中学の頃は、勉強なんてほとんどしない「不良少年」。
東京の専門学校へ行っても、3ヶ月で辞めて「ブラブラ」。
そして栃木に帰ってきたはいいが、家業カメラ店の「さえないダメ店長」。
それが、それまでの「佐藤勝人(さとう・かつひと)」さん。
のちに、「サトカメ」ことサトーカメラの大店長となる人である。
22歳の時、近所に「大型カメラ店」がオープンした。
そこが連日満員の大賑わい。月に5,000万円も売り上げているという話が耳に入ってくる。
一方、サトカメのダメ店長は、その頃はまだ小さな店の主。
給料も月7万円ほどにしかならない。
だが今では、栃木県No.1のカメラ店といえば「サトカメ」の方である。
来客リピート率80%以上、利益率40%以上という驚異的な数字を叩き出し、栃木県内のカメラ販売シェアトップの座を15年間連続で暖めている。
なぜ、町の小さなカメラ店が、ナショナル・チェーンに勝ることができているのか?
ダメ店長はいかにして大店長へと昇り詰めたのか?
◎とりあえずの成功
近所の大型カメラ店に触発されたダメ店長は、いきなり宣言した。
「栃木で一番の店にする!」と。
そして、朝から夜まで店に立って、気ぜわしく働き回った。
「とにかく速く回せ! 効率良くやれ!」と社員らにハッパをかけながら。
当時は「売ること」しか頭にない。
「客なんて面倒くさいだけ。さっさと売ってなんぼや!」
その猛烈努力の甲斐あって3年後、見事サトカメは栃木県No.1となる。県内に400軒以上あったカメラ店の最下位からスタートして、当時の店舗数は県内に10を数えるようになっていた。
高級外車に乗って毎晩飲み歩き、ゴルフやサーフィンに遊ぶ。
「これが若い頃に描いた大人の姿だ」
成功を収めた佐藤さんは、しごく満足気であった。
だが時々、どこか楽しくない…。
どこかに虚しい気持ちが残る。
心の真ん中にスキマが空いているような…。
◎10年前のある出来事
「モノが売れれば、それでいいのか?」
どんどんと商品が売れていく光景を虚ろな目で眺めながら、佐藤さんはそんなことをボンヤリと考えていた。
すると、70代ほどのある「お婆さん」が、佐藤さんの肩を叩く。
「こんにちは。わたしのこと憶えてる?」
はて? さっぱり記憶に無い。
「10年前、あなたに勧められて、この一眼レフ(カメラ)買ったのよ」
そう言われても、そんな昔の話思い出せない。カメラは星の数ほど売ってきたのだ。客の顔なんてろくすっぽ見ずに。
キョトンとしている佐藤さんを尻目に、そのお婆さんは勝手に喋りだす。
「60の時に旦那に先立たれて、やることもないから毎日毎日パチンコばっかしてたのよね。カメラを買ったのは65歳の時。息子に子供が生まれてね。でも使い方がよく分からない。それで、毎日のようにオタクの店に来て、カメラの使い方を教えてもらったのよ」
「ああ」と、佐藤さんは10年前を薄ボンヤリと思い出す。
お婆さんは、勢い込んで喋り続ける。
「あなたに使い方を教えてもらったから、毎日のように楽しく写真を撮ったの。賞もいろいろもらったわ。もう70になったけど、カメラを覚えたこの10年間が、人生のなかで一番幸せだったわ。ありがとね」
そう喜んで話すお婆さんを見ながら、佐藤さんは子供の頃に抱いていた「別の大人像」を思い出していた。
「人に影響を与えるような人間になりたい。そんな仕事をしたい」
それは「モノを売るだけ」でなれるものではなかった。そのためには「モノ以上の何か」も売らなければならなかった。
◎想い出をキレイに
モノを残すんじゃない。
「想い出」を残さなければ。
以後、サトカメの経営方針は大転換。
「とにかく売れ」から「想い出を残す」に。
そして生まれた言葉が「想い出をキレイに一生残すために」。
開眼した佐藤さんは、社員たちにこう語った。
「効率は考えなくていい。お客さんが納得するまで話をしよう。聞いてあげよう」
これまでの「売ってなんぼ。時間を惜しめ」とは、まるで正反対の言葉に社員たちも戸惑いを隠せない。
また、「社員」という呼び名も「アソシエイト(仲間)」に改めた。
セルフ・プリント機の前には、ゆったりと寛げるソファが置かれた。
そのソファは、立ちながらサッサと写真を選ばせるのではなく、ゆっくりじっくり時間を気にせずに写真を選んでもらいたいという想いの現れであった。家族も一緒に腰掛けられる。
時にアソシエイトが、写真選びを手伝うこともある。素人とはちょっと違うプロの視点からアドバイスを加えながら。
時にアソシエイトは、一台のカメラを売るのに6時間もかけることがある。
そのお客さんの買うカメラは予め決まっていたのだから、「はい、これです」とさっさと手渡せば、あっという間に50万円の売り上げになるはずだった。
ところが、お客の質問に耳を傾けるうちに、スタジオでの撮り方講義にまで発展してしまっていた。
おそらく大型量販店でそんなことをやっていたら、上司からすこたま叱られてしまうかもしれない。
