2013年09月21日

コメ史上、奇跡の発見「龍の瞳」



「稲穂のひときわ高い株が2つあったんですよ」

コメの作況を調べるために、田んぼを見て回っていた時のことだった(2000年)。

「茎がガッシリしていて葉も硬い。いちばん驚いたのは籾(もみ)の大きさです。コシヒカリの1.5倍もありました!」

発見者「今井隆」さんは、今まで見たこともないような「野性的な稲の姿」に驚いた。



さらに驚かされたのは、その食味だった。

その年に採れた種籾はわずか1,000粒ほどだったが、翌春、大事にそれを植えると、秋には大きな粒がたわわに実った(2001年)。

「そのお米を食べてみたところ、私は飛び上がるほど驚きました」

飛び抜けて背の高い稲は、飛び抜けて美味かった。部屋のなかは、炊きたての素晴らしい香りで満たされている。

「舞い上がるような香ばしさといいますか」

その香りに、心までが舞い上がる。



それは後に『龍の瞳』というブランド名で、全国の食味コンテストを総ナメにしてしまう(2006年〜)。

清流・飛騨川の上流、岐阜県下呂市に生まれた、「コメ史上、奇跡的な発見」であった。










■不思議



農家の長男として生まれた今井隆さん。

東海農政局の事務所に公務員として勤め、休日に田植えや稲刈りをやりながら、無農薬栽培や一本植えなどにも挑戦したことがあったという。



当時植えていたのは「コシヒカリ」。1956年に誕生したこの品種は、機械化農業の申し子のように画期的な育てやすさをもっていた。そして美味かった。

その田んぼにピョンと飛び出ていた「2本の稲穂」。そして、異常にでかい籾(もみ)。

「なぜ、こんな稲がここにあるのだろう?」



不思議に思った今井さんは、そのコメのDNAを調べてみる。

すると、さらに不思議なことにコシヒカリの遺伝子が入っていない(コシヒカリの田んぼに生えていたにも関わらず!)。

「最初は、酒米の『ひだほまれ』の混入だと思いました」

酒用のコメは「粒が大きい」のが特徴である。しかし、近くの農家で『ひだほまれ』をつくっている農家はいなかった。

「どうして生まれたのかが、わかりませんでした」



ある試験研究機関は、「『龍の瞳』には『ハツシモ』の遺伝子が入っている」と言ってきた。『ハツシモ』は岐阜県を中心に栽培される大粒品種。寿司に向くとして根強い人気のあるコメだ。

今井さん自身は、日本のコメ(ジャポニカ種)ではなく、インドネシア・ジャワ島で栽培されるジャワニカ種の遺伝子が入っているのではないかと考えている。



いずれにせよ、偶然見つかった『龍の瞳』。

「自然のいたずら」とも思える突然変異であった。

※稲は自家受粉する植物なので、自然交配は起こりにくいとされている。






■亀の尾



かつてコメの品種改良は、そうした偶然の産物であった。

「生え抜き(はえぬき)」という言葉は、「その土地で生まれ、その土地で育ったこと」を意味するが、生育の良い稲穂を選んで翌年の種籾とすることで、コメはその美味しさを高めていったのである。



と同時に、冷害などでも被害を受けなかった稲を選ぶことで、その強さも増していった。

米どころ山形県(庄内地方)には、『亀の尾』という篤農家・阿部亀治の発見した品種がある。それは田んぼの水口で見つけた「冷害に強い個体」を選抜固定したものである(水口の水はことさら冷たい)。

この『亀の尾』はコシヒカリやササニシキの祖となる米であり、近年は山形の新品種『つや姫』にも受け継がれた優良な種である。



その発見秘話もまた、岐阜県の『龍の瞳』にだぶる。

もともとは貧しい小作人だったという阿部亀治。明治26年(1893)に東北地方を冷害が襲った時、地主の使いで田んぼを見に行った時のこと。

「冷害で壊滅状態の田んぼに、重く稲穂を垂れた稲が3本立っていた」

それは熊野神社に参拝しようとしていた時であり、亀治は神の御威光を感ぜずにはいられなかった。



頭を下げてその稲をもらい受けた亀治は、その種籾を大切に大切に育成に尽力し、ついには明治28年(1895)、本格的な作付に至る。

「神の稲」と亀治が呼んだこの品種、彼は殊勝にも冷害に苦しんでいる回りの農家に分け与えたという。

喜んだ友人たちは、このコメを「亀大将」と呼んだ。だが、一介の小作人であった亀治は、そのたいそうな命名に恐縮至極。結局は、己を蔑むように「亀の尾」という名にしたそうである。



