自宅の庭に「マルメロ」の実った秋
彼は、それを描くことにした。
木の両脇に2本の杭を打って横に糸を張り渡し、その真ん中からオモリを付けた糸を垂らす。
その垂直の糸が、絵の中心となる。キャンバスにも、その中心線を縦に引く。
マルメロの果実や葉にも白い印を書き込み、その位置が寸分も違わぬよう、正確にキャンバスに写しとっていく。視点を固定するため、自分のつま先の位置には目印となるよう釘を刺しておいた。
1992年に公開された映画『マルメロの陽光』は、画家「アントニオ・ロペス」がそうして作品を仕上げていく過程を、ドキュメンタリー・タッチで追った作品である。
だが、この絵は意外な結末を迎える。一秋、マルメロと向き合い続けたその絵は、結局、未完成に終わるのだ。
季節が冬に傾くにつれ、マルメロの実はだんだんと垂れてくる。すると、最初に付けておいた白い印も下がってしまう。
そうして果実や実の位置がずれるたび、ロペスは白い印を付け直した。時が経つにつれ、実や葉には白い印が増えていく。落果して足元に転がるマルメロの実にも、そんな印がいっぱいについている。
結局冬が来るまで、ロペスの望む光は差さなかった。その秋の天候は、彼の意に沿おうとはしなかった。
■共に過ごす時間
『マルメロの木(1990)』

作品が完成するかどうかは、アントニオ・ロペスという画家にとっては二の次であった。
何よりも大切だったのは、その対象と向き合い、共に過ごす時間にあった。
「大切なのは、時間をかけ、深く見つめることです」と彼は言う。
わざわざマルメロに印を付けてまで、その位置を正確に把握しようとしたように、彼は徹底して「リアリズム(写実)」にこだわる画家である。
代表作『グランビア(1974〜81)』は、スペインの首都マドリードの目抜き通りを描いたものであるが、その早朝の光を描くため、ロペスはじつに7年もの長期間、そこに通い続けた。
夜明けのグランビア、奥の高い建物が朝日を浴びはじめる。それが、だいたい夏の早朝6時30分。その光に魅せられたロペスは、6時30分から20分間だけ、その光を描き続けた。毎年夏、7年間も通い詰めて。

大都市の大通りにも関わらず、人影が一つもないのは、それが画家の意図するところだからである。
「この絵だけではありません。私はいつも、建物のように不変のもの、動かない何かを対象にして絵を描きます」と彼は言う。
「やがて、描き続けていると、ある時から絵の中に、夢のようで非現実的な感情や性格が生まれてくるようになるんです。それは物質的というより、幻影のような心理的なことなのかもしれません。それが絵の核心を成しているんです」
■現物
絵を教えることもあるロペス。
教える相手がどんなスタイルの画家であろうと、いつも強く伝えることがある。
「常にできるだけ、実物を見て描きなさい」
「たとえば、写真は一つの手段でしかありません」とロペスは言う。
「良くないのは、写真だけを見て現実を見ないことです。写真を使えばとても簡単に描けます。アトリエにいても、遠くにあるものも難なく描くことができるでしょう。しかし、絵はとても単調になって、色と光の世界を表現することはできなくなってしまいます。そのことに気をつけなければならないのです」
7年間、その場所に通い続けて描いた『グランビア』もそうだった。
「周りが騒がしいとか、どんな不便なことがあっても、ここに居なければなりませんでした」
「ここで描かなかったら、この絵は別のものになっていたでしょう。もし写真を使ってアトリエで描いていたら、もっと明るくて大きな絵になっていたはずです。しかし、この絵に思いを込めることはできなかっただろうと思います」
アントニオ・ロペスは、目に見えているものを実に正確に、細密に描きながら、じつは目に見えないもの、光や空気、匂いといったものまでそこに描き込む。
そして、真に迫ることで対象物の向こう側に見えてくる、自らの思いを知ると言うのであった。
■主観と客観
スペインの首都マドリードから車で2時間
そこにトメリョソ(Tomelloso)という農業の盛んな町がある。
アントニオ・ロペスは1936年、農家の長男としてその町に生まれた。
絵筆を持たったロペス少年は、早くからその才能を開花させた。
わずか14歳でマドリードにある名門美術アカデミーに入学(最年少)、コンクールに出品すれば、年上の生徒たちを押しのけて賞を獲得していった。
当時、画壇の風潮に「現実そのものを描く必要がない」というものがあった。
「あの時代の画家たちは、『現実そのものを描く必要がないんだ』という思いに囚われていました。目の前にある現実を純粋にありのままに描くことは、当時の絵画の主流からあまりにもかけ離れていたんです」と、ロペスは当時を振り返る。
彼とてまた、そう思ってた。
「私もそうでした。友人からも『現実をありのままに描くのは危険だ』と言われ、私自身もそう思っていたんです。あの頃は主観的に物事を描く前衛的なスタイルがなによりも重要だったと考えられていました」
前衛芸術にも強い関心を抱いたという、若き日のアントニオ・ロペス。
当時描いた『飛行機を見上げる女(1953-54)』という作品には、ピカソらが傾倒したキュビズムの影響が色濃く現れている。ロペス自身、ピカソを強く意識したと語っている。
それは、現在のロペスが追求しているスタイル「リアリズム(写実)」とは対極にあるようなもので、目に見える現実をいったん粉々にして新たに画家の主観を前面に打ち出す、より抽象的なものであった。
■一枚の肖像画
そうした時代の中、ロペスは25歳の時、ある一枚の肖像画を描き始める。
『フランシスコ・カレテロ(1961-87)』
ふるさとの町長であり、画家としても名を馳せたこの人物はロペスの親戚であり、深く尊敬する人物であった。
この作品でロペスは、徹底的に「ありのまま」を描こうとした。
顔の輪郭やメガネの奥の瞳、年老いた肌や指の関節の深いシワまで。
描き始めた翌年、この男性は亡くなってしまうのだが、ロペスはその後、26年にもわたって筆を入れ続けた。
「亡くなって少し時間が経ってからのことですが、彼があの世から我々の世界に戻って来て、挨拶をするかのように描き続けたいと思うようになりました」とロペスは言う。
「人物をありのままに描きながら、そこに西洋における死のイメージを結び付けようとしたんです。この時わたしは、具象的なものを描きながら、そこに形のないもの、目には見えないものを調和させようとしていたんです」
それからだったという。独自のリアリズム(写実)への追求がはじまったのは。
■自分を取り戻す
29歳、新居に引っ越したのを機に、新たな作品が生み出された。
『バスルーム(1970-73)』
夜、電球の灯りに照らされたバスルーム。ただ鉛筆だけで、そこにある現実が写しとられた。

