冬になると積雪が4mを超えるという里山。
新潟県との県境にほど近い「長野県飯山市涌井」。
その豪雪の中、郵便配達をする「おばあちゃん」
清水咲栄(しみず・さくえ)さん、90歳。
「ここはもの凄い豪雪地帯で、郵便局のバイクを走らせることができません。つまり、歩いて雪の中を配達する他ないのです」
咲栄さんが言うには、大雪の時には民家がすっぽりと雪に埋まってしまい、土地勘のない人には家すら見つけられなくなってしまうのだという。
咲栄さんに、その地域の郵便配達をしてくれないかと依頼がきたのは「70歳の時」。
その時の咲栄さんは、体力的に過酷な「大雪の中での配達」が自分にできるかどうか自信がなく、「ひと冬だけやってみて、もしダメだったら辞めさせてもらいます」と引き受けたのだそうだ。
「そうして、ひと冬やり、二年、三年と積み重ねていくうちに、気がつけば20年も経っていたというのが実感です」と咲栄さんは話す。
90歳になった今も、冬になれば黙々と郵便配達を続けている。
「たとえハローワークに行ったとしても、数え九十になる年寄りを雇ってくれるところなど見つかりません。仕事を与えていただている飯山郵便局には、本当に感謝しています」と咲栄さんは言う。
◎冬の郵便配達
「私の一日は、朝5時に始まります」
冬の朝5時は、まだ外は真っ暗。その空気は、冷蔵庫の中にいるかのごとく暗く冷たい。
「その後、防寒服を着てまずやるのは、自宅前の雪掘り(除雪)です」
多い時には、一晩で50〜60cmも雪が積もっているという豪雪地帯。その除雪に3時間以上もかかってしまうこともあるのだとか。
「それが終わると、いよいよ郵便配達です」
咲栄さんが配達を任されているのは、「涌井」とその隣りの「堰口」という2つの集落。そのたいていの家が国道沿いではなく、そこから「細い山道」を登って行った先にある。
「”かんじき”を長靴の上にはめて、雪の坂道を一歩一歩踏みしめながら、上がっては下り、また上がっては下り…。その繰り返しです」
配達する距離は、全長5kmにも及ぶ。
「そうやって一軒ずつ配達していくと、すべて配り終わるまでに3時間はかかります」
郵便局の人からは、その健脚ぶりを買われ、「100歳までやって下さい」と言われているのだとか。
◎炭鉱
「私は、長野県富倉という小さな村で、貧しい農家の長女として生まれました。大正13年1月17日のことです」
咲栄さんは、昔語りをはじめる。
「働きに出ている両親に代わって、6人の弟妹たちの子守、炊事、洗濯をするのが私の役目。小学校にも赤ん坊をおんぶして通わなければなりませんでした」
咲栄さんが嫁に行ったのは昭和21年、22歳の時。
かけがえのない夫を、咲栄さんは「父ちゃん」と呼ぶ。
その「父ちゃん」は、幼くして両親に死に別れ、小学校を卒業すると同時に働きに出ていたため、家はボロボロ、家具もほとんどない。
咲栄さんはそこに二人で住み、近くの飯山炭鉱で共働き。
「コークスで真っ黒になった顔を、お互いに見合っては笑う。貧乏ですが、毎日楽しく暮らしていました」と、咲栄さんは遠い昔を振り返る。
そして、4人の子どもを授かった。
転機となったのは、「父ちゃん」が炭鉱主から「ある鉱区のリーダー」を任されるようになった時。
