2013年05月22日

清潔すぎるとアレルギーは増えるのか? 吸血ダニと南京虫



その子は、卵が食べられない。

嫌いというよりも、体が受け付けない。

「わずかな量の卵を食べただけで、顔や身体が痒くなり、時には呼吸困難も起こしてしまう」







いわゆる食物アレルギー。

これは、人間の身を守るはずの「免疫システム」が誤作動を起こした結果、生じるものだという。

花粉症も然り。これもアレルギーの一種。いまや3人に一人を悩ませる国民病である。



なぜ近年、こうしたアレルギーが急増しているのか。

人間の「免疫システム」は狂ってしまったのか?

その一因は先進国の「清潔すぎる環境」にある、というのだが…。






◎吸血ダニ



およそ2億年前。

現代の人類を悩ませる「アレルギーの種」は蒔かれたという。



その大昔当時、人間はまだ人間とは程遠い存在で、手に平に乗るほどの「小さいネズミ」のような存在だった。

世界最古の哺乳類「アデロバシレウス」。現在のトガリネズミとよく似た姿形だったという。やはり現代のネズミのように、コソコソと逃げ回る必要があり、おそらくは夜行性で昆虫を食べていたであろうと推測されている。



そんなちっぽけなアデロバシレウスにとって、巨大な生物たちと並ぶ最大の外敵の一つが、自分たちよりずっとちっぽけな「吸血ダニ(マダニ)」であった。皮膚に取り付かれれば、恐ろしい病原体を媒介しかねなかったのである。

こうした外敵と始終戦い、そして破れ、多くの仲間たちは死んでいったのかもしれない。だが、しぶとく生き残ったアデロバシレウスもいた。そんな生き残り組が、吸血ダニとの死闘の末に「強力な免疫システム」を獲得するに至る。

「IgE(免疫グロブリンE)」というタンパク質が、その戦利品だ。これは、われわれ哺乳類にのみ存在する糖タンパク質である。






◎起爆剤「IgE(免疫グロブリンE)」



皮膚にしがみついた吸血ダニは、皮膚を溶かすための酵素を出す。すると哺乳類の免疫細胞は、その酵素に対抗する「IgE(免疫グロブリンE)」を即座に作り出す。

この「IgE」の向かう先は、体内にある「マスト細胞(顆粒細胞)」。「IgE」の役割は、このマスト細胞を爆発させることだ。

「IgE」は導火線についた火のように、マスト細胞を爆発させ、砕け散ったマスト細胞は「ヒスタミン」という物質を体内に撒き散らす(脱顆粒)。



この「ヒスタミン」は、各所に炎症反応を勃発させる。

その炎症物質を血液とともに吸い込んだ吸血ダニは、シッポを巻いて逃げ出すか、もしくはその場でショック死してしまう。



これが、最古の哺乳類アデロバシレウスの編み出した防御法(免疫システム)であり、そのおかげで、その生を2億年後のわれわれにまで引き継ぐことが可能となった。

もし、こうした免疫システムをアデロバシレウスが獲得していなかったら、ネズミはネズミのままに吸血ダニにやられていたかもしれない。






◎イギリスの花粉症



ところが現在、生存に欠かせなかったこの免疫システムが「誤作動」を起こして、現代の人類を苦しめている。それがアレルギー。

吸血ダニの出す酵素に反応するはずだったタンパク質「IgE」が、なぜか体内に入ってきた無害なものにまで過剰に反応してしまう。その無害なものが卵であったり、花粉であったり。



「IgE」という起爆剤はマスト細胞を爆破する。そのため、「IgE」が過剰反応を起こしてしまうと、体内には大量の炎症物質がいたずらに飛散されてしまう。

それが、クシャミ・鼻水・目の痒みなどを引き起こし、時には呼吸困難までも起こしてしまうのだ。



なぜ、「IgE」が誤作動を起こしてしまうのか?

