2015年10月21日

五郎丸とワールド杯 [ラグビー]






五郎丸歩
ごろうまる・あゆむ


ラグビーは3歳ではじめた。

”福岡市の「みやけヤングラガーズ」というラグビースクールに、3人兄弟で通いはじめた(Number誌)

当時、コーチを務めていた脇田雅和さんは、五郎丸の印象をこう語る。

「亮(五郎丸の兄)は非常に明るくて、楽しそうにやっていましたが、歩(五郎丸)はいつもフテくされたような顔でした(笑)。2人のお兄ちゃんがやっているから何となくついてきて…、という感じでしたね。性格はヤンチャ。おとなしいけど言うことを聞かない(笑)」



”小学校高学年では一時サッカーに転校したが、中学に入ると「筑紫丘Jr.スクール」でラグビーに再転向。高校は花園で常連だった「佐賀工」に進学。高校2年のとき、未来の日本代表をになう逸材を育成するエリートアカデミーに、山田章仁らとともに選ばれた(Number誌)

中学まで骨折すること8回。身体は大きかったが五郎丸は怪我がちだった。ゆえに公式戦に出場する機会も限られていた。

脇田さんは言う。

「キックについては『蹴っていたかな?』というくらいで、印象はあまりないんです。同学年の山田くん(章仁)は、小学校時代から光ってましたが(笑)」



早大1年のとき、ジョニー・ウィルキンソンに指導をうけた。

五郎丸は言う。

「早大グラウンドでキック教室を開いてくれたんですが、実際に教室がはじまる1時間も前からグラウンドに出て、延々とキック練習を繰り返していました。世界一の名選手が、そこまで地道に練習するということに感銘を受けました」





ジョニー・ウィルキンソン(Jonny Wilkinson)といえば「世界一のキッカー」と謳われたイングランド代表選手。2003年のW杯では大車輪の活躍をみせ、オーストラリアとの決勝では延長残り30秒からドロップゴールを決め、チームを優勝に導いた。この大会、ウィルキンソンはキックだけで113得点をあげて得点王にかがやいている。イングランド代表があげた得点の8割が、彼の脚から生み出されたのだった。

ウィルキンソンのキックで特徴的なのは、蹴る前に儀式のように行っていた「両手を胸の前で軽く合わせた、祈るようなポーズ」。力を身体の中心へと集めるためだという。五郎丸はそのウィルキンソンを真似るように、キックの前に両手を合わせるようになった。のちに五郎丸の「ルーティーン(決まりごと)」といわれるようになったポーズであるが、早大時代はまだ、歩数も間合いもバラバラだった。



五郎丸が日本代表に初めて選出されたのは、早大1年、19歳のときだった。

その当時の印象を、リーチマイケル(現日本代表キャプテン)はこう語る。

「ゴローさんは、キックがめちゃめちゃ上手いし、オフロードパスは上手いし、スゲエなと思ってた。テレビで見て『怖いなぁ』と思ってました。『オレに近寄るな』というオーラがでてた(笑)。実際に話をするとフレンドリーで、逆のキャラなんだけど」

”五郎丸は2005年に19歳で初めて代表入りしたものの、以後は代表から外れつづけた。次に日本代表のジャージーを着たのは、早大を卒業しヤマハ発動機で1シーズンプレーしたあとの2009年4月。しかし代表定着はかなわず、2007年フランス、2011年ニュージランドと2度のW杯を、五郎丸は逃した(Number誌)






◆エディー・ジョーンズ





五郎丸を日本代表の「大黒柱」にすえたのは、エディー・ジョーンズHC(ヘッドコーチ)

「(五郎丸は)世界で5本の指にはいるキッカー。われわれにとって最も重要な選手だ」

と高く評価した。

”2012年のエディー・ジョーンズHC(ヘッドコーチ)就任以来、日本代表が戦った41のテストマッチで五郎丸が欠場したのはわずか2試合。五郎丸はチームの一番後ろから指示の声を出し続け、豪快な攻撃参加と頑健なタックルでチームを鼓舞。正確なゴールキックを蹴り込んでジャパンに得点をもたらす。日本代表の最後尾には背番号15をつけた身長185cm、体重100kgの雄大な体躯がそびえ立っている。大黒柱という言葉が、これほどの似合う男もいないだろう(Number誌)

