2013年07月04日

カミカゼ前夜。マリアナ沖開戦と米軍のレーダー [永遠の0より]3



ガダルカナルと飛行機乗り [永遠の0より]2からの「つづき」






「いったい、どうなってるんだ?」

空母への着艦を失敗する飛行機が相次いでいる。艦尾にぶつけるもの、甲板でヒックリ返るもの、勢い余って海へ落ちるもの…。



確かに、陸上の滑走路と違い、波に大きく揺れる空母の「短い甲板」に降りるのは非常に難しい。

海軍の飛行機は陸軍と違い「三点着陸」が基本で、尾部のフックで艦の制止索(ワイヤー)に引っ掛けないといけない。これにうまくかからなければ、海にドボンである。

着艦にミスして海中に突っ込んだ飛行機は、後方を走る駆逐艦によってクレーンで吊り上げられる。釣られた飛行機は「トンボ」のように見えたため、「トンボ釣り」とも呼ばれた。



しかし、今回の訓練では発着のたびに相当数の飛行機とパイロットが失われていた。

「たしか、50機以上の機体と同じくらいのパイロットが失われたのではなかったか? 発着艦の訓練だけで、空母一隻くらいの戦力が失われたのだ」

そのあまりにも未熟な様に「谷川正夫」は唖然としていた。






◎昔とは違う…



谷川は真珠湾攻撃、ミッドウェー海戦、ガダルカナル攻防戦を生き抜いてきた猛者である。

谷川は「ラバウルは『パイロットの墓場』と言われていたが、逆に少数生き残っている連中は腕利きぞろいだった。とにかく数は少ないが、凄腕が何人かいた。いずれも簡単に墜とされるような連中ではない。宮部もそこにいた」と言う。



その宮部というのは、谷川とは日米戦争以前、日中戦争以来の古くからの「顔見知り」だった。

「宮部の一種の天才肌の持ち主だった。格闘戦には滅法強く、いったん敵に喰らいついたら絶対に離さない。誰かが『宮部はスッポンみたいだ』と言っていたのを覚えている」

谷川と宮部は同じ戦場で闘いながらも違う艦に乗っていたため、別に仲がいいというわけではなかった。



その2人が再会するのは「サイパン」。

「お互いに大いに驚いた。その頃は日中戦争当時からの生き残りはほとんど戦死していたから、古い戦友に巡り会えただけで、本当に嬉しかった」と谷川は言う。

だが、海にドボンドボン落ちる発着訓練を見ていた2人の熟練パイロットは、暗澹たる思いにならざるを得なかった。



「着艦もまともにできないパイロットで戦争なんかできるのか?」と谷川は宮部にぼやく。

「おそらく、訓練時間を短縮して実戦にやってきたのだろう。この前、若いパイロットに飛行時間を聞いたら100時間と言っていた。100時間で空母への着艦は無理だ」と宮部は答える。

「100時間じゃ飛ぶだけで精一杯だ。オレたちが真珠湾に行った時は、皆1,000時間を超えていたぜ」と谷川。

「つまりもう昔とは全然違っているということだよ」と宮部は目を伏せる。



日本軍は、ガダルカナル上空、ソロモンの空で貴重な熟練パイロットの8割方を失っていた。そのため、サイパンにいるのは「飛行経験2年未満の若いパイロット」ばかり。

一人前になるには最低でも2年はかかるといわれる飛行訓練だが、彼らは一年足らずで訓練を終えさせられ、実戦へと投入されていたのである。その技量低下は目を覆いたくなるほどだった。



ほどなく、空母への発着艦の訓練は「中止」となった。そのまま訓練を続けていれば、おびただしい飛行機とパイロットを失っていくばかりだった。

「訓練を中止して、どうするつもりなんだ?」と谷川は言った。

宮部はこう答える。「参謀連中は、着艦できなくても発艦さえできればいいと思っているんだろう」

「すると、攻撃は最初の一回限りということか?」

宮部は頷く。「おそらく司令部は『特別攻撃(特攻)』のつもりなのかもしれない。とにかく一撃に賭けるつもりなのだろう」










◎彼我の差



1944年6月、ついにアメリカ軍がサイパンを猛攻した。

ここサイパンは、日本軍としては「絶対に守りきらねばならぬ島」。いままで失ったガダルカナル島やラバウルは太平洋戦争が始まってから占領した島だが、サイパンは違う。ここは「戦前からの日本の統治領」で、多くの民間日本人が住んでいた。

そして何より、サイパンを獲られでもしたら、アメリカ軍の新型爆撃機「B29」が日本本土を射程距離内に収めてしまう。だからこそ、日本軍はサイパンを「絶対国防圏」としていたのである。



