この世にもし創造主がいるとしたなら、一体どんな「設計図」に基いて宇宙を作り上げたのか?
この世に起こり得るあらゆる現象を寸分の狂いもなく、しかも「たった一つの数式」で説明することができるなら、それこそが創造主の設計図、つまり「神の数式」といえるのではないか?
そんな野望に取り憑かれた物理学者たち。
その一人、ファビオラ・ジアノッティは言う。「すべての物理学者は、いわゆる『万物の理論』を見つけることを夢見ています。自然界のありとあらゆるもの、素粒子の世界から大宇宙までを説明できる数式です」
「この世のすべての出来事は『数式で書けるに違いない』と信じて疑わない、ちょっと変わった人たち」
それが物理学者、なかでも素粒子物理学。彼らの頭のなかは、とにかく数式で一杯なのだという。
その金字塔ともいえる石碑が、CERN(ヨーロッパ原子核研究機構)の裏庭に立つ。
そこに刻まれた数式こそが、彼らのいう「神の数式」。それに最も近いと考えられる最先端の数式である。
それは、ここ100年にわたる天才たちの苦悩の結晶であった。

■神の数式
その一行目、ここにはこの世を作り上げている物質の最小単位、つまり素粒子がどんな性質をもっているかが表されている(たった一行で!)。
その素粒子は4種から成る。原子の中をクルクル回る「電子」、中心の原子核を作り上げている「クォーク(2種)」、その原子核から時おり飛び出してくる「ニュートリノ」。
これら4種の素粒子すべての挙動は、「3つの力」によりほぼ説明される。
電子を原子核に引き寄せている「電磁気力」、2種類のクォークをまとめて原子核を作り上げている「強い核力」、ニュートリノを原子核から飛び出させる力「弱い核力」。
これら3つの力を説明する数式が、それぞれ一行ずつ。計3行。
最後の2行は近年になってようやく発見された「ヒッグス粒子」を説明する数式。
「神の数式」と呼ばれるものはなんと、それらたったの6行に集約されている。それが、CERN(ヨーロッパ原子核研究機構)の裏庭に立つ石碑に刻まれた数式である。
この数式に従えば、夜空にオーロラが輝く理由や台風の動きから、この世のすべてが説明できるとされている。

しかし、神はあまりにも完璧すぎた。
完璧すぎて、尖った先端を下にした鉛筆すら決して倒れなくなってしまった。人間がどれだけ真っ直ぐ、垂直に立てようとしても必ず倒れてしまうというのに…。
それが、神を求めた物理学者たちの突き当たった壁であった。
尖った鉛筆を立てることが出来ないという「当たり前」の現実は、やれば子供にでもすぐに分かる。
その簡単なことが、物理学の天才たちを100年間、悩ませることになる。

■美しさ
神の数式探しの最初の舞台となったのは、1920年代のケンブリッジ(イギリス)。
そこに暮らしていた若き天才物理学者「ポール・ディラック」。彼は30歳の若さで、ケンブリッジ大学で最も権威あるルーカス教授職に就くことになる大天才(この職に就いた人物は、あのニュートンや車椅子の天才ホーキング博士など)。

