宮城県気仙沼
舞根(もうね)湾にはかつて「ウナギがうごめいていた」と畠山重篤(はたけやま・しげあつ)氏は言う。
「海辺や川の石垣からは、夕方になるとウナギが顔を出したり引っ込めたりしている。大きめの釣りバリに、ハリが見えないように餌のミミズをつける。そして、石垣の穴の中へミミズを差し込んでやる。ウナギが食えば、少し手応えがある。ハリを引っ掛けた竹を素早く引き抜き、グッ、グッと強い引きを感じたら、それに合わせてテグスをたぐる。見事なウナギが釣れるのだ」
畠山氏は小学生時代、そうやって大量のウナギを釣っていたという。
「秋口、台風が到来して、海が茶色になった時がチャンスだ。大きなタモ網ですくい上げると、『こんな小さな湾にどうしてこれほどウナギがいるのか?』と首をかしげたくなるほどの大漁だ」
山にいたウナギは、秋になると川を下って海へと出て来る。そして海水に慣れるため、汽水域である舞根湾にしばらく漂っているのだという。
畠山氏は言う、「木造の小舟の底がウナギで見えなくなるほど捕れたんだ!」。
大漁のつづく夏から秋、畠山家のおかずは連日のウナギ三昧。
「農家の出である母は、慣れない手つきでウナギをさばく羽目になった。川のウナギと違って、海で捕れるウナギは大きくて力も強い。手にグルグル巻きつかれ、何度悲鳴を上げたことか(笑)」
ウナギをさばき続ける毎日に、氏の母はついに夢にまでウナギを見たという。真っ黒なウナギの大群が、山の中腹にある自宅までウネウネと登ってくる。その迫り来る大群に恐れおののいた母は、ギャーッと大声をあげて飛び起きたとか。
そして畠山少年に、こう言った。「オマエがあんまり捕りすぎるから、ウナギが怒っているにちがいない。タタリがあるかもしれないから、ウナギ捕りはもうやめておくれ」。
寝汗びっしょりの母にそう言われ、さすがにウナギ捕りを控えた畠山少年。
しかしほどなく、あれほど大量にいたウナギが舞根湾から姿を消してしまう。
まさか、ウナギが怒って…?
■ ウナギ騒動
「新幹線”ひかり”に乗ると、浜松で途中下車したくなる」と畠山氏は言う。「気の合う友人がいて『ウナギに行こう』と誘いがあるからだ」
畠山氏のひいきは、浜松駅前の老舗「八百徳」。
「創業明治四十五年という看板に惹かれて立ち寄ってから、すっかりファンになってしまった。味もさることながら、中居さんの客対応が気に入っている。けっして若くて美人ぞろいというわけではないが、5人のスタッフがテキパキしている。”遠州人気質”なのか、べたつき感がないのがいい。調理場も晒しで、板長とおぼしき年配の人の目配りが隅々まで届いている。どんなに混んでいても、白焼き、肝焼き、蒲焼き、酢の物、櫃まぶしが次々に運ばれてくる。飽きのこない味は友人の気質とも重なり、何度訪れても満足感に浸ることができる」
ところが昨年(2014)、ウナギに大騒動が起こった。
ウナギ養殖の要となる稚魚、シラスウナギがかつてないほどの大不漁に見舞われたのだ。
畠山氏は言う。
「シラスは、わずか55〜60mmと小さなものだが、価格はとてつもなく高い。豊漁年でもキロ30万〜50万。それが不漁となると、あっという間に値が跳ね上がる。昨年は史上最高の300万円にもなってしまった。金(ゴールド)の価格がキロ単価およそ5,000円だから、その高さがおわかりいただけるだろう」
稚魚であるシラスウナギは、人工的な孵化・育成が困難である。そのためウナギの養殖業者は、厳寒期に河口に上がってくるシラスウナギを採捕し、約半年間、エサを与えて飼育しなければならない。
畠山氏は続ける。「シラスの値上がりは、たちまち成魚価格に連動する。ウナ重の”上”の値段は3,000円台だったのが、東京では5,000円を超えてしまった。産地とはいえ、浜松のウナギ屋さんも値上げとなり、心なしか客足も減ったようである」。
■ 人工採苗
卵から孵ったばかりのウナギは「レプトセファルス(小さな頭の意)」と呼ばれる。
小学生だった畠山氏は、子供向けの魚の本でそのことを知った。
畠山氏は振り返る。「当時、”レプトセファルス”とそらんじられる子供はいなかった。その本の中には、デンマークの魚類学者、J.シュミット博士の伝記があった。ヨーロッパウナギの産卵場が、バミューダ諸島近くのサルガッソー海(藻の海)であることを発見した人だ。ヨーロッパ大陸から6,000kmも離れていた。子供の頃には、シュミット博士のようなウナギの研究者になりたいと夢見ていた」。
日本ウナギの産卵場所が特定されたのは2009年。
「西マリアナ海嶺南端部の海山域で、受精卵31個が発見された。東京大学海洋研究所のチームがついに突き止めた。シュミット博士の発見から80年以上の月日が流れていた」
そして昨年(2014)、日本の水産総合研究センターは世界で初めて、ウナギの卵からシラスウナギにまで育てあげることに成功した。ウナギ価格の上昇も相まって、ウナギの人工的な採苗(さいびょう)技術への期待は一気に高まった。
しかし、畠山氏は素直に喜べない。
「私はその考え方にどうしても馴染まない。たとえ人工採苗の技術が向上しても、天然ウナギを取り巻く環境は悪化の一途をたどっている」
■ ウナギの悲劇
ウナギは川と海を行き来する。
サケもそうだ。しかし、ウナギとサケの生育環境はまったく異なる。
畠山氏は言う。「サケの資源は安定している。大量に稚魚を生産できることと、生育環境が北洋という大海で人間生活の影響を受けにくい。ところがウナギの生育水域は、人間の生活圏と重なる。それが”ウナギの悲劇”である」
かつての天竜川は「シラスウナギが最も遡る川」だったという。
天竜川の水源は長野県の諏訪湖、河口は静岡県の浜松市。浜松は今もウナギの産地であるが、かつては諏訪湖畔にもウナギ屋が軒を並べていた時代があった。
しかし現在、諏訪湖にウナギはいなくなった。
なぜ?
