緊張がふうっと、とけた。

こうして9月18日の夜はふけた。







決戦の朝、バスケットコートで「ウォークスルー(歩きながらの動きの確認)」を行った。サイン、コールなどを丁寧に確認していく。

その練習を見ていたエディー、「すごく良かった」と珍しく褒めた。



ほめられても、堀江は冷静だった。

「普通っす。めっちゃ良かったほどでもないです」

五郎丸も然り。

「ボス(エディー)の気持ちが晴れてただけですよ」



選手らはじつに落ち着いていた。

凛とした集中力を保ちながら、それでいてリラックスしていた。







スタジアムには試合開始90分前に着いた。

その10分後、南アフリカのバスが到着したが、出てきた選手らはイライラしており、コーチ陣もピリピリしていた。というのも、南アフリカはスタジアムに早く到着しすぎて、30分以上もバスに乗ったまま、スタジアムの周りをぐるぐる回っていたからだった(注:スタジアムには指定された時間にしか入れない)。


キックオフまで1時間。

ピッチの様子を見ていると、南アフリカの登録外の選手たちとスタッフが集合して、にこやかに記念撮影をしている光景が目に入ってきた。そこには緊張感のかけらもない。

稲垣純一は言う。

「もしかして、行けるかもしれないと思いました。こいつら完全になめてやがるな、と。われわれは本当に、南アフリカを倒すことしか考えていなかった」

(Number誌)



日本代表のロッカールームでは、エディーが泣いていた。

「歴史を変えるんだ。歴史を変えるチャンスは一回だけだ」

感情をおさえられないまま、エディーはつづけた。

「南アフリカを殺しにいくぞ!」



ピッチ入場

国家斉唱

「君が代」が流れた。


五郎丸が、畠山健介が、田村優が泣いていた。

4年の歳月は、この日のためにあった。

やり残したことはなかった。

ひとつも、なかった。

(Number誌)


南アフリカのキックオフ。

日本の左サイドに飛んだ。

五郎丸が蹴り返す。



開始から45秒。

日本が攻勢にでた。

マレ・サウが、堀江翔太が、松島幸太朗がピッチに躍動する。



「ビート・ザ・ボクス(南アフリカを倒せ)」の始まりだった。







79分56秒

レフェリーの笛とともにデジタル時計は停止した。

試合終了まで「残り4秒」。

スコアは「29-32」、日本の3点ビハインド。



日本にペナルティキックが与えられた。

場所は、南アフリカのゴールまで「あと5m」。



キャプテンのリーチは、ゆっくりとレフェリーに近づいて言った。

「スクラム」


狙うのはスクラムトライだ。

残り4秒という時間を考えれば、文字通りのラストプレー。どんな選択をしようが、選んだプレーが終了した時点で試合は終わる。ペナルティゴールを狙えば、同点で試合が終了することは確実だった。

だが、2012年にエディー・ジョーンズがヘッドコーチに就任し、W杯の組み合わせが決まってから、チームは「打倒スプリングボクス(南アフリカ)」を掲げてきた。いま、その目標を達成できる千載一遇のチャンスが巡ってきた。このチャンスにすべてをかけたチャレンジをしないくらいなら、4年近くつづいたあの猛練習は何だったのか。

「引き分けほど最悪の結果はない」

だから、リーチは退路を絶った。のちに「ブレイブ・コール」と名づけられる、歴史的な決断が下された。

(Number誌)


コーチボックスのエディーは、真っ赤な顔をして怒り狂っていた。

「ショット! ショットだ!」

通訳の佐藤英典にむかって怒鳴った。

「ちゃんと伝えたのか!?」



リーチは、エディーの指示をちゃんと聞いていた。トレーナーの青木淳之介は「ショットです」と2回、リーチに伝えたのだった。

それでもリーチは「ショット」、すなわち同点で終わる選択をしなかった。唯一逆転の道である「スクラム」を選んだのだ。



リーチは迷わなかった。

自らの胸に問いかけ、仲間の声に耳をかたむけ、さらに冷静に状況をみて断をくだした。

特別な勇気をもって下した決断でも、玉砕を覚悟したギャンブルでもなかった。

「勝つための最善手」を選択しただけだった。

(Number誌)