五郎丸は言う。

「いいプレーをした選手に、エディは『ダメだ!』と言ったりする。これは正直キツいです。だけど、それこそが試合で起きる状況なんです」

ラグビーにおいて「格」というのは重要だ。W杯で過去1勝しか挙げたことのない日本は「Underdog(劣弱者)」。自分たちが正しいと思ったプレーが、レフェリーに反則と判定されてしまうことも珍しくない。

「エディーは”W杯の勝ち”を知っている唯一の人なんだから、ここは信じてついていくしかない」



エディーはかつて、母国オーストラリア代表のHC(ヘッドコーチ)としてW杯準優勝。南アフリカ代表の参謀としてW杯優勝を経験している。彼は日本をW杯で勝たせるべく、やって来たのだ。その厳しさたるや、かつての日本代表になかったものだった。

清宮克幸(ヤマハ監督)は言う。

「まあ、スーパーブラック企業ですよ。ほとんど休みはなし。コーチやスタッフはソファで仮眠して、早朝5時や6時から練習の準備をする。そこへエディーがやって来る。スタッフの能力を最大限に引きだすスキルをもっているのは間違いありません」

五郎丸は言う。

「いやぁ、この4年間は相当な時間と犠牲を払ってきましたよ。1年前の北米遠征のときは、バンクーバーに滞在中に、下の子が生まれました。時差があるから、朝起きたら『生まれたよ』とメールが入っていた。実際に顔を見たのは、その1週間後くらいだった。ゼロ歳の1年間のうち、半分以上は合宿や遠征で留守にして、家族にも負担をかけています。練習の成果を実感するのは、試合がめちゃめちゃ楽に感じられること(笑)」



ワールカップ直前、梅雨の時期の代表キャンプは熾烈をきわめた。試合もないまま猛練習だけが延々と続いた。家族にも会えない、酒を飲むことも許されない。正直、選手らはエディーへの不満を鬱々と募らせていた。

同時期、日本を離れていたリーチマイケル(代表キャプテン)は言う。

「クラウドにあげられた練習の映像を見るたびに『ホントにハードな練習をしているんだなぁ…』と胸が痛くなった。LINEなんかでチームメートの何人かとやりとりしてたけど『これヤバイぞ』とホントに思ってた」

エディーは言う。

「梅雨のまさにあの時期に、私は選手の選別をしたのです。W杯のプレッシャーを乗り越えられる人間なのか、それとも潰されてしまう程度の人間なのか。W杯のような大きな舞台への準備として、本番前にストレスフルな時期を与えることが必要だったのです。一度、落とす。そしてW杯直前に、選手たちを心地よい状態にもっていく。ストレスフルな状態と最高の状態の落差が大きければ大きいほど、選手たちは力を発揮します。それは驚くべきほどの効果なのです」



Number誌の記者はエディーに問う。

「選手から愛されたいと思ったことはないんですか?」

「ありません」

「一度たりとも?」

「コーチになってから、まったくありません。必要ないからです。軋轢、プレッシャーこそが、成功にいつも必要とされているのです」










◆開幕



2015ラグビーW杯インランド大会

日本代表の初戦、南アフリカ戦のメンバーが発表された、その会見場で、五郎丸の顔面は蒼白になっていた。



その前日、五郎丸は早大以来の盟友・畠山健介にこう弱みを見せていた。

「オレ、緊張してるんだ…」

畠山は前回のW杯も経験していたが、五郎丸にとっては初めてのW杯だった。

五郎丸は言った。

「日本代表で50試合以上に出てきたけれど、今までで一番緊張してる。普段通りの平常心で望むのは無理(苦笑)」



そして迎えた南アフリカ戦の当日。

”ピッチに姿をあらわし、整列して国歌斉唱にのぞんだとき、五郎丸の顔は憑き物が落ちたようにスッキリしていた。対するのはW杯を2度制し、世界一のサイズとパワーを誇る「ラグビージャイアント」南アフリカ代表である。覚悟を決めて立ち向かうしかない。W杯初出場となる五郎丸歩の頬を、一筋の涙がつたった(Number誌)



