黒部の山の奥深く、山賊がいるとの噂がたった。
−−うわさ飛ぶアルプス山上。小屋にどっかり山賊。ひげ男、炉端にウサギの丸焼きかじる。北アルプスの烏帽子から三俣蓮華にかけ山賊が現われ、猟師や登山家をまっ裸にするそうな。山開きを前にして、アルプス山賊の噂話が山岳家仲間のあいだでもっぱらである。なにしろ海抜2,600余メートル、山賊の跳梁はおだやかでない…(毎日新聞・長野版、1947年6月21日)。
時代は昭和20年代、終戦直後の混乱期
−−里は食料難で安定せず、人々は一片のパンを求めてさまよっていた。あちこちに行き倒れの姿がみられ、都会の焼け跡には毎夜ピストル強盗が横行していた。このような世情を反映して、山もまた荒れ果てていた。そのころ広い北アルプスに登山者の姿はほとんど見られなかったのに、山小屋では布団や窓ガラスまでが盗み去られていた(伊藤正一『黒部の山賊
■三俣小屋
山賊は三俣蓮華(みつまたれんげ)の山小屋にいるという。
三俣蓮華岳(標高2,841m)は北アルプスの心臓部といえる場所で、信州・飛騨・越中、三つの国境。三俣に入るには、アルプスの高峰をいくつも越えて2日以上かかった。その鞍部(尾根のくぼんだ部分)に位置する三俣蓮華小屋は、アルプス最奥の山小屋であった。
−−そのころ、三俣蓮華小屋は戦争中何年間か番人が入らなかったあいだに、床板や壁板はぜんぶ焚かれて(燃料がわりに)屋根や柱もほとんど無くなっていた。持ち主は戦死してしまって、子どもはまだ幼かった。
山賊の住まうという、その三俣蓮華小屋(以下「三俣小屋」と略)。
伊藤正一(いとう・しょういち)に「権利を買い取ってくれないか」との話がもちかけられた。伊藤は戦争中にジェットエンジンの開発をしていたが、終戦によって研究は打ち切られていた。
−−もともと山好きで科学好きな私は、その空白期間を登山と探検によって過ごしてもいいような気持ちもあった。それに、アルプス最奥の三俣小屋や、人跡未踏の黒部渓谷は、私の探検への野心をそそるに格好なところであった。
「三俣小屋はライカ(カメラ)一台分の値段であった」という噂は事実ではない。そのころのライカの値段は数百円。伊藤が支払った価格は2万円だった。それは持ち主の遺家族が今後生計を立てていくのに充分な金額として、村長らが算定したものであった。
さて三俣へ行くかと腰をあげた伊藤、しかし例の噂話が気になった。伊藤が聞いていたのはこんな話である。
−−三俣方面に、モーゼル拳銃をもった前科30何犯かの兇悪殺人強盗がいて、黒部渓谷一帯を荒らしまわっている。彼は登山者や猟師をおどしては物を盗っているが、昔から黒部方面での行方不明者はすべて彼の手にかかって死んだものである。また彼は山の地理に精通しており、手下も大勢いて各所で見張っているので、警察が上がって行くと事前に彼らにわかってしまい、絶対に見つかることがない。しかも約30年のあいだ、里へは下っていない。彼はクマ、カモシカ、ウサギ、イワナなどを獲って食べているが、二人の息子がいてときどき大町から米や塩などを運んで行くという。
さすがに、三俣行きは一時中止にした。そして事情を調べた。すると、こんなことが判ってきた。
−−大町営林署の課長の談である。あるとき、山賊が湯俣(ゆまた)の近くで山の木を大量に盗伐してトラックで運び出すところを大町営林署が見つけてとりおさえ、現場検証をすることになって彼に案内させた。山賊は神妙な態度で一行を案内しつつ山中に分け入ったが、それがワナだった。一行はいつのまにか物凄い断崖のうえに立たされて身動きができなくなってしまった(同行した数人の係官は岩登りのベテランぞろいだったにもかかわらず)。するとどうだろう、山賊はとつぜん身をひるがえして、この危険な岩場をするすると渡り、あれよあれよというまにどこかへ消えてしまった。それはまったく人間業とは思えない有様だったという。
