「いやぁ…、困った息子が帰ってきた…」
従業員たちは冷ややかだった。
ここは山形の小さな繊維工場。そこに東京からUターンして帰ってきた「困った息子」、四代目の佐藤正樹(さとう・まさき)さん(当時26歳)。
この四代目が、「世界のどこにもないオリジナルの糸を作りたい!」などという夢物語を熱く語っているのだ。
従業員たちが「困った息子だ…」と思うのも無理はない。
この工場は、長年、大手メーカーの規格品ばかりを作ってきた下請け工場だ。「世界に一つだけの糸」など作れるはずがない。
そんな特殊な機械もなければ、そんなノウハウもない。そもそも、新しい糸を生み出すような環境ではまったくなかった。
ここは山形県寒河江市、人口はわずか4万人程度。雪国の小さな町である。地元の高校に求人票を出しても、一人の応募者がないことも珍しくなかった。
こんな田舎の小さな繊維工場の従業員たちに、東京帰りの四代目は「雲をつかむような話」ばかりをする。
「このモヘア、世界で誰も作れないから! これ、すごく面白くなるから!」
四代目の夢物語が始まるたびに、むかしからの従業員たちは「できない理由」を一から説明してやらなければならなかった。
ところがまさか、その困った息子が本当に雲をつかんでしまうのが、今回の物語。
佐藤正樹さんが生み出すことになる「世界一細いモヘア糸」、その糸で織られたカーディガンをオバマ大統領のミシェル夫人が着ることになるのだ(大統領就任式2009)。
「そんなに立派になるとは思わなかった(笑)」、佐藤さんが生まれる前から工場で働いている勤続49年の芳賀きぬ子さんは、おかしそうに笑う。
今や、世界のトップブランドがこぞって使うという、山形生まれの糸。それは、いかに生まれたのか?
◎できないこと
「いや、できない」
糸の試作を行う試紡室では、勤続45年になるベテランの技術者「槇正紀(まき・まさき)」さんは首を横にふるばかり。
「世の中にない糸を作ってほしい」と四代目に言われたのだが、できるわけがない。工場にあるのは古い機械ばかり。なかには昭和30年代から使い続けているものもある。
そもそも今まで、自分たちでアイディアを出して糸を作るということをしたことがなかった。大手メーカーに言われるままに作るのが、自分たちの仕事だったのだ。
しかし、「できないこと」というのは、どこかで人の心をくすぐるものがある。四代目に「こういう糸はできないか」と言われるたびに、ベテラン技術者の槇さんの心はくすぐられていった。
「一つの機械で、太さも色も不規則な糸をつくってくれないか」
四代目は槇さんにそう頼んだ。「できるわけがない…」、そう心の中で思いながらも、槇さんはうなずいた。そして、ひとり密かに試作を繰り返した。
槇さんは機械の部品を手作りして、原料を引っ張る力加減や、糸を通す隙間の幅などを細かく変えていく。なにぶん古い機械なので、歯車やローラーは手作業での調節である。
◎できる
そして4ヶ月後、槇さんは四代目の言った通りの糸をつくってみせた。
しかし、四代目は納得しない。「もっともっと」と、槇さんへの要求は尽きることがない。
結局、2年かかった。最初のオリジナル糸「マグマ」ができるまでに。
そのオリジナル糸は、細くなっていったり太くなっていったり、糸の表情は変転してやまない。四代目が表現したかったのは、「自然の移り変わり」であった。
「色も自然と変わっていくんですけど、どこを見ても色が混ざっているんですよ」と四代目。
その糸に込められていたのは、「モノづくり」にかける自分たちのとてつもないエネルギー。その名の通り、マグマのような膨大なエネルギーが沸きたぎっていたのである。
四代目にとって、オリジナル糸の完成は喜ばしいことであったが、それ以上に職人たちが「できる」ということを確信してくれたことが嬉しかった。
ベテラン技術者の槇さんも、新しい糸を生み出すことに「やりがい」を感じ、「つくりたい」という気持ちが沸々と湧き上がりはじめていた。
「わりと紡績の人っていうのは、すごく真面目で固いんですよね。だから、トンでもないやり方で糸をつくるっていうのは、たぶん受け入れられないんです。でも、そこまで行けたのは、ちょっと自分でも信じられない」と槇さん。
どうやら、最初のオリジナル糸は、凝り固まっていた従業員たちの心を揉みほぐしたようである。
そしてそれはいよいよ、「世界で一つだけの糸」へとつながる布石となっていく。
◎モヘア
四代目・佐藤正樹さんを世界的に有名にしたのが、オバマ大統領のミシェル夫人の「カーディガン」。
