2014年11月20日

砂とともに生きる [ブラジル・レンソイス砂丘]



雪?

いや、そんなはずはない。

ここはブラジルだ。



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砂だ。

地平線の彼方にまで続く

真っ白の砂丘(さきゅう)。



世界最大

レンソイス砂丘

東京23区がすっぽり2つ入ってしまうという(面積:1,550平方km)。



最寄りの町はサントアマロ。

人口およそ1万5,000。

砂丘の知名度とともに、観光客も増えている



町の人は言う。

「きれいで静かで、とても良いところだよ。住んでいる人も穏やかだし」

え? 砂丘に人が住んでいる?

「いるよ。何家族も住んでいるよ。ここから歩いたら遠いけどね。6〜8時間はかかるんじゃないかな」






■石英



サントアマロの街から、ひたすら車をはしらせる。

行けども行けども、真っ白。

360°見渡すかぎりの白い世界。



ここはレンソイス・マラニャンセス国立公園

「レンソイス」とはポルトガル語で「シーツ」のこと。まるで洗いたてのシーツのような真っ白さ。



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なぜ、こんなに白いのか?

白い砂の正体は「石英(せきえい)」という鉱物。

山岳地帯に含まれる石英は、風雨によって削られ海にはこばれる。海流にのった石英は、強い波風によって浜辺に打ち上げられ、そして陸地の奥へ奥へと砂丘を広げていく。そうした何万年もの積み重ねが、世界最大の砂丘を生み出した。



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風水に磨耗した石英は、おどろくほど細かい。

まるで粉ようなその砂は、穏やかな風にも軽く舞いあがる。ましてや海辺の強風にさらされれば、どこまでも飛んでいく。

夏場は乾季のはじまり。風は少しずつ強くなりはじめていた。






■旅人



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「空と砂と水しかなくて、そこに僕みたいな余計な人間がいるって感じ。オレがいてゴメンなさいって感じですね」

旅人、手塚とおるさんは言う。

彼が立つのは、雨季にふった雨が溜まった池。砂丘の低いところには、こうした池が点在している。



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「ほんとに住んでる人いるのかな…?」

手塚さんがそう呟いているうちに、緑の木々が視界にはいりはじめた。

「あ、ここだ。うあー、家だ。”砂丘の中”っていうのがすごいですね、砂丘を抜けたんじゃなくて」

砂丘の中には、2カ所だけ水の湧き出るオアシスがある。ここはその一つ、ケイマーダ村。12世帯、82人が暮らしているという。



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村は防風林によって、砂や風から守られている。

村長のハイムンドさんは言う。「これはミリン(ナツメの一種)の木です。カシューナッツの木もあります」



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村には電気もガスも水道もない。ほぼ自給自足で暮らしている。

村長の妻、ジョアナさんは言う。「これはスペアミント。風邪に効く薬草よ。私たちは街から離れたところで暮らしているから、頭やお腹が痛くなったり、具合が悪くなったりしたら、この薬草を煎じて飲むんです」

ジョアナさんの菜園には、ネギやトマトなどの野菜も育てられている。






■漁



この小さな村にとって、貴重な現金収入となるのが「漁」である。

村から北へ5km、2時間ほども歩くと大西洋にでる。そこが彼らの漁場だ。



村長ハイムンドさんは、海を見ただけで魚が見えるという。

「魚は波に乗ってやってくるから、すぐにわかる。波が割れたところに魚が見えるんだ」

もちろん、普通の人には見えない。



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漁は、追い込み漁。

まず2人が、細長い網を浅瀬に長く張っていく。残る一人が、岸のほうから網を目がけて魚を追い込んでいく。



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網を引き上げると、たくさんの魚がかかっていた。

「大漁だ。これはボラだよ」と村長。



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この日の収穫は、およそ200匹。3家族が5日は食べられる量だという。街で売れば、1kgおよそ500円になるという。