でも、サトカメでは「あり」だった。
幸いにも、そのお客様はいまでは熱烈な「サトカメ・ファン」になっているのだとか。
「われわれは常識的な小売業からはみ出した『異端児』なんです」と佐藤さんは言う。
だが、そのサトカメの異端児たちが、お客さんたちを惹きつける。
◎考える集団
「何をすればお客さんに喜んでもらえるか?」
それをみんなで考えた。そしていつしか、「指示待ち集団」は「考える集団」へと変わっていた。
ある有能な女性店長は、閉店間際に追い込まれていた赤字店舗を、わずか一年で瞬く間に黒字にしてみせた。
「お店をもっとカフェっぽくしたら、女性も足を運ぶんじゃないかしら」
その提案によって、お店は「手描きのポップ」や「お客さんの撮った写真」であふれるようになった。これは今に続くサトカメの店内風景にもなっている。
サトカメに足を運ぶお客様の「想い出」は、着実にキレイなものとなっていった。
アソシエイトはお客様の名前を覚えるようになった。それはお客様に尽くそうと、一歩踏み込むことも多くなったからだった。
そのお客様が「何を買ったか」も覚えている。いろいろ聞かれたり丁寧に説明したりしているうちに、自然とそうなるのであった。
◎お客
かつてのサトカメでは、顔の表面では笑っていても、心では「買うのか買わないのか? さっさと買えよ」とヤキモキしていたという。
それも仕方がない。「さっさと売れ」とキツく言われていたのだ。さんざんお客さんに時間を取られて、結局買いませんでしたじゃ、元の木阿弥。たとえ売ったとしても、その人の顔も名前も知ったこっちゃない。何を売ったかも覚えていない。残るのは「数字」ばかり。
佐藤さんが若い頃は、それでも成功した。
しかし、その成功が持続的なものだったかどうかは分からない。もしかしたら一発だけの打ち上げ花火で終わっていたかもしれない。
いずれにせよ、お店に来たお客さんの心に残る「想い出」はあまり好ましいものではなかった。
かつて専務である佐藤さんが店に顔を出すと、社員たちは接客中のお客様を差し置いても挨拶に来たというが、今ではそんなことは許されない。
「オレに挨拶してるヒマがあったら、お客さんの方を見ろ!」と逆に叱られてしまう。
茶髪でもピアスでもいい。会社への忠誠心もいらない。
ただ、お客様の想い出をつくるためには「全力を尽くせ」、と佐藤さんはアソシエイトたちに言うのであった。
◎フィルム
目には見えない「想い出」の価値が見えるようになった佐藤さんは、フィルムからデジタル・カメラへの移行にもまったく抵抗がなかったという。
当時の誰に聞いても「フィルム・カメラはなくならないよ」と言っていた時代、サトカメばかりは早々にデジカメへと大きく舵を切った。それは今から10年前。専門家がデジカメへの完全移行を予言するその前だった。
いきなりのデジカメ転換に、社内や銀行、お客さんまでもが大反対。
それでも佐藤さんの心は揺るがなかった。
「われわれの大義は『想い出』を残すことです。フィルムを残すことではありません」と、堂々と言い切った。
それから10年。
カメラがフィルムからデジタルに移行したことで、全国に1万店以上あったカメラ店は、3,000店ほどに激減してしまっている(約70%減)。
そんな中でもサトカメが生き残れたのは、いち早く商品構成をデジタルに変えいたからだと言われている。
◎桜の写真
「写真の価値というのは、上手い下手ではありません」
と佐藤さんは言う。
「その一枚一枚に、撮った人のさまざまな『想い』が込められているんです」
だから、サトカメが企画する写真展は、写真に込められた「想い」を評価する。
昨年の「桜のフォトコンテスト」で特別賞に選ばれた写真は、明らかにアングルが悪かった。きっと普通のフォトコンテストでは、決して選ばれない一枚である。
だが、そのアングルの悪い桜の写真は、「病気で寝たきりになっている母がベッドから撮ったものなんです」と、写真を持ち込んだ息子は言うのであった。
動けなくなった母の数少ない楽しみの一つ。それが病室の窓から見える一年に一度の桜の花。
その母がいつでも桜の花を見れるようにと、息子がデジカメをプレゼントし、そして母はそのカメラで大好きな桜の花を撮影したのだった。
こうした撮影者の想いをサトカメが知っていたのは、お客さまの心に一歩だけ踏み込んで、それを聞いていたからだった。
「サトカメのフォトコンテストで『特別賞』をとったよ!」と息子が報告すると、母は嬉しくて嬉しくて、ボロボロボロボロと泣いていたという。
間もなく息を引き取ったお母さん。
その大切な桜の写真は、お葬式の時にも丁寧に飾られていたという。
その後、店を訪れた息子さん。
「ありがとうございました…」
深々と頭を下げたという。
(了)
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出典:致知2013年6月号
「想い出をキレイに一生残すために サトーカメラ専務 佐藤勝人」

