雪?
いや、そんなはずはない。
ここはブラジルだ。

砂だ。
地平線の彼方にまで続く
真っ白の砂丘(さきゅう)。
世界最大
レンソイス砂丘
東京23区がすっぽり2つ入ってしまうという(面積:1,550平方km)。
最寄りの町はサントアマロ。
人口およそ1万5,000。
砂丘の知名度とともに、観光客も増えている
町の人は言う。
「きれいで静かで、とても良いところだよ。住んでいる人も穏やかだし」
え? 砂丘に人が住んでいる?
「いるよ。何家族も住んでいるよ。ここから歩いたら遠いけどね。6〜8時間はかかるんじゃないかな」
■石英
サントアマロの街から、ひたすら車をはしらせる。
行けども行けども、真っ白。
360°見渡すかぎりの白い世界。
ここはレンソイス・マラニャンセス国立公園
「レンソイス」とはポルトガル語で「シーツ」のこと。まるで洗いたてのシーツのような真っ白さ。

なぜ、こんなに白いのか?
白い砂の正体は「石英(せきえい)」という鉱物。
山岳地帯に含まれる石英は、風雨によって削られ海にはこばれる。海流にのった石英は、強い波風によって浜辺に打ち上げられ、そして陸地の奥へ奥へと砂丘を広げていく。そうした何万年もの積み重ねが、世界最大の砂丘を生み出した。

風水に磨耗した石英は、おどろくほど細かい。
まるで粉ようなその砂は、穏やかな風にも軽く舞いあがる。ましてや海辺の強風にさらされれば、どこまでも飛んでいく。
夏場は乾季のはじまり。風は少しずつ強くなりはじめていた。
■旅人

「空と砂と水しかなくて、そこに僕みたいな余計な人間がいるって感じ。オレがいてゴメンなさいって感じですね」
旅人、手塚とおるさんは言う。
彼が立つのは、雨季にふった雨が溜まった池。砂丘の低いところには、こうした池が点在している。

「ほんとに住んでる人いるのかな…?」
手塚さんがそう呟いているうちに、緑の木々が視界にはいりはじめた。
「あ、ここだ。うあー、家だ。”砂丘の中”っていうのがすごいですね、砂丘を抜けたんじゃなくて」
砂丘の中には、2カ所だけ水の湧き出るオアシスがある。ここはその一つ、ケイマーダ村。12世帯、82人が暮らしているという。

村は防風林によって、砂や風から守られている。
村長のハイムンドさんは言う。「これはミリン(ナツメの一種)の木です。カシューナッツの木もあります」

村には電気もガスも水道もない。ほぼ自給自足で暮らしている。
村長の妻、ジョアナさんは言う。「これはスペアミント。風邪に効く薬草よ。私たちは街から離れたところで暮らしているから、頭やお腹が痛くなったり、具合が悪くなったりしたら、この薬草を煎じて飲むんです」
ジョアナさんの菜園には、ネギやトマトなどの野菜も育てられている。
■漁
この小さな村にとって、貴重な現金収入となるのが「漁」である。
村から北へ5km、2時間ほども歩くと大西洋にでる。そこが彼らの漁場だ。
村長ハイムンドさんは、海を見ただけで魚が見えるという。
「魚は波に乗ってやってくるから、すぐにわかる。波が割れたところに魚が見えるんだ」
もちろん、普通の人には見えない。

漁は、追い込み漁。
まず2人が、細長い網を浅瀬に長く張っていく。残る一人が、岸のほうから網を目がけて魚を追い込んでいく。

網を引き上げると、たくさんの魚がかかっていた。
「大漁だ。これはボラだよ」と村長。

この日の収穫は、およそ200匹。3家族が5日は食べられる量だという。街で売れば、1kgおよそ500円になるという。
漁は主に雨季(1〜6月)の仕事。
乾季(7〜12月)になると、風が強すぎて海まで歩いて来れなくなる。なんとか海まで来ても、波が高くて大変危険である。
だから風の吹かない雨季に、ハイムンドさんたちは集中して漁をおこなう。海辺の小屋で寝泊まりして、一日中漁に明け暮れるのだという。
■砂と共に
海辺の小屋は、すでに砂の下に埋まっていた。ハイムンドさんたちが、つい2ヶ月前まで寝泊まりしていたというのに。いまは、わずかに屋根が見えるのみ。
レンソイスの砂丘には、強いときで風速20mをこえる暴風が吹き荒れるという。砂丘は年間2mも風で移動するのだとか。

ハイムンドさんは言う。
「ここはどこにでも砂丘の砂が押し寄せてくるから。砂とともに暮らすのは確かに大変だよ」
次の雨季、漁をはじめるために小屋を掘り出さなければならない。砂をかき出すのに10日はかかるという。
「でも、ここは平和だし、自然は豊かだし、私は大好きだよ」
そう言って、ハイムンドさんは微笑む。
しかし無慈悲な砂は、あらゆるものを飲み込んでしまう。
じつはハイムンドさんの生まれた家も、すでに砂の下だという。
「6m下に埋まっているよ」とハイムンドさん。
妻ジョアナさんも「ここにはキッチンがあったの。ここで長く暮らしたわ。この家で子どもを産んだし、子育てもしたし…」と懐かしげに、砂だけになった跡地をながめる。

思い出がいっぱいに詰まっていた家は、すでに砂の中。移り住んだ新しい家とて安泰ではない。数年後には砂に飲み込まれることを覚悟しなければならない。
「その時は、また引越しだ」とハイムンドさん。「砂丘には逆らえない。私たちは自然に従って生きるしかないんだよ」

