比叡山 延暦寺
開山から1,200年
ここに代々伝承されてきた「動静2つの難行」がある。
動の行といわれる「千日回峰行」
静の行といわれる「十二年籠山行」
◆ 入山
子供のころから喘息(ぜんそく)だった。
ひどい発作に見舞われるたびに、もう死ぬと思っていた。
比叡山から話がきたのは、そんなときだった。
光永圓道(みつなが・えんどう)氏は言う。
「中学を出て、ワラにもすがる思いで小僧にしていただきました」
師となった光永覚道(みつなが・かくどう)は言った。
「坊さんをクビになっても就職できるよう、大学にいけ」
師僧・覚道阿闍梨(かくどう・あじゃり)は、比叡山随一の荒行・千日回峰行を1990年に、35歳で満行していた。
光永圓道(みつなが・えんどう)氏は言う。
「(大学にいけと言われて)京都市内にある花園大学で勉強することになったわけですが、そこからですね、お坊さんになることを本気で考えはじめたのは。お勤めが忙しくて学校には寝に行くようなものだったんですが(笑)」
心配した喘息(ぜんそく)も、入山して3年目には完全に落ち着いていた。
「自然に囲まれた環境で、毎日忙しく立ち働いたことが、一種の逆療法のような効果をもたらしたのかなと思います。改めて振り返ると、自分がこの道に入ったことが、とにかく不思議で仕方ありません。気がついたらココにいたという感じで(笑)」
◆ 覚悟
住職になる前からすでに、千日回峰行に入る意志はあったという。
光永圓道(みつなが・えんどう)氏は言う。
「許可をいただかないとできない行ですから、公言はしていませんでしたが、心の内では "できることなら" と」
千日回峰行は平安時代、相応和尚(そうおう・かしょう)により創始されたとされる。
その極限の行を、比叡山はこう記す。
千日回峰行は7年間かけて行なわれます。1年目から3年目までは、1日に30キロの行程を毎年100日間行じます。定められた礼拝の場所は260箇所以上もあります。4年目と5年目は、同じく30キロをそれぞれ200日。6年目は、1日約60キロの行程を100日。7年目は200日を巡ります。最後の100日間は、もとどおり比叡山山中30キロをめぐり満行となるものです(天台宗公式HPより)。
光永圓道(みつなが・えんどう)氏は言う。
「この回峰行は、途中で断念するときは "自害しなければならない" という究極の掟がありますから、中途半端な気持ちでは入れません。入る時にどれだけ自分の覚悟を決められるか、ということだと思います」
回峰行者は、頭には未開の蓮華をかたどった桧笠をいただき、生死を離れた白装束をまとい、八葉蓮華の草鞋をはき、腰には死出紐と降魔の剣をもつ姿をしています。生身の不動明王の表現とも、また、行が半ばで挫折するときは自ら生命を断つという厳しさを示す死装束ともいわれます(天台宗公式HPより)。
◆ 行
平成15年(2003)、光永圓道氏は千日回峰行にはいった。
光永氏は言う。
「比叡山の千日回峰行は、毎年春にスタートします。年間100日間ですので、3月の下旬から7月の初旬まで歩くことになります(200日歩くときは10月中旬までになります)。寝るのは、だいたい夜の8時くらいで、夜中の12時半には起き、お勤めをして2時に出峰します。夜通し歩いてお参りして、朝の8時には帰ってきます」
ひとたび行に入れば、雨が降ろうと雪が降ろうと、行を続けなければならない。
山中でに怪我は数え切れず、ときには台風に遭遇し、脱水症状に倒れることもあったという。
光永氏は言う。
「中でも一番大変だったのは、京都大廻りのときに脚を怪我したことでした。累積疲労で脚がパンパンに腫れて、お医者さんからは "絶対安静" と言われていたんです」
そのとき、むかし言われた師の言葉が、脳裡に去来した。
”脚をかばうな”
光永氏は言う。
「かばいながら歩くと、今度は別のところを痛めるんですよ。ですが、かばわなければ痛いところはその一か所で済む。言われたときには意味の分からない言葉でしたが、実際に自分の身体で体験してはじめて、感得しました」
