2013年05月02日

7万年間の奇跡。水月湖の年縞堆積物


「水月湖(すいげつこ)」

おそらく、ほとんどの日本人は、この湖にピンと来ない。

さして大きいわけでなく、名産があるわけでもない。そもそも、どこにあるのやら…。



だが一転、地質学の世界に目を向けると、「Lake Suigetsu(水月湖)」は世界的に有名な湖である。

現在の標準時がイギリスのグリニッジ天文台にあるとしたら、「地質学の標準時」、すなわち歴史を測る尺度として、水月湖は世界的に参照される湖なのである。

水深およそ34mの暗い湖底には、7万年という永い時を知る地層が、堆積物としてほぼ完全な状態で残されているのだという。






◎炭素14



日本で最も古い土器は、大平山T遺跡(青森)で見つかったものとされている。

その土器はおよそ1万6,900年前のものとされ、それがすなわち、日本の縄文時代の始まりの年代ともされている。



ところで、なぜ、その土器が1万6,900年前のものと判ったのか?

それは、土器にこびりついていた「おこげ(炭素)」を測定した結果、判明したことである。

その炭素(おこげ)は、正確には「放射性炭素14」と呼ばれるもので、地球の大気中に一定の濃度で漂っている。そのため、地球の大気を吸うすべての生物(有機物)には、この炭素14が含まれていることになる。



炭素14というのは、生物が生きている間は増えも減りもしないが、いったん死んでしまうと、減る一方になる。その半減期は5,730年。

もし、土器のおこげの炭素14が半分に減っていたら、それは5,730年前のもの。もっと少なく、4分の1しかなかったら、その倍の1万1,460年前のものと逆算される。

これはいわゆる「放射性炭素による年代測定」であり、アメリカの科学者、ウィラード・リビーの編み出したものであった(1960年ノーベル化学賞受賞)。






◎誤差と補正



世界的に広く用いられる「放射性炭素年代測定法」であるが、さすがに「誤差」も出てくる。

というのは、炭素14の濃度は常に一定なわけではないからだ。その生成量は、宇宙線の変動や、海洋に蓄積された炭素の放出の影響を受けるため、年代ごとに違ってくる。地球磁場の影響も受けるため、北半球と南半球でも濃度が異なってくる。

その誤差は、1〜3万年で数百年。すなわち、炭素14による年代測定には、必ず「較正(基準に照らして正す)」という作業が必要になってくる。



「世界のほとんどの全ての放射性炭素年代というのは、『補正』を必要としています。で、どういうデータを使って補正を行うかということに関しては、全世界が合意していないと困るんです」

そう言うのは、中川毅さん(ニューカッスル大学教授)。水月湖底の堆積物を調査している人物である。



「じつは去年(2012)の7月、水月湖のデータを中心的に採用していこうということが、放射性炭素学会の総会で可決されました」と中川さん

それはすなわち、日本の水月湖がグローバル・スタンダードとなり、世界中の放射性炭素年代の誤差が補正されていくということであった。



水月湖の堆積物による炭素14の較正の結果、日本最古の土器の年代は、1万6,900年前ではなく、1万6,652年という鑑定結果が出た。

その誤差は、およそ250年。江戸時代が始まって終わるくらいの誤差があったことになる。






◎年縞



水月湖の堆積物は、木の年輪と同じように、一年一年、その時を湖底に積み重ねていた。

春には、珪藻やプランクトンなどの死骸が雪のように白く降り積もり、夏には梅雨で流されてきた細かい土砂が積もる。秋になると、落ち葉が舞い降り、冬には水中に溶けていた鉄分が、気温の低下とともに黒い堆積物となり湖底に沈む。



水月湖の堆積物がはじめて試掘されたのは1991年。本格的な学術ボーリングが実施されるのが、その2年後の1993年。全長73mほどの堆積物の採取に成功し、その上部40mに約7万年分の連続した「年縞(ねんこう)」が確認された。

「年縞」というのは、木の年輪に相当する言葉で、年ごとの縞(しま)。

ちなみに、英語の「varve」に対して、年縞という訳語を与えたのは、この時の代表、安田善憲さん(国際日本文化研究センター)だったという。



水月湖の年縞は、1年が平均0.6mmという薄さに凝縮されている。

それが積もり積もって7万年分である。放射性炭素による年代測定は、その半減期から5万年前までが適用限界であるため、水月湖の年縞堆積物は、それ以上のスケールを持つ物差しでもあるということだ。

堆積物の薄い薄い縞模様を、一枚一枚数えていけば、極めて高精度な年代測定が可能となる。その誤差は、1万年で30年(0.3%)という僅かなものであるという。







◎世界の年縞



何万年という長い時代を連続的にカバーする年縞堆積物は、世界でも限られた場所でしか見つかっていない。

たとえば、もっとも古くから知れれているアイフェル地方(ドイツ)に分布する湖沼群。だが、このアイフェルの年縞は、完新世と晩氷期においては明確であるが、それ以前の時代(1万数千年以前)は不明瞭であるという。

