2013年02月13日

「本当の虹」とは? 神秘と物理学


「君たちは『虹』を見たことがあるか?」

当然、「ある」に決まっている。

「本当にそうだろうか? じつは誰一人として見たことがないのではないかと私は思う」

ルーウィン教授(MIT)の眉間にはシワが寄ったままだ。



「『本当の意味』で虹を見たことがあるのか?」

それがルーウィン教授の問いである。



虹の正体とは?

それを知れば「君たちの人生は変わる」。

そう、教授は断言する。



◎3つの問い


問1.虹の色の並びは?

問2.虹の内側と外側、どちらが明るい?

問3.2本目の虹はどこにある? その色の並びは?



「虹を見た時、赤は内側に見えるだろうか? それとも外側だろうか? それは時間によって違うのか?」

「虹の内側と外側では、空の明るさが違うということに気づいたことがあるだろうか?」

「同時に現れる2本目の虹は、どこを見ればみつかるのか?」



6世紀頃の美しい壁画には、虹の外側が青く描かれているものがある。だが、それは果たして物理の法則に従っているのだろうか?

「歴史上で最も早く『虹の正体』を理解した一人がニュートンだ」とルーウィン教授は言う。ニュートンが著書「光学」に描いた虹の図には、ちゃんと「2本目の虹」も正確な場所に描かれている。



虹はいわば、物理法則の結晶である。その色の並びから現れる場所まで、正確に計算できる。

その知識を知っていれば、インターネット上に12ドルで売られている「虹製造機」なる怪しいものに騙されることもないはずだ。

何より、そうした知識があれば「虹を見るのが、楽しみになる」。きっと「2本目の虹も探したくなるはずだ。それが見えなくとも、2本目の虹がある場所は確実に分かっているのだから」。



◎角度


まず虹は、「太陽の光」と「水滴(雨粒)」を必要とする。

あなたが太陽の光を「背」に受けて立った時、前方には自分の影が映るはずだ。そして、自分の頭とその影の先端を結ぶ線(仮想線)から40°ほど見上げた時、虹はそこにある(空気中に十分な水滴があれば)。

さらに、もう10°ほど見上げれば、2本目の虹もそこにあるはずだ(ただし、2本目の虹は1本目の虹よりも確実に淡く、まれにしか見えない)。


rainbow3.jpg


なぜ、これほどまでに「正確な角度」が分かるのか?

それは太陽の光が水滴の中で折れ曲がり(屈折)、反射する角度が正確に計算できるからだ。そういう意味で、虹はその物理法則からは逃れることができない。



太陽光線が水滴に当たる時、その一部は水の抵抗により少し曲がって(屈折して)水滴中に入る。

水滴中に入った光線が水滴の端まで到達すると、一部は水滴の外に飛び出し、また一部は反射して水滴中に跳ね返る。





虹となって現れる光線は、一度水滴の中に入り、その中で一回反射して、その後に出てきた光である。

光線が斜めに差しこむほどに、水中での屈折の角度は大きくなるのだが、不思議と一回反射して水滴の外に出ていく光(虹の光)の角度は、あるところを境にして逆に角度が小さくなっていく。

その境となるのが、光の入射角がおよそ40°近辺。つまり、一度水滴の中に入った光は、その40°近辺よりも外側に出ていくことができなくなる。



ここでメガホンのような円錐形をイメージしてほしい。

メガホンの口を当てる部分に水滴があるとすると、虹の光はそのメガホンの内側でしか出てくることができない(声がメガホンに沿って伝わるように)。





これが、虹の光が円錐形に沿うイメージである。そして、メガホンの円錐形の広がった部分が、丸い虹として我々の目に写る部分である。

その円錐形の角度が40°近辺、つまり水滴中を光が出ていく限界値ということだ。



◎色ごとに異なる屈折率


ところで、太陽光(可視光線)には様々な色がある。赤、オレンジ、黄色、緑、青、紫…。そして、それらは虹の色でもある。

可視光線の色の幅は、赤から紫。赤を超えると赤外線、紫を超えると紫外線となり、いずれも人間の目に見ることはできなくなる。

すべての光線の色が重なった時、その光は「白」になる。だから普段、われわれの目に太陽光の色は見えないことになる。



では、なぜ虹はそれら各色が別々に見えるのか?

それは光の各色ごとに水中での「屈折率」が異なるからである。

水中での光の屈折率は1.33(この数字は、水の抵抗を受けた光が、3割ほどスピードダウンすることを意味する)。それを光の各色ごとに見ていくと、「赤」の屈折率が1.331、「青」の屈折率は1.343となる。



人間の目に見える色の限界は「紫」であるが、太陽光に含まれる紫の色はあまりにも少ないために、虹ができても紫はほとんど見ることができない。そのため、虹は赤から青までと考えた方が、より現実的である。