漁は主に雨季(1〜6月)の仕事。

乾季(7〜12月)になると、風が強すぎて海まで歩いて来れなくなる。なんとか海まで来ても、波が高くて大変危険である。

だから風の吹かない雨季に、ハイムンドさんたちは集中して漁をおこなう。海辺の小屋で寝泊まりして、一日中漁に明け暮れるのだという。






■砂と共に



海辺の小屋は、すでに砂の下に埋まっていた。ハイムンドさんたちが、つい2ヶ月前まで寝泊まりしていたというのに。いまは、わずかに屋根が見えるのみ。

レンソイスの砂丘には、強いときで風速20mをこえる暴風が吹き荒れるという。砂丘は年間2mも風で移動するのだとか。



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ハイムンドさんは言う。

「ここはどこにでも砂丘の砂が押し寄せてくるから。砂とともに暮らすのは確かに大変だよ」

次の雨季、漁をはじめるために小屋を掘り出さなければならない。砂をかき出すのに10日はかかるという。

「でも、ここは平和だし、自然は豊かだし、私は大好きだよ」

そう言って、ハイムンドさんは微笑む。



しかし無慈悲な砂は、あらゆるものを飲み込んでしまう。

じつはハイムンドさんの生まれた家も、すでに砂の下だという。

「6m下に埋まっているよ」とハイムンドさん。

妻ジョアナさんも「ここにはキッチンがあったの。ここで長く暮らしたわ。この家で子どもを産んだし、子育てもしたし…」と懐かしげに、砂だけになった跡地をながめる。



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思い出がいっぱいに詰まっていた家は、すでに砂の中。移り住んだ新しい家とて安泰ではない。数年後には砂に飲み込まれることを覚悟しなければならない。

「その時は、また引越しだ」とハイムンドさん。「砂丘には逆らえない。私たちは自然に従って生きるしかないんだよ」



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■街と村と



「最初はこの村が大嫌いでした」

ハイムンドさんの妻ジョアナさんは言う。

「じつは私はサントアマロの街で生まれたんです。結婚してここに来たの。この村は砂が多くて多くて、砂丘に慣れなくて、街に帰りたかったわ。砂はどんどん押し寄せてきて、体にまとわりつくし、家が砂だらけになるし、もううんざりだったの」



そして、ジョアナさんはこう続ける。

「でも、今はここを離れたくありません。海に行けば魚もとれるし、しかも平和で穏やかでしょう。この村には何でもあることが分かったの」

街には街の便利さがあるかもしれない。しかし、この村にはこの村にしかないものがある。

「私はね、街への愛情を、この村と砂丘への愛情に交換しちゃったのよ」



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話を聞いていた旅人、手塚さんは思わず涙ぐんだ。

するとジョアナさん、「まぁ、泣いてるの? 美しい涙ね」と笑った。






■子どもたち



いま、村の住人は徐々に減っているという。

村の学校で教えられるのは小学4年生(9歳)まで。それ以後は、街に出なければならない。今いる11人の子どもたちも、近い将来、みんな村を出ていかなければならない。



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ハイムンドさんは言う。

「そりゃ寂しいよ。子どもたちがそばにいてくれたらと思う。でも、ここには学校もないし、仕事もない」

ハイムンドさんとジョアナさんの子どもたちも、8人みな独立。6人は仕事を求めて街へと出て行ってしまった。

「漁に出ても、必ず魚がとれるわけではない。まったく捕れないときだってある。厳しい生活なんだ。子どもたちにはそれぞれの未来があるわけだから」



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■観光業



レンソイス砂丘が国立公園に制定された1981年以降、村を取り巻く環境は猛スピードで変化している。砂丘を訪れる観光客のために観光ルートが整備され、年間4万人もの人々が押し寄せるようになった。



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ハイムンドさんの弟、モアシールさんは漁師から一転、観光業を営んでいた。

モアシールさんは言う。「観光業のほうが収入がいいよ。漁業は不安定だけど、観光業なら安定して収入がある。もう漁師に戻るつもりはないね」



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モアシールさんの宿は、一泊食事付きで2,500円。リオデジャネイロやサンパウロ、フランスからも観光客が来るという。