■街と村と
「最初はこの村が大嫌いでした」
ハイムンドさんの妻ジョアナさんは言う。
「じつは私はサントアマロの街で生まれたんです。結婚してここに来たの。この村は砂が多くて多くて、砂丘に慣れなくて、街に帰りたかったわ。砂はどんどん押し寄せてきて、体にまとわりつくし、家が砂だらけになるし、もううんざりだったの」
そして、ジョアナさんはこう続ける。
「でも、今はここを離れたくありません。海に行けば魚もとれるし、しかも平和で穏やかでしょう。この村には何でもあることが分かったの」
街には街の便利さがあるかもしれない。しかし、この村にはこの村にしかないものがある。
「私はね、街への愛情を、この村と砂丘への愛情に交換しちゃったのよ」

話を聞いていた旅人、手塚さんは思わず涙ぐんだ。
するとジョアナさん、「まぁ、泣いてるの? 美しい涙ね」と笑った。
■子どもたち
いま、村の住人は徐々に減っているという。
村の学校で教えられるのは小学4年生(9歳)まで。それ以後は、街に出なければならない。今いる11人の子どもたちも、近い将来、みんな村を出ていかなければならない。

ハイムンドさんは言う。
「そりゃ寂しいよ。子どもたちがそばにいてくれたらと思う。でも、ここには学校もないし、仕事もない」
ハイムンドさんとジョアナさんの子どもたちも、8人みな独立。6人は仕事を求めて街へと出て行ってしまった。
「漁に出ても、必ず魚がとれるわけではない。まったく捕れないときだってある。厳しい生活なんだ。子どもたちにはそれぞれの未来があるわけだから」

■観光業
レンソイス砂丘が国立公園に制定された1981年以降、村を取り巻く環境は猛スピードで変化している。砂丘を訪れる観光客のために観光ルートが整備され、年間4万人もの人々が押し寄せるようになった。

ハイムンドさんの弟、モアシールさんは漁師から一転、観光業を営んでいた。
モアシールさんは言う。「観光業のほうが収入がいいよ。漁業は不安定だけど、観光業なら安定して収入がある。もう漁師に戻るつもりはないね」

モアシールさんの宿は、一泊食事付きで2,500円。リオデジャネイロやサンパウロ、フランスからも観光客が来るという。
別棟の小屋には発電機を備え付け、常時、テレビや冷蔵庫などの電化製品を使えるようにしている。街からビリヤード台も運び込んで、スピーカーなどの音響設備も揃えた。もちろん携帯電話もつながるようにした。

兄ハイムンドさんも、弟のやっている新しいことには肯定的だ。
「いいと思うよ。のどかさも大事だけど、漁だけじゃ子どもに服を買ってあげられないからね」
しかし、観光化が住人にあたえた不便さもある。
国立公園化にともない、ケイマーダの村では焼き畑が禁じられた。生態系を保つためだという。しかし、森林を焼いた灰が肥料にできなくなったために、住民たちは大事な畑を失った。
妻ジョアナさんは寂しげに言う。「失った痛みは大きいです。畑は私たちにとって母のようなものでした。夕食にジャガイモや野菜がほしいと思えば、すぐに取りに行けましたから」
今の菜園はずっと小さくなって、プランター栽培くらいしかできなくなっている。かつてアチコチにあった広い畑は、もう砂の下である。

旅人、手塚さんは思った。
10年後、この砂丘の村がどうなっているのか、見てみたい気がする。
■人生
風が一段と強くなってきた。
いよいよ本格的な乾季が近づいてきたようだ。

村人たちは、深まる乾季の備えに大忙し。
男たちは屋根へと登って、屋根材としている椰子の葉っぱを一枚一枚はずしていく。葉っぱの間に入り込んだ砂を落とすためだ。砂がたまったままにしておくと、屋根が落ちてしまうことがある。

女たちは池へと向かった。乾季で干上がってしまう池の魚を捕まえ、干上がらない池へと移す仕事である。
ジョアナさんは言う。「池が干上がってしまっても、砂の中には水分が残っているから、魚はその湿った砂のなかに卵を産むのよ。そして雨季になったら卵がかえって魚が成長するの。でも、干上がらない池に移しておけば、来年までここで大きく育てることができるのよ」

乾季の到来とともに、手塚さんの旅も終わろうとしていた。
その最後に是非、ハイムンドさんとジョアナさんが案内したい場所があるという。それは、あの砂に埋まった家のすぐそばの丘だった。
ジョアナさんは言う。「ここが一番大好きな場所。むかしは小さかった子どもたちを連れて、一緒にここで遊んだの。暑くなったら池で水浴びをしてね」

本当に美しい。
「ここは地上の楽園よ」
ジョアナさんは若いとき、街が恋しくなると決まってここに来て、この美しい景色を眺めていたという。
「どんな悩みもね、太陽にあずければ持ち去ってくれるのよ」

訪れた人の人生観をかえてしまうという白い砂丘。
手塚さんは「来て良かった」と振り返る。彼は普段、家から出るのもイヤだという出不精。旅などはもってのほか。しかし今は「旅をするって、捨てたもんじゃないですね」と満足げ。
「ここには豊かな恵みがある。天国の風景が悩みを吹き飛ばしてくれる。もしかして、それで十分なんじゃないかな」
砂と風の生みだした極限の風景。
美しさの裏には苦悩もある。
それでも人は、ここに生きつづける。

(了)
出典:
NHK地球イチバン
「世界最大の白い砂丘 ブラジル・レンソイス」
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