2014年06月16日

本田圭佑とACミラン [後編]




本田圭佑とACミラン [前編]

からの「つづき」






■デビュー



「なにを騒いでんねん…」

自身のホンダ・フィーバーに、本人は割と冷静だった。

「あくまでもミラン・パワーです。ここのフィーバーも全部ね」



その異様な注目度からか、本田のデビューは意外と早く訪れた。

2014年1月12日
イタリア・セリエA 
ACミラン 対 サッスオーロ

この日、チームは格下相手に4失点。名門らしからぬサッカーに、サポーターたちも苛立っていた。目を疑いたくなるようなイージーミス。味方同士、サポートする姿勢もみられない。



じつは今季のACミラン、20年来といわれるほどの絶不調に悩まされていた。リーグ前半戦を終えた時点で、20チーム中13位。監督の解任もウワサされるほど最悪の状況だった。

この日も、前半早々に2点をとりながら、その後に4点を奪われてひっくり返されるという最悪の流れのなかにあった。



後半19分

ついに本田は、エースナンバー10をつけてピッチ上に立った。

「ホンダ、見参!」

それまで鬱々としていたサポーターらは、この「救世主」の出現に熱狂した。



「ホンダ、ヘディングだー!」

外れた。それでも積極的に動く本田の登場によって、チームの攻撃は活性化した。



「ホンダ、シュートーー!」

ポスト直撃。

わずか数センチの差でゴールに嫌われた。



結局、試合は敗れた。

本田も点を決められなかった。








それでも現地紙の反応は上々だった。

「想像以上のデビュー(コリエレ・デラ・セーラ)」

「クオリティーが高く冷静(ガゼッタ・デル・スポルト)」

「ポストに当たる不運なシュートはオスカー賞もの(トゥット・スポルト)」



だが、名門復建を託されたエース10への期待は並外れて大きい。救世主に「惜しかった」という言葉は許されない。

チームに勝利をもたらすことが出来なかった本田は、「ほろ苦いデビューだった…」とも評された。






■逆風



「今だ、ブレーキング・ニュースが出たぞ!」

翌日、本田デビューの話題は、「監督解任」という衝撃に吹き飛ばされた。

TVキャスター「アレグリ監督が更迭されました。彼のスタッフも一緒に練習場を去っていきます」



敗者は去るのみ

その後ろ姿に、サポーターたちは容赦ない。

「落ちるところまで落ちたな!」

「とっとと出ていけ!」

「あいつにはガッカリだ。ザマミロ」



それが結果を出せなかった者の末路であった。本田の獲得を熱望したとされるアレグロ監督は、チームを追い出された。

いまは救世主と祭り上げられている本田も、その歓声がいつ罵声に変わるかはわからない。ただ勝利を。それがACミランの10番に課せられた宿命であった。



監督の替えは、すぐに来た。

クラレンス・セードルフ(37歳)

かつてACミランの10番を背負った英雄だった。



その新体制で最初の試合(対ベローナ、1月19日)

本田は振わなかった。ギリギリのところで味方との呼吸が合わない。

さらに悪いことに後半、本田はバテていた。それを見た新監督セードルフ。すぐに本田をベンチに下げた。



翌日の新聞

本田への評価は「チーム最低点」だった。



歓迎ムードは一転、逆風に変わりつつあった。

チームの勝利に貢献できない背番号10など、存在する意義がない。






■弱い自分



その日、チームの練習は休みだった。

しかし本田だけは、練習場の隅で走っていた。



その足元は深さ10数cmの砂。

高い負荷のかかる砂場でのダッシュ。

それをひたすら繰り返していた。



「つねに最初は『弱い自分』を倒すところから始まるんで」

汗のなか、本田は言う。

「弱い自分が日常から現れない日はないです。どんな練習やってても、一生懸命やる練習であれば、弱い自分は毎日出ます」

「そういう毎日の弱い自分と向き合ってはじめて、信念がちょっとずつ太くなっていくんです。それとの格闘をやらないことには、強い信念というものが磨かれてこないですから」



