2013年03月30日

円空仏の微笑と悲しみ。両面宿儺


「円空もてるものは鉈(なた)一丁のみ。常にこれをもて仏像を刻む所作とす(近世畸人伝)」

僧・円空は一生涯で12万体の造仏を果たしたと伝えられる。



彼は高貴な僧侶ではない。

人々が親しみを込めて「円空さん」と呼んだように、限りなく庶民の側に生き続けた僧である。

全国を行脚した「円空さん」は、飢饉・干ばつ・風水害・貧困等で喘ぐ人々と交わりながら、その救済に仏像を造って与える菩薩行を実践して歩いたのだという。



今も残る円空画像の模写(飛騨千光寺)。

その画像には「キッと目を見開いて眼光するどく岩屋で念誦する山岳修行者を彷彿させる円空の厳しい顔がある(大下大圓・飛騨千光寺住職)」

諸国を行脚しながら風雪に耐えて旅した円空。その苛烈なまでの生き様を感じさせる画像。それは「自分には厳しく、他にはあたたかい」円空の慈愛でもあるのだろう。







◎両面宿儺(りょうめん・すくな)


円空の代表作に「両面宿儺」像というものがある(飛騨千光寺蔵)。

「両面」というのは顔が2つという意味であり、「宿儺(すくな)」というのは飛騨にあった豪族の名前だという。

円空の彫ったという両面宿儺は、「中央に笑った顔を、その横に怒った顔をくっつけた忿怒と柔和像である(大下大圓)」。



両面宿儺とは如何なる人物か?

悲しみに彩られた彼の伝説は、大きな権力に歪められた形跡が色濃い。



時は大和朝廷が盛んなりし頃、宿儺(すくな)は山深い飛騨の地に根を下ろしていた。

宿儺の姿は恐ろしくも異形。「身体は一つにして両の面あり。四手四足。四の手に弓矢を用ふ(日本書紀)」。その伝説は、宿儺を鬼神のように語る。



仁徳天皇の時代、飛騨の宿儺はその支配に従おうとしなかった(皇命に随はず)。

「美濃・飛騨は大和朝廷にまつろわない異族の国である。両面宿儺はその首長であると考えられる(谷川健一)」



そして差し向けられた討伐の兵。その軍を率いるのは武振熊(たけふるくま)。

その圧倒的な軍勢に撃退された宿儺は、山の中へと姿をくらます。その後を追う武振熊。その途上に白い鳩が北へ向かうのを見て、「宿儺は北へいるぞ」と北へ北へと追い立てる。

やがて武振熊(たけふるくま)の眼前には乗鞍岳がそびえ立ち、その中腹には大きな洞穴が見えてきた。「あの岩屋が宿儺の隠れ家だ!」



岩屋の入り口を目指して崖を攀じ登る都の兵士たち。

対する宿儺は四本の腕で大きな岩を落としたり、大木を引き抜いて投げつけたり、猛然と抵抗する。四本の脚で走り回る宿儺は、恐ろしく素早い。



然れども、宿儺の劣勢は覆い難し。ついには疲れ果て、武振熊に組み伏せられてしまう。

だが、武振熊もさる者、凄まじい一騎打ちを演じた宿儺のその武勇を惜しむ。「命を奪うには惜しい男だ…」。



しかし、宿儺は頑として降伏など聞き入れない。「早く首をはねるがよい」との一点張り。

やむなく武振熊は宿儺の首をはねる…。



◎両面宿儺は凶賊か


日本書紀は宿儺を「人民を掠略みて楽とす(人民から略奪することを楽しんでいた)」と記す。ゆえに誅したのだ、と。

しかし、土地に伝わる伝承からは、まったく異なる宿儺の顔が現れてくる。



飛騨千光寺の縁起(千光寺記)によれば、宿儺は「救世観音の化身」であり、当寺を創建した人物(御開山様)となっている。また、宿儺は天皇の命により位山の鬼「七儺」を討ったとの記述もみられる。

さらに、日龍峰寺の開基は「両面四手上人(両面さま)」とされており、宿儺は霊夢の告により「観音の分身」になったとも云う。そして、高沢山の毒竜を征伏したのもこの両面四譬の異人であると。



仁徳記(日本書紀)には、宿儺が怪物まがいの凶賊として語られているが、美濃・飛騨の現地では、両面宿儺への根強い信仰が今なお残る。

「その名は日本書紀に一度登場して誅殺されたあと、正史には姿を見せない。だが、濃飛では今でも敬愛されている(谷川健一)」

「千光寺にある宿儺の石像には、時代を超えて受け継がれてきた住民の敬慕の念が込められている。大和朝廷にとっては許せぬ抵抗者であったが、その地方にとっては人の倍の力をもった優れた人物だったのだ(岡部伊都子)」



