2013年05月13日

津軽の男たちの守る「弘前の桜」。その100年の美しさ



「桜は、老木こそ美しい」

それが、小林勝さんの信念。

樹齢の若い桜は、上へ上へとばかり伸びてしまいがちで、横への迫力が生まれない。一方、太くゴッツい幹を持つ老木は、横へ横へと見事な枝を伸ばしながら、その美しさを全面に押し広げていく。



ここは青森・弘前公園。

2,600本の桜が咲き競う、日本屈指の桜の名所である。

この公園内の桜の管理を任されているのが、樹木医・小林勝さん(59)。市役所の職員(弘前市公園緑地課参事)として、日々、園内を歩き回っている。







「まぁ、古めかしさと、あと花が付いている枝の若々しさとがミックスされて、貫禄が出るっていうのかな」と小林さんは言う、その見事な枝ぶりの老木を見上げながら。

弘前公園の桜には「老木」が多い。そのほとんどが樹齢60年以上。100年を越える樹も少なくない。



一般に、ソメイヨシノという桜の樹は、60年で勢いが衰え、花の数が減るといわれている。

ところがどうだ。60年を越えてなお、弘前公園の老木の桜はじつに若々しく、むしろ若い木よりも一箇所からでる花の数が多いとさえいわれている。

ここの老木らは老いてなお、花を咲かせる枝先の若さは少しも衰えていないのだ。



小林さんの手にかかると、100年の老木たちが次々と若返っていく。

「はっきり言って、100年なんて、まだまだ若造ですから」

そう言う小林さんに、老木を伐採する考えは、まずない。



たとえ、老木に多少のガタがきていたとしても、何とかして若い花を咲かせてやりたい。

「せっかく今まで100年以上も育ってきたっていう、いわゆる価値だよな。桜の価値。それをやっぱり、なくしたくない」

それが、小林さんの想いである。






◎生きる力



木には、枝を切ると植物ホルモンの働きが変化して、新たに若い枝を伸ばす、という性質がある。

「その力を利用すれば、いつまでも木は若返る」と小林さんは言う。

「ちゃんと手入れさえしていれば、何十年でも何百年でも育つんだ。動物と違って、樹木っていうのは障害のない限り細胞分裂が続くんだがら」



老木の生きる力を引き出すため、時には大胆にその大枝を切り落とす。

木の上から「これ残してもいいですよね」と言う職人に、小林さんは「いや、斬れ」と指示を下す。

「えーーっ?」

時に、職人たちが驚くほどの荒業を仕掛けるのだ。



昔から「桜きるバカ、梅きらぬバカ」と言われてきたが、小林さんは、果敢に「桜をきる」。

それが「弘前方式」とも呼ばれるようになった、積極的な剪定方法である。






◎リンゴと桜



弘前方式という剪定(せんてい)方法は、およそ半世紀をかけて、弘前公園で築き上げられてきたものである。

その模範となっているのが、弘前が全国に誇る「リンゴ栽培」の技術。

リンゴ農家が毎年剪定を行うのを学び、弘前公園でもまた、毎年冬に桜の剪定が行われるようになったのである。







「芯止め(しんどめ)」というのは、上へ伸びようとする一番の幹を切り止めてしまう方法であるが、これはリンゴ栽培で一般的なものである。あまりに樹高が高くなってしまうと、収穫が難儀になるばかりだからである。

これが弘前公園の桜にも応用されている。桜の木が高くて困るということはないのだが、芯止めをすることで、上へ上へと伸びようとする力が横へ横へと広がりをもつようになるのである。それに加えて、樹冠内部へ日光もよく当たるようになる。



また、枝を切ったところから病気が入らないように、切り口に「墨汁」を塗るのも、リンゴ農家から授かった知恵だという。

「桜きるバカ」というのは、桜が切り口から病気にかかりやすく、そこから腐ってしまうことも多いためだ。その病気の入り口となりかねない傷口に、殺菌力のある墨汁を塗っておけば、その予防策となるのだという。






◎重い決断



「こっち、ひでぇな…」

たとえ剪定によってカビた枝などを落としても、老木は幹や根にも問題を抱えてしまうことが多い。

腐った幹は白くボロボロと柔らかくなっている。そうした病巣に目を光らせ見逃さず、丁寧に削りとっていくのもまた、小林さんの仕事である。



「手入れ」さえしっかりしていれば、多少幹が腐ってしまっても問題はない。一生細胞分裂をやめない植物は、その上へ上へと新しい生を積み重ねていくのだから。

ただ、病魔が広がることは避けなければならない。早期発見、そして適切な対処。樹木医・小林さんの腕の見せどころである。



日本最古と呼ばれるソメイヨシノが、弘前公園にはある。その樹齢はじつに130年以上。その雄大な姿には、誰もが足を止める。

その巨木を見上げながら、小林さんは悩み始めた。

「どうすっかな…」



上部の太く立派な枝の一つに、腐ってしまう兆候が見られたのだ。この樹はここ数年、病気がちであり、これからも命を永らえさせるためには、ここで大胆な手を打つ必要がある。