赤と青の光の屈折率を見ると、そこにはわずかであるが差がある(0.012)。そして、このわずかな差こそが、水滴中で赤と青を明確に分離させることとなる。

当然、赤と青の間に位置する黄色や緑色の屈折率もそれぞれ異なる。その結果、各色はきれいに分離するのである。





水滴中での各色の屈折率が異なれば、虹となる光が水滴中から飛び出す角度もまた、各色ごとに異なってくる。

そして、それら各色ごとにメガホン形(円錐形)の限界角度があり、それより外側には虹の光は出て行けない。

屈折率を元に、各色の限界角度を求めると、赤は「42.3°」、青は「40.7°」。赤と青以外の色はすべてその範囲内に収まるので、結果的に虹は「40.7°〜42.3°」のメガホン形の中に収まることになる。


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◎まん丸の虹


先に書いたように、あなたが太陽を背に立った時、虹は、あなたの頭とその影を結ぶ線(仮想線)の上、40°近辺に現れる。

もうお分かりだろう。なぜ、虹がその角度で正確に現れるのかを。



虹となる光は、水滴の中に入り、その中で一回反射して、そして出てきた光だ。光の各色は、水中での屈折率が異なるため、水滴を出てくる角度もそれぞれに異なる。そして、その角度は必ず「40.7°〜42.3°」のメガホン形に収まる。

これが物理の法則である。だから虹は、メガホンの縁に沿うようなキレイな円形に見えることになる。各色が重なり合わないのは、各色ごとに跳ね返る角度のピークが異なるからである。


rainbow2.jpg


ここでお気づきのように、本来虹は半円ではなく「まん丸」である。

それがなぜ半円に見えるのかと言えば、その中心が地平線の下にあるから、円の下半分が見えないだけということだ。

もしあなたが、頭上の真上に太陽光を受けている時、自分の足元にホースで水を撒けば、そこには「まん丸の虹」を見ることもできるだろう。そして、その虹はあなたの目から「40.7°〜42.3°」の範囲内に収まるに違いない。


rainbow4.jpg



◎明と暗


虹の内側と外側で、空の明るさは異なるのだろうか?

賢明な読者ならば、すでにその答えをイメージしているはずだ。

もちろん異なる。外側が暗い。



虹の外側というのは、メガホンの外側を意味し、そこに水滴中を出てきた虹の光は一切届かない。だから暗い。

一方、虹の内側にはすべての色の光が存在する。だから明るい。



ん? では、なぜ虹の内側には色がないのだ? 光は存分にあるというのに…。

それは先に述べたように、光の入射角の違いにより各色の光が水滴を出ていくピークが異なることに起因する。

各色はそのビーク(限界角度)において、突出した強い光を放つ性質がある。そのピークというのが、虹となって現れている色の部分だ。赤ならば42.3°、青ならば40.7°、その特定の角度において、それぞれの色は自らのカラーを強烈に主張する。



虹の内側には、すべての色の光が存在するにも関わらず、そこに色が一切現れないのは、すべての色が同じ強さで拮抗し合っている(譲り合っている?)ためである。

すべての色が同じ強さで重なりあった場合、光の色は「白」となって特定の色が出ることはない。色は出ないものの、明るさだけは残る。だから虹の内側(メガホンの内側)は、その外側よりも明るいのである。



◎神の手


虹の色の並びも、各色の光が異なる角度で雨粒を飛び出してくることに関係している。

青のメガホン形の角度は40.7°であり、赤の42.3°よりも小さい。どちらも中心は同じ水滴であるため、青のメガホンは赤のメガホンの中にすっぽりと収まってしまう。

すると当然、虹では、赤が外側、青が内側という配列になる(ほかの各色はその間に現れる)。



ところで、6世紀頃の壁画に描かれた虹は、その色の配列がまったく逆だった(青が外側だった)。

この壁画の虹の上には「神の手」が描かれている。それは聖書の一場面なのであろうか。ということは、虹の色の並びが逆に描かれていることには、宗教的な意味が込められていたのだろうか?



色の並びが逆の虹。

じつは「2本目の虹」が、そうなる。これは宗教的にではなく、物理的にだ。

幸運にも2本目の虹が見える時、その外側が青色である。これは通常の虹の外側が赤色であるのとは、まったく逆である。






◎2本目の虹(副虹)


2本目の虹は、光が水滴中を「2回」反射して出てきた光によって映し出される(繰り返すが、普通の虹は水滴中を一回反射して出てきた光である)。

通常は一回のところ、2回反射するので、結果的に2本目の虹の光は、一本目のそれよりも弱くなる。だから、なかなかお目にかかれない。



しかも、一本目の虹とは「真逆の世界」がそこには映し出される。

色の配列も逆であれば、本来暗いはずの外側のほうが明るくなったりもする。

もし2本目の虹を見た時、そこには神の姿が重なるかもしれない。人間界とはまったく真逆の…。



しかし残念ながら、その神秘的な2本目の虹ですら、物理の法則から逃れることは不可能だ。

2本目の虹をつくる光線が水滴中を反射・屈折する角度は正確に計算できる。計算の結果、2本目の虹は一本目の虹の10°ほど上に現れることになる。



2本目の虹も、メガホンの形をとることになるのだが、そのメガホンは内側と外側を反対にめくったようなイメージ。光はメガホンの内側ではなく、外側にしか届かない(一本目の虹と真逆)。

