2015年10月18日

ダビデとゴリアテ、史上最大の番狂わせ



旧約聖書の時代、建国したばかりのイスラエル王国に、好戦的なペリシテ軍が海を越えて攻めて来た。

イスラエル王国の初代サウル王は、宿敵たるペリシテ人を迎え撃つべく、住んでいた山岳地帯を下った。



両軍は、シェフェラ(現パレスチナ)のエラ谷を挟んで睨み合った。どちらも動こうとしない。谷底まで下りて、ふたたび登って敵陣に攻めかかるのは自殺行為に近かった。

先にしびれを切らせたのは、好戦的なペリシテ人。一人の屈強なる兵士が谷を下ると、こう怒鳴った。

「誰か一人でてきて、俺と対決しろ!」

この巨漢の兵士、ゴリアテは身の丈2メートルを超える大男。その迫力に圧倒されたイスラエル軍は、誰ひとり動くことができなかった。



息つまる静寂のなか、小さな羊飼いの少年、ダビデが一歩前に出た。

イスラエルのサウル王は驚いた。

「おまえはまだ子供ではないか。百戦錬磨のゴリアテには到底かなわない」

しかし、少年ダビデの意志は固かった。

「ライオンや熊に羊をさらわれたときも、わたしは後を追いかけて猛獣を倒して、羊を取り返しました」

こう言われては、さすがのサウル王もダビデ少年を止められなかった。

羊飼いの少年ダビデは、ひとり谷を下りた。



巨兵ゴリアテは一騎打ちのために完全防備しており、頭から足先まで青銅の鎧で覆い尽くしている。武器はすべて接近戦用。歴史家モシェ・ガーシールはこう記す。

「短い投げ槍には、太い柄の先に長く重たい鉄の刃がついている。この槍をゴリアテの強靭な腕で投げれば、青銅の盾も鎧も突き通すだろう」

一方のダビデ少年、鎧はおろか、剣すら身に帯びていない。羊飼いの杖を片手に、肩からは丸石を5個ばかり入れた袋を下げている。

そのダビデの軽装に、巨人ゴリアテは憤った。

「棒切れ一本で向かってくるとは、犬並みの扱いだな!」







現在に伝わる「ダビデとゴリアテ」という慣用句は、この史上有名な決闘が元になっている。その意味は「ありえない勝利」である。

巨人ゴリアテは古代の慣習どおり、一騎打ちを挑んだ。それ以外の戦いの形は考えなかった。それゆえの完全防備、近接武器であった。古代の軍隊には3種類の兵士がいた。馬にのる騎兵、鎧に身を固める歩兵。弓や投石器をつかう擲弾兵(てきだんへい)である。この3種のうち、ゴリアテの装備は「歩兵」、しかも重装歩兵であった。

対する少年ダビデは、投石器をもった「擲弾兵(てきだんへい)」。投石器とは、ロープにくくりつけた革の袋で、その中に石を入れて振り回し、石を遠くへと投げる。たかが石と侮ることなかれ。その名手ともなれば飛ぶ鳥をも打ち落とし、はるか遠くに辛うじて見える硬貨にさえ命中させる精度をもっていたという。旧約聖書の士師器には「髪の毛一筋」の正確さで名手は投石器を操ったとある。