◆ 生存の否定
行に入って5年後、700日を満行すると、堂入り(どういり)となる。
光永氏は言う。
「9日間、明王堂に参籠して、断食・断水・不眠・不臥で本尊の不動明王にお祈りしました。一日に三坐の勤行をして、不動明王の真言を十万遍となえます。毎日午前2時に本尊にお供えするお水、閼伽水(あかすい)を近くの閼伽井(あかい)という井戸まで取水に行くのですが、それ以外は外に出ることはできません」
700日を満じて、9日間の断食・断水・不眠・不臥の“堂入り”に入り、不動真言を唱えつづけます(天台宗公式HPより)。
断食・断水に関して、医学は "一週間(7日間)が生きられる限度" としている。が、それを9日間、行は求めるのであった。
「体力はどんどん落ち、身体も痩せこけて、頬がゲッソリと削げ落ちてきます。本当に死と隣り合わせのギリギリのところまでいくのです。心臓に負担がかかるので、本当にゆっくりとしか歩くことができなくて、トイレも手伝っていただかないと行けなくなりました」
生きることが一切、否定される。
すると不思議なことに、精神は別の働きをはじめるという。
光永氏は言う。
「まさしく極限の状態のなか、意識は逆に冴えわたって鋭敏になり、普段は決して聞こえない、比叡山の麓をはしる電車の音や、駅のアナウンスまで聞こえたほどです」
出堂したときには、杖もまともに握れぬほどに弱っていたという。
「堂入りは、お釈迦さまが悟りを開いたときの追体験の行です。お葬式をして、形の上では死をもって入堂させてもらい、9日後にそこから出堂するときには "生身の不動明王" として生まれ変わって出てくるということです」
◆ 自利行から化他行へ
堂入りを成満したものは「生き仏」とされる。
それ以後の行はすべて人様のもの、「化他(けた)の門」に入る。
光永氏は言う。
「最初は自分自身を高めていく "自利行(じりぎょう)" だったのに対して、そこからは "化他行(けたぎょう)" 。自分のためにお山を七里半まわった上で、人様のために京都洛北の赤山禅院まで七里半往復します」
6年目は、これまでの行程に京都の赤山禅院への往復(赤山苦行)が加わり、1日約60キロの行程を100日。7年目は200日を巡ります(天台宗公式HPより)。
平成21年(2009)9月18日
光永圓道(みつなが・えんどう)師は千日回峰行を満行した。
◆ 一瞬
千日回峰行を終えたばかりの光永氏に、師はこう声をかけた。
「大変なのは明日からだ」
その言葉は、日常にひしひしと実感されてきた。
光永氏は言う。
「千日回峰行に入ったときは、特別なことをやっているという意識はありませんでした。逆に "終えてからのほうが大変" だというのが実感で、満行して "あぁ終わった" という感じは全然ないですね。行が終わった残りの人生は、寝るのも食べるのも日常のすべてが修行となります。千日回峰行は千日きっちり廻らずに、あえて25日残して満行となるのは、そこで行を完全に終えるのではなく、その後も一生かけて行を積み重ねていかなければならないことを示唆しています。回峰行という形は終わっても、見方を変えれば ”あらゆるものが行になる"。そういう意味で、行というのは一生続くものなのでしょう」
酒井雄哉(さかい・ゆうさい)大阿闍梨は言った。
”一日一生(いちにち・いっしょう)”
千日という気が遠くなるほどの荒行も、一日一日の果てにある。
その一日も、一瞬一瞬、一刹那(せつな)の結果である。
「一瞬を生き切るということ。行とは、その大切さを改めて感じさせてもらうのだろうと思います。一瞬、一刹那を大事に生きることを心掛けることで、人生は有意義なものになるはずです」
出典:
『致知』2015年12月号
光永圓道「極限の行に挑む」
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