別棟の小屋には発電機を備え付け、常時、テレビや冷蔵庫などの電化製品を使えるようにしている。街からビリヤード台も運び込んで、スピーカーなどの音響設備も揃えた。もちろん携帯電話もつながるようにした。



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兄ハイムンドさんも、弟のやっている新しいことには肯定的だ。

「いいと思うよ。のどかさも大事だけど、漁だけじゃ子どもに服を買ってあげられないからね」



しかし、観光化が住人にあたえた不便さもある。

国立公園化にともない、ケイマーダの村では焼き畑が禁じられた。生態系を保つためだという。しかし、森林を焼いた灰が肥料にできなくなったために、住民たちは大事な畑を失った。

妻ジョアナさんは寂しげに言う。「失った痛みは大きいです。畑は私たちにとって母のようなものでした。夕食にジャガイモや野菜がほしいと思えば、すぐに取りに行けましたから」

今の菜園はずっと小さくなって、プランター栽培くらいしかできなくなっている。かつてアチコチにあった広い畑は、もう砂の下である。



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旅人、手塚さんは思った。

10年後、この砂丘の村がどうなっているのか、見てみたい気がする。






■人生



風が一段と強くなってきた。

いよいよ本格的な乾季が近づいてきたようだ。



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村人たちは、深まる乾季の備えに大忙し。

男たちは屋根へと登って、屋根材としている椰子の葉っぱを一枚一枚はずしていく。葉っぱの間に入り込んだ砂を落とすためだ。砂がたまったままにしておくと、屋根が落ちてしまうことがある。



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女たちは池へと向かった。乾季で干上がってしまう池の魚を捕まえ、干上がらない池へと移す仕事である。

ジョアナさんは言う。「池が干上がってしまっても、砂の中には水分が残っているから、魚はその湿った砂のなかに卵を産むのよ。そして雨季になったら卵がかえって魚が成長するの。でも、干上がらない池に移しておけば、来年までここで大きく育てることができるのよ」



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乾季の到来とともに、手塚さんの旅も終わろうとしていた。

その最後に是非、ハイムンドさんとジョアナさんが案内したい場所があるという。それは、あの砂に埋まった家のすぐそばの丘だった。

ジョアナさんは言う。「ここが一番大好きな場所。むかしは小さかった子どもたちを連れて、一緒にここで遊んだの。暑くなったら池で水浴びをしてね」



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本当に美しい。

「ここは地上の楽園よ」

ジョアナさんは若いとき、街が恋しくなると決まってここに来て、この美しい景色を眺めていたという。

「どんな悩みもね、太陽にあずければ持ち去ってくれるのよ」



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訪れた人の人生観をかえてしまうという白い砂丘。

手塚さんは「来て良かった」と振り返る。彼は普段、家から出るのもイヤだという出不精。旅などはもってのほか。しかし今は「旅をするって、捨てたもんじゃないですね」と満足げ。

「ここには豊かな恵みがある。天国の風景が悩みを吹き飛ばしてくれる。もしかして、それで十分なんじゃないかな」



砂と風の生みだした極限の風景。

美しさの裏には苦悩もある。

それでも人は、ここに生きつづける。



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(了)






出典:
NHK地球イチバン
「世界最大の白い砂丘 ブラジル・レンソイス」



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posted by 四代目 at 13:46| Comment(1) | 自然 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
この番組のこの回の事を纏めて下さってありがとうございます。今日世界ふしぎ発見でブラジルのレンソイス砂丘のこの村の事が取り上げられていましたが、それを見て、前に別の番組でこの村の話を見た事があった事を思い出し、そこで印象的だったとある女性の話をおぼろげにしか思い出せませんでしたが、検索してこのブログに行き着き、内容をしっかり思い出す事が出来ました。
Posted by masami at 2016年06月18日 23:59
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