2013年07月06日

カミカゼ特攻。レイテ沖海戦 [永遠の0より]4



カミカゼ前夜。マリアナ沖開戦と米軍のレーダー [永遠の0より]3からの「つづき」






「志願する者は一歩前へ出ろ!」

パイロットを全員集合させた前で、士官はそう怒鳴った。



谷川は「誰も動かなかった」と言う。当然であろう。その志願は「特別攻撃(特攻)」を募るものである。それはいわば「今ここで、死ぬ者は名乗りを上げよ」と言われたようなものだった。

空気は張りつめ、息をするのも苦しいような重い静寂が周囲を覆う。



「行くのか、行かないのか!」

もう一度、士官は声を張り上げた。

その瞬間、ついに何人かが一歩前へ進んだ。そして、その動きにつられるように全員が…。

谷川もまた、皆に歩を合わせていた。



「あれは『命令でない命令』だった…」と谷川は振り返る。

「考えて判断する暇などない。わしらは軍人の習性として、半ば命令に反射的に従ったようなものだった」

気づけば谷川は「死刑執行書」に署名させられていたようなものであった。











◎カミカゼ



「十死零生」

特攻作戦は、出撃すれば必ず死ぬ。生き残る望みは一縷もない。



その特攻隊は「神風(しんぷう)特別攻撃隊」と名付けられた。

みなが「カミカゼ」と呼ぶようになる作戦である。

隊は4つ、「敷島隊」「大和隊」「朝日隊」「山桜隊」。これは本居宣長の「敷島の大和心を人とはば朝日ににほふ山桜花」という歌からの命名だった。



同じ頃、連合艦隊では「捷一号」作戦が発令されていた。アメリカ軍による「フィリピン島への上陸」を、何としても阻止するというものである。

サイパンを陥としたアメリカ軍が次に狙いを定めたのは、この「フィリピン島」。もしこの島がアメリカ軍の傘下に入ってしまえば、日本は南方との連絡が遮断されてしまう。それは、石油などの貴重な資源ルートを閉ざされることを意味した。

もう日本はギリギリまで追い詰められていたのである。



「そのため、連合艦隊はモノ凄いことを考えた」と谷川は言う。

カミカゼ特攻隊もさることながら、空母などの機動部隊そのものを「囮(おとり)」としてアメリカ艦隊を引きつけ、そのスキに戦艦「大和」「武蔵」などがフィリピンのレイテ湾に突入するというものだった。

「まさに、肉を斬らせて骨を断つという必死の作戦だった」










◎史上初の特攻



「それから間もなく、特攻隊のパイロットが発表された」と谷川は言う。

「『関大尉を隊長とする24人』だった。わしの名前がないと知った時はホッとした。そしてそんな自分を嫌悪した」



カミカゼ特攻隊を発案したといわれる大西瀧治郎長官は、選ばれた特攻隊員を前に訓示を述べる。

「今、日本は未曾有の危機である。この危機を救える者は大臣でも大将でもない。それは諸子のごとき『純粋にして気力に満ちた若い人たち』のみである。自分は一億国民に代わってお願いする。どうか成功を祈る。皆はすでに『命を捨てた神』である」








関大尉率いる「敷島隊」は、3度の出撃で敵機を発見できず、4度目の出撃でついに帰って来なかった。

その日、敷島隊を援護したのは「西澤広義」。かつて栄光のラバウル航空隊において「ラバウルにこの人あり」と言わしめた日本海軍最高の撃墜王であった。

西澤ら4機のゼロ戦の役割は、アメリカ軍の猛火にさらされる敷島隊を守りきり、そして彼らの敵艦への体当たりを成功に導くことである。



この西澤率いる最高の護衛隊に守られた特攻「敷島隊」は、見事5機全機が敵艦突入。アメリカ軍の空母を3隻「大破」させるという大戦果を挙げた。アメリカ軍の「意表を突いたこと」が最大の勝因といわれた。

