2013年05月20日

混沌の画家「フランシス・ベーコン」。心をえぐるその美



「混沌がイメージをもたらす」

その画家は、そう言った。

「フランシス・ベーコン」

彼のアトリエはモノで溢れかえっている。モノにモノが積み重なり、混沌は混沌のままにある。







ここはダブリン(アイルランド)にあるヒュー・レーン美術館。

ベーコンが生まれたこの町には、ベーコンのアトリエが、できるだけ生前のままに移築されている。無造作に散らばり、山をなす全てのモノが元の状態のまま、ベーコンの息遣いそのままに。

扉やカベには絵の具が塗りたくられている。ベーコンはパレットを使うことなく、扉やカベで絵の具を混ぜ合わせていたのだという。



散乱する写真や、本や雑誌から切り抜いた紙切れ。

分野に縛られないこれらの資料の数々は、一度はアトリエの混沌に深く沈み、そして、新たなイメージとして、ベーコンの筆に乗るのであった。










◎大空襲



ベーコンがアイルランドに生を受けたのは1909年。

戦争から戦争へ。2つの世界大戦に突入していく時代のはじまりであった。



「電気を消すように!」

ナチス・ドイツによるロンドン大空襲を前に、ベーコンは各家のドアというドアを叩き回りながら、空襲への備えを徹底させていた。

その時30歳前後だった彼は、民間防衛隊に志願し、ロンドンの空襲対策部で働いていた。



連続57日間に及ぶ、ロンドンへの夜間空襲。

ザ・ブリッツ(The Blitz)と呼ばれる大空襲(1940〜1941)は、ロンドン100万以上の家屋を爆破し、4万3,000人以上のロンドン市民が犠牲となった。



「われわれは皆、死骸(carcass)なのだ…」

空襲の後に残された、無数の死骸。ベーコンは瓦礫の下の生存者を救出したり、死体を探したりしながら、そうつぶやいていた。






◎肉と形、そして叫び



ロンドン大空襲という混沌から生まれたベーコンのイメージは「肉と形(flesh and figure)」であった。

1945年に発表した代表作「ある磔刑の基部にいる人物像のための三習作」。3枚一組の作品(トリプティック)。そのオレンジ色の空間に鎮座するのは、肉の塊のような生き物。その目は白布で覆われ、大きく開けた口に歯がむき出しになっている。

彼はこの絵を、自らデビュー作と呼んでいた。







「わたしたちは肉である。いつかは死骸になる」

ベーコンは、そう言っていた。この絵を描いた頃のベーコンは30代半ば。画家としては無名であり、そもそも美術の教育など受けたことがなかった。

だが、この絵には確かな感情のほとばしり、「叫び」がある。肉の塊と化した生き物は、それでも大きく口を開け、何かを叫んでいるのである。







「人間の叫ぶということは、こういうことなんだ」

小説家・大江健三郎氏の耳には、ベーコンの叫びが聞こえている。

「一個の人間が叫ぶ。恐怖によって叫ぶ。怒りによって叫ぶ。悲しみによって叫ぶ。その叫び声が、こんなに見事にとらえられている絵はない。しかもこれは美しい」







「僕は美しいと思うんですね。フランシス・ベーコンという人が、戦後から21世紀までの絵の世界を完全にリードした人だということを、いま改めて感じています」






◎解放



なぜ、人間は叫ぶのか?

言葉にならないその答えを、ベーコンは肉と形に託したのであろうか。

一見、モノの外面を描いているようにも見せながら、その奥底は、引き込まれるほどに深まっていく。まるで、その形の歪みが、その扉を開くかのように。



映画監督デヴィッド・リンチは、暴力的に見えると人が言うのは分かる、と前置きして

「這い出して来そうな人間像」がベーコンの絵にはある、と言う。

「人間の内面、表面的ではないディープな体験が、彼の描き方で呼び起こされ、深いところへ入っていく」



それは「死骸」だと、ベーコンはうそぶきながら、彼が「生」を諦めているようには思えない。

「神は死んだ。救いはない。もう傷は癒えない」

2つの大戦は、人々を絶望させた。だが逆に、それまで人々を縛っていた宗教からは、ある意味で解放された。神は死んで、この先にはもう何もないのだから。

「この傷は癒えない。だが、なんと美しいことよ」






◎乳母と教皇



ベーコンの散乱したアトリエには、スペインの画家ベラスケスによる「教皇インノケンティウス10世の肖像(1650)」が転がっていた。

そして、彼の脳裏の隅には、映画「戦艦ポチョムキン(1925)」に登場する乳母の姿がこびりついていた。それは乳母車が階段を落ちていくシーン。その叫ぶ乳母の写真もまた、アトリエには無造作に落ちていた。