ほかにも、黒部渓谷で消息をたった金満家の医師は、山賊に殺害され金品を盗られたに違いないとの話もあった。
■濁小屋
時を同じくして、濁(にごり)小屋で殺人事件がおこる(1946年7月)。
狙われたのは学生4人。食料難のなか彼らは苦心して食料を貯え、大きなリュックにそれらを満載して山小屋にたどり着いた。その彼らに、新宿駅から付けてきた復員風の男2人がいた。2人は一日中働いても空腹を満たすだけの食料が手に入らず、学生らの大きなリュックに釣られてふらふらと付いて来たのであった。
学生らは山小屋でリュックを広げると、盛大に晩餐会をひらいた。それを羨ましげに見ていた復員風の男2人。羨望はいつしか憎しみに変わっていた。2人は学生たちが寝静まるのを待つと、そこにあった丸太で一人ずつ撲殺していった。そして学生らの食料をむさぼり食った。
幸い一人の学生は気を失っていただけだった。正気づいた彼は頭部の激痛と恐ろしさに耐えて布団をかぶっていたが、頃合いを見計らって裏の窓から抜け出した。そして、ほうほうのていで山を下りると東京電力の社宅に危急をつげた。
翌朝、刑事を乗せたジープが現場へと向かった。その途上、山から下りてくる2人の男を見つけた。
「みなさん、どちらへ行きますね?」
「大町へ下ります」
「それはちょうどいい。私たちもこれから下るところです。どうです、よかったら乗って行きませんか」
警察の車と気づかなかった男2人。喜んで乗ると、相当に疲れていたのだろう、そのまま大いびきで寝入ってしまった。彼らが揺り起こされたのは、警察署に着いてからだった。
■逃げてきた猟師
−−時代は戦後の混乱期、濁小屋での殺人事件もおこり、場所はアルプスの最奥、人跡未踏の黒部である。そこでなにが起こったと言われようと、人々は真相を知るすべもなかったし、またそれを信じざるをえない当時の世相でもあった。こうして山賊は見つからないままに、山賊に獲物や金銭を巻き上げられたという猟師の数はしだいに増え、噂は噂を呼んでひろまっていった。
それでも三俣小屋を山賊に占領されたまま放ってはおけない。
伊藤は意を決して、友人2人とともに山へと向かった。
その山路で、伊藤ら一行は山から逃げてくる猟師に出会った。イワナを釣って三俣小屋に泊まったところ、噂どおりの山賊がいたのだという。
−−その夜は難なく床につくことができたと思ったのも束の間、山賊は彼の枕元でものすごい山刀を研ぎはじめた。神経をそば立てている彼の耳に、山賊たちの話し声がとぎれとぎれに聞こえてきた。
「殺(や)っちまおうか」
「どうやって」
「首ったまを刺せばいいさ」
「いつやる」
「朝にしようか」
「逃がすなよ」
−−彼は恐ろしさのあまり、歯がガクガクと合わなくなった。”朝までは逃げ出さなくては”と思った彼は、山賊たちの寝しずまるのを待って、獲物や持ち物などはそのままに、そっとぬけ出し、けわしい西鎌尾根を夜通し走って逃げてきたのだった。
■山賊、登場
山賊が三俣小屋にいることに疑いの余地はない。
さすがに前進する気がなえた。伊藤らはひとまず双六小屋に泊まって、作戦を練ることにした。
−−山賊は猟師に出合うと、縄張り根性も手伝ってとくに凶暴になるらしい。まして私が小屋主だなどと言ったら、どういうことになるかわからない。何も知らない登山者をよそおって行くことにした。
翌日は快晴だった。
−−山々はますます美しく、山賊の恐怖はますます強くわれわれを包んだ。
いよいよ小屋が見えてきた。
