ヒビわれた茶碗と、坐禅修行 [藤平光一]その1
「気」と植芝盛平 [藤平光一]その2
からの「つづき」
「日本男児は目隠しなんかいらん!」
銃殺では目隠しされることになっていた。だが中村天風はそれを拒み、磔(はりつけ)の柱上で威勢よく啖呵をきった。
「的を外さぬよう、しっかり狙って撃て!」
時は戦雲のさなか、日露戦争。
天風は軍事探偵として大陸にわたり、ロシア軍に捕まっていた。
そして、今まさに銃殺されんとしていた。
ちょうどその時、馬賊の頭目、ハルピンお春が爆弾を投げつけた。
そして、天風を柱ごとさらっていった。
■中村天風(なかむら・てんぷう)
九死に一生をえて帰国後、
天風は結核に冒された。
−−当時の日本、いや世界随一の北里柴三郎の診たてでも「どうしようもない」と言われたことから、その絶望の深さがうかがわれる(藤平光一『氣の確立』)。
それでも天風は、銃殺寸前で「撃て!」と啖呵をきれるほど肚のすわった男。
日本男児たる驚嘆すべき精神力によって、命を永らえていた。医者には、とっくに危篤状態になっているはずだと言われても。
「日本にいても仕方がない」
そう思うと、天風は中国人に化けてアメリカへ渡った。アメリカになら、自分の病を癒してくれる医者がいると期待した。
ところがアメリカでは失望の連続だった。結局、天風はヨーロッパ行きの船にのり、ドイツの高名な医者のもとを訪れた。しかし、「ワタシにも分からない。もしアナタが先に分かったら教えてくれ」と言われる始末。
もはや万策尽きた。
「どうせ死ぬなら、桜咲く日本で死ぬか…」
悲壮な覚悟のままに、天風はマルセイユを発つ船に乗りこんだ。
のちに天風は、この時の自分を「失意のドン底。文字どおり息をしている屍(しかばね)」と言っている。
■ヨガ
その老人を見かけたのは、アレキサンドリア港に立ち寄ったときだった。
弟子らしき人が扇で仰いでいる。薄紫色のガウンを着たその老人は、どこかの王様のようにも見えた。
「ちょっときなさい」
突然、老人は天風に声をかけた。
「おまえ、右の胸に非常な病をもっているね」
天風はひどく驚いた。顔を見ただけで病を言い当てられた。
「ついてきなさい」
そう言われるまま、天風はインドにまでついて行った。
その老人こそ、ヨガの大哲学者、カリアッパ師であった。
師のもと、天風は3年間、朝に晩に教えを受けた。
インドでの修行は生易しいものではなかった。
天風の身分は「奴隷」。羊や牛よりもはるかに下のランクで、寝るときは羊と一緒。それでも天風は「一人で寝るより温かくて快適だ、極楽極楽」とまったく意に介さなかったという。
カリアッパ師の教えに、具体的なところは何もなかった。
だが、「気持ちを変えるんだ。自分の心が身体を動かすんだ」、そう言われたときに、天風はハッと目が覚めた。
それを実践しているうちに3年が過ぎた。
そしていつの間にか、不治の病はどこへやら、消えていた。
■「心が身体を動かす」
藤平光一は、知人の紹介で中村天風と出会った。
その頃の藤平は、合気道の師・植芝盛平との愕然とした力の差に、もがき苦しんでいた。
−−あいかわらず植芝先生には、もの凄い力を感じていた。私がいくら先生に技をかけようとしても微動だにしない。いったい、この違いはどこからくるのだろうか? 一生懸命考えてもわからない。最後の壁がどうしても越えられないのだ(藤平光一『氣の確立』)。
そんな悩める藤平の前にあらわれた中村天風。
はっきりとこう言った。
「心が身体を動かしているんだ」
その一言に藤平はハッと気がついた。
「あっ! そうか」
それまでバラバラだったピースが一つにまとまる瞬間だった。
「こんな大切なことを忘れていたのか…!」
「心が身体を動かす」ということに気づいた藤平は、もう一度、植芝盛平の動きをじっくり観察してみた。
するとやはり、植芝先生は必ず最初に心を動かしていた。それから身体が動くのであった。先生は相手の気を導き、そして身体を導いていた。
相手の気を知るには、こちらが完全に力を抜いていなければならない。そうして相手の気を尊ばなければ、それを知ることさえできない。植芝先生は、完全な自然体で相手の気を導き、ポンポンと技を決めていた。
−−そこに気づいてからというもの、植芝先生の教えが全部わかってきた(藤平光一)。
■ニワトリ
鶏の動きを止めて、眼鏡をかけさせる