それに加え谷川は「西澤という日本海軍随一の戦闘機乗りが援護したということも大きな理由だっただろう」と言う。

こうして、史上初の特攻は大成功に終わった。そして、お国に命を捧げた関大尉は「軍神」として日本中にその名を轟かせることになる。










◎西澤広義



特攻隊をアメリカ軍の対空砲火から守り抜いた西澤は、基地に戻ってきた。

「これは後に聞いた話だが、ゼロ戦から降り立った西澤飛曹長の異様な殺気には誰も声をかけられなかったという」と谷川は言う。



西澤はその夜、ポツリとつぶやいた。

「オレも間もなく彼らの後を追う…」と。

西澤はその日の出撃で二番機を失っていた。「ラバウルの魔王」とまで恐れられた彼が列機(同じ編隊の機)を失うのはこの時が初めてだった。

谷川は「これまで何百回と出撃し、百機以上の敵機を撃墜してきた男の、じつは一番の勲章は『ただの一度も部下の命を失わなかったこと』だ。彼は、あの地獄のラバウルで一年以上も戦い、ついに一機の列機も失わなかったのだ」と言う。

西澤が「後を追う」と言ったのは、特攻の敷島隊であり、その部下でもあった。



その翌日、西澤の言葉は現実のものとなる。

マバラカット基地に戻ろうとした西澤は、ある指揮官に「ゼロ戦を残していけ」と言われたため、やむなく輸送機に乗って戻ることとなった。その輸送機が敵戦闘機に撃墜されたのである。

これがアメリカ軍パイロットたちの心胆寒からしめた撃墜王のあえない最期である。



「西澤はどれほど無念だったことだろう」と谷川は嘆く。

「ゼロ戦の操縦桿を握っていれば絶対に墜とされることはなかったはずの男が、生涯最期に乗っていたのは『武器を持たない鈍足の輸送機』だったのだ…」

享年24歳という若さだった。








もう一つ皮肉なのは、名手・西澤が特攻機を守り抜いて「史上初の特攻作戦」を大成功に導いたことが、軍司令部に「特攻こそ、まさに切り札」と信じさせたことだった。

だが悲しいことに、のちのカミカゼ特攻はこの時の戦果を上回ることは二度となかった。






◎捨て身、捷一号作戦



ところで、カミカゼが大戦果を挙げた「捷一号」作戦、フィリピン島レイテ湾への決死の突入作戦はどうなったのか?

関大尉率いる敷島隊が特攻出撃を繰り返している同じ頃、戦艦「大和」「武蔵」含む「栗田艦隊」は、アメリカ空母部隊の猛烈な空襲にさらされ、とくに戦艦「武蔵」は満身創痍となっていた。



そこで、「小澤治三郎」司令長官率いる空母部隊は、かねての予定通り「囮(おとり)」としてアメリカ空母を引きつける作戦に出る。敵のレーダーにわざと発見されるように派手に電信を打ちまくり、多くの索敵機を飛ばしていた。

「これは特攻ではなかったが、実質は特攻に近いものだった」と谷川は言う。「なぜなら、空母は囮だから沈められる運命にあった」

この命を賭けた捨て身の作戦は幸いにも奏功した。アメリカの空母部隊は派手な小澤艦隊を「主力だと勘違い」し、まんまとそれを全力で深追いして行ったのだ。



しめたとばかりの「栗田艦隊」。

ガラ空きとなったレイテ湾に、世界最大の戦艦「大和」は猛進する。

「ついに、肉を斬らせて骨を断つという日本海軍の決死の作戦が実ったのだ…」








戦艦「大和」の巨大な姿を見たアメリカ軍は驚愕したという。

頼みとする空母部隊は小澤艦隊におびき出されて、ここにはいない。闇雲に煙幕を張り、魚雷を放ち、必死の逃走をはかるアメリカ軍。

この時、「全滅を覚悟した」と彼らは言う。



だが、ここで「アメリカ軍にとっての奇跡」が起こる。

なぜか、戦艦「大和」ら栗田艦隊は突如「反転」するのである。丸裸のレイテ湾に背を向けて、引き返してしまったのだ。






◎謎の反転



「これが史上有名な『栗田艦隊の謎の反転』だ」と谷川は言う。

「一体なぜ栗田艦隊は『反転』したのか? 後年、様々な説が飛び交ったが、このことについて栗田長官は戦後ついに一言も弁明せずに亡くなったという」








歴史に「if(もし)」はない。

「だが、もしあの時に栗田艦隊がレイテ湾に突入していたなら、その後に起ったレイテ島の陸上戦闘における日本陸軍の何十万人に及んだ戦死者は防げたかもしれない」と、谷川は苦しげに言う。