畠山氏は言う。
「天竜川河口から諏訪湖まで、213kmをたどってみたことがある。下流は見事な杉林が続き、上流は山また山だ。木曽駒ヶ岳、赤石岳、八ヶ岳、もちろん富士山も見える。しかし、この川の流域は”ウナギに対する配慮”がまったく欠けている。いくつもの巨大ダムによって流れが分断されてしまったのだ」
下流から船明(ふなぎら)ダム、秋葉ダム、佐久間ダム、平岡ダム、泰阜(やすおか)ダム…。
「あの巨大なコンクリートの壁は、シラスウナギはとても上れない。諏訪湖にウナギがいなくなるのは当然だろう」
諏訪湖から天竜川へ流れ出る地点には、「魚道」とよばれる施設があり、こんな説明が付されている。
”諏訪湖と天竜川では水位差が約3.5mあるので、ゆるやかな階段式魚道になっています。魚道を流れる水量は、毎秒2〜4㎥、流れる水の速さは毎秒2mになるようにつくられています”
その魚道を見ながら、畠山氏はつぶやく。
「魚たちは、本当にこの魚道を行き来できるのだろうか...?」
前長野県知事は「脱ダム宣言」をした。
そこで畠山氏はこう提言した。
「諏訪湖にウナギを蘇らせるプロジェクトを立ち上げたらどうか? まずやらなければならないのは、日本一のシラスウナギが上る天竜川を、”ウナギの故郷”として復活させることである」
しかし残念ながら、「無しのツブテ」だったという。
畠山氏はしぶとくも、河口の静岡県庁にも赴いた。
「もし私が県知事だったら、長野県と提携して諏訪湖にウナギを…」
ところが話は「富士山を世界遺産に」という方向に流れてしまったという。
■ 幻の魚
我、幻の魚を見たり。
そう言ったのは和井内貞之。十和田湖にヒメマスを増やすことに成功した人物である(それまで十和田湖に魚は生育できないと信じられていた)。
その同じ言葉を今、畠山氏は言う。
「我、幻の魚を見たり」
じつはウナギが消えたと思っていた気仙沼の「舞根(もうね)湾」で、ウナギがふたたび捕れはじめたのである(2010年)。冒頭に書いたとおり、舞根湾は畠山氏が子どもの頃、大量のウナギを捕っていた場所である。
「あまりの嬉しさに、大先輩の金言を引用させていただいた」
地元・気仙沼で畠山氏は、牡蠣(かき)を育てるために山に木を植え続けてきた。「森は海の恋人」で知られる運動である。その成果はカキのみならず「ウナギの復活」にまで結びついたのだ。
畠山氏は自信をもってこう言う。
「ウナギを蘇らせるという話は、思っているより深い意味がある。それは『人間とは何か』という問いかけが含まれているからである。人間さえ決断すれば、ウナギは復活させることができるのだ。舞根湾にはとうとう、夢にまで見たウナギが復活したのである!」
その喜びの翌年(2011)、舞根湾は東日本大震災の大津波によって壊滅的な被害を受けた。
それでもウナギは絶えなかった。
畠山氏は言う。「大津波をへてウナギはどうなったか心配したが、ちゃんとくぐり抜けて姿を現した。ウナギは人々の『自然を大切にしよう』という心の象徴なのである」。
気仙沼の大井川でできたことが、浜松・諏訪湖の天竜川でできないということがあろうか。
畠山氏は明るい未来に胸をはずませる。
「浜松に途中下車するのが楽しみだ」
(了)
出典:岳人1月号
畠山重篤「ウナギの夢」
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