しかし戦後、優秀な子孫(コシヒカリ等)が生まれたことにより、「亀の尾」は幻として消える。

「亀の尾」から種子改良されたのが「亀の尾4号」、さらにそれを品種改良し「愛国」が生まれ、そこから枝分かれしたのが「コシヒカリ」や「ササニシキ」である。

ただ、「亀の尾」を惜しんだ新潟の造り酒屋によって、このコメは銘酒として生まれ変わることにもなった。










■人為



ある時期まで、コメの新しい品種は田んぼから農民の手で生まれた。

だが今は、各地の農業試験場でつくられる。行政ばかりでなく企業も参入する現在、一代限りのF1と呼ばれる品種が主流であり、遺伝子組み換えの技術も多用される。



そんな現代、岐阜で今井さんの見つけた「龍の瞳」は、まったくの異端児といえる。

「個人が発見し、自ら遺伝的性質を固定して品種登録の審査をクリア、かつ、高い食味評価を得ているコメ品種は、今では極めて珍しい(BE-PAL)」

発見から6年で品種登録(登録名:いちの壱)、そしてその年(2006)から4年連続で全国コンクールの金賞受賞。「亀の尾」の生まれた山形県の「あなたが選ぶ日本一おいしい米コンテスト」でも3度の日本一に輝いている。

打たれなかった「出る穂」は今や、ますます盛んである。



ただ面白いことに、この品種はどこでも育つわけではないらしい。土地の「生え抜き」であるだけに、生きるところを選ぶのだという。

たとえば、「龍の瞳」の特徴である大きな粒、これは標高2,000m以下の地域では大きくなりにく。また、農薬や化学肥料を多用する慣行農業でも、その良さは引き出せないという。



なるほど「龍の瞳」の魅力は、その自然によるものである。

生まれた中山間地を好み、自然な農法に活きる。土も耕さない不耕起栽培などは、なお良いとのことである。

「良禽択木」、賢い鳥は棲む木を選ぶというが、この龍もまたそうなのであった。






■中山間地の希望



「人には時として、不思議な出会いがあるものです」

はじめて『龍の瞳』を炊いた時から、人生が変わったという今井さん。

長年勤めていた役所をやめ、合資会社「龍の瞳」を設立、2012年には「龍の瞳研究所」も立ち上げた。

「米作りに欠かせない水を司る神様である『龍』。天空を悠々と舞っていた龍が一粒の種籾を落として、その想いを私に委ねたのかもしれないと感じました」



今井さん自身が栽培管理している『今井隆のお米(農薬不使用)』は、キロ2,500円という高値にも関わらず、予約告知をするや完売するという。

「耕地が狭い中山間地の農業は、もともと量で勝負できません。誰もが認める作物をつくり、自分たちで値段を付けられるようになるしかありません」

今井さんが「自分たち値段を付けられない」ことを実感したのは、かつて実家でつくっていた梅を市場に持って行った時のことだった。

「付けられた値段は、キロ70円という屈辱的なものでした…」



そんな不遇の時代をへて「龍の瞳」を得た今、山あいの田んぼの、小さな稲作には希望の光が見えている。

山の森のミネラルが、ますます「龍の瞳」を美味しくするという。広葉樹の厚い腐葉土層を潜ってゆっくり流れる水は、豊富なミネラルを含んでいる。






■古(いにしえ)の姿



農薬を当たり前に使っていた若き日。

今井さんは、その散布後に「畦で苦しそうにのた打ち回る2匹のミミズ」を見てから、農業観のみならず人生観までが変わったという。

「現代の科学では、分からないこともあります」



「私が子どもの頃、森には実のなる木がいろいろあり、湧き水も出ていました。川にはアブラメのような雑魚もたくさんいました」

「ですが、現在の森は手入れの追いつかない針葉樹ばかりで、暗く生物数が少ない。森の変化も川や田んぼに棲む生き物が減った原因だと思います」

「中山間地域の米の味には、森のミネラルが深く関係しています。だとすれば、生物多様性を高めるともっと美味しいコメができるかもしれません」



自然があってこその「龍の瞳」。

今井さんが新たに立ち上げた「龍の瞳研究所」は、そうした自然とのつながりを解明し、「より味がよくなる環境保全」の技術を模索するものだという。

「無農薬の田んぼのまわりで摘んだ野草の天プラを、かまどで炊いた龍の瞳とともに味わう。そういうものからでもいいじゃないですか」













(了)






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出典:BEーPAL (ビーパル) 2012年 12月号 [雑誌]
「超美味米『龍の瞳』が目指す、理想の中山間地域農業」
posted by 四代目 at 07:29| Comment(0) | 農業 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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