ミシェル夫人はこのカーディガンがたいそうお気に召したようで、大統領就任式だけでなく、ノーベル賞授賞式でも着用している。
このカーディガンに用いられたのが、ほかならぬ佐藤さんのオリジナル糸、「世界一細いモヘア糸」である。
モヘアというのは「アンゴラヤギの毛」であり、シルクのような光沢が特徴である。しかし、糸が滑りやすく加工しにくいために、ヨーロッパではウールを混ぜるのが常識であった。
そのため、モヘアを得意とするヨーロッパで作られる糸は、どうしても表面がデコボコで、彼らがつくる糸では綺麗なニットが編めなかった。
きっと、従来のモヘアで編んだカーディガンでは、ミシェル夫人の心を捕えることはできなかったであろう。佐藤さんの挑戦は、「究極のモヘア糸づくり」に絞られていった。
「どうすれば、モヘアで綺麗なニットを編めるのか?」
ウールを混ぜてしまうと、モヘア特有の光沢が損なわれ、その上、ニットの表情がデコボコに汚くなってしまう。
「もしかしたら、今まであり得ないぐらい細ければ…?」
とりあえず、ウールが入っていてはダメで、さらにもっともっと細くなければ、佐藤さんの求めるモヘアにはならなかった。
「まずはウールを混ぜないでつくろう。そっからもっと、細い糸をつくろう」
そのためには、そんな細さにできる毛をもつ「アンゴラヤギ探し」から始めなければならなかった。
◎アンゴラヤギ
同じ動物の毛であっても、気候風土や牧羊家の育て方によって大きな違いが出る。ペルーのアンゴラヤギと、南アフリカのそれとでは明らかな違いがある。
南米からアフリカまで、アンゴラヤギを訪ね歩いて9カ国。より良いモヘアを探し求めて5年、ついに佐藤さんは南アフリカの高地(カンデブー地区)で、そのアンゴラヤギと出会うことになる。
その子ヤギの毛は、これまで見たこともない細さと光沢をもっていた。その繊細さは格別だ。
そのヤギを育てる牧羊家もさるもの、「オレがつくる原料は、世界一だ」という強烈なプライドを持っている。佐藤さんが「こんな糸をつくりたい」と熱く語れば、彼も身を乗り出してくる。
即座に意気投合した2人は、朝まで飲み明かす。「やっぱり、価値観が同じなんで」と語る佐藤さん。「ちゃんと理解してくれる人が現れたときはやっぱり、嬉しいですよ(笑)」。
◎極細
その南アフリカの牧羊家自慢のモヘアは、じつに細い。なんと人間の髪の毛の3分の1という細さだ。
その光沢も素晴らしく、素晴らしすぎてツルツルとじつによく滑る。これだけ滑ると、機械で糸を撚(よ)るのは至難の技だ。
幸い、歴史ある佐藤さんの工場には古い機械がたくさんあった。
「古い機械っていうのは、すごく遅いんですけど、原料に負担をかけない理想的な機械だったりするんですね」と佐藤さん。
丁寧にゆっくりと撚っていったアンゴラ糸の極細の毛。それは1g(はがき一枚)で44mという信じられないほどの長さに縒られていった。
紡績に加えて、染色もまた難題。
従来の染め方では、この繊細すぎるモヘア糸はまたたく間に擦り切れてしまう。試作の段階では、この貴重な原料を100kgもダメにしてしまった佐藤さん。
「もう、ショックでしたね…。正直いうと苦しかったですね…。」
◎打開
幾度となく続く失敗。まったく改善が見込めず、もう一歩も前に進めなくなってしまう。
「もう、ほんとに辛かったですね…」
ドン詰まりにあった染色の解決策を見つけてくれたのは、隣り町(山辺町)の染色工場。ここには昭和の中頃から使われていた古い染色機がおいてあり、昔ながらの「染料に糸を漬け込む方法」を試すことができた。
この方法では、大量の染料が必要となるために効率は悪いものの、極細のモヘア糸を痛めることなく染めるには、この方法をおいて他にはなかった。
そしてついに、細さが従来の2分の1という「究極のモヘア糸」は完成する。独特の光沢、そして風合いは他に類を見ないものであった。
ところがこの「世界で一つだけのモヘア糸」、意に反してまったく売れない。
値段が高過ぎるのだ。普通のモヘアの4倍はする代物だった。
またもや行き詰まった佐藤さんの目は「海外」を向く。
究極のアンゴラヤギは地球の裏側にいたではないか。そしてそこには、佐藤さんと価値観を同じくする人物もいたではないか。
「きっと、世界のどこかには、この糸の価値を分かってくれる人がいるはずだ…!」
◎イタリア
フィレンツェ(イタリア)で開かれる糸の展示会「ピッティ・フィラーティ」。ここには世界の名だたるトップブランドが大集結する。
当然、出展のための審査は厳しい。それでも佐藤さんが送ったサンプルは認められた。それは日本産の工業用糸としては初めての出展となった。
