2014年06月03日

そのものそのまま [熊谷守一]



木々が生い茂る庭の木陰

その木漏れ日のなか、一人の老人が筵(むしろ)にゴロリ

顎には、ヤギのような真っ白なヒゲ



その仙人のごとき老人は言う。

「地面に頬杖つきながら、アリの歩き方を幾年も見てわかったんですが、アリは左の2番目の脚から歩き出すんです。アリの歩き方は、ただ一通りしかないのです」



時間を無視した丹念な観察のすえ、こんな絵が生まれた。

『豆に蟻』1958

熊谷守一(くまがい・もりかず)



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「これ子供にでも描けそうに思うでしょう」

岐阜県美術館の館長、古川秀昭さんは言う。

「とんでもない。このポーズ、その一つ一つが全部もう、”そのもの”です」













■謎かけ



その15坪ほどの庭には、森羅万象のすべてがあった。

熊谷守一は言う。「ただ歩くなら、ものの2分とかからない範囲ですが、草や虫や土やいろいろなものを見ながら廻ると、毎日廻ったって毎日様子は違いますから。そのたびに面白くて、ずいぶん時間がかかります」



夜になると、「学校へいく」と言ってアトリエに籠った。

冬になると、「冬眠」と称して絵筆をしまった。



唯一の愉しみは囲碁。

相手は妻。守一は負けてばかり。

横で見ていた画商に言われた。

「あれじゃ豆まきだ」



ネコが好きだった。

家にはいつもネコが憩っており、野良猫も自由に出入りできるようにと、雨戸や障子に仕掛けをつくってやった。

とくに可愛がっていたのは、目のみえない三毛猫だった。



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デザイナーのナガオカ・ケイイチさんは言う。

「熊谷さんの絵は、まるで絵本なんだけれども言葉がひとことも書いてない、そういうものを見ている感じがします。謎解きじゃないんだけど、なにか凄い答えがあるような…」






■西洋画



熊谷守一(くまがい・もりかず)は20歳のとき、西洋画を志して東京美術学校に入学。成績は抜群、主席で卒業。

29歳で、自画像『蝋燭(ろうそく)』を描き、文部省美術展覧会(文展)で見事入選。画家としての将来を嘱望された。



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しかしその翌年(1910)、守一は表舞台から姿を消してしまう。

母の死をきっかけに故郷の岐阜に戻り、山奥で木材をはこぶ仕事をしたり、鍛冶屋で道具をつくったり。長い模索の時代がつづく。

35歳でふたたび上京するまで、絵はほとんど描かなかった。



42歳で結婚。東京に家をもち、子宝にも恵まれた。

しかし、絵が描けない。生活苦から妻は「絵を描いてほしい」と守一に懇願した。それでも絵筆を握ろうとはしなかった。

のちに彼はこう回想している。「まわりの人からもいろいろ責め立てられましたが、あのころはとても売る絵はかけなかったのです」



本当に描きたいという気持ちが湧いてこない。

その一方で、生活は困苦に極まる。妻の質屋通いは続き、子供が熱をだしても医者にもいけなかった。






■転機



そんな中、悲しい出来事がおこる。

次男・陽(よう)が、突然の肺炎でこの世を去った。まだ2歳。



守一は思わず、涙ながらに筆をはしらせた。

『陽の死んだ日』1928



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しかし途中でやめた。

”絵を描いている自分”に気づいて、嫌になった。

のちに彼はそう語っている。



日本画をはじめたのは、50歳になってからだった。

即興のように筆をはしらせ、シンプルな線で草花や生き物をとらえた。

西洋画と違い、日本画は「必ずしも全部、絵の具で塗りつぶさなくてもいい」。空白がのこっていても未完成ではなかった。線と余白だけで、喜びも悲しみもそこにあった。



そうした新たな画風を完成させたといわれる作品

『ヤキバノカエリ』1948〜55頃



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夕暮れ時か、とぼとぼと道を歩く親子。

遺骨を納めた箱がみえる。

まだ焼け跡の残る戦後、守一は長女・萬(まん)を結核で亡くした。21歳だった。



およそ8年、守一はこの絵を描きつづけた。

模索を繰り返すほど、絵はシンプルになっていった。まるで絵から感情が削ぎ落とされていくかのように、線は少なくなっていった。人物の顔には眼も鼻もない。



かつて幼子を亡くした時の作品『陽の死んだ日』と、この『ヤキバノカエリ』はまったくの対照をなす。

裸の感情をそのままにぶつけたような『陽の死んだ日』

感情を絞りきって、それでも残った『ヤキバノカエリ』

前者の感情は表皮に痛く突き刺さり、後者のそれはそっと骨に染み入る。



「あれ見たとき、鳥肌がたちましたね」

ナガオカ・ケンメイさんは、『ヤキバノカエリ』に強く感情を揺すぶられたという。

「やっぱり、輪郭線を引くっていうことは、こっちとそっちをものすごくハッキリさせるということなので」

混沌とした感情、割り切れないはずの感情。それをあえて強い線でバサリと切り離す。”不離”であるはずのものは、その対極の”離”によって、よけいにその不離が際立つようだった。感情を抜くほどに、あふれ出る万感の想い…。






■石ころ一つ



岐阜県歴史資料館には、守一が大切にしていたという「小さな小石」が数個のこされている。

学芸員は戸惑いぎみに話す。「あの…、日常的にどこに行ってもあるような石ですので…。なぜ、これがいいのか? ちょっと我々にはわからないですね」



守一は言っていた。

「石ころ一つでも、見ていると全くあきることがありません」

雨どいから落ちる一滴の雨粒さえ、彼の目を愉しませた。



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娘の榧(かや)さんは言う。

「縁側にね、胡座(あぐら)かいてね、いつもジッと外を見てるんですよね」

ナガオカ・ケンメイさんは言う。

「自然ていうのは、雨が降るんだよ、ポチャッと落ちるんだよ、とか、カエルは葉っぱにいるんだよ、花は咲くんだよ、みたいな。なんかそういう”逆らえないみたいなもの”があるんだよって」

古川秀昭さん(岐阜県美術館の館長)は言う。

「全部、大事なものは”そのまま”でそこらにいっぱいある。花一つ、蟻一つ、水一滴。そのなかで自分がなんと小さなものであるか、と」










■自画像



余人にとっては何でもないものが、守一には果てしない好奇心を想起させた。

彼はこんなことを言っている。「朝、目が覚めて、布団のなかでじっとしていたら、雨戸の節穴から朝の光が差し込んでくる。その最初の光がどんなかなと毎日注意していたら、あんな具合に見えたのだ」

『朝のはぢまり』1969



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娘は言う。

「なんか自分のことも含めてね、自画像でもあるって言ってましたね」



守一90歳、最晩年の自画像といわれる作品

『夕暮れ』1970



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かつてか細い蝋燭に灯されていただけの自画像はいま、太陽そのものと相成った。



熊谷守一(くまがい・もりかず)

享年97歳



曰く

「何も書かない白いままがいちばん美しい」













(了)






出典:NHK日曜美術館
「ひとり"命"の庭に遊ぶ 〜画家・熊谷守一の世界〜 」



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posted by 四代目 at 05:28| Comment(0) | 芸術 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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