それが中村天風の得意技であったという。
天風が「えいっ!」と気合いをかけると、鶏の動きがピタリと止まる。そのジッとしている鶏に人間用の眼鏡をかけてみせるのだった。
ある地方公演の会場、天風は言った。
「藤平、今日は鶏の一番強い、気の荒いやつを連れてこい」
ああ、あれをやるんだな。藤平はすぐにわかった。
幸か不幸か、そのシャモ小屋にはケンカ専門の鶏がいた。気が荒ぶりすぎて他のニワトリを傷つけるというので、一羽だけが隔離されていた。
藤平はちょっと困った。「よりによって、こんな気の荒いヤツか…」
天風先生からは、「鶏というやつは、一番暗示にかかりにくい動物だ」と聞いている。もし失敗でもしたら…。
やむなくその鶏を捕まえようとすると、聞きしにまさる気の荒さ。たちまちトサカを怒らせて藤平を威嚇にかかる。
とっさに藤平は天風のマネをした。グィッと気を当てたのだ。するとどうだ。なんとその鶏がピタリと止まってしまったではないか。
「なんだ、簡単じゃないか…」
自分にもあっさり出来てしまって、藤平は拍子抜けした。
とりあえず、その鶏は天風先生のところへ持っていった。目を覚まさせて。
すると先生、ニヤリと笑っている。
そして「えいっ!」とやって、大観衆のまえでその動きを止めてみせる。
案の定、やんややんやの大喝采。
■暗示
じつは天風、藤平をからかっていたのだ。
「鶏こそは暗示にかかりにくい」と言いながら、じつは一番かかりやすかったのである。
他の弟子たちも然り。誰も先生の言葉を疑う者はいなかった。この点、むしろ暗示にかけられていたのは、藤平を含む弟子たちのほうだったのである。先生以外にできる人はいないと思い込まされて、誰も試そうとすら思わなかったのだから。
天風にはそんな茶目っ気があった。
そして藤平がその暗示を見切ったのも先刻ご承知だった。
だから天風はニヤリと目配せする。その顔には「黙っていろ」と書いてあった。
ネズミはどうなんだろう?
素朴な疑問から、藤平はネズミに気合いをかけた。昔の剣豪ならば、ぐっと睨んで動きを止めるところだ。だが、ネズミの動きは止まらなかった。ネコもダメだった。
明らかに出来る動物と出来ない動物がいた。一般の人が考えるほど気の力はオールマイティーではないように思われた。どうやら、万能の超能力のようなものは世の人の願望らしかった。
■潜在意識
「起きているとき、顕在意識が上にあって潜在意識は下にある。これは夜寝るときにひっくり返る。顕在意識が下へいって潜在意識が上にくる。朝起きると、またひっくり返る。人間というのは、これの繰り返しだ」
天風はそう語っていた。
確かに人間は、朝どうしても起きなければならない大切な用事がある時、どんなに熟睡しても急に目が覚めることがある。潜在意識が起こしてくれるかのように。
それを利用した天風流の暗示法があった。
「こうやれ」と鏡に向かって自分に命令するのだ。
願望よりも命令のほうが効果が高く、さらに鏡を使うことで命令の力が2倍になるというのであった。
さっそく藤平はやってみた。
命令暗示は寝る間際が一番良い。一つだけのほうがいい。欲張るほどに暗示は弱まる。
「おまえは煙草が嫌いだ」
それを寝る前に1分間。最低半年は試せというでやってみた。
すると確かに効果はあらわれた。
一週間もたたないうちに、煙草が不味いような気がしてきた。そしていつの間にか、煙草を吸うことさえ忘れてしまっていた。半年もすると、煙草は一本も吸わなくなっていた。
「先生、教わったとおりにやったら、煙草をまったく吸わなくなりました」
藤平は天風にそう報告した。
「そうだろう。そう教えているんだ。ただ、皆んなはなかなかやらないんだ」
だが藤平は、そこで終わらなかった。
「おまえは煙草が好きだ」と暗示をかけ直した。
するとその効果はてきめん、すっかり元の愛煙家に戻っていったという。
−−私が本気で煙草をやめたのは、それからしばらくあとのことだった。そのときは「おまえは煙草が嫌いだ」と鏡に一言いっただけで、翌日にはピタリとやめてしまった。つまりこれは暗示の反応力が強くなったということだ。人間には順応性があるようで、暗示の効果も次第に早くなってくる。あれ以来40年になるが、一本も吸っていない(藤平光一『氣の確立』)。
■クンバハカ
「クンバハカ」というのはヨガの呼吸法で、中村天風が弟子たちに教えていたものだった。