重歩兵ゴリアテに向かった、軽妙なる投石手ダビデ。

ゴリアテは大声をあげた。

「かかって来い! おまえの肉を、天の鳥や地の獣にくれてやろう」

この挑発の言葉が終わるのも待たず、ダビデは走り出していた。投石器をグルグルと振り回しながら。

ダビデは言った。

「おまえは剣や槍でわたしに向かって来る。だが、主は救いを賜るのに、剣や槍を必要としないことを、ここに集まった全ての者が知るだろう」

ダビデの革袋を離れた丸石は、瞬く間にゴリアテの額に的中した。そこは唯一、青銅の鎧で覆われていない急所であった。







現代イスラエル軍の弾道学者、エイタン・ヒルシュはこう計算する。

「熟練投石者が35メートル離れたところから石を発射すると、時速120kmの速さに達する」

あたかもメジャーリーグの投手が、バッターの頭めがけてボールを投げたようなスピードだった。しかもそれは野球のボールではない。もっとずっと硬い石である。



巨人ゴリアテの額に命中した投石は、頭蓋骨にめり込んだ。

倒れたゴリアテに、ダビデはすかさず駆け寄り、ゴリアテの剣を奪って、巨人の首を宙に跳ね飛ばした。

谷を挟み、固唾をのんで見守っていた両軍はどよめいた。誰ひとり、貧弱なダビデが勝つなどとは思ってもいなかった。



「ペリシテ軍は、自分たちの勇士が殺されたのを見て、逃げ出した(サムエル記)」

ここに伝説は成った。

どう見ても勝ち目のなかった弱者が、圧倒的な強者を打ち負かしたのであった。



歴史学者ロバート・ドーレンベントはこう言う。

「ゴリアテに勝ち目はなかった。青銅器時代の戦士が、45口径ピストルを持った者に立ち向かったようなものだったのだから」

後講釈ならばいくらでも、ダビデの勝利を後付けできるだろう。しかし、リアルタイムで戦場にあった者たちは、ゴリアテに勝ち目がないなどとは夢にも思えなかった。

それでも羊飼いの少年ダビデばかりは、その勝利を見据えていた。彼はサウル王にすすめられた鎧兜を断っている。「着けると動けませんから」と。サウル王は唖然とした。古代の常識として、一騎打ちに鎧は必須。至近距離での戦闘が当たり前だった。

だがダビデの視点は違った。ダビデは決闘の慣例にしたがうつもりなど毛頭なかった。むしろ肉弾戦しか想定していなかったゴリアテが、投石手ダビデの目には”格好の的”に見えていた。その巨大な的は50〜60kgもの重りでつながれ、一歩も動かないのだ。これほど狙いやすい標的はなかった。



徒手空拳で走ってくるダビデを見て、ゴリアテは最初、せせら笑っていただろう。十分に近づいたら自慢の槍で突き通してしまおうと、仁王立ちになったままだった。

しかし、ぐるぐる回るダビデの投石器に気づいたとき、ゴリアテは当惑した。これは自分が想定した戦いではない、と。そして何が起こっているのか分からないまま、ゴリアテは一瞬の一撃に沈んだ。

現代イスラエル軍の弾道学者、エイタン・ヒルシュは言う。

「ダビデが投石器を構えてからゴリアテを倒すまで、一秒強だっただろう。その場にじっと立っていたゴリアテが、石をよける時間はなかっただろう」






マルコム・グラッドウェル(Maclolm Gladwell)は著書「ダビデとゴリアテ:David and Goliath(邦題:逆転!)」に、こう記す。

「ダビデとゴリアテの対決は、愚かで誤った思い込みだらけだった。その一つが、”力に対する思い込み”だ。サウル王が勝ち目がないと考えたのは、ダビデが小柄でゴリアテが巨人だったから。つまり、腕力のあるほうが強いと信じて疑わなかった。だが力は腕力だけではない。常識をくつがえし、すばやく意表を突くことも大きな力になりうる」

「イスラエル人たちはゴリアテをひと目見て無敵の戦士と判断したが、ほんとうの姿を見抜いてはいなかった。谷の上にいるイスラエル人たちには、ゴリアテは恐ろしい巨人に見えたことだろう。しかし実際には、ゴリアテの並外れた体格こそが最大の弱点だった。… ダビデは羊飼いだった。古代世界では最も下層に属する職業だ。彼は戦争の細かい流儀には無縁だった」