刮目せよ。

ラグビー史を書き換える試合がはじまった。



ジャパン旋風のはじまりは、開始4分、いきなり五郎丸のビッグゲイン。

”五郎丸は両手でボールをつかみ、前傾姿勢で相手の防御を切り裂いて前進。直後に相手反則を得ると、正面32mの先制PG(ペナルティーゴール)を五郎丸が鮮やかに蹴り込む。スタジアムが大歓声につつまれる(Number誌)

アンダードッグ(劣等)とみなされていた日本代表が、巨人南アフリカに先制点。エディーが喩えた「ダビデとゴリアテの戦い」のごとく、小さな羊飼いは巨人の不意を突いた。



五郎丸は言う。

「エディーが試合前に言っていたんです。最初の20分に良い試合をすれば、観客は日本の味方になる、と」

謀将エディーは言う。

「ラグビーは世界で最もオーソドックスなスポーツです。保守的でもある。だからこそ、”相手を驚かすこと”が有効です。たとえば、サプライズに直面すると人は考えはじめるものです。そして、相手が考えはじめた瞬間、ラグビーというスポーツでは勝つチャンスが生まれる。それが実際に南アフリカ戦で起きたのです。そうなると、いつものプレーができなくなります。ラグビーは高速のスポーツです。考える時間はありません。状況に反応し、判断し、プレーする。南アフリカの選手には疑問が湧き、判断が遅くなった。あの試合はそうした心理戦からスタートしたのです

”日本はこの後も多彩な攻撃を仕掛ける。キックを多用したかと思えば、自陣PK(ペナルティーキック)から速攻、相手のタッチキックはクイックスローで攻めるなど南アフリカを休ませない。キックオフの蹴り方も、転がるキック、ライナー、ロングと毎回変化をつけ、安定したボール確保を許さなかった(Number誌)

エディーは言う。

「南アフリカは日本がボールをたくさん展開すると予測していたはずです。そこでキックを増やした。試合が進むにつれてハッキリしたのは、”南アフリカはキックに対するプランをもっていない”ということです」

”南アフリカの指揮官メイヤーは十分なジャパン対策を講じていなかったように見えた。スカウティングを怠っていたのではないか。日本戦への準備は「どうせ継続(展開)してくるんでしょ?」程度のものだったと思う。しかし実際のジャパンは継続してこなかった。W杯前まで1試合でせいぜい10本程度だったキックが、この試合では3倍以上の36本。「フェイズを重ねずに攻める」というアタックオプションがはまり、大量得点につながった(Number誌)



前半29分、日本に待望のトライ(リーチマイケル)。

「10 - 7」と逆転に成功した。

”国際映像に映し出されたエディー・ジョーンズHC(ヘッドコーチ)も、一瞬泣き顔になった。選手たちは指揮官の想像をも超越していたのだ。客席にも涙顔の日本人がいた。24年間、W杯で勝てなかった日本が南アフリカと好勝負を繰り広げていることは、それだけで泣けてくることなのだ(Number誌)






◆激闘



前半を「10-12」の2点ビハインド、逆転圏内で折り返した。

エディーは言う。

「(ハーフタイム時に)『勝てる』と選手には伝えました。スコア、そして時計が日本の味方になる。すでに接戦になって、40点差で勝つつもりの南アフリカの選手たちにはプレッシャーがかかっている。こんなはずじゃない、とパニックに陥っていたはずです」



「よっしゃあ!」

後半28分、地響きをたてながらトライを決めた五郎丸。拳で芝をたたいて喜んだ。

五郎丸は言う。

「トライなんて、トップリーグ(日本の国内リーグ)でも滅多に取らないのに、こんなところで取るなんて(笑)。だけど、南アフリカのあそこのスペースが空くことは分析できていました」

”たまたま近くに、遠征中の早稲田大学ラグビー部員が陣取っていた。興奮のあまり、同校の応援歌である「紺碧の空」を、肩を組んで絶唱した。するとイングランドの観客が異様なまでに喜んだ。ラグビーとは歌でもあるのだ(Number誌)

トライ後の、難しい位置からのコンバージョンキック。決まれば同点。五郎丸はいつも通りのルーティーン。少し腰をかがめた姿勢で、胸の前に両手を合わせ、祈るようにゴールを見上げる。今試合7本目となるキックを、五郎丸は冷静にきめた(この時点で成功率85%)。日本、驚異の粘りでふたたび同点に追いつく(「29 - 29」)。

会場は割れんばかりの絶叫につつまれる。

ジャッパン!

