2013年02月27日

最大の逆境とは? シンデレラとなった義足のアスリート


彼女には、両脚がなかった。

その美しい脚は、両方とも義足である。

「私はヒザから下を切断しています。両脚の骨の一部(腓骨)を持たずに生まれ、1歳で切断したんです」と、エイミー・マリンズ(Aimee Mulins)は語る。



生まれつき両脚に障害があったというエイミー。両親は医師と相談して、エイミーが1歳の時に両脚を切断することに決めた。それは、小さい頃から義足で生活していれば、その後の人生、違和感を持たずに成長できるのでは、という考えからだった。

そのお陰か、赤ん坊がつかまり立ちをする頃から義足であったエイミーにとって、義足で歩くことは至極普通のこととなっていた。

「義足は私の身体の一部でした。私の筋肉は義足に合わせて発達したのです」とエイミー。このことが後に、彼女にアスリートとしての道を拓くことにもつながっていく。



しかしまさか、彼女に女優、そしてモデルの道までが用意されているとは、本人さえも思わなかったに違いない。

英語で障害者を意味する「disable」という単語には、別の意味として「不能な」「役に立たない」「終わった」などなど、これでもかというほどに否定的な意味が列挙されている。

それでもエイミーは、「障害者だから不可能」と思われていたことの多くを、可能にしてしまったのである。



今では、モデルとして数々の雑誌の表紙を飾り、有名デザイナーのファッションショーにも登場するエイミー。出演依頼は世界各地から舞い込み、女優として映画出演も増え、アメリカとヨーロッパを往復する多忙な日々を送っている。

今回は、そんなサクセス・ストーリーである。



◎ダークホース


子供の頃のエイミーは、義足ながらもアチコチ歩き回っており、スポーツをずっと好きでやっていた。5年間ソフトボールをした後、高校からはずっと競技スキーをやって、金メダルも5個ほど獲得した。

のちにパラリンピックに出場するのは陸上競技であるが、それは彼女が19歳の頃からはじめたことだった(1995)。



「私は完全にダークホースだったわ」とエイミー。

それまで大会に参加したこともなく、その義足も競技用のカーボンファイバー製ではなく、木とプラスチックでできたものだった。

「でも、ドキドキしながら初めての大会に出たわ。そうしたら、国内記録保持者に0.03秒差で勝って、私が新しい記録保持者になったの!」



◎大男の喝


そして入学したのが、ジョージタウン大学の女子陸上部(1996)。アメリカのパラリンピック代表選手になることが、その目標だった。

学生当時の、とある真夏の競技会(東海岸の大学リーグ戦)、エイミーは忘れえぬ経験をすることになる。



「すごく暑かったの。もらった時は知らなかったんだけど、新しくもらった短距離用の義足は、靴下の中でかいた汗が潤滑剤のようになって、脚がピストンみたいに上下しちゃったの!」

ユルユルになった義足は、100m走のゴール手前で抜けそうになってしまう。

「恥ずかしくて死にそうだった…。5,000人も観客がいたんだから…!」とエイミー。



その30分後にエイミーは200m走を控えていた。でも、エイミーはすっかりやる気をなくしていた。「100mでも抜けそうになる義足じゃ、200mなんて、きっと走り切れない。義足が脱げて、大勢の前で大恥をかくだけ…」。

そこでコーチに直談判。「棄権させてください! この脚で200mなんて無理」。



ところが、ブルックリンの下町生まれの大男は、デンと構えたまま、エイミーにこう言い放った。

「エイミー、義足が抜けたからって何だ(So what if your leg falls off)? 拾って、履いて、走りゃいいんだっ!!」

その圧倒的な迫力にすっかり押されてしまったエイミー。棄権など甘いことは許されずに、200mを走ることになった。



◎ロッキー4


「あのコーチのおかげで、逃げ出さずに済んだの(笑)」

道をそれることを許されなかったエイミーは、その後、着実に実績を重ね、パラリンピック選考会では複数の新記録も樹立。めでたくアトランタ・パラリンピックの代表に選出される(100m走と走り幅跳び)。

「今でも覚えているわ。6年間配達していた地元紙に、私の顔が載ったのよ。『私の時代が来た!』って感じだったわ」とエイミー。



しかし、パラリンピックの世界レベルは相当高かった。予選の結果を見ると、エイミーのタイムは15.77秒。対する他の選手達のそれは、12.2秒、12.5秒、12.8秒などなど、エイミーより3秒以上も速い。