当時、ディラックが興味を抱いたのは、4種類の素粒子のうちで唯一発見されていた「電子」。すでにシュレディンガー方程式というものがその性質を説明していたが、ディラックはそれに不満であった。
なぜなら、その数式は「美しくなかった」。
彼の座右の銘はこうだ。「Physical law should have mathematical beauty(物理法則は数学的に美しくなければならない)」
美しさ?
それほど曖昧な概念もない。蓼食う虫も好き好き。何を美しいと感じるかは、人の勝手ではないのか?
いや違う。物理学という学問における「美しさ」はハッキリと定義されている。それは「対称性(symmetry)」をもつか否か。
たとえば、回転させても変化しない数式を「回転対称性がある」といい、物理学者はそれを美しいと感じる。
また、彼らは「シマ模様」も大好きだ。なぜなら、座標軸を平行にずらしてもその数式は変化しない。その美しさは「並進対称性がある」と呼ばれる。
「見る人の視点を変えても、数式が変わらないこと」
それが物理学者の愛する、対称性という美しさ。
「対称性とは、見る人の視点が変わっても元々の性質や形が変わらないということです。正方形は視点を90°回転してもまったく同じに見えますよね。物理の数式も、見ている人の視点が変わったとしても変化しないのです(スティーブン・ワインバーグ)」
つねに変わらない。何ものにも左右されない。それこそが「神の視点」であった。
■ディラック方程式
ではなぜ、ディラックは電子を説明した「シュレディンガー方程式」を美しくないと判断したのか?
それはその式に、時間を表す「t」が1つしかないのに、空間を表す「x」は2つあったからである。つまり、時間と空間が釣り合っていなかった。
アインシュタインの相対性理論によれば、時間と空間は本質的には同じものである(時間 = 空間)。それは「ローレンツ対称性」と呼ばれる美しさであるが、シュレディンガー方程式にはそれがなかった。
「見る立場が変わると変化してしまう数式は、神の数式として相応しくない」
ディラックの目指したのは「すべての対称性をもった美しい数式」。回転させても、平行にずらしても、時間と空間を変えても決して形を変えない数式であった。
神の数式を求め3ヶ月間、書斎にこもりっきりになったディラック。
外部との接触は一切断ち切り、何度もパニックに陥りながら、ついに1928年、論文『電子の量子論』を書き上げる。
それを読んだ物理学者ミチオ・カクは言う。「ディラック方程式を初めて見たとき、私は涙がこぼれました。じつに美しいのです。多くの物理学者はディラック方程式を見ると涙を流します。電子の複雑で奇妙な性質が、対称性のおかげで一つの数式にヒューッとまとまっているのですから」
かつてシュレディンガー方程式では、なぜ電子は地球のように自転し、さらに磁石のように両極があるのかを説明しきれていなかった。それが、この式の美しさを欠いていた点だった。
それに対して、美しさにとことんこだわったディラック方程式は、それら電子の謎めいた性質をすべて正確に説明していた。
さらに、その美しさは驚くほど完璧で、この数式はその後に見つかる素粒子(クォーク2種とニュートリノ)までをも先どって説明していた。
ゆえに、CERN(ヨーロッパ原子核研究機構)の裏庭の石碑には、今もこの数式が第一行目に記されているのである。
ここに初めて、神の数式にふさわしい完璧な美の世界が姿を現しはじめた。

■無限大(infinite)
さて、次なる課題は素粒子を結び付けたり動かしたりする「3つの力」を説明する数式。
そのうちの一つ、電子を原子核に引き寄せる力「電磁気力」。その解明への扉はロバート・オッペンハイマーによって開かれた。
「オッペンハイマーは本物の天才でした(シルバン・シュウェーバー)」

オッペンハイマーもまた「美しさ」、つまり対称性を数式に取り込むことを目指した。そして目を付けたのが「ゲージ対称性」。回転対称性と似た、より難解な対称性である。
そして編み出されたオッペンハイマーの数式には、回転対称性・並進対称性・ローレン対称性というディラック方程式が満たしていた美しさに加え、さらにゲージ対称性という新たな美しさをも併せ持った完璧なものだった(論文『場と物質の相互作用の理論について(1930)』)。
ところがどっこい。
「いろいろな計算を行ってみると、無限大(infinite)というまったく意味がわからない数値が出てきたのです(ピエール・ラモン)」
オッペンハイマーがその数式で示した世界は、電子の放つ光子という光の粒が電子と原子核を結びつけており、電磁気力を伝えるのもまたそうした粒のような存在だという、じつに興味深いものだった。
しかし、実際に数式を使って計算してみると、電子のエネルギーは無限大(infinite)という数値になってしまう。それは「あらゆる物質が存在してはならない」という奇っ怪なことを意味していた。
なぜ、無限大という意味不明の数値ばかりが出てくるのか?
数式が間違っているのか?
オッペンハイマーは血眼になって、その原因究明を仲間の物理学者たちとともに躍起になった。しかし、計算を何度やり直しても、無限大という答えから逃れる術はないように思われた。
そんな時、ドイツがポーランドに侵攻(1939年9月)。
第二次世界大戦がはじまった。
オッペンハイマーの歯車も、大きく狂いだす。
■原爆の父
アメリカ人であるオッペンハイマーは、ほかの多くの物理学者たちと同様、「原爆」の開発へと駆り出されることになる。
1942年、フェルミンがウランの核分裂連鎖反応に成功。
アメリカが誇る天才・オッペンハイマーは、原爆開発であるマンハッタン計画の責任者に任命され、ニューメキシコ州のロスアラモスでその頭脳をフル回転させることになる。
もはや、神の数式などそっちのけ。
彼はひたらすに原爆の開発に打ち込み、ついには広島・長崎という大成果を得て、ジャーナリストたちから「原爆の父」という称号を授かる。
以後、彼が電磁気力の研究の第一線に戻ることはなかった…。

