ヨーガの里にて 〜壺中の水〜 [中村天風] その1
ヨーガの里にて 〜心と病〜 [中村天風] その2
からの「つづき」
■恐れ
「病は必ず治る」
カリアッパ師は力強く断言した。
しかし、こうも続けた。
「治るけれども、時がくれば死ぬ」
それが天の摂理だと、三郎(のちの天風)もわかっている。
しかしそれでも、死を恐れる気持ちを禁じえない。自分の病が治るとは、自分自身が信じきれていない。
「人間は、とかく死を恐れる」
三郎の心中を見透かすように、師は言った。
三郎の心は大きく動揺した。彼は幼少より武士の教育を受けてきただけに、死を恐れるということを最大の恥辱と考えてきたのである。
<死を恐れるなど、男子としてあるまじきこと>
しかし、今の自分は明らかに死を恐れている。故国を遠く離れた、このインド山中で野垂れ死ぬことを。それを認めないわけにはいかなかった。
師は言う。
「いずれ死ぬことが分かっているなら、それを恐れたり気にすることなどない。同じ死ぬなら、気にしないほうが気楽だろう。死にもしないうちから、死ぬことを気に病むなど無駄なことではないか。いや、無駄以上に滑稽だ」
その言葉は、三郎の胸にズンときた。
じつは三郎も、ロシアの戦場ではずっとそう思ってきた。戦争という異常な心理状況においては、三郎も死などは少しも恐れなかった。殺すか殺されるか、そんな修羅場を三郎は何度も斬り抜けてきたのである。
しかし今は違う。
平和のなか静かに迫る死とは、かくも恐ろしきものなのか。
<同じ死との対決であるにもかかわらず、条件が変わるとこうも情けなくなってしまうのか…>
三郎は、そんな自分を嘆かざるをえなかった。
■眠り
「お前は戦争のときにも、同じような体験をしたそうだねぇ」
「はい。戦争では二度か三度、『もうダメだ』と覚悟しました」
「でも、その時も夜になったら眠っただろう」
「…」
三郎は、師の言わんとするところをつかみかねた。
師は構わずに続ける。
「あのな、死は『目覚めない眠り』、つまり永遠の眠りと言うねぇ。その通りだよ。夜よく眠っている間は、死んでいる時とまったく同じなのだ。とすればだ、われわれ人間は毎晩眠っているわけだが、それはそのまま毎日死んでいるのと同じことなのだ」
「…?」
「もっとはっきり言うと、人間は毎晩死んで、毎朝生き返っている」
「…?」
「では、永遠の眠りと、普通の眠りの違いを知るのは誰だ?」
「…」
「お前が眠っているとする。そのとき、『よく寝ている』と思うのはお前自身かね?」
「いえ、違います」
「そうだろう。眠っていると自分で思っていたら、それは眠っていない証拠だ。つまり、それが判るのは本人ではない。周囲の者がそう判断するのだ。その眠りに命があるかどうかは関係ないのだよ」
「では聞く。毎晩眠るのは恐ろしいことか?」
「…いえ」
「そうだろう。むしろお前は眠ることを楽しんでいるからな。私が、小屋へ帰って寝ろ、そう言うと、お前はじつに嬉しそうに帰っていく。眠るのも死ぬのも同じことなのに、お前は一方を恐れ、一方を楽しんでいる。それはおかしいだろう」
「…う〜む」
三郎は唸った。
「それとも何だ、永遠の眠りは長すぎるから嫌なのか?」
「…」
「それは大きな間違いだぞ。なぜなら、眠りのなかに時の流れはない。時間という観念は、心の働きがあってこそのもの。眠っている人間には時の流れなど感じられない。どれくらい寝ていたかは、目覚めたあとにしか分からないのだ」
「…」
「つまり、一夜の眠りであろうと、永遠の眠りであろうと、その違いはない。あるのは考え方の違いだけであり、それが死への恐怖というものなのだ」
■時間
眠っているときの時間は感じられない…?