「頭の中に様々なイメージが混在している」と言っていたベーコン。

本来の文脈から抜き出されたイメージは、勝手に一人歩きをはじめ、そして、まったく異なるイメージと融合していく(fusion)。

ベーコンの頭の中では、名画の中の教皇インノケンティウスと、映画の中の架空の乳母とが、いつの間にか融合していた。それが脳中の混沌から生じたイメージだった。



「ベラスケスによる教皇インノケンティウス10世の肖像に基づく習作(1953)」

ベーコンによって描かれた、玉座に座る権威的な教皇。だが、その叫びは一介の乳母のものであった。乳母車が階段を落ちていく様に狂気する、その叫びであった。







「文学もそうですけれど、本当に優れた絵画には、それ以前に作られたものの影響を無視できないと僕は考えるんですよ」と小説家・大江健三郎氏は言う。

「ですから、しばしば『絵の引用』ていうものがある。そして、引用であることで、表現が二重三重になる面白さっていうのがある」



教皇と乳母を引用し、そして重ねたベーコンの作品には、まったく新しい命が宿った。

「ものすごく新しかった。その前には誰もおらず、そしてベーコンがあった(nobody was there, and then Bacon was there)。」

映画監督デヴィッド・リンチは、そう語る。










◎余白と芸術



「芸術家がしちゃいけないことを、よくわかっている」

大江健三郎氏は、ベーコンの絵を眺めながら、そう言う。

「説明するように、絵解きするように描くものは芸術じゃない」



「具象(figurative)なのに、抽象的(abstract)」

リンチ監督も、同じようなことを言う。



「心の中に呼び起こされたリアルな感覚」

それが、大江氏の心に伝わってくるのだという。

絵という形を通しながらも、伝わるものはその形ではなく、その感覚なのだと言うのである。要らぬ説明は逆に、その感覚を損ねてしまう恐れがあるとも言う。

「それが芸術というものが伝達される、本当にリアルなものとして芸術が受け止められることだ、とベーコンは何度も何度も言ってるんですよ」



そのアトリエのみにならず、自らの脳内に散らばる無数のイメージの、思いもよらぬ組み合わせから生み出されるベーコンのイメージ。

彼の作品には、三幅対(トリプティック)という3枚一組の作品が多いが、その組み合わせもまた、見る人に新たな混沌を与え、新たなイメージを惹起する。



たとえば、まったく無作為に選んだ写真を3枚並べて見ただけでも、そこには思いもしなかったストーリーが展開されてくることがある。そんな余白が、ベーコンの三幅対(トリプティック)の作品には残されている。

「言ってみれば、ものすごい余白のある絵なんですよね」

俳優・井浦新は、そう言っていた。






◎コロニー・ルーム



1960年代、50歳を過ぎると、ベーコンは身近な人物の肖像画を多く描くようになる。

繰り返し絵にしたのが、恋人のジョージ・ダイア。ベーコンは男色家であり、1967年までイギリスが同性愛を違法とする中、ベーコンは人生の大半を法律違反の状態で過ごした。

ベーコンが足繁く通ったというコロニー・ルームというクラブ。ロンドン一の繁華街ソーホーに位置していた。



「煙草が落ちて、ピアノに火がついてしまったんだ」

このコロニー・ルームで20年間ピアノを弾いていたという老人は語る。

「でも俺は、そんなことは構わずにピアノを弾いていたよ。♪Baby, come and light my heart(ベイビー、ハートに火をつけて)♪ ってね」

「ピアノを弾いているとフランシス(ベーコン)がいて、『ハロー、フランシス』と挨拶する。それだけさ。お互いに干渉し合わないという暗黙の了解があったんだ。オレはオレ、あんたはあんた、というようにね」



