去年の暮れ、クラッシクのあるCDが異例のセールスを記録していた。
エグザイル、ユーミン、ミスチル等、並み居るポップスターたちの頭を抑え、売り上げ一位に輝いた作品。
佐村河内守(さむらごうち・まもる)作曲「交響曲第一番"HIROSHIMA"」。
それは決して万人向けの音楽ではない。
80分にも及ぶ大作は、聴く者に相当の忍耐を要求する。重く暗い暗雲に覆われているかのような楽曲。そこに描き出されているのは、原爆投下後の世界。人類のあらゆる苦しみと闇だった。
それでも、この作品は人々の心を揺さぶった。
「何度聴いても、鳥肌が立ち、身体が震え、涙があふれてくる」
ネット上には、感極まったメッセージが次々と寄せられる。とりわけ、深い闇を知る人々の心にほど、大きく響いた。
「今、被災地に最も届けたい曲No.1です」
東日本大震災の被災地である東北地方の避難所では、いつしかこの大曲が「希望のシンフォニー」と呼ばれるようになっていた。
「祈りの大交響曲である『交響曲第一番"HIROSHIMA"』こそ、被災した僕たちに今、最も希望をもたらす曲です」
暗く重い旋律のあとに湧き上がる再生へのメロディー、その希望に人々の心は共鳴するのだった。
◎失聴
作曲家・佐村河内守(さむらごうち・まもる)。
彼の音楽は、世界の有力誌でも高く評価されており、最近の人気投票(レコード芸術)においても、生存する作曲家としては唯一人、ベートーヴェンやショパンなどと肩を並べていた。
「現代のベートーヴェン」
そう彼が呼ばれるのは、両耳の聴力がまったく失われているからでもある。
どんなに賞賛の声が大きかろうと、それが彼の耳に届くことは決してない。
あれは、高校時代の夏の日だった。
電車の中で突然、眼の奥に激痛が走った。そして意識を失った。
多くの病院を受診したが、原因は不明。聴力は低下の一途。悪化するほどに嫌な耳鳴りも大きくなっていった。
幼い頃からピアノやバイオリンの英才教育を施されていた佐村河内氏は、将来、交響曲の作曲家になることを嘱望されていた。彼にはその意欲もあり、才能もあった。
ところが、あの夏の日以来、彼の人生は大きく下へと曲がり始める。低下する聴力。その恐怖から逃れんとするかのように、彼はひたすら曲を書き続けた。
上京した頃の創作ノートは、まるで塗り潰したかのように、無数の音符で紙面が埋め尽くされている。失聴という闇を寸毫たりとも入れようとせぬ気迫をもって…。
◎轟音耳鳴り
念願だったオーケストラの仕事。そのチャンスは35歳の時に巡ってきた。
和太鼓や琴も交えた総勢200人もの大編成オーケストラは、観客の度肝を抜いた。
鳴り止まぬスタンディング・オベーション。しかし、佐村河内氏の耳にはもはや耳鳴り以外は、何も聞こえていなかった。この時すでに、彼の聴力は完全に失われてしまっていた…。
音を失った彼の耳に聞こえるのは「耳鳴り」ばかり。
それは「轟音耳鳴り」と呼ばれるもので、ピーンとかキーンといった小さな高音ではなく、重低音かつ大音量。その不快な轟音は24時間365日鳴り止まない。
光を見ると、よけいに耳鳴りが激しくなる。そのため、佐村河内氏の自宅は、昼間でも分厚い黒カーテンで閉め切られている。さらにその暗室のような室内にあっても、サングラスが外せない。その真っ暗闇の中、飼い猫の眼ばかりが光っている。
耳の中で響く轟音は「ラ」の重低音。
その轟音の大波から逃れようと、佐村河内氏は大量の薬を服用する。それは意識を朦朧とさせるためでもある。毎日15種類ほどの薬。彼の机の上には、それらがこぼれ落ちんばかりに山と積まれている。
あまりに大量の薬は身体を蝕む。しかし、その服用を控えると、途端に耳鳴りが勢いを増す。トイレにすら立てなくなりオムツを余儀なくされてしまう。
週の半分近くはそうした状態であり、体調の良くなるわずかな隙間の時間にしか、作曲はできない。
そのわずかな時間も、耳鳴りの轟音からは逃れられない。「ラ」の重低音に加え、あらゆるノイズが邪魔をする。頭に浮かぶ旋律は、すぐにノイズの闇に埋もれてしまう…。
「隙間みたいなところから音が何とか一生懸命降りて来ようとするし、それにはすごく集中が必要だし、自分はそれを自ら近づいて行って、つかみ取るようなイメージ」と佐村河内氏は言う。
◎千羽鶴