なぜ、純粋な学問の世界で生きることができなかったのか?
何十万人もの命を奪った原爆に、戦後、オッペンハイマーは自戒の念に苦しめられた。
そんな時、自分が開発した原爆の被害国から、思わぬ知らせを受ける。
■深淵からの声
差出人は朝永振一郎(ともなが・しんいちろう)。オッペンハイマーは名前も知らぬ日本の物理学者。
だが、1948年に届いた手紙の内容は驚くべきものだった。朝永は戦争中、「無限大の問題を解決する方法を見つけていた」というのである。
「オッペンハイマーは手紙を受け取るとすぐに、日本で行われていた研究の重要さを認識しました。そして、朝永へ返事を書き、彼の研究を世界に知らしめるため、権威ある物理界誌に論文を書くように勧めたのです(シルバン・シェウェーバー)」
そうして朝永はオッペンハイマーの手助けを得て、世界で最も権威あるフィジカル・レビュー誌に論文を掲載されるに至る(論文『量子場理論での無限大の反作用について(1948)』)。
そこに記された特殊な計算方法に、世界は度肝を抜かれた。無限大の困難が見事打ち破られていた。
その数式の計算結果の精度たるや驚くべきもので、実験事実と小数点以下10ケタまでピタリと一致していた。
アメリカの物理学者フリーマン・ダイソンは、こう記す。
「戦争と廃墟と混乱のさなかにある日本で、国際的に完全に孤立状態にありながら、朝永はどうにかして理論物理の研究集団を維持し、ある意味では世界のどこよりも進んだ研究を行っていた。われわれには『深淵からの声』のように響いた(著書 "Disturbing the Universe")」
以後、戦後の自由な空気の中、無限大の問題は一気に解決することになる。
有限(finite)を示した数式。
それが石碑の2行目に記されている。
■ゼロ
解明された電磁気力。
残るは2つの力、「強い核力」と「弱い核力」。
「強い核力」は原子核をつくるクォーク同士を結びつけている力。「弱い核力」はニュートリノを原子核から飛び出させる力。
1950年代、中国出身の風雲児「楊振寧(ヤン・チェンニン)」は、やはり「美しさ」を武器に、さらなる対称性を追求した。
そして辿り着いたのが「非可換ゲージ対称性」。物理学者にとっても超難解な美しさであった。
楊(ヤン)は同僚のミルスとともに1954年、研究論文『荷電スピンの保存とゲージ不変性』を発表し、その偉業を世界に知らしめた。
ところが、楊は「落とし穴」に落ちた。
どう計算しても、「強い核力」や「弱い核力」を使える粒子の重さが「ゼロ」になってしまうのだった。
重さがゼロでよいのは光子のみ。ほかの粒子はすべて重さを持つはずだったのに…。
重さのない世界は、まったく現実とかけ離れていた。
それでも、楊の数式は素晴らしく美しい。理論上は完璧な対称性を持っていた。
不幸なことに、その現実と理論の乖離は研究が深まるほどに広がっていってしまう。数式が美しさを増すほどに、現実からは遠ざかっていくのであった。
まるで、知れば知るほど神が遠方に霞んでいくかのように…。
■破れ
重さゼロの矛盾。
もし本当にすべての素粒子に重さがないのだとしたら、計算上は原子から電子が飛び出し、ありとあらゆる物質はバラバラになってしまう。
物理学者ミチオ・カクは、こう表現する。「すべての素粒子の重さがゼロだったとしたら、あらゆるものが飛び散ります。すべてが光の速さで飛び出すのです。安定なものはなくなり、人も犬も猫も、すべての都市もなくなります。あらゆるものが光の速さで動き、原子を構成するものがなくなってしまうからです」
光に満ちた神の世界はあまりにも眩く、人はおろか何ものをも光としてしまうのだった。
計算上はそうなってしまう世界。
ではなぜ、この世界は存在し得ているのか?
まさか、この世は幻なのか?
「倒れない鉛筆」
神の数式による計算の世界では、それが現実だった。
その鉛筆をじっと睨んでいたのは、日本の物理学者「南部陽一郎(なんぶ・よういちろう)」。
「未来が見えている」とまで言われた異質の天才である。

1960年代、世界が頭を抱えていた「重さの謎」に、南部陽一郎は一閃に斬り込む。
その後ノーベル賞に輝く「自発的対称性の破れ」を示すのだ(論文『超電導の類推による素粒子の動的模型(1961)』)。
それは、神の設計図には対称性があっても、実際に起こる現実には対称性がなくても良いという、誰もが予想しなかった大発見だった。
南部いわく、「長い間、考え考えた挙句の一つの解決策でしたが、後になって考えれば、それはもう当たり前の現象なんだと判ったわけです」
立てた鉛筆は倒れる、という当たり前の現象だった。
南部が示したのは「満つればすなわち欠く」、つまり「完璧な美しさは崩れる運命にある」ということだった。
美しさが崩れる結果、世界には「重さが生まれる」のであった。
神の美しさが現実によって崩されたゆえに、この世は生まれた。神の眩い光が陰るからこそ、この世は存在し得るというのであった。