第二次世界大戦が終わって間もない1948年にオープンしたコロニー・ルーム。

「当時としては本当にリベラルな場所で、窮屈で言いたいことも言えないような時代だったのに、コロニーに来れば自由に表現できました」と、作家ソフィー・パーキンは言う。

自由を求める風変わりな客や、芸術家たち。そんな一人がベーコンだった。



昼になると現れたというベーコン。シャンパンのボトルを必ず一本開けた。

「彼一人のときもありましたが、ときどき若い男性と一緒でした」

恋人ジョージ・ダイアはベーコンより25歳年下であり、その顔かたちは端正に整っていたという。

「(ダイアは)ジャングルによる虎のようでした」






◎歪み



整ったダイアの顔を、ベーコンは大きく歪めて描いた。

どんなに親しい相手がモデルでも、肖像画を描く時は必ず写真を使ったというベーコン。ダイアの写真は痛むに任せ、時には自分で折り曲げることすらあった。



あるダイアの写真には、その美しい顔に絵の具が落ちた。

その黒点はそのまま肖像画の上にも描かれ、まるで顔の真ん中を銃で打たれたように、黒い穴が空いている。

ベーコンは、写真の上の偶然をそのまま絵にするのであった。



「愚かでどうしようない。だが、愛おしい…」

ベーコンが描いた肖像画「ジョージ・ダイアの三習作(1969)」には、ダイアという人物から受け取ったすべての感覚が注ぎ込まれていた。ダイヤには、酒に溺れるなど危うい一面があった。

そして、その感覚は図らずも最悪の結果となって、現実化してしまう。大量のクスリとアルコールの末、ダイヤは帰らぬ人となる。ベーコンが彼の肖像画を描いた2年後のことだった。










◎曖昧さと偶然



「現実は曖昧である。その曖昧さを正確に捉えなければならない」

とベーコンは言っている。

その曖昧さを捉えるために、ベーコンは「偶然」を見逃さなかった。



「ベーコンは、普通とは違うキャンバスの使い方をしていました。表ではなく『キャンバスの裏』に絵を描いていたのです」

ベーコンの絵を分析したエルケ・シワイルツニィア氏(ノースハンブリア大学)は、そう言う。

「キャンバスの裏に直接筆を下ろすのは、失敗が許されません。ベーコンの筆使いがエネルギッシュなのはそのためです」



キャンバスの裏側は下地の処理がなされていない。だから、塗った絵の具はすぐに吸収されてしまい、描き直すことが難しくなってしまう。

だが、ベーコンはあえて、その一発勝負、その偶然を自分のものにしようとしたのである。



ベーコン本人も、「キャンバスに偶然あらわれる筆の跡を利用するのだ」と言っている。

偶然のように始まる絵。

そして偶然に導かれていく筆。



小説家・大江健三郎氏も、「偶然のように始まった小説の草稿には、その面白さがある」と言う。

「小説家であることの驚きというか、悦びというかはそれに関係しています」






◎死



60歳を過ぎると、ベーコンはたびたび自画像を描くようになる。

その理由を問われて、「親しい人たちが次々と死んでしまい、自分以外にモデルがいなくなったからだ」と、ベーコンは答えた。



1992年、旅先のスペインで、ベーコンは心臓発作を起こし、その生涯を閉じる(享年82歳)。

「死んだら、骨は袋にでも入れて捨ててくれ」

生前のベーコンは、そう言っていた。その望みどおり、遺体はマドリードで火葬され、そのまま墓も作られなかった。



ロンドンにある無縁墓地、クロス・ボーンズ・ヤード(Cross Bones Graveyard)。

「ここがとても『ベーコン的』なんだ」

とタクシードライバーのロバートは言う。



退廃的な享楽に身を任せながらも、ベーコンは決して最後まで生を諦めずに叫び続けた。あえて混沌の中に身を置きながら。

そして、そうした混沌から紡ぎ出されていったベーコンのイメージ。

彼は、その混沌へと帰ることを心待ちにしていたのだろうか…













(了)






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出典:NHK日曜美術館
「恐ろしいのに美しい 画家フランシス・ベーコン」

posted by 四代目 at 06:32| Comment(8) | 芸術 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
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