「えっ! どうしよう…、どうしよう…」

エイミーはそのタイム差に完全に動揺してしまっていた。「アメリカではいつも1位だったのに…」。



「もう、ロッキー4みたいな感じよ…」とエイミー。

「最下位に終わったことしか覚えてないわ…。悔し涙をこらえながら、ただもう、打ちのめされた感じで…」



◎運命の歯車


「何のために来たの? 来た意味はあったの?」

完全に打ちのめされてしまったエイミー。人生を転換させてまで打ち込んできた陸上競技に、疑問を感じざるを得なかった。

「アトランタになんて、来なきゃよかった…」

彼女は酷く後悔していた。



ところが、運命の歯車はこの時、確実に噛み合っていた。

アトランタでの活躍がTED(テッド)の目に止まっていたのである。TEDというのは、アメリカ・カリフォルニア州のロングビーチで毎年開催される世界最大のプレゼン・イベント。

ここにエイミーは招待されたのだった。



その晴れの舞台で、エイミーは率直に語った。ブルックリンの大男のこと、ロッキー4のようになったこと…。

「もう、とっても興奮していたし、その場で思ったことをそのまま話していたの。だから、何を話したかもよく覚えていないし、何が起こっていたかも分かっていなかったわ」とエイミー。

「でも、38人のプレゼンターの中で、スタンディング・オベーションは3人だけ。私はその一人だったんです」



舞台上のエイミーは赤裸々だった。自身の障害を隠そうともしない。義足をわざわざ外してみせたり、おしゃれ用の義足や競技用の義足に履き替えてみせたりもした。

「こちらが私のステキな脚です。これはオシャレ用で、とてもキレイなの。毛穴まであるし、足の爪にはマニキュアまで塗れるのよ」

「こっちは短距離走用。この脚は動いてないと立ちにくくて、バランスを保つのには、ちょっと技術がいるの。これで世界の半分を驚かせたのよ(笑)」



「私はとても真剣なアスリートだけど、競技以外では女性らしく見られたいのよね。一つの分野に限定されないことは大事だと思います」とエイミー。

その正直で自然な姿が、聴衆の心を大きく揺さぶったのだった。






◎トントン拍子


そのTEDの舞台の最前列には、エイミーの最初の扉を開くことになる雑誌編集者「チー・パールマン」が座っていた。

「エイミーは自分の弱い部分も気にせず、率直にさらけ出していました。彼女の話しぶりには身構えたこところが全くなくて、とっても自然でした。だからグイグイと話に引き込まれていったのです」とパールマン。



「プレゼンの後、私はストーカーみたいにエイミーを追いかけ回したんです(笑)」

「彼女のことを、もっとよく知りたい」と思ったパールマンは、自らが編集するデザイン雑誌「ID」の表紙にエイミーを大抜擢。トップ記事をエイミーで埋め尽くした。

そして世界は知った、エイミーの美貌を、そして前向きな生き方を。



TEDのプレゼンから3ヶ月後、雑誌「ID」の記事を読んだグラフィック・デザイナー、ピーター・サヴィルは、その記事を写真家のニック・ナイトと、ファッション・デザイナーのアレキサンダー・マックイーンに手渡した。

その縁から、ロンドンでモデル撮影を行って、またまた雑誌の表紙を飾ったエイミー。ちなみに、その時のコピーライトは「Fashion…able?(ファッションは…できる?)」。



その翌年、エイミーはアレキサンダー・マックイーンのファッションショーに出演。

「トネリコの木で作られた義足を、みんなはブーツだと思ったみたい(笑)」とエイミー。「ブドウのツルと木蓮の見事なデザインだったわ」

こうして、義足のアスリートだったエイミーは一躍、モデルや女優としての華やかな人生を歩むことになったのだった。



◎アート


マシュー・バーニーの映像作品「クレマスター・サイクル(The cremaster cycle)」に出演した時、エイミーは豹に化けた。

「人間とチーターのハーフなの。特殊メイクに14時間よ! 足や爪も動かせるし、シッポだって振り回せるの(笑)」

テーマは「身につける彫刻(wearable scalpture)」。義足は人体に似せることだけが全てではなく、人間の可能性を広げるものだとエイミーは知った。



「誰も見向きもしなかったものが、アートに変わるんです」とエイミー。

「みんなが恐れていたものが、興味深いものになり、理解してもらえるかもしれないんです」



両脚のない障害者として生きてきたエイミーは、社会から除け者にされていると感じることも少なくなかった。

たとえば、6〜8歳の子どもたち3,000人の前(子ども博物館)で話す機会があったときのこと、その場にいた大人たちは、ヒソヒソとこんなことを子供たちに注意していた。

「…間違ってもエイミーの脚をジロジロ見ちゃダメよ…!」



ところがエイミー、じつは子供たちに自分の義足をジロジロ見てもらいたいと思っていた。

「だって、子どもは知らないモノを見ると、自然と興味を持つんだから」とエイミー。

大人たちは、子どもたちの好奇心にフタをして、逆に恐怖心を植えつけてしまう。そんなことは先刻ご承知のエイミー、大人たちには退出を願った。



◎想像力


大人たちの常識から解放された子どもたちは、案の定、エイミーの義足に興味津々。一斉に義足に群がって、突っついてみたり、足の指を動かしてみたり、もたれ掛かってみたり…。