なぜか、先進国に住む人々にほど、この誤作動が多い。



世界に先駆けたイギリスでは、19世紀から早くも「ヘイ・フィーバー(hay fever)」という花粉症の患者が急増している。

「ヘイ(hay)」というのは家畜の食べる牧草であり、そのイネ科の植物の花粉がやはり、人体に炎症反応を引き起こすのである。その症状はスギ花粉と同様、クシャミ(sneeze)・止めどない鼻水(runny nose)・目のかゆみ(itchy eyes)。

イギリスでは古くから民間療法として、「イラクサ(nettle)」というチクチクする雑草をお茶(ハーブ・ティー)にして飲んだという。このイラクサ(ネトル)茶には一種の「抗ヒスタミン作用」があり、マスト細胞の爆発によって生じた炎症物質ヒスタミンをなだめすかす効果があるのだという。






◎清潔になりすぎた生活環境



イギリスの先進文明に、追いつき追い越せと躍起になった日本は、晴れて先進国の仲間入りを果たすことになるわけだが、それと同時にイギリス同様、花粉症の大流行に悩まされることにもなってしまう。

日本でスギ花粉や食物アレルギーなどに悩む人が急増するのは、高度経済成長と軌を一にする昭和30年代ごろから。

どうやら、先進国の「清潔になりすぎた生活環境」が、その一因にあるようだ。



外敵の見張り役であるタンパク質「IgE」は、御所に詰める北面の武士のようなもので、吸血ダニなどが来ようものなら、すわとマスト細胞を爆破させに走る。

だが、あまりにも長い間、吸血ダニのような外敵が来なくなると、どうも敵味方の区別があやふやになってしまうようである。その末に、本来無害であるはずの花粉を見ただけで、マスト細胞の元へ駆けつけ、いらぬ爆破を引き起こしてしまうのようになったのである。

こうして、本来自分の身を守るはずであった免疫システムが誤作動を起こし、人間は鼻水ジュルジュルになってしまうのだった。



「人間は環境を早く変えすぎた」

ヨセフ・リーデラー博士(ザルツブルク大学)は、そう言う。

「私たちの免疫システムが、その速さについていけない」



その証左か、世界一の先進大国であるアメリカが今、最もアレルギーに悩まされる国となっている。

「いかなるアレルギー疾患についても、アメリカ国外で生まれた子供のアレルギー疾患率(20.3%)に比べ、アメリカ国内で生まれた子供の疾患率が著しく高かった(34.5%)」

とことん殺菌にこだわるアメリカ。その清潔な環境に10年も住めば、アメリカ国外で生まれた人にさえ、アレルギー疾患の脅威は高まる。

「アメリカに移って在住歴10年以上の子供は、湿疹や花粉症を発症する可能性が『著しく高まる』。湿疹では約5倍、花粉症では6倍以上の発症率だった(アメリカ在住歴2年の子供との比較)」






◎疑問



哺乳類としての歴史、そして人類としての歴史。

その2億年もの間、きっと我々はダニやシラミを身体中にくっつけたままで過ごしてきたのだろう。

だが昨今、いきなり清潔になった。魑魅魍魎は雲散霧消し、北面の武士たちも大いにとまどったことだろう。



そもそも、マスト細胞を爆破させて身を守るというシステムは、どこか自爆的であり、「肉を斬らせて骨を断つ」ごとく、勝つ側にもそれなりの犠牲を強いるものであった。それは、それだけかつての戦いが熾烈だったからでもあろう。

だが清潔になりすぎ、外敵の少なくなった今、マスト細胞の爆破はその身を傷つけるばかりである。



「私たちは今、究極の衛生状態を追求して、人間以外のあらゆる生き物を排除していっています。これでいいのでしょうか?」

ヨセフ・リーデラー教授(ザルツブルク大学)は、そんな疑問を投げかける。

潔癖を愛するようになった人体は今、ほかの生物のみならず、花粉や食べ物までをも排除しようとしているのである。






◎南京虫



吸血ダニは幸いにも、今はそれほど手強い敵ではなくなっている。

ところが、叩けば叩くほど強くなる虫もいる。たとえば南京虫(トコジラミ)がそうである。



この小さな盾を背負ったようなカメムシの一種は、「南京」と名がつくように海の外からやって来た。南京という都市の名誉のために言えば、当時の日本人は舶来の珍しいもの、もしくは小さきものに「南京」と名をつけることを好んだ(南京錠、南京豆など)。