かつて、ロシアCSKAモスクワの監督は「ホンダほど規律(dicipline)のある選手は見たことがない」と言っていた。






■火星人



「ホンダは火星人」

そんな言葉がメディアに踊った。



チームメイトと息が合わない本田に、「周囲から理解されていない」との批判である。

冬に遅れた移籍は、そうした不利があった。シーズン途中でチームに加わるため、周囲と馴染めずに不発に終わるケースも多かった。



しかも、ACミランには各国のスターがずらりと居並ぶ。

イタリア代表 バロテッリ
元ブラジル代表 カカ

そうした中、本田はあくまでも新参者。パスが入らずに孤立する場面も多くあった。



「まずは味方との意思疎通。来て一ヶ月や二ヶ月でお互いのことが分かるわけがない」

そう言う本田は、イタリア語の習得にも励んだ。

「まずはしっかりと自分がこうしたいと伝える。そして、話を聞く。自分の意見を飲み込んでもらうためには、相手の要求も聞かないといけない。その交渉事を、練習前、練習後、試合前、試合後、試合中に、チャンスがあればやる」

そのためには、是非ともゴールが必要だった。

「こういう交渉事がすべてうまくいくタイミングっていうのは、ゴールを決めた後からなんです。僕はそれが分かっていたから、なんとか得点が欲しかった」



しかし、移籍から3ヶ月。

本田はずっとノーゴールのまま、もがいていた。



得点から遠い本田は、自身の希望する「トップ下」という得意のポジションから、右サイドに移されていた。

サイドというポジションは個人で現状を打開することが求められる。だが今の本田には、一人で突破するだけの技もスピードもなかった。



本田はしつこく監督の部屋を叩いた。

「もう5〜6回は行ってるんです」

そのたびにプレーが良くなる、と本田は言う。

「僕が疑いながらプレーしてる時っていうのは、物事がうまくいってないんです。だから監督の部屋をノックするわけです、その疑いを晴らしたいから。クリアにするためには、自分が納得する以外ないわけです」










■カカ



「無駄で使い物にならない」

メディアの言葉は次第に辛辣になっていった。サポーターの批判も日に日に強まる。

「なぜ金食い虫のホンダと契約したのか?」



本田は監督に訴えた。

「トップ下をやらせて欲しい」

しかしセードルフ監督には聞き入れられなかった。本田が切望するトップ下を任されていたのは、ブラジルのスター選手カカだった。本田はあくまで、その「カカの兵隊」にすぎなかった。

そして口の悪いメディアは、右サイドで活躍できない本田を「おもちゃの兵隊」と蔑んだ。



「(チームを)出るのも選択肢の一つかもな」

正直、そう考えたと本田は言う。

「ただ、そこで自問自答がはじまるのが”本田圭佑”なので。もう一人の本田圭佑が『それは違う』ということを言いはじめたわけです。『オマエは逃げている』と。『今まではそうじゃなかっただろ』と」



本田はあくまで強気にいった。

「俺、カカとバロテッリと友達になりたいと思ってないですからね。あやかりたいなんて思ったことないし。いい意味で『抜いたろ』と思ってるだけの話ですから」

ある試合でのフリーキック。カカに一歩も譲ろうとしない本田の姿がみられた。本田の手にしたボールをカカは取ろうとする。だが本田はボールを背中に回してしまって、カカに触らせようともしなかった。



そういえば本田は、かつて日本代表に入ったばかりの時も、当時のエース中村俊輔とフリーキックでもめたことがあった。本田の半生はそうやってのし上がってきた。

「だから今までも、僕より才能のある選手に勝ってきたし。なぜなら、そんなに差はなかったんです」

「天才なんかこの世の中にほぼいないと思ってます。才能の差は若干なりあるというのは認めます。ただ、若干でしょっていうことを僕は言いたい。ライオンと格闘するわけじゃない。馬と競争するわけじゃない。『あいつだから』って考えは、馬やライオンにすればいいんです」