音を失った14年前、佐村河内氏は作曲する気力をまったく失ってしまい、絶望の淵に沈んだままだった。
何度鍵盤を叩いてみても、耳鳴り以外は聞こえない。自分が生み出した音楽を聴くことができない。当時のことを、佐村河内氏はこう語る。
「まったく自分から音がなくなったということに気づいてからは、もう、身体が竦(すく)んでいるっていうようりかは、鳥肌がもう止まらないっていうか、血が逆流しているような感覚」
「この先どうして生きていけばいいんだ…。音が無くては作曲ができない…」
その絶望の淵にふらりと現れた一人の少女。まだ小学6年生の彼女には右腕がなかった。それでも彼女は義手を用いてプロのバイオリニストを目指していた。
あるクリスマスの時期、その彼女は佐村河内氏にプレゼントを渡す。それは千羽鶴。
「ずっと前から、ちょっとずつ折り続けてて、遅くなったけど」
左手だけで折り続けたという千羽鶴。折り上がるまでに4年もの歳月を要していた。
それは暗闇に生きる佐村河内氏には、あまりにも眩しい千羽鶴だった。
少女に出会った当初は、佐村河内氏が彼女を支え応援するつもりだった。ところが、いつの間にか、逆に彼は励まされていた。
「ありがとう…、ありがとう…」
◎闇中の光
耳の聞こえない佐村河内氏は、少女のバイオリンに指を触れて音を確かめる。
少女の奏でる曲は、佐村河内氏が彼女のために書き下ろしたバイオリン曲(ヴァイオリンのためのソナチネ嬰ハ短調)。
佐村河内氏が作曲の意欲を取り戻したのは、この少女のように困難という闇の中でも希望を持ち続ける人のために、心から曲を作ってあげたいという想いに駆られてからだった。
「闇が深ければ深いほど、小さな光っていうのは、とても輝いて見える。障壁があることによって生まれてくるもの、闇の中からつかんだ音みたいなもの。そういったものにこそ、僕にとっては真実の音なんじゃないかと思えて」
音を失った佐村河内氏には、かえって真実の音が聞こえるようになっていた。その音はたとえ小さくとも、闇の中でさえその小さな輝きを失うことは決してなかった。
絶望の闇にこそ差し込む一筋の光明。
立ち上がった佐村河内氏は、大交響曲”HIROSHIMA”へと進んでいく。
故郷ヒロシマをテーマとした交響曲。両親から聞いた被爆体験。そして聴力を失った自分…。彼の闇の中には、微かながらも確かな音があった。
◎交響曲第一番"HIROSHIMA"
昨年4月の東京初演。
聴衆たちはあまりの感動に、地鳴りのような拍手と熱狂的なスタンディング・オベーションを佐村河内氏に贈った。
ステージ上でも、指揮者やコンサートマスター等までが冷静さを失いかけて涙をぬぐうという、稀に見る演奏会だったという。
「ヒロシマは過去の歴史ではない。佐村河内守さんの『交響曲第一番"HIROSHIMA"』は、戦後最高の鎮魂曲であり、未来への予感を孕んだ交響曲である」
作家の五木寛之氏は、そう絶賛した。
クラシックの専門家たちも唸らざるを得ない。
「千年ぐらい前の音楽から、現代に至るまでの音楽史上のさまざまな作品を知り尽くしていないと、こういう作品は書けません」
中世以来の西洋音楽の歴史を、そして人類の苦しむあらゆる闇を、この大交響曲は包含していた。
◎悪魔と十字架
たとえば、交響曲第一番"HIROSHIMA"に多用されている「トリトヌス」と呼ばれる特殊な音程。
「この音程は、中世の頃から『悪魔の音程』と呼ばれてきた音程なんです。運命として非常に不穏な空気が漂っているのです(野本由紀夫・玉川大学教授)」
その不安定さのために作曲家が避けて通るというトリトヌスを、佐村河内氏はあらゆるところに潜ませている。チェロの旋律の中には4つものトリトヌスが組み込まれている箇所がある。その調べは、あまりにも不穏で重苦しい。そして長い…。
その後一転、重く垂れ込める暗雲の隙間から「十字架」が現れ出る。
それは「十字架の音程」と呼ばれる4つの音の組み合わせで、教会音楽などで人々を天へと導く神を表すメロディーである。
十字架に導かれるように高く舞い上がろうとするメロディー。
しかしその裏では、その足を引くかのように下降する旋律も同時に奏でられている。
「十字架が現れてメロディーも上へ行こうとする。明るい希望の方へと手を伸ばしていこうとする。でもまだ、おそらくこれは苦難の中にいることを表しているのではないでしょうか(前出・野本由紀夫)」