南京虫(トコジラミ)には羽がないのだが、人の身体やその持ち物にしっかとしがみついて海を渡り空を飛ぶ。日本に初めてやって来たのは、幕府が買い入れた外国の古船に乗ってのことだったという。

それ以来、爆発的に数を増やした南京虫。明治期に日本の奥地を旅したイザベラ・バードは、その行く先々で南京虫に血を吸われまくり、ほとほと閉口したようだ(日本奥地紀行)。







不衛生なところが大好きな南京虫。それゆえ、この虫に取り付かれることは非常に不名誉なことである。そのため、先進各国はこの虫を殺すのに躍起になった。

そして開発されたDDT(ジクロロジフェニルトリクロロエタン)。この白い粉末を頭からかぶれば、ノミ・シラミ、そして南京虫も生きてはいられなかった。



ドイツで合成された化合物DDTは、アメリカで諸手を上げて大歓迎された。当時のアメリカでは日本との戦争により「除虫菊」の供給が途絶えており、それに代わる殺虫剤が必要とされていたのである。このDDTは殺虫剤としても効果抜群であった。その上、安価。

第二次世界大戦後、日本を占領したアメリカ軍GHQは、極度に不衛生だった日本の国土を、DDTの白い粉末によってすっかり清めた。

そしてそれが、軍国主義と同様、明治期に隆盛を極めた南京虫の運命にも終止符を打った。この1950年代以降、日米のみならず、世界の先進国では南京虫が根絶された、かに見えた。






◎帰ってきた南京虫



出る杭として打たれた南京虫。だが、彼らは打たれるほどに強さを増すタイプだった。

DDTという強力な殺虫剤は、世界の南京虫を即死させたわけだが、中には死ぬに死なないダイ・ハードな連中が確かにいた。

DDTが世界に普及するのは1940年代だが、はやくも同年代後半には、DDTに対する「耐性」を獲得した個体が、日本の爆撃したパール・ハーバー(ハワイ)で確認されていた。



ところで人類の方はというと、この強力すぎる殺虫剤DDTが人体に「神経毒」として作用することが明らかになった。長き食物連鎖を経てDDTが生体濃縮され、それが巡り巡って人の口に入ってしまうのだった。

1960年代に出版された名著「沈黙の春(レイチェル・カーソン)」には、その危険性が克明に描き残されている。そしてついに、1970年代にはDDTの使用が禁止されることになる。







それでもまだ、南京虫は鳴りを潜めていた。

ふたたび南京虫問題が浮上するのは、ここ最近、半世紀ぶりのことである。しかも、帰ってきた南京虫はもう以前の彼らではない。もはや、DDTドンと来いである。



南京虫を殺そうとDTTを使った人間は、肉を斬ったつもりで骨を断たれた。ゆえにもう、それは使えない。その代わりに「ピレスロイド」という新たな化合物が南京虫の殺虫剤として使われている。だが、どうも効きが悪い。

というのも、南京虫がDDTによって獲得した耐性には「交差耐性」というものがあり、似た物質であれば未知のものにも対抗できる性質があったのである。「ピレスロイド」という目新しい薬品にさえ、すでに南京虫は1万倍もの耐性を持ち合わせていたのである。