ベネズエラ沖のカリアコ海盆からも、年縞をもつ堆積物が得られている。これは晩氷期以降の時代を連続的にカバーするものだという。この年縞に含まれる有孔虫の遺骸が放射性炭素14の基準とされている。



もちろん、樹木の年輪にも連続する炭素データは残っている。ただ、その寿命がその限界となる。現在確認されている年輪の連続データは、1万2,600年前までがせいぜいだ。

そして、忘れてならないのは極地グリーンランド。過去数万年の気候変動において、この地の氷床がいわば標準曲線のような地位に君臨しているのは周知の通りであろう。






◎奇跡的な湖



これら世界の年縞と、水月湖のそれとを比較することで、水月湖の「奇跡」が明瞭となる。

まず、7万年もの膨大な年代をカバーする年縞は、水月湖のそれをおいて他にはない。何万年というスケールにおいて、地球の表面は生き物のように動く。そのため、水月湖のように静止した状態を7万年も保つことは、ほぼ不可能。

並みの湖であれば、とっくに干上がっていておかしくない(湖の寿命はたいてい1〜3万年)。湖底に堆積物が積もっていけば、当然浅くなってしまうからだ。



ではなぜ、水月湖は7万年間も、ジッとしていられることができたのか?

不思議なことに、水月湖の湖底は一年に約0.7mmずつ下がっていた。それは近くに断層があり、そこが少しずつズリ落ち続けていたからだ。

湖底の堆積物が年に0.6mmずつ厚くなっていっても、それよりわずかに速いペースで、湖底は下がり続けていた。だから、この湖は浅くなることがなかったのだという。



また、この湖に直接注ぎ込む川はない。同様、海にも直接つながっていない。いわば「水たまり」のような状態である。そのおかげで、いきなり土砂が流れ込むこともなく、また逆にいきなり土砂が流出することもなかった。

そして、水月湖に生物がほとんどいないことも幸いした。湖底を掻き乱す生物がいなかったために、湖底は静かなままに保たれたのだ(不幸にもウナギやシジミなどの名産がない湖だったが…)。



最後に、水月湖の二重底。

水深6mまでの湖水上部は淡水、それより深い部分は「硫化水素を含む汽水」と、水月湖の水は上下2層にクッキリ分かれている。

「汽水(きすい)」というは淡水と海水のミックスであるが、それは淡水よりも重いので、湖底に滞留することになる。たとえ湖面が強風に波立っても、下の汽水部分は動かない。当然、湖底の堆積物も守られる。

上下の行き来がないため、空気中の酸素と触れる機会を失った下の汽水部分。いずれ酸素は消費し尽くされ、無酸素状態にもなった。ゆえに生物も住めなくなった。ますます静かになったのだ。



こうした幾多の「自然のはからい」によって、水月湖は7万年の長きにわたり温存されることとなったのだった。





◎年縞の計数



水月湖の年縞堆積物の中で、年代測定に用いられるのは「陸上の樹木の葉っぱ」である。この点、ベネズエラ沖のカリアコ海盆が「海中の有孔虫」を用いるのとは良い意味で異なる。

カリアコ海盆が海中に溶存する二酸化炭素を指標にするのに対して、水月湖の場合は、陸上の二酸化炭素量を直接知ることができる。すなわち、水月湖の方が補正を必要としないのである。



だが、1993年の採掘調査では、水月湖の年縞に疑問が残っていた。どうも、水月湖の年縞は「若く」見える。数百年ないし2000年も若すぎるように見えた。

そして実施された第二次学術掘削(2006年夏)。すでに世界的な注目を集めていた水月湖には、日本のみならず、イギリス、ドイツなどからも研究者たちが訪れた。

約40日間の作業で、全長73.2mの連続する年縞堆積物が、この時得られた。



ドイツのポツダム研究所は、年縞のシマ一つ一つを偏光顕微鏡で数えていった。イギリスのウェールズ大学は、蛍光X線スキャナを用いて60μm単位(1年分を10分割)で分析していった。

それぞれが独立した方法で年縞を数えることにより、その結果を検証しあうのだ。中川毅さんのチームも、もちろん数えた。



年縞のシマというのは機械的ではないために、どうしても目視による判断が求められる。

というのも、異常気象などがあったりすると、夏が秋まで長引いたりして、本来なら夏に一回だけ溜まるものが2度溜まっていたりする。逆に冷夏であれば、夏に溜まるはずのものが、そっくりなかったりもする。