「カカがバロンドール(FIFA年間最優秀選手賞)とったことあるんやったら、俺だって不可能じゃないと思ってますよ」






■バロテッリ



ゴールに飢えていた本田に、待望のチャンスが訪れる。

そのお膳立ては、なんとイタリアの悪童バロテッリがしてくれた。

ゴール前でボールをもったバロテッリは、自分でシュートを打たずにフリーの本田にパスをよこしたのだ(2014年3月29日、対キエーボ)。



だが、本田はキーパーと1対1で、ボールを宙に飛ばした。

「外したー! 信じられないミスを犯したぞ。ケイスケ・ホンダ!」








さすがにバロテッリは、そのモヒカンを逆立てて怒鳴った。

「お前はゴールが嫌いなのか!」








本田は即座にやり返した。

「いやいやお前、パスはゴロで出せ」

若干ではあるが、バロテッリの出したパスは跳ねていた。



そうは言った本田だが、自分が決定機を外したことはわかっていた。

「時が止まってる感じで、ボールもブーーーンッってスローモーションで上に行って。えらい時間が長いなっていう感覚でしたね。『これ外すか? 本田』って。」

本田は明らかに力んで外した。

「とりたいがゆえの”力み”です。(ゴールを)とりたいという思いが強ければ強いほど力むと思うんです。イコール、それだけ欲しいんだということです」



批判されなくなければ、移籍などしなければいい。ましてや10番など要求しなければいい。

「重圧を背負いたくなければ、行動しないことが一番なんです」

力みたくなければ、ゴールなど必要としなければいい。

「だから、あえて言うなら、力みにいってるんです」






■初ゴール



本田はさらに力んでみせた。

「まもなく初ゴールを決める」

メディアの取材に、本田はそう宣言した。



その2日後だった、待望の初ゴールが生まれたのは。

2014年4月7日 ジェノア戦

「ホンダが抜け出した! ボールがゴールに流れ込む! ゴーーーーール!!!」

「ACミランでのリーグ初ゴール! やったぞ、ケイスケ・ホンダ!」



あの時は考える余裕などなかったと言う本田だが、最後のシーンだけははっきり覚えているという。

「とられるかなと思ったんです。ディフェンスが間に合うんじゃないかな、と」

さほどスピードのなかった本田のシュートに、ディフェンダーが必死に追いすがっていた。

「まあ、ラッキーというか、クリアミスしてくれて」

確かにディフェンダーが最後に伸ばした足は、微かに追いついていた。だが、ボールの軌道を変えるまでには至らなかった。








本田の初ゴールにメディアは沸いた。

「日本の王子、みんなを喜ばせる」

それまでの批判などは吹き散った。

「ホンダは桜のように咲いた。入団した頃は裸の木だったが、今は花が咲いた。これからは果実がいっぱいの木を見せてほしい」



本田は言う。

「人間、追い込まれたら、生きるために死に物狂いでがんばるもんです。たとえば動物が泳ぎ方なんか知らなくても、水ん中にポンと投げられたら多分みんな泳げるんですよ。だって死ぬもん。そんな感覚です」










■夢



初ゴールに一息はつけた。

だが、ACミランの10番はまだスタメンの座すらままらない。



2014年5月4日
ミラノ・ダービー(対インテル)

長友佑都との日本人対決に注目が集まっていたが、本田圭佑は出番を与えられなかった。ずっとベンチに座ったままだった。



試合終了後

静まり返ったスタジアムで、本田は一人走っていた。

出る幕のなかった10番は、一人黙々とハードなインターバル走に汗を流していた。



「お疲れさん」

走るだけ走った本田は、スタジアムを後にした。



昨日は変えられないが、明日は変えられる。

「今日失敗したら、明日はその失敗をしなけりゃいい」






本田、小学6年生の作文にはこうある。



世界中のみんなが注目し、世界中で一番さわぐ4年に一度のWカップに出場します。セリエAで活躍しているぼくは、日本に帰りミーティングをし、10番をもらってチームの看板です。

ブラジルと決勝戦をし、2対1でブラジルを破りたいです。

この得点も兄と力を合わせ、世界の競ごうをうまくかわし、いいパスをだし合って得点を入れることがぼくの夢です。




世界一になるという夢

「全世界をね、『まさか』と言わせることが僕の一つのターゲットですから。それをずっと思い描いてきたわけですから」



たとえ倒れても立ち上がらない理由はない。

「どんな位置にいる人にもチャンスはある。それを目指すかどうかは、明日からじゃなくて今日決めるんです。やれることは今日からあるんです」

「あとはそれをネットの中に、ゴールの枠にボールを飛ばすだけです。イメージの中では、もう200回ぐらいゴールしてますけどね(笑)」













(了)






出典:NHKプロフェッショナル仕事の流儀
「本田圭佑スペシャル2014」



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posted by 四代目 at 05:52| Comment(0) | スポーツ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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