ジャクソン・バワーズくんは、生後1ヶ月の頃、インフルエンザをこじらせて肺に穴があき、呼吸ができなくなってしまった。
急遽、救急車で搬送され、集中治療室へ。薬で眠らされ、蘇生装置につながれた。その間、生命の危機は波のように幼児を襲っていた。
「I died(僕は死んだんだよ)」
2歳になった頃、ジャクソンくんは突然、そんなことを言い出した。
「神様のところへ行ったんだ。きれいなとこだったよ」
母のミッシェルさんは驚いた。
「息子は救急車に乗ったときの話や、夫が付き添ったときの話もしました。2歳になった頃からこうした体験を語りはじめましたが、彼の話は何もかも本当に起きたことばかりなんです」
心臓カテーテルを入れるために足の手術をしていた時など、ジャクソンくんは自分の小さな体を抜け出し、医師や母親の姿を見ていたのだと言う。
そんな話を聞いた担当医は、眉をしかめる。
「薬で眠らされて昏睡状態におちいっていた生後1〜2ヶ月の赤ん坊が、その時の出来事を覚えているなんて、医学的にあり得ません」
■臨死体験
ジャクソン君が死の淵をさまよった時に見たもの、それは「臨死体験」と呼ばれるものなのかもしれない。
人は死の間際、不思議な体験をすることがあるという。
世界にはじめて臨死体験を報告したのは「レイモンド・ムーディー(Raymond Moody)」氏。今から40年ほど前、1975年のことだった。
以来、そうした研究はアメリカで盛んに行われ、1981年に発足した国際臨死体験研究所(IANDS)によって今も定期的な学会が開かれている。
その席上、臨死体験者は語る。「その時わたしは、自分の体を離れて、浮き上がるのを感じました。そして天井の隅に行き、ぐったりした自分の姿を上から見下ろしていたのです。すると神秘的な存在があらわれ私を導き、トンネルを抜けて宇宙のような空間に行きました。そこで突然、光に包まれたのです」
緊急医療が発達し、死の淵から生還する人が増えたからか、臨死体験の経験者はどんどん増えているという。現在、心停止から蘇生した人の5人に1人は臨死体験をしているといわれている。
■偽の記憶(フォールス・メモリー)
しかしながら、そうした体験に否定的な意見も少なくない。それは本人の脳が誤作動して作りだした絵空事だ、と。
「人間は偽の記憶、フォールス・メモリー(false memory)をつくりやすい動物なんだ」と、利根川進氏は言う。
人間の脳にフォールス・メモリーを作りださせることは、そう難しくない。
たとえば、子供のころの家族写真を、行ったこともない気球旅行の写真と合成して、本人に「いつ行ったのか、どんな旅行だったのか」を繰り返し語り聞かせていると、いつの間にか本人もその気になってしまうのというのだ。
1日目
「この写真の出来事を覚えていますか?」
被験者「ほとんど記憶にありません」
7日目
被験者「確か、気球に乗っていました。タラップの上を歩いて乗ったんです」
利根川進氏は言う。
「本人がコンビンス(確信)しちゃっていると、人間のフォールス・メモリーっていうのは起こるんです。イマジナティブ(想像的)な生物というのには、そういう危険がある。しょっちゅう色んなことを脳の中で反芻していて、ある時、外から来たことと一緒になっちゃう。MRI(脳の磁気検査装置)でも正しい記憶、ジェニュイン・メモリー(genuine memory)と区別がつかない。それはごもっともで、本人はフォールス・メモリー(偽の記憶)と思っていないから」
■脳と心
科学者がみな否定的なわけではない。
ひとたび臨死体験という強烈な体験をしてしまうと、それを否定する気には到底なれなくなる。
脳化学者であるエベン・アレキサンダー博士(60歳)は、そうした一人である。博士が臨死体験をしたのは、脳を細菌におかされ昏睡状態におちいった6年前のこと。
炎症による膿(うみ)は脳の血管を圧迫し、血液の流れなくなった脳は活動を停止した。さらに悪いことに、生命維持に欠かせない脳幹と呼ばれる奥深い部分までが損傷。生還できる確率は2%と、か細いものになっていた。
そんな半ば死んだような状態で、アレキサンダー博士は見ていた。無数のチョウが飛び交う光景を、荘厳な門がそびえ立つ世界を、そして神聖な存在を。
奇跡的に命をとりとめた博士は、病気から回復してから自分の医療データをすべて洗い直した。
博士「これは私が昏睡におちいって3日目の脳画像です。白い部分は、ひどい炎症によるものです」
その脳画像は、博士の脳がもはや機能を停止し、意識も思考も記憶もはたらいていなかったことを如実に語っている。そうした危機的な昏睡状態は、7日間も続いていた。
心とは、脳が作りだすものではなかったのか?