そう言われると、三郎には思い当たる節があった。
それは戦場でのこと。
三日三晩、眠り続けたことがあった。
しかし起きたときに部下から、「三日もたっているんですよ」と言われても、まったくその実感が湧かなかった。
あの時は、見張り台の上から落ちたのであった。
敵から正確極まる射撃をうけ、とっさに身を投げたのである。幸い、落下地点には刈り取ったばかりの高粱(コーリャン)が山と積まれていたため、それがクッションとなって命は助かった。だが、意識は失ってしまっていた。
「あれから三日もたっているのか…?」
まったく信じられない。三郎には「ほんのわずかな間、気を失っていた」としか思えなかった。
もし部下から「三日も眠り続けていたのですよ」と聞かされなかったら、そんなことは夢にも思わなかっただろう。
いま思えば、あの不思議な体験は、「眠りに時の流れはない」という師の言葉そのままであった。
<あれが10日、20日と続いていても、目覚めたときは同じだろう。いや仮に、1ヶ月、2ヶ月つづいたとて、きっと同じことなのだ>
どう考えても、時というものは目が覚めないかぎり出てこない。
<もし、あのまま息絶えていたら…?>
三郎は死んだことに気づかなかったかもしれない。
そう考えると、死が恐いと感じるのは、他人の死を自分と重ね合わせた結果のように思われた。
逆に、自分にとっての自分の死とは、むしろ他人事なのかもしれなかった。
■ヨギの死
とある夕べ、ヨーガの里が騒然としていた。
老爺が言うには、つい今しがた、死んだと思われていた一人のヨギ(ヨガの行者)が、10年ぶりにひょっこり山奥から帰ってきたのだという。
山奥というのは、三郎が修業をしている大滝のそのまた向こう、そのまた奥である。
昼なお暗いというその鬱蒼とした密林には、虎や豹、猛毒のコブラなどがうようよとひしめいているという。そのうえ、悪性のマラリア、コレラなどの病原菌までが蔓延しているのだそうな。
そんな恐ろしげな森が、ヨギたちの最終修業場(アシュラム)とされていた。山中に入ったが最後、生きて帰らぬものも多かった。この難行苦行を完遂して最高の境地に至ることができるのは、100年に一人いるかいないかだった。
そうした稀な修行者が、この村に帰ってきたのだ。
そのヨギは、60くらいの年齢に思われたが、老人めいたところは少しもなかった。
師は三郎に言った。
「お前は、よくよく運が良い。これから行われる行は、滅多に見られるものではない。一言でいえば、死んだ人間が生き返る」
「…?」
広場には皆が集まっていた。
その中央には白い布が敷かれている。
そのヨギは、布の上に坐を組んだ。カリアッパ師をその正面に見据えている。
場には、極度の緊張感がみなぎっていた。
三郎には、それが武士の切腹の場面のように思われた。
そのヨギの打坐(ダーラナ)はしばらく続いた。
そして、おもむろに両手で自分の首を絞めはじめた。
ヨギの顔面は激しく紅潮した。
三郎は思わず身を固くした。
がくり、とヨギの首が傾いたとき、血の気はすっかり失われていた。
次第に前のめりとなったヨギは、力なく崩れていった。
敷かれていた白い布に、ヨギはそのまま包まれた。
用意されていた棺が運び込まれると、白布ごとヨギはその中に納められた。
棺は大理石でできており、その重い蓋が閉められた。
近くには、すでに2mほどの穴が掘られており、棺はそっとその暗がりへと降ろされた。
そのまま棺は埋められ、あとにはこんもりとした墳墓ができあがった。
なんという不気味な行であろうか。
三郎は茫然と、盛られた土を眺めていた。
<もし生き返らなかったら…?>
というより、生き返ったヨギの姿など三郎には想像もできなかった。
■儀式
七日七夜がたった。
その間、見張りのヨギが交代であの墳墓を見守り続けていた。
そして8日目の朝
いよいよ掘り起こされた。
広場の中央には、あの日と同様、白い布が敷かれていた。
棺から出されたヨギの体は、あの日のまま白布に巻かれていた。
そしてゆっくりと、白布がはがされていく。
<死んでいる…>
遠目にも、三郎にはそう見えた。
ヨギの手足はミイラのように細くひからび、皮膚は土の色をしていた。
どう見ても、それは屍体であった。
そのヨギの体を、4人のヨギが囲んだ。
そして、そのこわばった体に油(ギータ)を塗り込んでいく。さらに白い粉をふりかけると、今度は体の各所を丹念に揉みはじめた。
あたりには読経のような声が鳴り響いている。どうやらそれは古典サンスクリット語のようであった。
30分ほども経ったであろうか。
<あれっ?>
三郎にも変化がわかった。
枯れ木のようだったヨギの体に、いくらか潤いが出てきたのだ。
もちろん、4人のヨギもそれに気がついている。
彼らの揉む手は、いっそう活発になった。
すると皮膚には赤みがさし、筋肉には弾力がでてきた。
三郎は我を忘れて、凝視していた。
赤味が全身にひろがると、死人のようだったヨギの顔が、生きた人間のそれのように見えてきた。
広場の誰もが、もう確信していた。
その復活を…!