ジャッパン!

”二転三転するスコア。日本のサポーターから発生した「ニッポン、ニッポン」のコールは、次第に「ジャッパン、ジャッパン」に変わった(Number誌)

世界中が日本を応援していた。

後半残り10分。

歴史的な瞬間に立ち会えるかもしれないという期待が、異常な興奮となって日本代表を後押ししていた。



ふたたび3点差とされた日本は、最後の総攻撃を仕掛けた。

”何度となくゴールに迫った終了間際、日本は南アフリカゴール前でPG(ペナルティーゴール)のチャンスを得た。スコアは3点差。世界中のコーチが「PGを狙え」と叫ぶ場面である。引き分けでも勝ち点は「2」。プール戦(予選)では勝ち点を加算することが大切だからだ(Number誌)

しかし、日本代表の選択は違った。

実況「スクラムだ! 日本代表が南アフリカ相手に『スクラム組もうぜ』! 宣戦布告!

あくまでも勝ちにいった。

五郎丸は言う。

「だれも同点はいらなかった。チームに迷いはなかった」



「ブレイブ(勇敢な)コール!」

イアン・マギーカン(スコットランド代表監督)は叫んだ。

カモーン! ジャパーン!

スタジアムは完全沸騰。南アフリカは動揺にゆれる。



実況「もう80分を超えています。ラスト、ワンプレーです。さあ、歴史が本当に動いてしまう瞬間です!」

解説「ヘスケスにボールを持たせると面白いですね」

実況「さあ、日本の皆さんも共に戦いましょう! 勝って泣こう!」

”テレビの放送席では実況者が絶叫し、警備員、ボランティア、記者も総立ちになった。その場にいた人々が目撃したのは、ラグビー史上最大のアップセット(番狂わせ)だった(Number誌)

「立川! マフィ!」

「ひとり余ってる! ひとり余ってる!」

「行けっ! ヘスケス!」

左コーナーぎりぎり、ヘスケスが美しいトライを決めたとき、日本のラグビー史、否、世界のラグビー史が書き換えられた。



「ヤッターっ!」

「ヤッターっ!!」

「日本代表、やりましたーっ!」

「とんでもないことをやってのけました、日本代表! 世界の皆さん、これが日本代表です! どうですか!」



「34 - 32」

逆転につぐ逆転

最後の最後、ついに日本が巨人をひっくり返した。羊飼いダビデは、巨人ゴリアテの眉間を見事、射抜いてみせた。







「何回でも泣けてくる」

MOM(最優秀選手)に選ばれた田中史朗が泣きじゃくる。

エディーは言う。

「信じられなかった。アシスタントコーチに何度も聞き直しました。スコアボードを見て、本当に信じていいのだろうか、と。自分は興奮するタイプではないのに、あの時ばかりは目の前で起きていることが信じられなかった」

キャプテン・リーチは「最後は練習のようだった」と、試合を振り返った。エディーの猛練習によって選手の身体に染み込んでいた動きが、あの緊迫した場面にあっても自然と発露されたのであった。

”かつて日本代表は「ブレイブ(勇敢)」とW杯で善戦を称えられたことならあった。しかし今、ジャパンの存在価値を根本から変えたこの桜の戦士たちを、こう呼びたい。「グレイト・ブロッサムズ(偉大なる開花)」と。類稀なるコーチの下で、血のにじむような努力を重ね、ついに勝利を手にした男たち(Number誌)







”Out of a clear blue English sky came a thunderbolt”
イングランドの紺碧の空に落ちた稲妻(オブザーバー)

