走るために生まれた民がいる
どんな馬や鹿も、彼らの持久力にはかなわない
夜通し100kmの道のりを走り続ける
彼らの名は”ララムリ”
メキシコの山奥にひっそりと隠れ住んできた

なぜ走り続けるのか?
「No se(知らない)」
彼らはそう答えるしかない
ララムリには、自分の気持ちを言語で語る習慣はない。
それにしても
なぜ、走るのか…?
■アルヌルフォ
メキシコの深い山岳地帯「コッパーキャニオン」。グランドキャニオンの4倍の広さを誇るこの岩がちな山あいにララムリは住んでいる。
人里を遠くはなれた彼らの集落は、この深淵な山谷に散らばっている。
走る民、ララムリの中でも”ズバ抜けたランナー”がいるという。
「アルヌルフォだ」
土地の人ならば、誰しもが彼の名を知るという。ララムリの集う地元のレースで彼は5連覇を果たし、現役最強の呼び声が高い。
ララムリの名が世界に知られるようになったのは1990年代。
最強ランナー「アルヌルフォ」は1996年、ロサンゼルスで開かれた160kmを競う山岳レースで優勝。ほかのララムリたちも上位を独占し、世界を驚愕させた。
そのアルヌルフォは、標高2,400mの山上、薄い空気の中に住んでいた。
ここでは滅多に人に出会うこともない。日々の仕事は、ヤギの放牧とトウモロコシ栽培。食事は一日2回、自給自足の生活。主食はトウモロコシの粉でつくるトルティーヤやレンズ豆の煮物。現金収入はヤギを売ることでしか得られない。
「トレーニングはしない」
短いスカートのような民族衣装”ウィシブルガ”を腰にまいたアルヌルフォは言う。彼の走りの強さは、日々の生活から得られたものだという。
たとえば朝晩2回の水汲み。下ること300mはあろう岩の断崖をアルヌルフォはひょいひょいと降りていき、帰りは20kgのポリタンクを肩にかついで登ってくる。これを子どもの頃から毎日繰り返しているという。

「これで走る」
そう言って、アルヌルフォは”サンダルのような靴”を見せる。
それは”ワラッチ”という、トラックのタイヤで作ったサンダル。タイヤのゴムだけに重く、クッションもない。履いて歩くだけで疲れそうな履物だ。これはトレーニング用ではなく、本番のレースも彼はこれで挑むのだという。

「メダルは家族のためだ。現金はすべて食料品に消える」
アルヌルフォがレースで稼いでくる賞金は、家族にとっての貴重な現金収入。自給自足の暮らしとはいえ、最近では町で売っている日用品や食料品にも頼るようになっている。
妻はこぼす。「石けんが値上がりしたわ…」

最強ランナー、アルヌルフォが生活を賭けて挑むレースが迫っていた。
ワチョーチ
100kmウルトラマラソン
Ultra Maraton de los Canones
この山々で開かれる最も大きなレースであり、5位までに入れば、一年は生活に困らないほどの賞金が手に入る。
■100kmマラソン
会場には、伝説の走る民ララムリに挑戦したいと、メキシコ国内のみならず海外からも一流ランナーたちが集っていた。
「”本物の走りをする人々”と、この土地で一緒に走りたいんだ」
海外からの参加者は、どこか神聖な興奮に包まれている。
参加者90人中、ララムリは60人。
ララムリたちの履いているのは、あの”ワラッチ”。女性のララムリも多い。民族衣装の長いスカートをはいて走るようだ。
夜明け前の暗闇のなか、スタート地点に人々が群れる。
周囲のお祭り気分をよそに、アルヌルフォの眼差しは真剣だ。
3、2、1…
いっせいに皆が飛び出す。
100kmもの距離を走るにふさわしくない猛スピードで。
最初のペースは1kmおよそ3分。マラソンの世界記録なみのハイペースが続く。
スタートから一時間、20km地点にやってきたランナーたちは、ここから崖に入る。ララムリが真骨頂を見せるのは、いよいよここ山岳地帯からだ。
ここまで25位だったアルヌルフォは、得意の崖下りで一気に追い上げをはかる。前日の雨で岩場が濡れていて滑りやすいにも関わらず、アルヌルフォはぐんぐんとスピードを上げていく。
「どうしてララムリは、こんな崖でもスピードを落とさずに走り続けられるんだ? しかもあのサンダルで!」

コース中盤、40km地点。
ここからは急な岩場の登攀になる。
アルヌルフォは得意の山路ですでに20人近くを抜き去っていた。すでに優勝を狙える位置につけていた。
■結果
だが、スタートしてから5時間。
アルヌルフォの足は鈍っていた。
じつは、アルヌルフォは山上の家から会場までの70kmを、2日間夜通しで歩いて来ていた。移動費を節約するために。
その無理がここにきてたたり、足が酷く痛んでしまっていたのだ。もはや、”5位以内”という賞金の夢は絶たれたも同然だった。
それでも、彼は走ることをやめようとはしなかった。
足裏のマメがどれほど潰れようとも、彼が止まる理由にはならないようだった。
「がんばれ、アルヌルフォ!」
沿道のララムリたちも知っている。どんな状況にあっても、彼らが走り続けなければならないことを。
しかしなぜ、彼らは走り続けるのか…?
ついに完走したアルヌルフォは、10位でゴール(10時間21分)。賞金は逃した。
レースは結局、ララムリが優勝(8時間39分)。上位30人までがララムリによって独占された。
歓喜の輪のなかに、アルフォンソはいなかった。
ただ独り、膝を抱えて座り込んでいた…。