なぜ、脳が止まった状態であんな体験をしたんだろう?
私は確かに天国に行った。それは証明できる…!
アレキサンダー博士は言う。
「脳が機能していなかったのに、なぜその間のことを覚えていられたのか、現代の脳科学では、まったく説明することができません。科学では『心は脳から生みだされる』と言っています。しかし、そうだと本当に言い切れるものでしょうか?」
■死後の脳波
紀元前、ギリシャの哲学者プラトンは「脳が心を生み出す」と言った。そして、その弟子アリストテレスは「心は心臓に宿る」とした。
それ以来、西洋では伝統的に「心と体は別々に存在する」と考えられてきた。17世紀の哲学者デカルトの次の言葉は、その結晶であろう。
「われ思う、ゆえに我あり」
そうした考えの下では、人間が死ねば心も消滅せざるを得ない。
アレキサンダー博士も「死ねば心は消える」と信じていた。しかし、あの臨死体験をしてしまった後では、その信念が大きく揺らいでしまっていた。
死ぬとき、脳はどうなるのか?
従来の脳科学では、心停止を起こすと数秒で脳への血流が止まり、脳活動は止まるとされてきた。
ところが、より詳細な最新の研究によると、死んで止まっていたと思われていた脳波は、その後も数十秒間にわたって継続していることが確認された。
ジモ准教授(ミシガン大学)は言う。「このグラフは平らに見えますが、拡大すると微細な脳波が隠れているのです。脳波が非常に小さかったので、これまではもはや脳は活動していないと考えられていたのです。死ぬとき何が起きているのかは、もっと調べなければなりません」
■心のありか
プラトン以来、西洋人は躍起になって「心のありか」を探し求めてきた。
しかし、脳内のどの神経細胞を調べてみても、心(意識)は見つからなかった。そのため、「心の一部である意識は、科学における究極の謎」と言われてきた。
そんな中、トノーニ教授(ウィスコンシン大学)が革命的な理論を提唱した。
「人間の意識とは、クモの巣のようなものだ」
教授は、意識を特定の神経細胞には求めなかった。それらをつなぐ無形の「ネットワーク」こそが意識だと言ったのである(統合情報理論)。まるでインターネットのWeb(クモの巣)のように、それぞれの端末(コンピューター)よりも、それらをつなぐ通信網に注目すべきだと言ったのである。
トノーニ教授は、その理論を数式という具体的なものに表した。
その数式による計算で、植物状態と思われていた患者にも、じつは意識があることが明らかになった。さらには動物や昆虫にも、脳の大きさに応じた意識があることも判った。
さらに教授は、こうも言う。「現在の機械に意識はありませんが、われわれの理論によれば、意識をもった機械を人工的に造ることは不可能ではありません」
■心境
世界で初めて臨死体験を報告した、前出のレイモンド・ムーディー氏。彼は当初、死後の世界には否定的だった。
「死後の世界が存在する証拠はない」
しかしその後、精神を病んで自殺をはかってからは、死後の世界を信じるようになったという。
ムーディー氏は語る。
「当時は死後の世界を認められずに、他の説明をこじつけようとしました。しかしそれは、死後の世界があるとは明確に言い切れなかったので、認めることから逃げていたのだと思います。私は自分の心をより見つめるようになりました。いま自分でも、自分の言っていることに驚きます。死後の世界があるとはっきり言える自分に矛盾を感じています」
23年前、ムーディー氏に会ったという立花隆(たちばな・たかし)さん。それが立花さんの『臨死体験』という著書を書くきっかけだったという。しかし今、ムーディー氏の考えはすっかり変わってしまっていた。
立花さんは言う。「人間、70歳を過ぎると、70の前と後でものすごい心境が変わるんですね。いま私は74歳です。そう遠くない時期に死を迎えるに違いありません。それが確実な理解として迫ってくるのです」
■神秘体験
立花さんは、7年前に膀胱ガンを切除した。
しかし再発が疑われ、今年もまた手術を行った。
その時、彼は奇妙な夢をみた。
「この時わたしは、首が一切うごかせない不自然な体勢で、半日以上を過ごしていました。その間に私は、夢とも現(うつつ)ともつかない、奇妙な長い夢を見ていました。それはフォールスメモリー(偽の記憶)や脳がつくりだした幻覚だったと言われても、決して自分の中から消すことはできない、確実な実感をともなっていました」
それは多くの臨死体験者のする神秘体験と、非常によく似たものだったという。
なぜ、人は死の間際に神秘体験をするのだろう?