なぜか引き返した栗田艦隊に対し、囮(おとり)となった小澤艦隊は凄まじい攻撃にさらされていた。

空母主体の小澤艦隊が主力と勘違いされたのは無理もない。真珠湾以来、太平洋の戦いは空母こそが主体となっており、巨大戦艦の時代は終わっていたのである。



しかも小澤艦隊には空母「瑞鶴」がいた。この艦は真珠湾で大いなる戦果を挙げ、海戦史上初となった日米空母対決(珊瑚海海戦)で、アメリカ空母2隻を沈めている。

空母「瑞鶴」はアメリカ軍にとっては「過去3年にわたり苦しめられた憎っくき空母」。そして、日本軍にとっては「武運強き頼れる空母」であった。



だがついに、空母「瑞鶴」はアメリカ軍の猛攻の前に屈することになる。

真珠湾以来の歴戦艦、日本海軍一の武運に恵まれた「瑞鶴」はエンガノ岬沖に沈む。そして、小澤艦隊の多くの艦艇はその後につづく。



一方、カミカゼ敷島隊による特攻が行われたのは、栗田艦隊が反転した翌日だった。

その特攻は栗田艦隊のレイテ湾突入を援護するためのものだったが、すでにその時、栗田艦隊は去っていた…。










◎宮部



決死の「捷一号」作戦は、栗田艦隊の「謎の反転」によって失敗に終わった。

そして、特攻も終わるはずだった。なぜなら、特攻はレイテ湾のみ、捷一号作戦限定の攻撃のはずだった。



だが特攻はその後、「ひとり歩き」をはじめる。

「連日の特攻」が繰り返されるようになるのである。



「志願する者は一歩前へ出ろ!」

もうその頃になると、その声に全員が一歩前に踏み出すようになっていた。

谷川もやはり反射的に前に出た。



「その時、わしは信じられない光景を見た」と谷川は言う。

「なんと、ただ一人、その場から動かない男がいたのだ!」

それは宮部久蔵という男だった。彼は熟練の凄腕パイロット。日中戦争から始まり、真珠湾、ミッドウェー、ラバウルといかなる過酷な戦場をも生き抜いてきた男であった。



動かぬ宮部に、顔を真っ赤にする士官。

「志願する者は前へ!」と怒声を繰り返した。

しかし宮部は石像のごとく動かない。士官の身体は怒りでブルブルと震えている。



「貴様! 命が惜しいか!」

士官はたまらず、そう叫んだ。

「命は惜しいです!」

同じように叫ぶ宮部。



その後、士官は「解散!」と怒鳴り、パイロットたちは宿舎へと戻った。

宮部に声をかける者は、誰もいなかった。






◎死ぬための戦い



特攻は「命令」ではない。恐ろしく強制的だが、あくまでも「志願」という形をとっている。

だが、それに逆らえば「坑命」にあたり、死刑は免れないと考えられていた(どんな理由で死刑になるのかは分からなかったが…)。

だから、特攻に志願するために一歩前へ出ることも、前に出ないことも結局は「死」を意味した。ならば、と皆志願することに追い込まれたのであった。



それでも前に出なかった宮部は、谷川にこう言った。「どんな過酷な戦闘でも、生き残る確率がわずかでもあれば必死で戦える。しかし、必ず死ぬと決まった作戦は絶対に嫌だ」

その思いは、じつは谷川も同じだった。「十死零生」と言われたカミカゼ特攻。通常の戦闘が生き残るための戦いであるのに対して、特攻は「死ぬための戦い」であった。

だが、その「心の底にある真実」を口にするパイロットは、宮部のほか誰もいなかった。



「谷川は初めて志願したのか?」と宮部は聞く。

「二度目だ」と谷川は答える。

「オレには妻がいる」と宮部。

「オレにも妻がいる」と谷川。



谷川の言葉に宮部は驚いたようだった。

「それなら、なぜ特攻なんか志願した」と宮部は責めるように言う。

「オレは帝国海軍のパイロットだ!」

谷川はそう怒鳴った。そして、泣いた。戦闘機乗りになって初めて…。






◎妻



「いいか谷川、よく聞け。特攻を命じられたら、どこでもいい、島に『不時着』しろ」

谷川が立ち去ろうとした時、宮部はそう言った。それは恐ろしい言葉だ。軍法会議にかけられたら間違いなく死刑にされるだろう。