ある時、「大量の石炭」を掘り当てた。
なかば請負のような役割だったため、炭鉱主に払うのは「地代」だけで、石炭で儲けたお金はリーダーと従業員たちのものだった。
いきなり儲かった「父ちゃん」。
従業員にボーナスを出したり、温泉旅行に連れて行ったりと、掘り当てた山を惜しみなく皆で楽しむ。
「これまでの苦労は一気に吹き飛びました」と咲栄さん。「父ちゃんも私も『これで楽ができる』と有頂天になっていました」。
幼い頃からの労苦が、ついに報われたと思われた。
ところが…、好事魔多し。
この後、咲栄さん一家は、塗炭の苦しみを味わうこととなってしまう。
◎大借金
ある朝、大当てした炭鉱へと足を運ぶと、その入口に「立入禁止」という立て札がある。
あわてた父ちゃんは、炭鉱主の元へと走る。
すると炭鉱主は「あの鉱区はオレのものだ」の一点張り。
石炭が当たった途端に、その態度を180°ひっくり返してしまったのだった。
「一介の炭鉱夫にすぎない父ちゃんが、炭鉱主に太刀打ちできるはずもありません…」
結局、儲けた金はすべて掠め取られ、残ったのは750万円の「大借金」。
「昭和36年、私が37歳の時でした…」
当時、父ちゃんの給料は「4〜5万円」。750万円という額は、一生かかっても返せないかに思われた。
「いっそのこと、子供たちと一緒に死んでしまったほうが楽なのでは…」
「夜逃げしてしまおうか…」
咲栄さんは、厳しい借金の取り立てを受けるたびに、そう思ったという。
「明日食べるお米もないことがしょっちゅうで、返したくとも返すお金がなかったのです。それで仕方なく、部屋の畳やら布団やら、金目のものはそっくり持っていかれました…」
それでも父ちゃんは
「夜逃げはしない。何がなんでも借金を返す。ここでした借金はここで返す」
そう心を決めて、毎日顔を真っ黒にしながら働き続けていたという。
◎喜び
捨てる神あれば、拾う神あり
ある行商のおじさんが、咲栄さんに「食料品や生活雑貨を売り歩く仕事」を分けてくれた。
「重い荷物を担いで一軒一軒歩くのは大変だけど、この仕事は売れば売っただけカネになるから」と、行商のおじさんは親切に言うのであった。
一方、父ちゃんは炭鉱の若い衆と一緒に、埼玉へ出稼ぎに行くことになった。
「父ちゃん、頑張れよ! おらも頑張るからな!」
父ちゃんが出稼ぎで得るカネは、すべて借金の返済に回し、咲栄さんの行商での稼ぎは、家の生活費に当てることにした。
「重い荷を背負い、ひたすら山道を歩き回る日々。そういう生活が何年続いたでしょうか。たしか10年くらいたった頃だと思います」
地道に地道にひたすら働いた末、あの大借金のほとんどが消えていた。そして、ようやく父ちゃんも涌井の家に帰ってきた。
「母ちゃん、今度海外旅行に連れて行ってやるぞ!」
満面の笑みで父ちゃんは言う。
「父ちゃんがそう言ってくれた時、私は込み上げてくるものを抑えることができませんでした」と、咲栄さんはその時の喜びを今のことのように噛み締める。
ようやく借金地獄をくぐり抜け、一家は一つ屋根の下にようやく顔を合わせたのだった。
◎不慮
なぜ、新たな不幸が、そんなに早くやって来てしまったのか?