■トイレ
南部の理論をもってしても、解決できない問題は残っていた。
南部が示したのは、強い核力からクォークの重さが生まれることであって、その力を感じない電子やニュートリノなどは依然、数式上は重さがゼロになってしまうのだった。
この最後の問題を解決するため、スティーブン・ワインバーグは意を決して「ある禁じ手」を打った。
それは、この世に存在しない「都合の良い粒子」が存在すると仮定することだった。
それが「ヒッグス粒子」。
それは物理学者ヒッグスが1964年、論文『ゲージ対称性の質量と対称性の破れ』に書いた理論。その粒子は最初、空間にほとんど存在しないのにも関わらず、その後、勝手に空間を埋め尽くしてしまうのだという。
ワインバーグによると、空間を埋め尽くしたヒッグス粒子によって電子などはその行く手を阻まれ、その結果、動きにくくなってしまう。それが「重さの正体」になるのだという。
それは南部の考えた、「最初は完璧な美しさを保っていた世界が、その後、勝手にその美しさを失ってしまう」という理論を応用したものだった。

そうした理論が書かれたワインバーグの論文『軽粒子の一つの模型(1967)』。
その評判は散々だった。ありもしないヒッグス粒子が、あまりにも都合が良すぎたのである。
楊は言う。「それは美しくありませんでした。本当に美しいものは、ひと目見て『これしかない』と感じさせます。ヒッグス粒子には美しさはありませんでした」
シェルドン・グラショウは言う。「ヒッグス粒子は『トイレ』のようでした。きれいな家を成り立たせるためには汚れ役が必要なように」
■ヒッグス粒子
見つかってもいないヒッグス粒子という禁じ手。
それを犯してまで、神の数式の完成に賭けたワインバーグ。
その賭けは2012年、「ビンゴ!!」の時を迎える。
ついに見つかったのである。
ヒッグス粒子を見つけるために作られた、人類史上最大のエネルギーを空間に一点に注ぎ込む実験装置(CERN)によって、ヒッグス粒子が叩き出したと思われるシグナルがとらえられた(2012年7月)。
「We have a success today, we have discovery. We have discovered new particle boson(新しい素粒子), must be a 『Higgs boson(ヒッグス粒子)』.」
ワインバーグの論文から40年以上、ついにその理論が実証された。
そして完成した神の数式こと「標準理論」。
ヒッグス粒子を発見したCERN(ヨーロッパ原子核研究機構)の石碑には、それが誇らしげに刻まれた。
その最後の2行、それはこの世に重さをもたらしたヒッグス粒子を記したものである。

■重力
天才物理学者たちが100年もの歳月をかけて完成した「神の数式」。
「美しさ」を求めて得られた結果は「重さ」であった。
最先端の数式に従えば、この世はこう記述される。
「宇宙は設計図である神の数式に従って誕生し、当初は設計図通りの『完璧な美しさ(対称性)』を保っていた。しかし、ヒッグス粒子などが引き起こす『自発的対称性の破れ』によって、素粒子に重さが生まれた。その結果、素粒子がまとまり原子が作られ、星々が輝きはじめて銀河も形成されていった」
神の世界ではあらゆる素粒子に重さはなく、光のごとくバラバラに飛び回っていた。ゆえに、物質は存在し得なかった。だが、その神の完璧な美しさ(対称性)が崩れることにより、世界に重さが生じ、物質が生まれるのであった。
神の数式「標準理論」に従えば、いまやこの世に説明できない現象はないとまで言われている。
が、しかし、物理学者らの野望は尽きない。
神の数式に最後のピースをはめ込んだワインバーグはなおも、こう言う。「私たちは単に、数学的に美しい議論だけでは満足しません。そこには重力が入っていないからです」
ワインバーグの言う通り、現在最先端の「神の数式」では重力が無視されている。
それは素粒子の世界における素粒子はあまりにも軽いため、重力を考えに入れる必要がないと考えられていたからである。
だが今は、「重力をも採り入れなければ、本物の神の数式には辿り着けない」という考え方が支配的になっている。
立てた鉛筆が倒れるのと同様、重力があるのもまた「当たり前」のことのようにも思われる。
だが、その解明はまだまだ先になりそうだ…
(了)
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出典:NHKスペシャル
「神の数式 第一回 この世は何からできているのか 〜天才たちの100年の苦闘〜」