「私たちは長年、この逸話を誤った形で理解してきた。それを正しく語りなおしていこうというのが、この本(ダビデとゴリアテ、邦題:逆転!)だ」







話変わるが、2015ラグビーW杯で、小兵なる日本代表は巨人・南アフリカを撃破。「世紀のジャイアント・キリング」という大番狂わせを演じてみせた。

ラグビー日本代表のHC(ヘッドコーチ)エディ・ジョーンズは、決戦前、日本vs南アフリカを「ダビデとゴリアテの戦い」に喩えていた。

「彼ら(南アフリカ)はW杯史上最高の勝率を誇っている(過去4敗のみ)。経験豊富ですさまじいフィジカルを備えている。われわれはW杯最低の勝率(過去1勝のみ)で、W杯では最小のチームだ。普通は”槍”を持って戦うが、われわれは”他のもの”を手に戦う」

宣言どおりに南アフリカから大金星を挙げたあと、エディ・ジョーンズHC(ヘッドコーチ)はこう明かした。

「南アフリカ戦は私にとって、人生を賭けた戦いでした。ヒントになったのは、W杯の前に読んだ、マルコム・グラッドウェルが書いた『逆転!』という本です。スポーツに限らず、番狂わせについて書かれた本ですが、自分たちが南アフリカに対して必要なのは、”相手が想像すらしていない驚きを用意することだ”と感じたのです」

「ラグビーは世界でもっともオーソドックスなスポーツです。保守的でもある。だからこそ、相手を驚かすことが有効です。たとえば、サプライズに直面するとひとは考え始めるものです。そして、相手が考え始めた瞬間、ラグビーというスポーツでは勝つチャンスが生まれる。それが実際に南アフリカ戦で起きたのです。そうなると、いつものプレーが出来なくなります。ラグビーは高速のスポーツです。考える時間はありません。状況に反応し、判断し、プレーする。南アフリカの選手には疑問が湧き、判断が遅くなった。… そして後半、残り20分の段階で同点だ。こんなはずじゃない、と(南アフリカ)はパニックに陥っていたはずです」







ふたたびマルコム・グラッドウェル
(著書『逆転!』驚くべき、小国の勝率)

「過去200年に起きた大国と小国の紛争の勝敗表をつくってみよう。人口および兵力に少なくとも10倍の開きがあることが条件だ。ほぼすべての人が、大国の勝率は100%に近いと予測するはずだ。10倍の開きはそう簡単に埋まらない。だが、正解を知ると、誰もが腰を抜かすに違いない。政治学者アイヴァン・アレグィン=トフトがはじきだした結果は、71.5%。3分の1弱の戦いで、小国が勝利している」

マルコムはつづける。

「アレグィン=トフトはさらに、弱いほうがダビデになったとき、つまり大国と同じ土俵に乗らず、常識はずれのゲリラ戦法を採用した場合も計算した。すると小国の勝率は、28.5%から63.6%に跳ね上がった。… 弱者が勝つことはありえない、私たちはそう思っている。だからこそ、ダビデとゴリアテの逸話は時代を超えて人々の心を打つのだ。しかしアレグィン=トフトの試算は、むしろその逆であることを示している」

ならばなぜ、弱者はダビデのような戦い方をやろうとしないのか?

「政治学者アレグィン=トフトは、この疑問につながる奇妙なパターンを発見していた。負け犬がダビデのように戦えば、たいてい勝利する。だがダビデのように戦う負け犬はめったにいないのだ。アレグィン=トフトによると、戦力に極端に差があった紛争202件のうち、弱い側が真っ向勝負を挑んだものは全部で152件、そして119件で敗北した」

というのも、ダビデのように戦うのは、真っ向勝負を挑むより「非常に大変なのだ」とマルコムは言う。

「そう、ダビデのように戦うには、死にものぐるいでなくてはならないのだ。相手よりはるかに劣っている以上、ほかに選択肢はない」







出典:
マルコム・グラッドウェル『逆転!
Number 特別増刊「桜の凱歌」エディー・ジャパンW杯戦記 (Sports Graphic Number(スポーツ・グラフィック ナンバー))



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posted by 四代目 at 09:04| Comment(0) | 歴史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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