それにしても、アメリカ空母の送り込んでくる航空機の数は凄まじい。またたく間に日本軍の基地航空隊は各個撃破され、そのほとんどが壊滅状態になった。

開戦当初、日本のゼロ戦の戦闘能力は群を抜いたいたのだが、今や大戦も末期になると、アメリカの新型戦闘機「グラマンF6F」の前にゼロ戦は刃が立たない。グラマンの装甲鋼板は分厚く、ゼロ戦の7.7mm機銃では突き通せないほどのものになっていた。

「百発くらい撃ち込んでもケロッとしている」と谷川は言う。



とくにパイロットの背中に設けられた防弾板は呆れるほど頑丈であった。その分厚い防弾装備の重装戦闘機を飛ばすため、グラマンF6Fのエンジンは約2,000馬力と、ゼロ戦の2倍はあった。

その弾も通らぬ鋼の板を叩きながら、「アメリカ軍はパイロットの命を本当に大切にするんだなぁと感心した」と谷川は言う。








一方、谷川や宮部が乗るゼロ戦の防御は「なきに等しい」。装甲は極めて薄く、防弾板など皆無である。

「防弾板がないばかりに、どれだけ多くの優秀なパイロットが亡くなったか…。たった一発の流れ弾で命を失うというのは、あまりにも理不尽な気がしたものだ」と谷川は嘆く。



戦闘機の質だけではない。

サイパンで迎え撃つ日本の正規空母は「3隻」のみ。あとは商船改造などの小型空母。

一方のアメリカ軍は、大型空母「エセックス」級をずらりと揃え、その数およそ「10数隻」。このエセックス級というのは「途轍もなく強靭な空母」で、終戦まで日本軍はついに一隻も沈めることのできない空母であった。



「もう彼我の差は、比べるべくもなく広がっていたのだ…」と谷川は言う。

航空機や空母の質や数もさることながら、日本軍兵士には歴戦の強者も少なくなっていた。






◎ボクサーのリーチ



「リスク・ゼロの戦法」

それは小澤治三郎長官の考えだしたもので、日本の航空機の航続距離の長さを活かし、400カイリ(約700km)先からアメリカ艦隊に攻撃を仕掛けるというものだった。この距離からならば、アメリカ軍の手は届かない。

「そう、ボクサーのリーチが長いみたいなものだ。相手の手が届かない距離から攻撃できるのだ」と谷川は言う。

これが世に名高い小澤長官の「アウトレンジ戦法」だった。



その出撃の前日、旗艦空母「大鳳」のメインマストには「Z旗」が翻っていた。

この「Z旗」の意味するところは「皇国の興廃、この一戦にあり」。かつて日露戦争に大勝した日本軍が、ロシアのバルチック艦隊を全滅に追い込む直前に掲げられたという「栄光の旗旒信号」である。








翌6月19日早朝、6次にわたり総計400機を超える攻撃隊が出撃した。かつてない規模であり、かの真珠湾攻撃の規模をはるかに超えていた。

「ただ悲しいことに、それを操縦するパイロットたちが真珠湾の時とはまるで違っていた。もはや昔日の海軍航空隊ではなかったのだ…。結果か? あなたの想像通りだよ」と谷川は言う。






◎マリアナの七面鳥撃ち



アメリカ軍の「電探(電波探知機・レーダー)」の能力やすさまじく、日本の攻撃隊は100カイリも先から捉えられていた。しかも高度まで読み取って!

敵の来襲が分かっていれば、迎撃側の方が圧倒的に有利になる。雲の中にでも隠れていれば、簡単に奇襲は成功するのである。高度も分かっているのだから、それよりも上にいればいい。しかも、アメリカ軍は日本の倍以上の数の戦闘機を繰り出して待ち構えていた。



「この時の戦闘を、アメリカ軍兵士たちは何と呼んだか。『マリアナの七面鳥撃ち』だ」と谷川は言い捨てる。

七面鳥という鳥は動きが非常にのろく、子供でも簡単に撃てる。もうゼロ戦はかつてのツバメのようにすばしっこい飛行機ではなく、七面鳥のようなものだった。

そしてその通り、練度の低い日本軍パイロットたちは、次々と敵戦闘機の餌食になっていった。



それでも、ベテランの谷川は敵艦隊上空まで辿り着いた。

「そこまで来て、わしは戦慄を覚えた。大型空母が何隻も群がるようにいるではないか!」

日本軍の数倍の大型空母を揃えていたアメリカ軍。

「リーチの差など関係あるもんか。重量級のボクサーに挑む軽量級のボクサーのようなものだ!」



その敵艦が打ち上げてくる対空砲火や、「見たこともない物凄い弾幕」である。空はあっという間に真っ黒になる。

もはや、日本軍の攻撃など「蟷螂の斧」。爆撃機は敵艦に近づく前に正確に狙い撃ちされ、墜とされていく。

「相手はまるでネコがネズミをいたぶるように次々と攻撃してくる。反撃などできない。わしはもう何がなんだかわからなくなって、本能だけで敵を回避していた」と谷川は振り返る。






◎大敗



「わしは母艦に帰ることにした」と谷川。

リスクゼロを謳ったアウトレンジ戦法は、パイロットに片道400カイリ(700km)という2時間以上の洋上飛行を強いる過酷なものだった(司令部にとってのリスクはないかもしれないが)。



ようやく辿り着いた味方の空母。だが1隻しか見当たらない。たしか、3隻いたはずだったが…。

空母の乗員に聞けば、「大鳳」「翔鶴」の2隻の空母は「敵潜水艦の雷撃」によって沈められたというではないか!