「父ちゃんが、交通事故で亡くなってしまったのです…。忘れもしません。あれは昭和50年12月12日のことでした」
その日の晩、涌井の里には大雪が降っていた。
その頃の道路は、まだ舗装もされていなければ、ガードレールもない。
「その上に新雪が積もっていたので、運転を誤ったのでしょう。崖から落下し、即死でした…」
唯一の救いがあるとすれば、父ちゃんと一緒に車に乗っていた「娘」が九死に一生を得たことであった。娘は落ちていく途中で、車の外へと放り出されて助かっていた。
「あの時は、娘は運良く助かったのだろうと思っていました。でも、いま考えると、落ちていく瞬間、父ちゃんが咄嗟に助手席のドアを開けて、娘の命を助けてくれたのではないか。そう思います」
茫然自失
涙も枯れ果てた咲栄さん。それでも、無我夢中で生きていた。
「まだ少し借金が残っていたため、下を向いてばかりいられなかったのです…」
◎雪の中
「死ぬわけにはいかない理由」があるのは、幸いだった。
咲栄さんは、土木現場で男衆に混じって、朝早くから夜遅くまで働き詰めた。
「あの時の私は、仕事に没頭することで悲しみを忘れようとしていたのかもしれません」
そして70歳になった。
郵便配達の話が舞い込んで来たのは、その頃だった。
豪雪の中、徒歩で雪山を歩き回るのには、少なからぬ危険がある。
ある時、「ゴォーッ」という地鳴りのような音に振り返ると、山の上から「雪崩」が襲ってきた。
「私はあわてて逃げましたが、一瞬のうちに背中をかすめて崖下へと流れ落ちていきました。あと何秒か遅れていたら、間違いなく雪崩に飲み込まれていたでしょう」
またある時、咲栄さんは「とてつもない暴風雪」に巻かれてしまう。
「どんなに踏ん張っても体が思うように動かなくて、どんどん崖の方へと流されていくのです。ところが、崖まであと2mという寸前のところで、ピタッと風が止んだのです」
まるで「父ちゃん」が、雪の中の咲栄さんをいつも気にかけてくれているかのようであった。
郵便局の人は「吹雪の日は休んだらいいよ」と言ってくれる。
だが、咲栄さんは20年間、天候を理由に仕事を休んだことはないという。
「誰かの笑顔を、この山に住む人に届けて一緒に喜ぶこと。誰かの悲しみを、この山に住む人に伝えて一緒に涙すること。それが私の仕事なのです」
それほど実直な咲栄さんが、一日だけ仕事を休んだことがある。
「たったの一日だけ、どうしても体が言うことを聞かなかったのです。それは、一番下の娘が亡くなった日のことです」
父ちゃんが亡くなった時、奇跡的に命を取り留めた一番下の娘。その彼女が乳ガンを患い、若くして他界してしまったのだった。享年46歳。
「やはり親としては、自分の娘に先立たれるほど切ないものはありません…」
◎四季
90年という歳月を振り返りながら、咲栄さんは想う。
「人生というのは、良いことよりも悪いことのほうが多いものなのでしょうか?」
涌井の冬は厳しい。
それでも毎年、春は来る。
90の四季が巡る間、それは変わることのない自然の優しさであった。
「人生という畑に『涙のタネ』を蒔けば、そのタネがいつか『喜びの花』を咲かせてくれる」
咲栄さんは、そう信じている。
「『ずく』を出して頑張らねか」
そう、咲栄さんはよく言っているという。「ずく」とは、この辺りの方言で「やる気」を意味する。
「どん底まで行ったから、あとは這い上がるのみです。一歩一歩踏みしめていけば、必ず幸せにたどり着く。本当に一歩、一歩。そう思います」
どんな大雪に見舞われようとも、カンジキを履けば一歩一歩進んで行くことができる。
「苦労をともに乗り越えてきた父ちゃんを亡くし、自分の娘にも先立たれてしまいましたが、6人の孫に恵まれ、今年の夏には、一番上の娘の息子が晴れて結婚することになりました」と、咲栄さんはシワだらけの顔をますますクシャクシャにする。
その孫の結婚式に出席することが、いまの咲栄さんの一番の楽しみだという。
毎朝仏壇に手を合わせる咲栄さん。今日も祈る。
「今日も頑張るからな、父ちゃん」
「母ちゃん生きて、この家守っていくんだからな」
(了)
関連記事:
オジイのコーヒー豆。101年の人生
モノ以上の「想い」。サトーカメラ・佐藤勝人
「菓子パン」の何と有り難かったことか。少年の運命を変えた「人の善意」。
出典:致知2013年7月号
「一歩一歩踏みしめていけば、必ず幸せに辿り着く 清水咲栄」