だが、小林さんの決断は鈍っていた。あまりに太い枝を切ることは、老木への重い負担ともなってしまう。

「結構、悩むな…。どうすっかな…」



答えを出しあぐねて、一時間近く。

ついに決断した。

「これ、切るか。こっから上を落とす」

切った枝は、全部で4m。じつに大胆な決断だった。一枝間違えれば、130年の大樹は枯れてしまうかもしれない。それほどその責任は重かった。






◎春の苦しみ



「春は楽しみですか?」

この問いかけに、小林さんは難しい顔をする。

「いや〜、楽しみでもないな…。春は苦しみが多い…」



翌春、幸いにも、最古のソメイヨシノの元気は衰えていなかった。小林さんの大胆な決断は、吉と出た。

しかし、この樹に限らず、小林さんには弘前公園2,600本すべての花の命が、その双肩にかかっている。「春は苦しい…」、それが小林さんの本音でもある。



春に咲く花は結果にすぎない。その短い開花期のために、小林さんは一年間、片時も心を休めることなく、老木たちを一本一本をケアして回らなければならない。

「今年も見事、咲いてくれるか?」

それが、100年を越えて受け継がれてきた伝統の重み、美しさへの重みでもあった。



「やっぱ、結果をね、いい結果を出したいっていうのがある。毎年いい花を咲かせたい。咲かせなくちゃいけない」

そう言う小林さんの表情は引き締まっている。










◎倒木



事件は一年半前の冬に起こった(2012年12月)。

「弘前の宝」といわれた樹齢100年の大シダレが、雪の重みに耐え切れず、豪快にひっくり返ってしまったのだ。

冬の寒風にさらされる、むき出しとなった大シダレの巨大な根っこ。地中に広く深く広がっていたはずの根は、その8割以上が切れてしまっていた。



「生きてんのか?」

「重症だ…。危篤状態だ…」

横転している大シダレを取り囲むんだ関係者ら。そこには悲壮感、そして諦めの雰囲気が漂っていた。



そんな中、小林さんは言い切った。

「生かすことが先決だ」

普通なら処分されるはずの致命傷。それでも、小林さんは「この桜を復活させる」と決定した。



そう決断した小林さんの脳裏には、この大シダレの往年の勇姿がありありと蘇っていた。

樹高16m、建物でいえば4〜5階の高さから枝垂(しだ)れていた大シダレ。まるでナイアガラの滝のごとき壮観さであった。







そして同時に、10数年前、兄が脳溢血で倒れたときの光景も、まざまざと思い起こされていた。

「呼びかけの反応がないっていうか、そういう状態だったね…」

慌てて現場に駆けつけた小林さんは、諦めかけていた。だが幸いにも、兄・範士(のりお)さんは一命を取り留めた。

現在、小林さんが弘前公園の桜の全権を任されているのは、兄・範士さんから引き継いだ重責であった。範士さんは後遺症のために、仕事を続けられなくなってしまったのだった…。