■ララヒッパリ
ララムリたちの強い走りは、その険しい山岳地帯の育んだ賜物であった。
しかし、なにも彼らは好んでこの地を選んで住んだわけではなかった。時は400年前、17世紀に侵略してきたスペイン人から逃れんがために、この山間に散らばり、隠れたのであった。

それ以来400年間、守り続けられてきた伝統行事がある。
ララヒッパリ
野球ボールのような小さな球を蹴り続け、12時間でも14時間でも、夜を徹して走り続ける。2チームに分かれて、どちらが長く走れるかを競い合う。
凹凸のある山川の自然道を走るため、小さなボールはどこへ行くかわからない。急に止まったりダッシュしたり。普通に走るより遥かにキツい。時にボールは谷へ落ちたり、川を渡らなければならないこともある。

なぜ彼らは、そこまでしてボールを蹴り続けるのか?
「… No se. (わからない)」
ララムリの青年はそう答えるしかない。夜通しララヒッパリをやる意味など、考えたこともない。
村の先生、セサルはこう説明する。
「転がるボールは”永遠の命”を意味します。死は生命の終わりではないということです」
走り続けること、そしてボールを転がし続けることが「生き続けること」。武器をもったスペイン人によって追いやられた過酷な大地にあって、彼らは走ることの中に”希望”を見出していったのかもしれない、とセサルは言う。
「ララムリは言葉を残さなかったけれど、走ることだけは伝えてきたのです。いまはもう走る意味は忘れられても、ララムリの身体のなかには”走ること”が染み込んでいるのです」
■一緒に走る
ララヒッパリは毎週のように行われる。
ランナーは毎回、村の大人たちが話し合って決める。今回は村の男の子たち。その代表の一人がホセ・オルギン(11)。一ヶ月前に負けて以来の再戦だという。
ララヒッパリで使われるボールは、レースのたびに大人たちが新しいものを作るのがしきたりだという。今回はホセの父・クレメンスが手ずから松の木を削って仕上げた。

父・クレメンスは、過去のボールを大切にとってある。
「このボールは乾燥してヒビだらけだろ。でも捨てずにとってあるんだ。これはララヒッパリで28時間、走り続けたときのボールだよ」

いよいよ、ララヒッパリがはじまる。
夕闇せまる6時、ホセの蹴り出しとともにレースはスタート。
勝負は夜通し。陽が昇るまでに相手のチームより長く走ったほうの勝ちだ。現代サッカーと同様に、足しか使えない。
スタートしてから一時間、突然、大粒のヒョウ(雹)が大地を叩きつけた。そして大雨に。それでもレースは止まらない。
ホセたちは一心にボールを蹴り続ける。
応援に駆けつけた大人たちも、いつしか一緒に走り出す。
夜8時。
辺りが真っ暗になっても大人たちは松明を灯して、子どもたちを励ます。
「がんばれ、がんばれ」
ララムリたちは、決して多くのことは語らない。
彼らは、ただ一緒に走る。
まるで、言葉よりも”一緒に走ったほうが多くを伝え合える”と思っているかのように。
夜がふけるほどに、活気は増していく。
真夜中をすぎても、ララムリたちはまだまだ走り続けていた。

余談ではあるが、「なぜヒトには動物のような体毛がないのか?」という問いに、「走り続けるためだ」と答える人類学者がいる。
というのも、もし体毛があったら肌から汗をかくことができず、その体温調節は口からしかできなくなる(たとえば犬がハーハーと舌を出してあえぐように)。となると、さすがに長い距離を走ることは叶わない。ゆえに、体毛に覆われたライオンなどは短期決戦。その瞬発力にかける道を選んだ。
一方の”か弱い”人類は、時間をかけてしぶとく獲物を追い詰めるという手法を得意とした。長く長く追いかけていき、獲物の体力が消耗して力尽きたところを仕留めるという具合に。その”長距離を走り続ける”という進化の過程で、体毛をなくし、露出した肌から汗を流すという体温調節を獲得したのだという。
■走り続ける
「昨日、ホセはどうだった?」
翌朝、ホセの父・クレメンスの友人が訪ねてきた。
「負けたよ。朝4時まで走ったんだけどね」
ホセは50km近くを走ったものの、僅差で負けてしまったそうだ。
すると、ホセがようやく起き出してくる。
「きのう走ってどうだった?」
足を少し引きずるようにして出てきたホセは、この問いに何も答えなかった。ただ、どこか遠くを一点に見つめたままに。

村では、次のララヒッパリのランナーが決まっていた。
今度は女の子。その代表の一人はグアダルペ(11)。彼女は両親が町に出稼ぎに出たために、叔父の家に身を寄せていた。
彼女は言う。「この村に残るって自分で決めました。この村が好きなの。ここだったら、みんなと一緒に思いっきり走ることができるから」
悔しいことも、思い通りにならないことも、たくさんある。
でも、なんど負けたって、また走り続ける。
人はなぜ走るのか?
それを知るには、
誰かと一緒に走ればいい。

(了)
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出典:地球イチバン
「世界一走り続ける民 〜メキシコ・ララムリ〜」
すばらしいお話です。
ありがとうございます。
もう、更新はされないんですか??
とってもとっても面白いです!!
今日は夜更かしして、全部読みたい!と思います。