エイミーはこの日のために、カバン一杯の義足を用意してきていたのである。



そこでエイミーは、子どもたちに質問、「2〜3階建ての家を跳び越えるとしたら、どんな脚を作ってくれる?」。

「カンガルー!」と誰かが叫ぶと、一気にみんな盛り上がる。

「だめだめ、カエルだよ!」

「ガジェット警部がいいよ!」

「ちがうよ! Mr.インクレディブルだよ!」

エイミーが知らないようなキャラまで、どんどん飛び出す。



「いっそ、空飛んだら?」

ある8歳の子の発言に、エイミーは唸ってしまった。

やっぱり、子どもたちの想像力には限界がないようだ。その無限の可能性を常識というツマラナイもので蓋をしてしまうのは、あまりにも勿体ない…!






◎可能性


「私たちは、どんな現実を生み出したいのでしょうか」

エイミーは、そう問いかける。ギリシャ人やローマ人など、多くの古代社会では、口に出して呪う効力を信じられていた。口に出したことが、現実になってしまうというのである。

「可能性が限られた人間でしょうか?」



繰り返し否定的なことを言われていれば、誰しもが小さな枠に閉じ込められていく。

もしその逆だったら? 「子どもたちは、自ら持ち合わせたものだけでも、見事にやってのけるものだ」とキーン医師は言う。彼はエイミーの両脚を切断した医師である。



「もしも15歳の私に、『義足を本物の足と交換するか?』と尋ねられたら、少しも躊躇することなく『Yes!』と言ったでしょう」とエイミー。

15歳当時のエイミーは当然のように、みんなと同じになりたかったのだ。でも、今は違う。もし義足がなかったら、彼女の人生はまったく別のものになっていたかもしれないのだ。

「こんなふうに気持ちが変化したのは、私の可能性を遮った人よりも、門戸を開いてくれた人が多かったからです」とエイミー。



◎教育


英語の「educate(教育する)」という単語の語源は「educe」、つまり、内面にあるもの(潜在能力)を引き出すという意味なのだそうだ。

その証左となった研究がイギリスにはある。ある中学生たちを、学力順に4つのグループに分けた(A・B・C・D)。だが敢えて、一番学力の高いAグループの生徒たちには、最低のDだと伝え、逆に最低のDグループの生徒たちには、最高のAだと伝えておいた。



すると不思議なことに、最低のDグループの学力は3ヶ月後、本当にAレベルになってしまった。しかし、Dレベルだと伝えられたAグループの生徒は、逆にDレベルに転落していた。

ここで悲しいのは、生徒だけでなく、教師たちも騙されてしまったことだった。教師たちはそんな「すり替え」があったとは露とも気づかず、生徒に対する教え方や対応までを変えてしまっていたのだ。



「本当のハンディキャップとは何なのでしょう?」

障害者であるという先入観にさらされ続けてきたエイミーは、問いかける。

「『逆境』とは何なのでしょう?」






◎逆境


人生には逆境がつきものであるにも関わらず、大人たちは子どもたちに逆境を避けさせようとする。しかし、エイミーの考えはまったく逆だ。

「大切なのは、逆境と出会わせない、ということではなく、『いかに逆境と出会うか』ということです」



「ですから私たち大人は、大切な人を逆境から庇(かば)うのではなく、うまく遭遇できるように準備してあげなくてはいけません」

それが子どもたちの適応力を育むことにつながるのだ、とエイミーは言う。

進化論のダーウィンが言う通り、一番強い種でもない人間が生き残ってきたのは、「一番適応できる種」であったためだ。



「私たちが作り上げた最大の逆境とは、『正常』という考えだと思います」

エイミーの言葉は、聴衆の胸に深く突き刺さる。

「『正常な人』とは、誰のことでしょう?」



◎4つの言葉しか知らない神様


エイミーの障害者としての人生は、逆境を避けるどころか、その渦中にあり続けたようなものだ。誰も彼女を「正常な人」としては扱ってくれなかった。ときには観光名所のように珍しがられた。だが幸いにも、彼女は「逆境の中に埋まっていたチャンス」に気づくことができた。

「私が言いたいのは、逆境の克服というよりも、逆境の中でも『可能性を開き続ける』という大切さです」とエイミー。

「時には、取っ組み合いをしながら格闘し、時には、その可能性と一緒に踊るのです」



講演の最後に、エイミーは一遍の詩を朗読した。ペルシャの詩人・ハフィスの詩(14世紀)。


「どの子どもでも、神様を知っている

 悪口の神様ではない。禁じる神様でもない。

 『4つの言葉しか知らない神様』だ

 神様は繰り返しこう言う。

 Come dance with me(一緒に踊ろうよ)」



(了)







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出典:NHK ETV特集
「プレゼンが世界を変える TED 人の心を動かす」

posted by 四代目 at 07:54| Comment(0) | スポーツ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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