ところが、広大な会場で割り当てられた佐藤さんのブースは「地下のスミ」。誰も来ない。
それでも「目のある人」はいる。佐藤さんのモヘア糸を一目見て、「なんでこんなものが、あなたのところにあるの?」と目を丸くする人が現れた。
きっとその人は名のある大御所だったのか、午前中は閑古鳥だった佐藤さんのブースだが、午後にはどんどんどんどんお客さんが押し寄せる。
「その一番最初に買ってくれた糸で作られたのが、オバマ大統領のミシェル夫人のカーディガンなんです」と佐藤さん。
◎新しい世界観
「おいマサキ! おまえの糸がこんなになったゾ!」
フランスのデザイナーは、そう叫んでいた。それは、佐藤さんの糸で編まれたカーディガンを、ミシェル夫人が晴れの場で身につけたという朗報だった(大統領就任式2009)。
「おまえの糸のおかげで、こんなもんが作れたんだ(泣)!」
「山形で、日本で、今までの歴史があったからこそ、出来た技術」
「困った息子」としか思われていなかった四代目・佐藤正樹さんは、ついに世界へと雄飛した。
「世界のファッションの中に、日本から新しい世界観を発信できました」と佐藤さん。
◎ファミリー・ストーリー
その後、国内市場ではなかなかその価値が認められなかった佐藤さんのブランドであるが、日本を飛び越えて出品したニューヨーク(アメリカ)では高い評価を受ける。
アメリカ人という人種は、代々親の技術を引き継いでいくというストーリーを、すごくリスペクトする(敬意を払う)。
この点、佐藤繊維という町工場のファミリー・ストーリーは、そんなアメリカ人たちの心をガッチリとつかんだ。
佐藤繊維の創業は昭和7年(1932)。もともと養蚕が盛んだった山形の寒河江で、佐藤さんの曽祖父がいち早く羊の飼育に取り組み、手紡ぎの毛糸づくりをスタートさせたのだった。
祖父の代では、近代的な紡績工場を建設。昭和40年頃からニット製品の下請け生産も始まった。しかし親の代になると、中国産の安い繊維の波に押され、みるみる仕事を奪われていく。
四代目となる佐藤正樹さんは、東京の服飾専門学校を卒業後、3年間のアパレル勤務をへて、山形にUターン。
「下請けを続けていては、生き残れない」との危機感を抱いた佐藤さんは、これまで述べてきた通り、オリジナルの糸を開発したというわけだ。困った息子と従業員に嘆かれながらも…。
ちなみに、デザインを担当するのはデザイナーである佐藤さんの妻である。
明治以来の一家のモノづくり。
「80年前から代々、羊を飼うところから、山形で糸作りがはじまったのです」
このファミリー・ストーリーは、ニューヨーカーたちの心を揺さぶらずにはおかなかった。この展示会をキッカケに、日本からも商談が舞い込むようになったのだという。
◎若者たち
かつては地元の高校に求人票を出しても、誰ひとり応募することのなかった佐藤繊維。
しかし今や、全国各地から就職希望の若者が殺到しているという。東京、大阪をはじめ、遠くは九州からやって来る若者も珍しくない。
現在180名いる従業員のうち、その3割は20代というフレッシュさだ。
「もう、今まで見たこともないニットばかりで、すごく『モノづくりをしたい!』っていう気持ちに駆られて入社しました」
若者たちは興奮を隠さない。
「やっぱり、糸がすごい特殊です」
その難しさもまた、やりがいであり、喜びのタネである。
佐藤さんは、県外から来た若手社員たちのために、会社の近くに3つの寮を建設し、そこには今、32人の若者たちが暮らしている。ときには、社長である佐藤さん自ら、若者たちと鍋を囲むことも…。
「地方でも、働きたいと思う場所があれば、若者は集まってくるんです」と佐藤さん。
若者たちが集うほどに、その場所はさらに魅力を増していく。
◎一歩前へ
現在、優秀な若者たちが流出して過疎化してしまう地方が少なくない。それは地方に魅力的な仕事がないからでもある。
若き日の佐藤さんが東京に職を求めたのも、そうした流れの結果であったのだろう。
しかし、佐藤さんは帰ってきた。そして、自分が仕事をつくろうと立ち上がった。
「一番大事なのは、自分自身で一歩前に出ること」
佐藤さんは、そう語る。
「つくりたいんだっていう気持ちをもって」
「やっぱり、自分がやらないと」
山形から世界へ。
佐藤さんが紡ぎ出すストーリーは、まだまだその途上にある。
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出典:NHK 仕事学のすすめ
「北国で紡ぐファッションの夢 佐藤正樹」