五郎丸も「スクラムだろう」とわかっていた。だからキックを準備するそぶりすら見せなかった。

五郎丸は言う。

「自分のなかにもキックを蹴る選択肢はまったくなかった。あそこは15人、いや23人の選手全員がスクラムを組みに行こうと考えていた」



「歴史変えるのダレ?」

トンプソンルークは吠えていた。

「オレらや!」

山下が応えた。



スクラム勝負は選手らにとって必然だった。

そう思っていなかったのは、エディーだけだった。



この光景に、川淵三郎は思った。

「選手がエディー・ジョーンズを超えたな」



「従順」から「自主性」へ。

エディーに揺さぶられつづけた選手たちは、この大一番の土壇場で、逆にエディーを揺さぶっていた。





南アフリカのデュプレアは言う。

「リーチがスクラムを選択したとき、『負けるかもしれない』と思った。(南アフリカの)フォワードは7人でよくがんばっていたが、日本は8人でスクラムからのサイドアタックで、トライを狙ってくる。バックスがそれをカバーしなければならないのに、みんな自分のマークに気をとられていた。それがものすごく気になっていた」

南アフリカは、日本の最終兵器ことマフィに気をとれていた。にもかかわらず、「誰がマフィを止めるのか」、南アフリカはそれを明確に決められないまま、防御にのぞんでいたのである。



しかし、不幸にして日本最後のスクラムは、この試合で唯一「上手く組めなかった」。

フッカー木津は「レフェリーの合図より、相手の組むのが早い」と思い、一瞬動きを止めた。相手の反則になると思ったのだ。ところが笛はならなかった。

右へ右へと流れたスクラム。なんとか懸命にキープしていたボールは、ポロリとこぼれた。そのこぼれ球に、なぜか南アフリカのデュプレアはいかなかった。オフサイドをとられることを警戒したのだった。

その一瞬のすきに、マフィが身をていしてセーブ。南アフリカに行きかけた「一瞬の女神」は、ふたたび日本に確保された。



「ミスが許されない状況だった。だから、ボールを落とさないことだけを考えた。いつもよりしっかりボールを持つこと。それだけを心がけていた」

日和佐は、のちにそう語っている。

その日和佐の足はもう限界だった。両足を痙攣させながら、ボールをリーチにつないだ。



そのリーチも足がつりそうだった。

足がつらないようにと、両足の外側に重心をかけて「変な走り方」をしていた。スピードとパワーをまったく落とさずに。

タックルを受けたリーチは、何とかボールをダウンした。その瞬間に両足がつって動けなくなった。



右サイドは、もう使い果たしていた。

日和佐は左サイドへの展開をねらった。



そのとき、五郎丸が猛スピードで上がってきた。

「ゴローさん、ナイス!」

日和佐は心のなかで叫んだ。

日和佐はわかっていた。それがダミー、おとりのランであることを。



「練習どおりのダブルラインだ」

陣形を確認した日和佐は思った。

手前に立川、そこから横にトンプソン、木津、マフィのライン前列。後列には、田村とマレ・サウ、その大外にカーン・ヘスケス。

「これはトライになる!」

日和佐はそう確信し、立川にパスをおくった。



立川理道は、エディーに「パスの名手」と高く評価されていた選手だ。しかしこの南ア戦、ほとんどパスを放っていなかった。

ボールをもった立川は、エディーの言葉を思い出していた。

「飛ばしパスは絶対に放るな!」



しかし、いまほど絶好の「飛ばしパス」のチャンスはない。トンプソンと木津のむこう側で、マフィが何かを叫びながら、大きく手をふっているではないか。

トライチャンス!

そう判断した立川は、エディーに禁じられていた「飛ばしパス」を思いきり放った。まったく「自主的」に!