世界各紙は、日本の勝利を「奇蹟」「奇跡」ともてはやした。

そんな中、五郎丸は言った。

「(この勝利は)必然です。ラグビーに奇跡なんてありません。南アフリカが弱かったんじゃなく、日本が強かった」

畠山健介は舌を巻く。前夜の弱音はなんだったんだ、と。

「(五郎丸は)すごい男ですよ。今までで最高のパフォーマンスを、最高の舞台でだすんだから」



五郎丸は言う。

「開幕の前は緊張していましたけど、そのあとは肩の荷がおりたというか、楽んでラグビーをやれてますね。以前の僕は、大きい試合の前の日になると、逃げ出したくなる方だったけど、最近は変わりました。今は、その舞台に立てることが幸せなんだと思えるようになりました」

普段はポーカーフェイスを崩さない五郎丸。だがこの日は、底抜けの笑顔をみせた。










◆成長の瞬間



日本は続いて、中3日の強行スケジュールでスコットランド戦に臨んだ。

”南アフリカ戦の2日後におこなわれたメンバー記者会見では、初戦の前には1本だったマイクが13本に増え、記者は海外メディアだけで60人以上、総勢100人を超え、会見室から人があふれた(Number誌)

世界注視のスコットランド戦。

日本は前半を互角でしのぐも、後半最後の25分間で4トライを決められ、力尽きた(最終スコア「10 - 45」)。それでも世界は日本をリスペクトしてくれた。

”最終スコアが示しているほど、スコットランドにとっては簡単なゲームではなかった。ハーフタイムまでは、昨年のスコットランド独立の国民投票よりも、はるかにせめぎ合っていた(デイリー・テレグラフ)

せっかくの好ゲームを壊してしまったのは、過密すぎた「日程の問題」だ、と指摘する声も多かった。

"Shoddy schedule makes suckers of Japan's heroes”
インチキな日程のせいで、日本の英雄たちが食い物に(デイリー・メール)

”たっぷりと休み、準備万端のスコットランドと、中3日で疲労困憊の日本との試合を組むのは犯罪的だ(デイリー・ミラー)


だが、日本代表は一切の言い訳をしなかった。

エディーは言う。

「日程は関係ない。我々は3年前からこの日程を想定して準備してきました。2年前には土曜日にウェールズと、水曜にカナダと、日曜にアメリカと、9日間で3テストを戦う日程を組んだ。今日はスコットランドが素晴らしいゲームをしたのだ」



敗戦の中にあっても、日本代表は随所随所で魅せていた。

たとえば、前半終了間際の五郎丸の果敢なタックル。

”自陣ゴール前でスコットランドに連続攻撃を浴びながら、トライ態勢に入ったシーモアを、体ことタッチラインの彼方へと弾き飛ばす五郎丸の猛タックル。キングスホルム競技場を埋めた観衆がどよめきをあげる(Number誌)

五郎丸は言う。

「ちょっと嫌な雰囲気になっていたし、リーダーの一人として、悪い流れは止めなきゃいけなかった

トライ必至の状況を、すんでのところで阻止した五郎丸。それをエディーは高く評価した。

「4年前、五郎丸にはタックルをできないという定評がありました。それが、どうです。スコットランド戦の前半最後のタックルを見ましたか? 最高のタックルでした。まさにあの瞬間が、五郎丸という選手、一人の人間が成長した瞬間です。あの一つのプレーを見ただけでも、彼がどれだけ誇りをもってジャパンでプレーしているかを示してくれました」






◆リスペクト



サモア、アメリカと続いた戦いに、日本は2連勝。

だが、日本代表の快進撃は予選プールのみで終わってしまった。4戦中3勝しても決勝トーナメント(ベスト8)に行けなかったチームは、W杯が今のシステムになって以来、日本が初めてだった。「史上最強の敗者」と呼ばれた所以である。

ベスト8に届かなかったとはいえ、世界に対する日本の評価はぐっと高まった。それはレフェリーのジャッジにも現れていた。

”ラグビーに番狂わせが少ない理由の一つに、目に見えぬ「格」の存在がある。両方のチームが同時に反則を犯した場合、レフェリーは「アンダードッグ(格下)」とされるチームにペナルティを課す傾向がある。だが、サモア戦でのジュベールの笛は、これまでのW杯における日本戦のものとは一線を画するもので、感銘を受けた。初めて、すべて納得のできる判定だと感じたからである。それは日本が世界のラグビーサークルから「格」というリスペクトを勝ち得たからなのだろう(Number誌)