その目的は、不動の心と身体をつくるというものだった。
しかし藤平が見るに、弟子たちのクンバハカはどうにもおかしい。
「そんなクンバハカはないだろう」
高弟2人のクンバハカでさえ、不動に思えなかった。試しに、その2人の胸を押してみると、2人はいとも簡単にひっくり返ってしまった。安定打坐のはずなのに、弟子らのそれは力をこめた脆い姿になっていた。
それも仕方がない、と藤平は思った。天風先生は「下腹に力をこめろ」と教えていた。力を込めたら、不動の自然体(リラックス)からは遠ざかってしまう。
−−尻の穴を締めるということは正しい。人間は死ぬと、尻の穴から便がでる。つまり、生きている以上は尻の穴を締めているのが正しい状態である。リラックスしていても尻の穴は自然に固く締まっている。しかし、下腹に力を入れれば必ずみぞおちにも力が入る。これでリラックスなどできるはずがない。下腹は心を鎮めるところであって、力を入れるところではない(藤平光一『氣の確立』)。
むしろ新参の藤平のクンバハカのほうが不動であった。彼はすでに合気道を通して、そうした天地の理にのっとった不動体を会得していたのである。
試しにやってみせた。アグラをかいて、そのまま両脚を上げ、不安定な姿勢になった。そして、高弟2人がかりで両肩を押させた。それでも藤平はビクともしなかった。
「おまえ、それは何だ」、天風先生は聞いた。
藤平は答えた、「これがクンバハカでしょう。先生が教えたいのは、これでしょう」
「そうだ」
天風はうなずいた。そして呟いた。
「負うた赤子に浅瀬を教わる、か…」
■忘れろ
天風先生が危篤だという連絡があった。
藤平は見舞いに行ったが、弟子の一人が「先生はお会いになりません」と言う。
「これは先生からのご伝言ですが…、藤平には弱ったところを見せたくない、と…」
−−なんとも颯爽とした人だった。死ぬときは死ぬのだから、わざわざ弱った姿を見せたくはない。その気持ちは私にもよくわかった。昔、斎藤実盛が討ち死にするときに化粧をして死んだという、あの心境かと思われた。まるで昔の武人のようだった(藤平光一『気の確立』)。
それ以後、藤平は見舞いに行かなかった。
中村天風は昭和43年(1968)、92歳でこの世を去った。
その最期を看取った人々に、天風はこう言ったという。
「おれが今まで長年教えたことは、みんな忘れろ」
−−最期ににやっと笑って死んだという。あれだけ長い間、人に教えてきた先生だ。普通ならそれを惜しむ。自分の教えを守り続けろと言うのが普通だろう。私はここに、改めて天風先生の凄みのようなものを見た思いがした。本当の師とは、こういう人をいうのであろう(藤平光一『氣の確立』)。
中村天風という人物に共鳴した人々は数知れず。
山本五十六や東郷平八郎、原敬、松下幸之助といった大物たちも続々と弟子入りしたものだったという。
■心
−−天風理論というのは「心が身体を動かす」、川の流れと同じだということに尽きた(藤平光一)。
だが戦争で焼けただれた日本では、「心」というものが軽んじられるようになっていた。誰もが食べることに精一杯で、気だの、心だのと言ったところで、なかなか耳を貸す人は少なかった。
「日本人には心など全然ないように見える」と、同胞の心が廃れるのを嘆く人もいた。
確かに国土は焼け野原。他人にかまっている暇はない。自分だけよければ、それでよかった。
だが逆に、アメリカ人のなかには日本を尊敬する人々もいた。
あれだけの小国で、身体も小さいにもかかわらず、なぜ世界を相手にあれほど長いあいだ戦えたのか? 日本には、アメリカにはない精神的な深みがあるのではないか?
それじゃまるでアベコベだ、と藤平は思った。
「日本人は日本を軽蔑して日本文化を捨て、アメリカ人は日本を見直して日本のお茶や禅を学ぼうとしている。こんな皮肉な話はあるものか」
そんな時代が交錯していた時
「ぜひハワイに来てください」と藤平は誘われた。
こういう時代だからこそ、心を説く人が必要なのだという。
「それならば、行かねばなるまい」
こうして藤平の合気道は、ハワイに歩をすすめることとなった。
(つづく)
→ 人の気、天地の気 [藤平光一]その4(完)
出典:藤平光一『氣の確立
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