■復活
ヨギの胸がかすかに動いた。
呼吸が戻ってきたのだ。
その呼吸は次第に大きくなり、今はヨギの胸をはっきりと上下させている。
そしてついに、ヨギの目が開いた。
彼はそっと身を起こすと、白布の中央にしっかりと坐を組んだ。
正面のカリアッパ師は、静かに微笑んだ。
周りの者たちは、一斉にひれ伏した。
三郎も、すっかり身を投じていた。
ヨーガ最高の行とされる「入定(にゅうじょう)の行」は、こうして終わった。
その瞬間、そのヨギは「偉大なる聖者(グレイト・ヨギ)」の一人となった。
生命の復活
その信じられないことが現実になった。
この荘厳なる光景を目の当たりにした三郎は、ただただ夢中で、心打たれるばかりであった。いつもの科学的な屁理屈など少しも頭に浮かばなかった。
■死の曖昧さ
翌朝、カリアッパ師は「入定の行」について話してくれた。
「あのヨギとて、必ずしも生き返れるとは限らなかったのだ。そうだな…、3人のうち2人くらいは、そのまま永眠していく」
「えっ? そうなんですか…」
三郎は驚いた。よみがえりの確率は3分の1くらいしかなかったのだ。それでもあのヨギはそれに挑んだのだ。まさに命を賭して。
「でもな、生き返れなくとも同じなのだ。だいいち当人は七日七夜、土の中に埋められていたことなど覚えていない。覚えているのは、自分で息をつめていったところまでだ。そして、次に目を覚ましたときにようやく、『ああ、そうか、息をつめたのだったな』と思い出すだけなのだ」
そう言う師は、この入定の行をかつて二度も行ったのだという。
「あの時は、自分は死んでしまったと思っていたよ。ちょうどそれは、お前が毎晩、楽しく小屋に帰って眠る、それと同じことなのだ」
「そんなものですか…」
なんだか、死ぬことを恐がるのが馬鹿らしくも思えてきた。
そして、ついこんな軽口を叩いてしまった。
「できれば私も…」
すると師は「馬鹿なことを言うな」と三郎をたしなめた。
「お前なんかがやったら、それっきり、二度とこの世に帰ってこられないだろう。あの行ができるまでには、少なくも30年はかかるのだ。お前がもし、あの山奥の修業地(アシュラム)に入ったら、おそらく3日と生きていられない。すぐにでも猛獣にやられてしまうだろう」
■クンバハカ
師は言った。
「まずお前は、クンバハカというものを悟らなければならない」
「え? 何ですか、それは?」
師は答えた。「もっとも神聖な状態だ。心と体をその状態にすることができれば、猛獣も襲ってくることはできない」
「では、そのクンバハカというのは、どうしたらできるようになるのですか?」
師は言う。「言葉で教えることはできない。自分で悟るよりほかない。あえて言うなれば、体を『壺の中へ水をいっぱいに入れたような状態』にするのだ」
クンバハカ
これは修業を重ねたヨギたちにとっても、なかなか通過できぬ関門らしい。
村には100人を越すヨギが住んでいるが、そのうちでクンバハカを会得しているものは、ほんの一握りしかいないとのことであった。あの老爺でさえ80歳をすぎた今でも、その悟りは得られていないのだという。
のちの話ではあるが、この難題は、三郎にとっての最終命題となる。
そしてそれはもう、そう遠い話ではなかった。
(つづく)
→ ヨーガの里にて 〜悟り〜 [中村天風] その4(完)
出典:『ヨーガに生きる 中村天風とカリアッパ師の歩み
関連記事:
ヨーガの里にて 〜壺中の水〜 [中村天風] その1
ヨーガの里にて 〜心と病〜 [中村天風] その2
「切腹」にみる責任と犠牲。生死と自他の境に想う。