「やっぱり人間が眼で見て、ここが年の境目であろうということを判断し、決めていくという作業がどうしても必要になってくるんです」と中川さんは言う。

「一回だけ数えたのでは、それはそれで不安なので、2回数えました」

そう平然と言う中川さんであるが、果たしてミリにも及ばぬ7万年分のシマシマを、一つ一つ数えていくという作業は、どれほどの根気を要するものであろうか。






◎花粉



水月湖の年縞堆積物には、樹木の葉っぱ以外にも、いろいろなものが含まれていた。

たとえば、花粉や種子、黄砂や火山灰。これらの遺物は、当時の歴史をそのままに教えてくれる。

約1万年前くらいに起きた韓国ウルルン島の大噴火。その時の火山灰も水月湖の湖底に残されていた。また、約3万8,200年前に水月湖の周辺で発生した大地震。その傷跡も残されていた(ちなみに水月湖は福井県にある)。



水月湖の年縞には、じつに100種類以上の「花粉」が含まれているというが、その花粉は「地球温暖化」の歴史を教えてくれる。

植物というのは、気候変動によって一年単位で敏感に反応する。気温の変化に反応する植物もいれば、降水量の変化に反応する植物もいる。暖かい地域に生えるブナもあれば、寒い地域を特異とする白樺もある。



そうした植物の変化が「花粉」という形となって現れる。

水月湖の教える歴史はこうだ。「1万5,000年前に始まった温暖化。周辺からツガなど氷期の樹木が激減。続く約500年間の空白(森の少ない荒野状態)の後に、ブナやナラなど御大の落葉広葉樹にスギの混じった森が広がった」。



1万5,000年前という時期、グリーンランドの氷床に残された痕跡からも、地球的な温暖化が起こったことが知られていた。しかし、水月湖の年縞を見ると、その温暖化は今まで考えられていたよりも、ずっと穏やかなものだった。

グリーンランドの氷床が示すのは「たった3年間で平均気温が5℃も上昇する」という急激なものだったが、水月湖の示す変化は、もっと長い年月をかけて、ゆったりと気温が上昇していったことを示していた。



そもそも今まで、地球の極地にあたるグリーンランドで起こったことが、中緯度・温帯の日本にも同じように起こったと考えるのには無理があった。それは研究者たちも先刻ご承知のことであった。

だがそれでも、グリーンランドに代わる信頼のおける指標がなかったために、この点が曖昧にされ続けてきたのである。

そこに登場した水月湖の年縞堆積物。世界からお墨付きをいただいた「時代の物差し」が日本から生まれたのである。



「やはり、気候変動というものが全世界つねに同時に起こったとは限りません。時間的に違うタイミングで起こったと解釈してもいいだろうと思っています」

10年間、自分の肉眼で花粉を数え続けたという中川さん。これまでの通説を覆すような証拠を水月湖の年縞堆積物から見つけてしまった。その時は、正直怖かったという。






◎黄砂



また、堆積物に含まれる「黄砂」にも多くの情報が含まれていた。

黄砂の示すのは、その年の「偏西風」の位置である。偏西風というのは、文字通り西から吹く風であるが、この風の吹く位置が日本の冬の強弱を決めている。

たとえば、偏西風がより北寄りの時は「暖冬」。寒気が強く偏西風が南に押されている時は「厳冬」といった具合である。



偏西風に飛ばされて日本に至る黄砂には2種類ある。ゴビ砂漠のものとタクラマカン砂漠のものである。

いつもはゴビ砂漠から多くやってくる黄砂。ところが偏西風が北に寄ると、タクラマカン砂漠からも飛んでくる。どちらの砂漠からやって来たかを突き詰めることで、その年の偏西風の位置、そして冬の厳しさを知ることができる。



水月湖の湖底には、そうした黄砂のデータがそっくりそのまま残されており、すでに5,000年間ものデータが明らかになっている。

今の気象技術では、偏西風の位置を予測することは難しい。それでも、年縞から割り出された偏西風の「過去のパターン」によって、未来の予測がより精度を増すことにもつながるのだという。






◎湖底に眠る



世界でも有数の「天然の記録計」

7万年もの間、途切れることなく積み重なってきたからこそ、水月湖の年縞は別格なのである。



「水月湖には地球の歴史が書かれている」

歴史を記録し続けてきた湖底の年縞堆積物。そこに記録された情報量は膨大であり、その解読にはまだまだ長い年月を要する。



「水月湖の時間の目盛りを読み解く努力というのは、私ですでに3世代目に入ります。丁寧に抽出すれば、キリがないくらいたくさんの情報が含まれているのです」

大学の研究室でとれる時間だけではとても足りない、と言う中川さん。試料を家に持ち帰ってでも、彼は顕微鏡を覗き続ける。それも嬉々として。

「良くも悪くも、人生を変えたのは間違いないと思います(笑)」



水月湖の年縞は、中川さんの人生のみならず、人類史を覆してしまうかもしれない可能性を秘めている。

恐るべし、福井県水月湖。

きっと水月湖の湖底には、まだまだ我々の知らない真実が、いまなお静かに眠っているのであろう…。







(了)






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出典:NHKサイエンスZERO
「湖に眠る 奇跡の堆積物」

posted by 四代目 at 11:02| Comment(1) | サイエンス | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
何で世界遺産に申請をしないんですかね?(笑)
Posted by ぴょん吉 at 2013年07月25日 22:26
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