少し細かく言えば、一本目の虹は水滴から出てくる光の角度が「最大値(限界値)」の時のものであるが、2本目の虹はというと、その逆、「最小角度」の光である(光が出ていく角度は、その角度よりも小さくなることができない)。だから色の配列も逆になる。



2本目の虹はまるで、シャツの裏表を逆にひっくり返したようなものである。内側が外側に出て、外側が内側に入っている。だから、一本目の虹ではメガホン形の内側が明るいのに、2本目の虹では外側が明るい。

2本目の虹(副虹)が見える時、それは一本目の虹(主虹)の上を覆うように現れるのだが、それら2本の虹の間の空はえらく暗くなる。

なぜかと言えば、一本目の虹の上(外側)は暗く、2本目の虹の下(内側)も暗い。2本の虹の間は、両方の虹の暗さが重なり合うことになり、えらく暗くなるのだ(アレクサンダーの暗帯)。






◎白い虹


ところで、虹が7色とは誰が決めたのか?

尾瀬高原では時おり「白い虹」が見られるという。それは北極圏でも同様であり、霧虹とも呼ばれるものだ。



「霧虹」という名前が示すように、白い虹は極小の雨粒、たとえば30ミクロンのような細かい霧が発生したときに見られるものである。

通常の虹が7色に分離するのは、それぞれの色の屈折率のピークが異なるためであるが、白い虹の場合は、元となる水滴があまりにも小さいために、お互いの色が重なり合ってしまう。するとどうなるか? すべての色が重なりあうと「白」になる、というわけだ。





この白い虹は、光が波であるということも同時に教えてくれる。

波状の光線は、打ち消し合って暗くなったり、強め合って明るくなったりする(干渉)。白い虹では赤と青が重なり、青と緑が重なり、全部が混じり合ってしまい、お互いがお互いの色を強め合って、真っ白の光となるのである。

「過剰虹」と呼ばれるものも、これと同じく光の干渉の結果であり、直径1mm以下の雨粒が虹の元となる時、青色の部分に暗い帯が走る。これは干渉の結果、光が打ち消し合って暗くなってしまう例である。



◎赤い虹


「では質問だ。夕暮時の虹はどのように見えるだろうか?」

ルーウィン教授は学生たちに目を向ける。「あるいは日の出でも同じことだ」。

ある生徒は答える、「赤い虹だけが見えます」。



「そうだ!」

ルーウィンは満足そうである。だんだんと生徒たちは虹の本当の意味を理解しつつある。

「夕焼けと同じ理屈だ。そもそも赤い光しか届かない場合は、虹も赤だけになる」



赤い虹で面白いのは、その虹のラインのみならず、その内側の空間までが赤く染まることだろう。

「通常は白くなる部分も、赤い光だけしかないのだから、赤くならざるを得ない」



朱に染まれば赤くなる、郷に入っては郷に従え。

それが赤い虹である。






◎好奇心


6世紀の画家が壁画に描いた虹は、何を意味していたのだろうか?

なぜ、色の並びが上下逆転していたのか。それを物理的に考えると、2本目の虹(副虹)ということになるが、しかし2本目の虹は一本目の虹(主虹)があってこそ出現するものである。そして、一本目の虹よりも強いことは決してない。



確かに、2本目の虹は神秘的である。壁画に描かれたように「神の手」が手招きしていてもおかしくない。それは神秘の扉を開けてくれるかのようだ。

しかし、その手は「物理の手」でもある。「なぜ、2本目の虹が一本目の虹の上方10°の位置に出現するのか?」。それは神でなくとも解き明かせる謎であった。

その物理の手が開く扉は「好奇心」。



「この好奇心は、いわば病のようなものだ。もう元には戻れない。全部私のせいだ」とルーウィン教授は語り出す。

「君たちが次に虹を見る時、これまでとは全く違った見方をすることになる。虹の一番外側が赤であることを確かめ、2本目の虹もきっと探すはずだ。もしそれが見えたら、色の順番が逆になっていることも確かめたくなるはずだ」

「さらに、虹の内側の空の明るさにも、君たちは気づくはずだ。そして、アレクサンダーの暗帯を見つけようとするに違いない」



◎隠された美


虹の何たるかを知った我々はもう、虹を追い越そうとして走り出すことはないのかもしれない。なにせ、その正体が自分たちの足元にあることを知ってしまったからだ。

しかし、だからといって虹の魅力が色褪せてしまったわけではない。逆に、正しい知識がより一層その虹を輝かせてくれた。

そして、さらなる好奇心を刺激せずにはおかなかった。



「一度好奇心を知ってしまったら、もう後戻りはできない。この好奇心は一生つきまとう」

そう言いながら、ルーウィン教授はじつに嬉しそうである。

「君たちは虹の正体を知ることで喜びを感じたはずだ。虹の正体を知らない人たちに比べ、君たちは虹を見るたびに多くのことを発見し、より豊かな経験ができるようになった」



「知識は隠された美を解くカギだ。

 君たちはもう、これまでの君たちではないはずだ。

 次回また会おう」








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出典:NHK
「MIT白熱教室 完璧な虹を見る方法」

posted by 四代目 at 07:16| Comment(0) | サイエンス | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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