◎不衛生と清潔さ



じつは、南京虫との腐れ縁は、有史以前にさかのぼる。

南京虫の祖先は「コウモリ」に寄生していたようで、そのコウモリは、洞窟に暮らし始めた人間と居をともにしていた。

殺虫剤がなかった時代、人間は南京虫にとっての格好の餌食であった。古代エジプト時代の遺跡からも南京虫は発見されている。



この強き生き物は、50℃の高温に耐え、冷凍庫の中でも数時間は生き延びる。6ヶ月くらいは食わずとも平気で、中には3年も飲まず食わずで生き延びたという例さえある。

どう考えても、弱き人間に勝ち目は薄い。知恵を絞って編み出した渾身のDTTは、我が身に跳ね返ってきたという有様である。



不衛生の象徴ともされる南京虫。だから清潔さは、唯一最大の武器である。

とはいえ、アレルギーの項で見てきたように、その清潔さもが仇になってしまうという、人間のか細さ。

まるで王手飛車取りに頭を悩ますかのようである。






◎細胞以下の世界



生物の形が、人間の形をとるにせよ、吸血ダニや南京虫の形をとるにせよ、その水面下で争っているのは、タンパク質や酵素といったレベルの物質である。

吸血ダニが放つ酵素に、人間はタンパク質「IgE」で対抗したのだし、南京虫が殺虫剤を解毒したのもやはり酵素である。



生物たちの体内では、そうした外界の変化に対応・適応する対策が日夜練られており、生命の進むべき方向を模索しているのである。それが「生命の理(ことわり)」の一つであろうし、時に進化と呼ぶものでもあろう。

たいてい、そこには「排除」という選択肢は薄い。むしろオプション(選択肢)を増やすことのほうが有効であることも多い。

たとえば、南京虫の異常な強さを支えているは、その内に養っている共生細菌たちだったりもする。まるで、役立たずとも思われる食客も喜んで受け入れた孟嘗君のように。



生命にとって、何が吉となり何が凶となるか、事前に知らされることはない。もしかしたら、不衛生が吉となり、清潔さが凶となるかもしれない。

いずれにせよ、そうした表層の出来事は、細胞以下のレベルにとって梢を揺らす風にすぎない。



ヨセフ・リーデラー博士(ザルツブルク大学)が「人間は環境を早く変えすぎた」と言う通り、表面的な生活は明らかに激変した。

長い年月をかけて降り積もった雪は、その硬く締まった表面に突然の大雪を受けると、その表層がごっそりと雪崩れてしまうことがある(表層なだれ)。

ある意味、人類が急速に積み上げてきた現代社会には、そんな危うさも内包されているのかもしれない。



「アリの一穴」という言葉は、どんな巨大なダムですら、アリの開ける小さな一穴に崩壊する恐れがあることを示している。

南京虫がその一穴となることもあろうし、鳥インフルエンザやコロナウイルスがそれとなる危険もあるだろう。






◎慣れ



今、医療の現場では、免疫システムを誤作動しないように誘導する治療が試みられている。

たとえば、花粉症の患者に、あえて花粉のエキスを少しずつ体内に入れていく(舌下免疫療法)。また、卵アレルギーの子どもに少しずつ卵を与えていく。

「これは異物ではありませんよ、ということを身体に教え、慣れさせていくんです」







半世紀前に比べ、生活環境の格段に良くなった先進国。その過程はおおむね、人間の生活環境から不要なものを排除していく道のりだった。

しかし今、その排他的な方法では要らぬ病を人間に引き起こしてしまうことに、われわれは気づいている。そして、新たな折り合いを模索し始めている。それまでは不要と切り捨てていたものを、少しずつ取り入れながら。



現代社会という美しく真新しい雪には、多少のシミも必要なのかもしれない。

過去の人類の歴史は、そんなシミばっかりだ。しかし、それらは何も汚いものではなく、生をつなぐためには無くてはならないものだったのだろう。

なにかが不要と分かるのは、それが終わってしまった時だけである…






(了)






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出典:
NHKスペシャル「病の起源 プロローグ」
日経サイエンス2012年5月号「帰ってきた南京虫」

posted by 四代目 at 09:16| Comment(0) | 昆虫 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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