小屋からは山賊が焚く煙が立ち昇っている。小屋には、剥いたばかりの獣の皮がいくつも干してあった。周囲には獣や岩魚のはらわたが散乱している。
−−私たちは山賊の拳銃を警戒して、少し離れたところから恐る恐る声をかけ、固唾を飲んだ。緊張した瞬間だった。
ぬっと現れた山賊。
山賊は小屋の主であるかのように、伊藤らを招じ入れた。
−−用心しながら小屋の中へ入った。私はポケットのなかで短刀をにぎりしめていた。
山賊は世間話をはじめた。
「先日、濁小屋で登山者が殺されたが、どうしてあんなことをしたものか。物が欲しくても、なにも殺さなくてもよかったのに…。山の好きな者はお互いに助け合わなければいけない」
伊藤は「おやっ?」と思った。山賊のくせに善人のようなことを言うではないか。人を信じさせる話術に長けているのであろうか? 彼の見た目は、かっぷくのいい堂々たる紳士で、山にいるのにポマードで髪をととのえ、ヒゲもきれいに剃っていた。
■山賊の話
山賊の話は面白かった。
「カモシカの喧嘩はとてもあっさりしているが、クマの喧嘩はえらい騒ぎのものですね。カモシカは両方から跳んできて、角を二度ばかりぶっつけ合って離れてしまうが、クマときたら殴る蹴る、ひっかく齧る、まずえらい騒ぎですわい」
「見たことありますか」
「わしが子どもの頃、黒部で釣りをしていると、向こう岸でものすごい騒ぎが起こったので、何事だと思って見ていますとね、二匹のクマが喧嘩をして、とっくみ合ったまま川の中へ転がり落ちてきて、水の中でまだやっていましてね。それから今度は川の中州へ上がって一時間以上も喧嘩していましたわい」
「ほう、それからどうなりました」
「大きなほうのクマが、のされてしまってね。つまり大きなほうが年をとって弱っていたんですね。そして勝ったクマは負けたクマを水際まで引きずっていって頭を水の中へつっこんで、その上に大きな岩をのせて、よたよたと向こうの山へ登って行きましたがね、わしは恐る恐る近寄って行って、頭の上の大岩を、やっと、どかして皮だけ剥いで持って帰ったが、よっぽどころふけて(年をとって)いたクマとみえて、長さが六尺三寸もあって、爪が3本白くなっていましたわい」
−−私たちはつい彼の話に引き込まれながらも、”こんなうまい話をしながら、だまし討ちにするのではないか”という不安な気持ちが、つねに脳中から離れなかった。
「それから狸がいたずらをしましてね。平ノ小屋で猟をしてたときに毎晩、ズイコズイコと大木を切る音がして、そのうちに、ミキミキミキッと大木がものすごい音を立てて小屋の上に倒れてくるので、とても寝られたものではなかったですわい。ところが翌朝おきてみると、初雪が一寸ほど降って、入口の戸の前の雪の上に、狸がこちらを向いて座った跡がありましてね。そのうしろには尾っぽを左右に振って地面をなぜた跡があったので、”ははぁ、これだな”と思って足跡をたどって行ってみると、大木の穴の中に入っていきました。そこで棒をもって穴の前に待ちぶせて、大木をコンコンとたたくと、中から狸が飛び出してきたので、”やれ狸”と言って頭をこつんとやったら、ころりとまいってしまいましてね。そこへもう一匹跳び出したので、またこつんとやって二匹とも獲ってしまいましたがね。ころふけた白ダヌキの雄雌で、狸汁にして食べてしまいましたわい」
−−彼がしゃべると、おとぎめいたこんな話も、不思議に真実味をもって、私たちを引きこむのだった。山賊もさすがに里が恋しいのであろう、私たちの語る下界の話には、なつかしそうな眼差しをして聞き耳を立てていた。
■長い夜
”こんな話をする山賊は、まんざら悪人ではないのかもしれない…”
”いや、小屋主になりすまして、平気で嘘を言っているのではないか”
”それにあの鋭い目つきを見ると、ただ者ではなさそうだ…”