希望へ向かって進んではいる。しかしまだ、完全な勝利が得られたわけではない。
「この音楽は、本当に苦悩を極めた人からしか生まれてこない音楽だと思います(同出)」
闇の中に留まりながらも、その先に小さな希望を見る。
「それが多くの人の感動を呼び起こすのではないでしょうか」
◎レクイエム
この冬、佐村河内氏は東日本大震災の被災地、宮城県女川町の海辺に立っていた。
被災地の現実を目の当たりにして、佐村河内氏は立ち尽くすより他になかった。
未だ放置されたひしゃげた車の残骸。容赦なく吹きつける寒風…。
「この現実から、どのような音を紡げばよいのか?」
被災地のためのレクイエム(鎮魂歌)を決意したはずの佐村河内氏。しかし、その曲作りは難航していた。
なんとか作曲を続けようと、大量の薬を服用した佐村河内氏。その副作用から、もはや立つことすら敵わない。
這いつくばるようにして辿りついた机の上で手にした一冊の名簿。そこには震災で亡くなった人々の氏名が記されている。
一人ひとりの名前を指でなぞりながら、その無念さや痛みを感じていく佐村河内氏。
「もう、読めば読むほど涙が出るし、その分、絶対に無責任なことは出来ない。だから、すごく苦しい。怖い…」
◎少女と母親
文字をたどる指は、ある女性の名前の上でピタリと止まる。
梶原希久美(37)
震災当時、女川町の水産加工会社で働いていた彼女は、津波で亡くなっていた。10年前に離婚した彼女には、その細い手一本で育てる愛娘がおり、3つの仕事を掛け持ちしてでも懸命に生きていたのに…。
残された少女は一人、避難所で母の帰りを待ち続けた。
しかし、母親が戻ることはついになかった…。
その少女、真奈美ちゃんと佐村河内氏は奇しくも出会った。
「すごく強く生きている子です。でも、大切なお母さんを津波で亡くして、非常に大きな闇を抱えているんです」と佐村河内氏。
この少女のために、曲を書こう。それが佐村河内氏にできることであった。
◎闇夜
しかし、佐村河内氏は希望の旋律をつかみ取ることができずにいた。深夜の公園で、ひとり苦悩する…。
「脳が拒絶反応している。もう音を完全に脳がシャットアウトしようとしている。拒絶した脳は『ここじゃない』と言っている」
あまりに深い闇は、微かな光すらも見せてくれなかった。もはや自分には鎮魂歌を書く資格すらないのではないかとも疑われた。
「この闇を照らすのは、どんな光なのか?」
真奈美ちゃんのお母さんを奪った女川の海。それを覆う漆黒。
佐村河内氏は、何も見えぬ夜空をただ見上げる。風速10m。闇夜には細かな雪が海から吹きつけられてくる。零下2℃。その海辺に佐村河内氏は佇んでいた。
凍らんばかりの海水に長いこと手を浸し、何かを感じ取ろうとする佐村河内氏。
この夜はおよそ6時間、そうして微かな何かに佐村河内氏は耳を傾け続けていた…。
◎一人のために
大詰めを迎えた曲作り。
自宅に戻った佐村河内氏はこの2日間、まったく寝ていなかった。
暗くした室内には、愛猫がうずくまっている。
「完成しました…」
佐村河内氏は、寝むそうな猫にそっと声をかけた。
ついに鎮魂歌(レクイエム)は完成した。
出来上がったのは、およそ14分のピアノ曲「ピアノのためのレクイエム イ短調」。
その譜面には、佐村河内氏が闇の中から見出した旋律がキレイに書き込まれていた。
震災から2年後の3月10日、その曲は披露されることとなっていた。
その場所は石巻市にある湊小学校。母を失った少女、真奈美ちゃんの通う学校であり、彼女が震災の時にいた場所でもあった。
体育館に集まった大勢の人々は、一台のピアノを前にする。そして、田部京子さんの演奏がはじまる。
まず奏でられる、魂を鎮める”祈り”
ぶつけようのない”怒り”
そして、闇の中でつかんだ”光”
その流れる音に身を任せていた真奈美ちゃんの心には、「お母さんの笑顔」が浮かんでいた。
ママとの思い出。
楽しかった思い出…。
佐村河内氏が命を削ってまで紡ぎだした旋律。
その想いは、確かに少女の胸に伝わったようだった。
「僕は、一人しか救えませんよ」
暗闇の中、佐村河内氏はそう言っていた…。
(了)
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