◎根接ぎ



「この辺は死んでる…」

ブチブチに切断されてしまった大シダレの根の大小一本一本を丹念に調べながら、小林さんはその処置に考えを巡らせていた。

「この辺は生ぎでるがら、ここさ根接ぎして…、んで、こう埋めればいいんでねが?」



「根接ぎ(ねつぎ)」というのは、別の桜の苗木から、根っこをもらって繋ぐ方法。いわば根の移植手術。それが成功すれば、失った根っこを一気に増やせる。

だが、ほかの樹木医は否定的だった。「これは無理だよ…。あんたの希望なんだろうけどな」。

なにせ、倒れた桜に根接ぎをしたケースは、過去に例がない。



それでも、この大シダレを救うには、それ以外の処置は考えられなかった。たとえ、希望にすぎぬと言われようとも。

至急、根接ぎの専門家が現場に駆けつけた。若い苗木の表面をわずかに削り、それを同じように削った大シダレの根に密着させる。

「手早くすねど…、密着が悪ぐなる」

すべてが手探りの作業。この日、何とか2本の苗木が、大シダレのすっかり弱ってしまっていた根に、新たに接がれた。






◎ギリギリの攻防



翌日、気が気でない小林は、足早に大シダレのもとへと急いだ。

「あっ…、全然、入ってねぇ…」

昨日、大シダレの幹に何本も差しておいた逆さのボトル。木を蝕む菌を殺すための薬剤が減っていない。

それは大シダレの水分を吸い上げる力がかなり弱っているということであり、根っこがほとんど機能していないということであった。



「やり直さねど…」

急遽、さらに7本の根接ぎが決行された。あとは、木の生きる力を信じるしかない。

倒れたあとに、太い幹の多くは思い切って切り落とされていた大シダレ。その巨体は辛うじて、無数の支柱に支えられていた。



問題は「夏」だ。

暑い夏を乗り越えられるか、だった。



「いやー、暑い…」

皮肉にも、この年の弘前は例年よりもずっと暑かった。まぶしい日差しに目を細めながら、大シダレを見上げると、その枝の一部は枯れていた。



「また、キノコが…」

夏の暑さに喜んでいるのは、幹を蝕むキノコの菌ばかり。その広がりは、予想以上に早かった。思いっ切り幹の内部を削り取らなければ、その猛威を抑えられないようであった。

ただでさえ弱っている大シダレ。外科処置の負担は多大である。

まったく未知との闘い。ギリギリの攻防が繰り広げられていた。






◎入院と豪雪



意地の悪い夏は、ようやく過ぎた。

一部の枝葉を枯らせながら、大シダレは辛うじて命をつないでいるようであった。

小林さんが最も心配していた夏場から秋口は、無事すぎた。



ひとまずホッとした小林さんだったが、ここに来てその無理が身体にたたっていた。

「視野が今ちょっと、狭くなってて…」

脳に腫瘍が発見されていた小林さん。良性ではあるものの、それは視神経を圧迫するほどに大きくなっていた。



その症状は夏前から現れていたのだが、夏場は大シダレから離れられないと、自分の脳の手術を延ばし延ばしにしていたのである。

かつて脳溢血に倒れた兄・範士さんも、地元の誇りである桜を守ることの熱心さにかけては誰にも引けをとることがなかったというが、この兄にして、この弟ありである。



津軽に雪のふる12月、大シダレに後ろ髪を引かれながらも、小林さんはようやく入院することにした。

だが、その冬。病室の小林さんは、安穏と寝てはいられなかったであろう。常ならぬ豪雪に見舞われた弘前。12月としては観測史上2番目となる68cmという、凄まじい積雪を記録していた。

その前の年の大雪が、大しだれをひっくり返したのだ。そして、その悪夢はふたたび繰り返される恐れがあった。






◎一本の枝



「大丈夫?」

たいそう雪の積もっていた1月末、ようやく現場に顔を出した小林さん。

なにより、大シダレへと心が急ぐ。



「枝は落ちてなさそうだ…」

小林さんが入院している間も、ほかの職員たちがせっせと雪下ろしをしていてくれたお陰である。

弘前の人々の桜への愛着は深い。黙々と手入れしてきた兄をはじめ、弘前の人々の総力が、弘前公園という芸術を100年以上にわたって支えてきたのである。



そして3月下旬。桜の開花予想に胸が踊る頃、小林さんは作業車のカゴに乗り込み、大シダレの様子を上からつぶさに調べていた。

「もったいねぇなあ」

枯れて乾燥した枝は、パキパキと音をたて苦もなく折れてしまう。大シダレの回復は思ったほどには進んでいなかった。



少々がっかりしていた、その時。

小林さんは、一番太く高い幹の切り口から、「一本の新しい枝」が天に向かって伸びているのを見つけた。

「よし」

その勢いのある様を見て、小林さんは強くうなずいた。



その一本の枝は、まだ小指よりも細い。

それでも、小林さんの目には、30年後、その枝が鈴なりの桜の花をシダレさせている様が写っていた。

「今はまだ、太さ数ミリ程度だが、大事に育てれば30年後、立派な幹になる」

そう確信していた。






◎日本一の…







今年5月はじめ、弘前公園の桜は例年より遅い見頃を迎えた。

咲き誇る2,600本の「若い」老木。小林さんらの巧みな剪定技術が、古い老木たちを見事に若返らせていた。日本最古のソメイヨシノも若い衆に負けじと、四方八方に咲き乱れる。

大シダレも生きている。かつての大滝が、幾筋かの白糸の滝のような心細さに変わってしまっていたが、それでも確かに生きている。



津軽生まれの小林さんは多くを語らない。

それでも、津軽の男の粘り強さは人一倍。

100年どころか、何千年でも桜を咲かせ続ける覚悟をもっている。



弘前の人々の想いも人一倍。

「また今年も咲かせてくれて、ありがとう」

そんな声を小林さんにかけてくる人もいる。誰かがきちんと手入れをしているからこそ、この美しい桜が咲いていることを、ちゃんと知っているのである。



「日本一」と称される弘前の桜。

かつて小林さんは、兄と2人で「何が日本一なんだろうな?」と話し合ったことがあるという。

「なんで日本一なの? って言われた時に、なんて答えればいいんだ?」

愚直な小林さんは、兄にそう聞いた。

「ちゃんと手入れしてるっていう一生懸命さじゃねぇか?」

兄はそう答えた。



老木こそ美しい。

だからこそ大切に手入れをする。

「木っていうのはやっぱり、今までやってきたことの積み重ねだから」と小林さんは語る。



弘前公園の桜たちは、その古さにますます若々しさを積み重ねていくようだ。津軽の男たちのひたむきな粘り強さが、その命を支えている限り。

「100年なんて、まだまだ若い」

弘前公園の美しさはきっと、まだまだはじまったばかりなのだろう…!










(了)






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出典:NHKプロフェッショナル仕事の流儀
「桜よ、永遠に美しく咲け 樹木医・小林勝」

posted by 四代目 at 09:22| Comment(0) | 植物 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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