◎柔和な笑み


2つの顔をもつ両面宿儺。

円空の彫ったその像は、柔和な笑みがその前面に大きく出ている。

「おそらく円空は、千光寺住職の舜乗から宿儺の物語を聞かされ、その想いを感じて丁寧に彫り上げたものと思われる(大下大圓)」



円空の宿儺像は、その手に剣や槍ではなく「斧」をもつ。それは黎明期の飛騨の山野を開拓した「ひだ人」の象徴ではないか、と大下住職は言う。

その「ひだ人」は、身を呈して現地の人々を守ろうと、強大な権力に刃向かったのかもしれない。そして、土地の人々はそんな宿儺の姿を尊崇し続けてきたのかもしれない。



飛騨の人々は英雄としての宿儺を忘れたくはなかったのだろう。

しかし公に宿儺を讃えるわけにはいかない。朝廷の逆賊とされたのだから。

ゆえに宿儺は「観音さま」となり、その信仰の陰に隠れるようにして現在まで生き延びたのではなかろうか。



宿儺を討った武振熊(たけふるくま)もその意を察してか、さり気ない牽制を行なっている。

今も飛騨各地に残る八幡社がそうであり、それは武振熊の建立によるものと伝わっている。



◎円空仏


円空の伝説によれば、幼き日に母を目前の水害で亡くしたことが、造仏のキッカケになったのだという。

自分の内に悲しみを抱えたままだった円空。諸国を旅するうちに、同じような苦悩を背負って生きる人々と出会う。



貧困や干ばつ等で苦しめられる農民たち。

円空はひたすら彼らの心の安寧を願った。

「もがき苦悩する人々へ手を差し伸べ、必要であれば、その辺りに転がる木々を用いて、簡単な仏像を造って手渡す(大下大圓)」



密教においては、仏を念誦・供養する規則が定められた経典や儀軌があり、造仏するためには、その規則にそって制作しなければならない。

ところが、円空の手による仏像のほとんどは、そうした決まりに則ったとは思えない。より抽象化され、そして思い切って省略されているのだ。



「円空は余分なものは一切彫らずに、仏の本質のみを表現した」

円空が形にしたのは「むき出しの個性と生命力」であった。







◎微笑


鉈(なた)で彫られた荒削りの円空仏の数々。

そこには「素彫りの微笑」が浮かんでいる。



修験の僧でもあった円空は、権威とは無縁のところで、大地にへばりついて生きていた。

そして、必死に生きんとする人々の生活の中にこそ浄土はある、と信じた。

そうした人々のために円空は祈った。飛騨でも、かつて蝦夷と嘲られた辺境の地でも…。



人には死と隣り合わせの苦しみを味わってもなお、そこから這い上がる人間力がある、とブッダは教えた。その力を「自灯明(じとうみょう)」という。

完成していないように見える円空仏は、そこに見る人の自灯明が灯ってはじめて、その完成を見るのかもしれない。

「円空仏の魅力は完成していないように見える素彫りの造形であり、それを拝む人の心に、安心や慈愛、微笑を醸しだしてくれるのである(長谷川公成)」







◎ 原始人間


「両面宿儺」の像が円空の代表作と讃えられるのも、この像が円空そのものを表しているかのように見えるなのかもしれない。

他人に見せる微笑と、自分に向ける忿怒の形相。

それは宿儺という人物のもっていた二面性を表していると同時に、円空その人を象徴しているようにも思われる。



遠く古代ギリシャにも、奇しくも両面宿儺と瓜二つの人物像が見られる。それはプラトンの「饗宴」に登場する「原始人間」である。

「原始人間の手は四本、足も四本。頭は一つで両面がある。その力は恐ろしく強く、また思想も甚だ偉大で、天に昇って神々に抵抗しようとしたこともある」

結局、神々は原始人間のその強大な力を削ぐために、その身を2つに断ち割り、現在の人間の姿形にしたのだという。そのために、人間は「失われたもう半分の自分」を求めているのだという。



「分離」を経験したという人間は、何かを求めずにはいられないのかもしれない。

かたや両面宿儺は、すべてを持っていたのであろうか。それゆえに疎まれたのであろうか。



求めても、得られても、どこにでも悲しみはあるのかもしれない。

そして、微笑も…。







(了)



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出典:大法輪2013年4月号
「円空の祈り 大下大圓」
posted by 四代目 at 06:44| Comment(0) | 宗教 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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