スピンのかかった長い「飛ばしパス」は、マフィ目がけて一直線につながった。パスを受けた瞬間、マフィは前を向き、クリエルにハンドオフを一発かました。

このまま強引に直進するか?

左のヘスケスにパスを通すか?



見ると、南アフリカ最後の防御3人は、みな自分に向かってきている。

一方、ヘスケスはノーマークだった。

マフィは冷静にパスを選択した。



ヘスケスはマフィと目があった。

その瞬間、パスが飛んできた。

「怖い!」

一瞬、ヘスケスは思った。

「ここでノックオンしたら…」


パスが両手におさまって走り出したとき、頭のなかでは感情が爆発していた。

ヘスケスは爆発を体内にとどめられずに口をあけ、わずかな距離の疾走のあいだずっと、叫びにならない叫びをあげていた。

雄叫びが口からほとばしったのは、インゴールに身体ごとボールをグラウンディングしてからだった。

レフェリーの笛がなって、トライが認められた。

34 - 32。

83分55秒。

ラグビー史に、ジャパンの名がくっきりと刻まれた瞬間だった。

(Number誌)







W杯がおわった翌日、最後のミーティングがひらかれた。

開口一番、エディーは言った。

「自分の仕事はすべて終わりました。だから、話すことはもうありません」

ミーティングのあいだ、エディーはずっと後ろで座っていた。



最後にリーチがスピーチに立ったとき、ふとエディーの姿が目にはいった。

「えっ! マジで?」

エディーは泣いていた。

号泣していた。



のちにリーチは、こう語っている。

「チームが終わって、エディーは本当にさびしかったんだと思う。誰がいちばんハードワークしてたかって、それはエディーだった。日がのぼる前から起きて、全力をだして働いていた。だから、倒れもした。ボスがあれだけ働いてたら、誰もサボれないですよ」



堀江翔太は言う。

「リーチのキャプテンシーはホンマ素晴らしかったよ。W杯が近づくにつれて、自分のなかに軸がでてきたやん。すべてがすべてエディーさんの言うことをそのまま伝えるんじゃなくて、自分の思い、自分の考えで、『自分がキャプテンとしてチームを動かしてるんだ』という風になってきた。それにみんながついていくようになったよね」



メンタルコーチの荒木香織は言う。

「いま世間でスポットライトが当たっているのは選手たちです。『自分たちでこうやりました』ってきちんと話せるようになりました。それは、エディーさんが選手を立てながらやってきた結果だと思います」


エディーは選手たちが自立したことを歓迎していた。

その結果、ラグビー日本代表は独自のカルチャーを創造することに成功した。

(Number誌)


五郎丸は言う。

「これまでも外国からたくさんのコーチがやってきましたが、代表にプライドを取り戻し、文化を定着させたのはエディーさんだと思います」






ウィングは言う。

「エディーは基本的に、とてもエモーショナルな人間なんだ。感受性もつよい。ただ、不器用な人でもある。そこで誤解もうまれやすいのかもしれない」

総務の大村は言う。

「ありがとう、の一言がいえない人なんです。ビートルズの『I don't like you, but I love you』ってあるでしょ。好きじゃないけど、愛してる、みたいな。自分で『くそっ、これやな』と思って。ほんとうに面倒くさい感情です」

荒木香織は言う。

「女性からしたら、エディーさんって、すごくかわいいんです。本当に勝ちたい、どうにかして選手を勝たせてあげたい、っていうそれだけの人です。だから少々演技してるしね(笑)。日本を離れるときも『いっぱい息子がいたのに、急にいなくなった感じがする。さびしい』と泣いてました」







エディーが日本を去ったあと、オフィスに一冊の本がおかれていた。

Good Boss, Bad Boss



総務の大村は言う。

「『おいおいボス、忘れ物か?』と思って手にとったんです。そしたら『良い上司、悪い上司』って、なんのメッセージやねん! って(笑)。ホンマに冗談キツイですわ」






(了)






出典:









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posted by 四代目 at 04:54| Comment(0) | スポーツ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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