「全身の力がいっぺんに抜けてしまった。こちらの全戦力を傾けた攻撃が不発に終わったその間に、我が方の空母が2隻も沈められるとは…」と谷川は言う。



沈められた一隻、「大鳳」は戦艦並みの大型空母(4万トン級)で、しかも飛行甲板には「鉄板」が敷かれた新型空母だった。

ミッドウェー海戦でやられた日本の空母4隻は、いずれも500キロ爆弾の急降下爆撃によってであった。その轍を踏むまいと、新型の「大鳳」にはそれらの爆撃に耐えられるような「鉄板」が敷かれていたのである。

だが虚しくも、海中からの雷撃によって自慢の「大鳳」はあえなく沈んだのであった。








ただ一隻残った空母は「瑞鶴」。

これは真珠湾から戦い続けている空母で、海戦史上初となった日米の空母同士の対決「珊瑚海海戦」をも勝ち抜いた「武運に恵まれた艦」であった。








しばらくすると、宮部のゼロ戦も空母「瑞鶴」に戻ってきた。

「よく生き延びたな!」と安堵しあう2人。



これが「マリアナ沖海戦」の初日。

この日だけで、日本の航空機は300機以上、そして虎の子の空母を2隻失った。「たった数時間」でほとんどの戦力が壊滅したのだった。

一方、アメリカ軍の損失は「皆無」に近かった。






◎防御の発想



「大勢喰われたな…」と谷川は言った。

「たぶん『電探(レーダー)』だな。敵の電探は相当すぐれたものになっている。何かはわからんが、とんでもなく恐ろしいものだというは分かる。もう敵空母を沈めることなんか出来ないかもしれない」と宮部は話す。



ものすごい確率で命中するアメリカ空母の「対空砲火」。

その秘密兵器は「近接信管」という電探で、「マジック・ヒューズ」というアダ名で呼ばれていた。その砲弾の先からは電波が半径15mに放射されていて、その電波が飛行機を察知した瞬間に爆発するという恐ろしい仕組みになっていた。

つまり、この砲弾は飛行機に命中しなくても、その近くまでいけば飛行機を吹き飛ばすのであった。この「マジック・ヒューズ」の開発に、アメリカ軍は「原子爆弾」と同じくらいの金をかけていたという。



それを谷川が知るのは戦後のことだが、それを知った時には「日米の思想の違い」を痛感したという。

「近接信管は言ってみれば『防御兵器』だ。敵の攻撃からいかに味方を守るかという兵器だ。日本軍にはまったくない発想だ。日本軍は『いかに敵を攻撃するか』ばかりを考えて兵器を作っていた」

「その最たるものが戦闘機だ。やたらと長大な航続距離、素晴らしい空戦性能。しかしながら、防御は皆無…」



日本軍には最初から「徹底した人命軽視」の思想が貫かれていた、と谷川は言う。

「そして、これがのちの『特攻』につながっていったに違いない…」






◎カミカゼ



以後、逃走する日本軍を、アメリカの空母部隊がしつように追い回す。

ついに武運強き空母「瑞鶴」も爆弾を受けて小破。開戦以来初めての被弾であった。だが、それでも逃げ切った。

「こうして乾坤一擲の大勝負をかけた『マリアナ沖海戦』で、日本の連合艦隊は戦力の大半を失い、敵のサイパン上陸部隊を叩くことはまったく出来なかった」と谷川は話す。



この後、サイパンの日本陸軍はほとんど全滅。

「バンザイ岬」では、多くの民間日本人も身を投げて死んだ。








勢いにのるアメリカ軍の次なる反攻地点は「フィリピンのレイテ島」。

谷川は「ルソン島」の基地への配置となった。



そして、しばらくしたある夜、ついに特別攻撃(特攻)の「命令ではない命令」が下る。

その特攻とは、のちに言う「カミカゼ」のことである。













(つづく)

→ カミカゼ特攻。レイテ沖海戦 [永遠の0より]4





関連記事:

真珠湾の「ゼロ戦」とミッドウェーの「空母」 [永遠の0より]1

ガダルカナルと飛行機乗り [永遠の0より]2



出典:「永遠の0」
 百田尚樹


posted by 四代目 at 08:59| Comment(0) | 第二次世界大戦 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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