彼の使う言葉、「現実と長時間一緒にいる」というのは、彼がその現実に「それだけの美しさ」、もしくは価値があると確信しているからである。
新居のバスルームを一見した時も、そうだったという。
「この場所を描こうと思ったのは、新しい家に大きく心が揺さぶられたからです。新しい壁、私が最初につかった歴史のない壁に強く惹かれたんです。私には何か魔術的な、とても素晴らしいものに見えたんです」
鏡や窓に写った光の反射、そして影。身の回りにある何気ない日常でも、そこに光が差し、影ができるだけで、彼の描く対象となった。
そしてそれは、忘れていた感覚を思い起こすことにもなった。
「こうした絵を描くことが、私にとって自分を取り戻すのにとても役立ったと思います。私は若い頃からずっとデッサンが好きだったんです」
この時期、油彩画があまりにも多くを占めていると彼は感じていてた。
「しばらくの間、絵の具を使わず、物の形や光だけをデッサンしていました。そうすることで、画家として行き過ぎたところを改めようと思ったんです」
■彫刻
人はあまり描かないというロペスも、彫刻となると熱心に人間をつくる。
若いころに深く傾倒したのは、ギリシャやローマ、エジプトなどの古代彫刻。その豊かな感情表現、人間の本質を追い求める世界に強く惹かれたのだという。
代表作『男と女(1968-94)』
余計な装飾を一切加えずに、人間のありのままを掘り出そうとした作品。
完成までに26年を要している。

”その彫刻が息をしてくれるならば
そう、息をしてくれれば
そしてただの肖像ではなく、それ以上のものになってくれれば”
彼は彫刻をつくる時、その人間の身体を徹底的に把握しようとする。
手足の長さ、目や耳の大きさ、一ミリも違わず正確に測ることで、人間の本質に迫ろうとするのである。
「たとえば、もし人の裸体を見たら、彫刻家であれ映画監督であれ普通の人であれ、心の中で何かが沸き起こってきますよね。そんなふうに、現実というものは全ての人を強く魅了する力を持っているのです」とロペスは言う。
「リアリズムと精神性は分かち難いものです。感情のないリアリティなど存在しません」

「この歳(77歳)になってようやく、先入観に囚われることがなくなり、ためらうこともなくなりました」
「自分の外にあるものであれ、内にあるものであれ、それをよく観察し、そうして生まれる感覚を信じることです」
■娘
長崎県美術館で開かれた、アジア初となる「アントニオ・ロペス展」
そこに、ひときわ目を引く作品があった。
『マリアの肖像(1972)』
9歳の娘が庭にたたずむ姿を、鉛筆だけで描いている。

厚手のコートを着る、静かな少女。
口元に緊張を見せ、その目はじっと、対面で鉛筆をもつ父ロペスを見つめている。
そうした空気感までが伝わってくる。
彼が描きたかったのは、その姿形ばかりではなかったのだろう。
どんなに鉛筆の感情を抑えて現実を写していても、それでも滲み出してくるような何かがあった。
娘がそこに存在する。
ただ、それだけのことに。
(了)
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出典:NHK 日曜美術館
「そこにある永遠 アントニオ・ロペス」