その疑問を、立花さんはネルソン教授(ケンタッキー大学)に尋ねた。彼は神秘体験の脳内メカニズムを調べている科学者である。
ネルソン教授は答えた。
「神秘的な感覚は、脳の辺縁系で起こる現象です」
辺縁系(へんえんけい)とは、ハ虫類にもあるという脳の最も古い部分。睡眠や夢をつかさどるところである。
「辺縁系は不思議な働きをします。眠りのスイッチを入れるとともに、覚醒をうながすスイッチも同時に入れます。それによって眠りは極めて浅い状態となり、目覚めながら夢を見る、いわば白昼夢の状態になるのです。さらに辺縁系は神経物質を大量に放出し、人を幸福な気持ちに満たします」
眠りの幸福感、それは生物に元々そなわっている本能に近いものであり、生死の境においても機能するものであるらしい。人も動物も、死の間際は決して不幸な感情に押し流されているわけではなく、むしろ幸せのなかに浸っているのだという。
脳がその最期を迎えるとき、最も根源的な部分はその最後の最後まで、一生懸命われわれを幸福感に包みこもうと力を振り絞る。それがジモ准教授の観測した「死後もつづく微細な脳波」なのであろうか。その生の余韻は、次の生へと続くものなのかもしれない。
立花さんは言う。
「人間は死ぬときに何を体験するのか、その謎を追いかけて数ヶ月、世界を旅してきました。この取材を終えて強く感じたことは、”人間が死ぬということはそれほど怖いことじゃない”、そのことがすごくわかったような気がします。前よりもずっと強くそう思えます。ギリシャの哲学者エピクロスは、人生の最大の目的は『アタラクシア(心の平安)』を得ることだと言いました。いま私は、その心の平安をもって自分の死を考えられます。いい夢を見たい、見ようという気持ちで人間は死んでいくのではないか、そう思えるようになりました」
ネルソン教授は言う。
「幸福な神秘体験は、ボーダーランド(意識と現実の間)で作り出される、感動的で根源的な現象です。しかしその詳細は科学ではわかりません。そもそも科学とは『どのような』仕組みかを追求するものであって、『なぜ』そのような仕組みが存在するかを問われても答えられないのです。『なぜか』という問いへの答えは、それぞれの人の信念に委ねるしかないのです」
■信念
あるホスピスの一室。
ネルソン教授は妻のアンさんと共にいた。
妻は問う、「これからどこに行くの?」
教授は答える、「君とここにいるよ」
じつはアンさん、脳全体に悪性の腫瘍があり、今どこにいるのか分からなくなっていた。余命はあと数ヶ月と診断されていた。
ネルソン教授は言う。
「妻には率直に話しています。彼女は敬虔なカトリック教徒で、深い信仰があります。たとえどんな科学的な事実であれ、誰の信念をも変えるものではありません。たとえば臨死体験をして亡きお母さんに出会ったとき、それをお母さんの魂と受け止めるのか、お母さんについての記憶だと受け止めるのか、それはその人にしか決められないことです。それぞれの人がする体験を、必ずしも科学で証明する必要はないのです」
半月後、妻アンさんは亡くなった。
願わくは、幸せのなかで旅立たれたことを…
(了)
出典:
NHKスペシャル「臨死体験」
立花隆、思索ドキュメント
死ぬとき心はどうなるのか
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