だがその時、谷川の脳裏には「妻・加江」の美しい姿が同時に浮かんでいた。



谷川が加江と結婚したのは、フィリピン・レイテ沖海戦の直前だった。

輸送船の都合で日本で一週間の休暇がもらえた谷川は、久しぶりに故郷に帰っていた。当時、谷川は「真珠湾攻撃に参加したパイロット」ということで村の英雄扱い。

その歓迎会に手伝いに来ていた女性の中に加江はいた。



その美しい女性は、谷川の小学校からの同級生。

「お国のために、ご苦労さまです」と加江は両手をついて深々と頭を下げた。

その後、トントン拍子に話が進み、村長のとりなしで祝言は2日後に決まったのだった。



宮部は「特攻隊員が一人死んだからといって、戦局は変わらない」と言う。

「だが、お前一人が死んだら、妻の人生は大きく狂ってしまうだろう」と。



「百千の灯あらんも われを待つ灯は一つ(東井義雄)」










◎不時着



宮部はその後、どこかへ去った。

それっきりだった。谷川が宮部を見たのは。



風のウワサによると、宮部はカミカゼ特攻で死んだらしい。

「あの宮部が…」

谷川は信じられなかった。宮部のような熟練パイロットが特攻に回されることなど、大戦末期の混乱の中でも考えにくかった。沖縄特攻でさえ、熟練パイロットは特攻には出されなかった。むしろ彼らベテランは本土防衛に必要とされたのだ。



「なぜ、不時着しなかった…?」

谷川には宮部の特攻死が惜しまれた。

「宮部の腕なら、やろうと思えばできたはずだ…」

事実、敵を発見しそこねたという理由や、発動機(エンジン)の不調で戻って来る特攻隊員はいたのであり、不時着する隊員もいたという。



宮部が特攻に出されたのは、終戦数日前の沖縄戦だというが、それならば「喜界島」に不時着できるはずだった。作戦遂行が無理な場合、その島に降りることになっていた。

「だが、終戦直前では喜界島上空も敵の制空権下にあった。さすがの宮部でも、思い爆弾を抱えさせられては如何ともしがたかったのかもしれん…」と、谷川は自分に言った。






◎羊の群れ



あるアメリカ兵は語る。

「カミカゼの噂は聞いていたが、実際に目の当たりにすると震え上がった。初めてカミカゼを見たときの感情は『恐怖』だった。こいつらに地獄の底まで道連れにされると思った」

「スーサイド(自殺)ボンバーなんて狂気の沙汰だ。しかし、日本人は次から次へとカミカゼ攻撃で突っ込んでくる。死ぬことを恐れないどころか、死に向かって突っ込んでくるんだ!」

「こいつらには家族がいないのか? 死んで悲しむ人はいないのか?」



だが、その決死のカミカゼもそう易々とはアメリカ艦隊に近づけなかった。

アメリカ軍が巨額を投じて開発した「電探(レーダー)」、そして「近接信管(マジック・ヒューズ)」などの最新技術は素晴らしかった。

アメリカ空母の撃つ5インチ砲弾はその先から電波が放射されており、飛行機に当たらなくとも近づくだけで爆発して、迫り来るカミカゼ特攻機を軽々と撃ち落とした。



「最高の兵器だ。近接信管の威力は驚異的だった。それを全艦艇が何百発と一斉に撃ちまくるんだ」と、空母の砲手だったというそのアメリカ兵は話す。

対空砲火による一斉射撃による弾幕は、空の色を真っ黒に変えるほどだったという。

「カミカゼは空母に近づく前に吹き飛んだ。その弾幕を突破できるカミカゼなど、ほとんどいなかった」



たとえその弾幕の隙間を抜けられるカミカゼがいたとしても、次に待っているのは40ミリ機銃と20ミリ機銃のシャワー。

「ほとんどのカミカゼは爆発するか、燃えながら海に墜ちた」と、そのアメリカ兵は言う。



アメリカ軍の「対カミカゼ防御」は、それほど完璧だった。

最もカミカゼの集中する沖縄戦において、ほとんどのカミカゼは本体の100マイル(160km)前方に配置されたピケット艦によって200マイル(320km)先からレーダーで補足され、撃ち落とされた。