疑心の去らぬまま、夕の帳(とばり)がおりてきた。
−−山賊の話につられて、つい時間の過ぎるのを忘れ、三俣小屋に泊まることになってしまった。小屋は狭かった。私は山賊と肩を突き合わせて寝ることになってしまった。こんなときに、私にいくらかでも剣道の心得があったことが、せめてもの気安めだった。私は相変わらずポケットの中で短刀をにぎったまま寝た。私は肩を通して彼の息づかいを感じ、彼が寝返りを打つたびに彼の動静をはかった。
眠れぬ夜は長かった。
静かな夜、小屋の前を流れる黒部源流のせせらぎだけが微かな音をたてていた。
−−このときの彼の出方によっては、私は彼を殺していたかもしれないし、あるいは彼に殺されていたかもしれない。そしてそのことは、なんのためいらいもなく行われたであろう。少なくとも私は、平常では考えられない心理状態になっていた。
伊藤はだれよりも早く起きた。
そして、いそいそと出発の準備をととのえた。
−−山賊は小屋の主になりすましているし、私たちは何も知らない登山者になりすましているので、自分の小屋に泊まりながら山賊に宿泊代を支払った。「まけてください」と言うと、「ええ、ええ。山の好きな者は助け合わなくてはいけないから」と言って山賊はいくらかまけてくれた。
山賊が「とても楽に下れる」と教えてくれたコースは、そう簡単なものではなかった。湯俣川の両岸はもろくて崩れやすく、徒渉するところは激流で、ときには滝になっていた。
−−こうした中を、私たちは絶えず、どこからか山賊に狙撃されるのではないかという不安にかられながら湯俣へ下った。湯俣付近の噴湯丘のある一帯を”湯俣地獄”といっているが、そこをぬけ出して発電所の建物が見えたとき、われわれはまさに地獄から蘇生した気持ちだった。
■騒ぎ
山賊と一夜をすごしたことを、伊藤は秘めておきたかった。山賊を刺激するようなことはできるだけ避けたかった。しかしどこから嗅ぎつけたものか、新聞に掲載され全国に報道されてしまった。
松本市観光課のK氏は、声を震わせて言った。「君、よく命があって帰ってきたな。こんど山へ行ったら命がないぞ。もう行くな…。これはえらいことになってしまったよ。もうこの記事は山賊の耳にはいっているに違いない。どこに手下がいるかわからないぞ」
「とにかく相手が武装しているのだから、発見ししだい、ぶっぱなせ!」
長野、岐阜、富山三県の営林署会議では、強硬派が息巻いていた。いまにも山岳戦をはじめんばかりの勢いであった。
こうなってしまった以上、山賊も警戒しているに違いなかった。
困り果てた伊藤。できるだけ穏便に話をつけようと、大町のどこかにいるという山賊の家族を探すことにした。
−−そこで私は山賊の家を探すために、古いガイドや猟師など、少しでも山賊のことについて消息を知っているらしい人たちを根気よく訪ねて歩いた。たまたま大町の猟師が山賊の仲間であるらしいことを知って、ようやくその猟師の家を探し当てることができた。
その猟師に伊藤は以前、山で会ったことがあった。それでいくぶん心安く、彼の家の戸口をまたいだ。が、中から現れた人物に伊藤は当惑した。
なんとそれは山賊自身ではないか!
その傍らには、あの記事がのっている新聞が置かれてあった…。
(つづく)
→ 山賊の正体 『黒部の山賊』より その2
出典:伊藤正一『定本 黒部の山賊 アルプスの怪
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雲ノ平に行きたくて、濁り小屋に一泊し
翌日、伊藤新道を経て三俣蓮華山荘に宿泊、
そこで伊藤正一さんにお会いし、黒部の山賊の本に
サイン頂きました。遥か昔の懐かしい思い出です