エディーは言っていた。

「日本はこのW杯に、ラグビーの世界でリスペクトを得るために来た」

エディーはこのW杯を機に退任が決まっていたが、彼は約束どおり、「世界からのリスペクト(敬意)」という置き土産を日本代表に残してくれたのだった。






最後の戦いとなったアメリカ戦。

”両国国旗を先頭にピッチに入ってきたとき、選手たちの目は赤く腫れていた。「試合前のロッカーで、エディーさんが涙を流しながら『プライドをもって戦おう』と言ったんです。あんなに涙ぐむエディーさん、初めてみました」。堀江翔太はそう明かす。「鬼の目にも涙ですかね(笑)。僕も試合前から泣きそうになりました」(Number誌)



五郎丸はサモア戦につづいてMOM(マン・オブ・ザ・マッチ、最優秀選手)に選ばれた。

その勝利直後のインタビュー。

「このマンオブザマッチは、チームの…」

五郎丸は湧き上がる感情に、言葉をつまらせた。

インタビューアーが次の言葉をせかすも、五郎丸の口からは何もでてこない。ただ目頭をおさえるばかり。ピッチの上では毅然とポーカーフェイスを崩さない五郎丸であったが、最後の最後、高ぶる感情を抑えることができなかった。



「悲しいけど、これが最後のテスト(マッチ)ね」

引退を表明した34歳、トンプソンルークは寂しげにそう漏らした。幾多となく日本を救った滅私のタックル。逆さに吊るしても一滴も垂れぬほど死力を尽くした。



「疲れました」

最後の記者会見、エディーは自身退任の話題はさけた。

ただ、選手たちだけを称えた。









◆スター



W杯を通して、五郎丸の存在感は一気に高まった。

”プレースキックを蹴るときの中腰の構え、指を立てるポーズは、日本でも英国でもその映像が次々にSNSに投稿された(Number誌)

清宮克幸(ヤマハ監督)は言う。

「やっと現れたスター。五郎丸は今度、私と二人で『SMAP×SMAP』に出ますよ」

五郎丸は言う。

「足も速くない、器用でもない僕が日本代表でプレーできたのは、ラグビーが団体競技だから。自分の知らないところで味方が献身的なプレーをして、僕を助けてくれている。僕ひとりにフォーカスされるのは望みじゃないけど、僕をきっかけとしてジャパンというチームを、ラグビーを注目してくれる人が増えたら嬉しいことです」



「ラグビーに恩返しをしたい」

その切なる想いから、五郎丸は著書『不動の魂』を出版した(2014年11月)。

”出版後は故郷・福岡市のすべての小中学校と図書館に224冊を寄贈。W杯への出発前には、日本代表が立ち上げた「SAKURA基金」に著者印税を全額寄付した(Number誌)






W杯を終えた、ある朝、五郎丸は「ヘッドスタートかな」と思って練習着に着替えていた。

ヘッドスタートとは、エディーHC(ヘッドコーチ)が日本代表に課した猛練習の一環で、朝5時から誰よりも先んじて行うトレーニングだった。だが、それはもう終わっていたのだった。

「それが日常でしたから」

そう言って五郎丸は、すこし遠くをみた。

「すぐにトップリーグ(日本の国内リーグ)が開幕します。これまでもずっと休みなし来ていたし、行けるところまで行こうと思ってます」



エディーは言う。

「日本ではこれから、親が自分の子にラグビーをやらせたくなるでしょう。子供たちは鏡の前で五郎丸のポーズをとる。次代のリーチ、次代の五郎丸が、きっとそこから育ってくる」








”南アフリカ戦後の連休期間、東京の調布市の少年サッカー大会で、こんな光景があった。試合前のフリーキックの練習に「ゴロウマル」が出現したのだ。あちこちのチームの子供たちが競って例の「ルーティン」に励んでいる。本当だ。日本のラグビーのイメージは、まさに一夜にして、この列島のみならず地球規模で変わった。(Rugby magazine)




(了)






出典:
posted by 四代目 at 09:14| Comment(0) | スポーツ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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