もはや、カミカゼはアメリカ空母に近づくことすらできなかったのだ。



しかも、カミカゼのパイロットは飛び立つ訓練しか受けていないような技能が未熟な者ばかり。さらに、最初はついていた熟練パイロット機の護衛も、いずれつかなくなっていた。

「いうなれば、番犬のいないような羊の群れだった」とアメリカ兵は語る。

「そんなわけで、やがてカミカゼの恐怖も薄らいだ。最初の恐怖が過ぎるとゲームになった」と彼は言う。「われわれはクレー射撃の標的を撃つように、カミカゼを撃ち落とした」



だが、その標的はクレーじゃない、命を賭けて体当りしようとする人間なんだ!

「もう来ないでくれ…」

次々と突っ込んでくるカミカゼに、彼はそう祈ったという。










◎命の重さ



赤紙一枚「一銭五厘」。

それがカミカゼ特攻隊員の「命の値段」だった。

「赤紙」というのは戦場への召集令状であり、そのハガキ代がわずか一銭五厘だった。それ一枚で集められる名もない隊員たちの命はそれほどに軽かった。








一方、軍司令部の命はじつに重かった。

どんなに致命的な作戦ミスをしようとも、その責任を問われることはまずなかった。



たとえば、真珠湾前夜、アメリカに宣戦布告の手交が遅れたために日本の攻撃は「だまし討ち」となった。それ以後、日本人は「卑怯なだまし討ちをする民族」という汚名を着せられることなる。

だが、当時の駐米大使館の高級官僚は誰も責任を問われていない。あまつさえ、ある高級官僚はノンキャリアの電信員のせいにしようとしたといもいわれる。前夜に「泊まり込みしましょうか」と申し出たその人を。

対米宣戦布告の電報だけなら「わずか8行」。だが、前夜の仕事をパーティーのために怠ったことから、たったそれだけの仕事が、真珠湾攻撃後になってしまったのだという。



ちなみに、日本は今に至るも外務省は公式にその時のミスを認めていない。ゆえに国際的には、真珠湾攻撃は日本人の「だまし討ち」のままであり、「卑怯な民族」のままである。

一方のアメリカ軍、真珠湾の艦隊を撃滅されたということで、当時の太平洋艦隊司令長官のキンメルは解任された上に、大将から少将へと降格されている。その信賞必罰は明確であり、それは司令官とはいえ容赦のないものだった。



だが、日本は違う。ミッドウェー海戦での大敗北しかり、愚かなインパール作戦しかり。高級エリートである司令部が責任を追及された例はない。

偉い人はますます偉くなるばかりで、その代わりに責任をとらされるのは決まって「現場の下級将校たち」であった。連隊長クラス程度ならば自殺をも強要された。



それよりもずっと命の軽かった「名もない特攻隊員たち」。

彼らは、その軽視された命を賭けてアメリカ艦艇に向かっていった。アメリカ軍の凄まじい対空砲火の前に、ハガキ一枚飛ぶように蹴散らされようとも。



そしてついに、「桜花」という人間爆弾が作られる。

それは自力で飛び立つことも着陸することもできない、爆撃機から落とさたときに向きを変えるだけの「非人間的な兵器」。

その搭乗員として選ばれたのは、それまでは赤紙徴兵を猶予されていた「若い大学生たち」であった。













(つづく)

→ 桜花と、ある飛行機乗りの最期。[永遠の0より]5





関連記事:

真珠湾の「ゼロ戦」とミッドウェーの「空母」 [永遠の0より]1

ガダルカナルと飛行機乗り [永遠の0より]2

カミカゼ前夜。マリアナ沖開戦と米軍のレーダー [永遠の0より]3



出典:永遠の0 (講談社文庫) 百田尚樹


posted by 四代目 at 09:50| Comment(1) | 第二次世界大戦 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
書籍の内容をそのままブログに載せるのは違法ではないでしょうか
著作権法に違反すると思いますが。
Posted by at 2014年04月04日 15:59
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