◎其の一
みちのくの母のいのちを一目(ひとめ)見ん
一目見んとぞ急ぐなりけり
「母、危篤」の知らせを受けた斎藤茂吉(さいとう・もきち)、当時31歳。東京から急ぎ、故郷の山形(上山)を目指さんとする。
灯(ともし)あかき都をいでてゆく姿
かりそめ旅とひと見るらんか
駅を急ぐ自分の姿を他の人が見れば、一介の旅人と映るだけなのかもしれない。しかし、その心には旅人のような軽快さは一切ない。ただただ、大きく揺れ動くばかり…。
吾妻(あづま)やまに雪かがやけば
みちのくの我が母の國に汽車入りにけり
その時ばかりは、さしもの汽車ですら遅く感じていたのかもしれない。ようやく汽車は山形の一歩手前、福島の雪山を望む。
朝さむみ桑の木の葉に霜ふれど
母にちかづく汽車走るなり
夜をひた走った汽車。朝の寒さは木々の葉に霜を降ろす。それでもまだ、汽車は故郷にたどり着かない。
沼の上にかぎろふ青き光より
われの愁(うれへ)の来むと云ふかや
東京の赤い光から、みちのくの青い光へ。生命あふれる赤い光と、死へ向かう青い光。揺れ動く茂吉の心には、青い光が忍び寄る…。
◎赤光
歌人・斎藤茂吉の歌集「赤光(しゃっこう)」。その中には「死にたまふ母」という4部構成59首の歌が並んでいる。
茂吉の母「守谷いく」が亡くなるのは大正2年5月23日。それに際する一連の歌は、危篤の報を受けた動揺から始まり、看病から臨終、火葬へと続いてゆく…。
◎其の二
はるばると薬をもちて来しわれを
目守りたまへり われは子なれば
茂吉は医者である。生涯で全17冊の歌集(全17,907首)を発表しながらも、「歌は業余のすさび」と本人は言っていたという。はるばる東京から薬を持ってきた「医者としての茂吉」。そして、母の枕辺に佇むのは「子としての茂吉」。
死に近き母に添寝(そひね)の
しんしんと遠田(とほだ)のかはづ天に聞こゆる
薬の甲斐はないのか…。母の死は静かに近づいてくる。遠くの田んぼのカエルの声が天にこだまするほどに静まり返っている…。
死に近き母が額を撫(さす)りつつ
涙ながれて居たりけるかな
その時は近づくばかり…。ただただ、そばに居ることだけが…。
我が母よ 死にたまひゆく我が母よ
我を生まし 乳足(ちら)らひし母よ
ついにその時を迎え、茂吉の激情はここに極まる。
のど赤き玄鳥(つばくらめ)ふたつ屋梁(はり)にゐて
足乳(たらち)ねの母は死にたまふなり
ふと天井を見上げれば、玄鳥(ツバメの一種)が梁に2羽止まっている。そのノドは生命力に満ちた真っ赤な色。その下には、生命の躍動を失ってしまった母が…。
ひとり来て蟲(かふこ)のへやに立ちたれば
我が寂しさは極まりにけり
蚕(かいこ)を飼っている部屋に一人たたずむ茂吉の後ろ姿。かつては母と2人で立った日もあったのかもしれない。しかし、今は…。
◎其の三
わが母を焼かねばならぬ火を持てり
天つ空(あまつそら)には見るものもなし
火を持った葬列。道べにはスカンボの花やオキナ草。
さ夜ふかく 母を葬(はふ)りの火を見れば
ただ赤くもぞ燃えにけるかも
星空の下、母を焼く赤い光が燃えている。死に際した茂吉の激情はいくぶん鎮まり、その赤い火をどこか虚しくも眺めているかのようである。
灰のなかに 母をひろへり
朝日子(あさひこ)ののぼるがなかに 母をひろへり
火も煙も収まった朝、灰の中から丁寧に骨を集め、大切に骨壷に仕舞う茂吉。
うらうらと天に雲雀(ひばり)は啼きのぼり
雪斑らなる山に雲ゐず
時は、残雪のこる春の日。雪山には斑(まらだ)に雪が残るものの、雲雀(ひばり)は春を告げている。
◎阿弥陀経
詩集の「赤光(しゃっこう)」という名は、阿弥陀経に因んでいる。
「池中蓮華 大如車輪 青色青光 黄色黃光 赤色赤光 白色白光 微妙香潔」
池の中の蓮華(れんげ)は、車輪のように大きい。青い花は青い光を、黄色い花は黄色い光を、赤い花は赤い光を、白い花は白い光を放っている。言いようもない美しさ、その香りは気高い清らかさ。
子ども自分の茂吉は、遊び仲間がこの経を諳んじていたのを聞いていた。「…しゃくしき(赤色)、しゃっこう(赤光)、びゃくしき(白色)、びゃっこう(白光)…」
この時に耳に聞いていた「しゃっこう」が「赤い光」のことだと知るのは、茂吉が東京へ出てのちのこと。
「しゃくくわう(しゃっこう)とは赤い光のことであると知ったのは、東京に来て『新刻訓點浄土三部妙典』という赤い表紙の本を買った時分であって…」と茂吉は記す。
◎其の四
山かげに消のこる雪のかなしさに
笹かき分けて急ぐなりけり
傷心を癒すため、茂吉は蔵王の温泉を目指す。山中には散りゆくアケビの花、ヤマバトやキジの啼き声…。「笹かき分けて」何を急ぐのか。「母を訪ねん、われならなくに」。
火のやまの麓にいづる酸の温泉(ゆ)に
一夜ひたりてかなしみにけり
独特の酸っぱさをもつ蔵王の温泉。哀しみとともに、その湯に身を沈める茂吉。火山の激情の中、茂吉の静けさはことに際立つ。
たらの芽を摘みつつ行けり寂しさは
われよりほかのものとかはしる
一人で摘むタラの芽。そこに寂しさを感ずるのは何ゆえか。
しみじみと雨降りゐたり
山のべの土赤くしてあはれなるかも
雨に洗われる赤い土。茂吉の赤き感情はしんみりとしてゆく…。
やま峡(かひ)に日はとっぷりと暮れたれば
今は湯の香(か)の深かりしかも
日暮れとともに収まりゆく心。酸っぱく感じられるだけだった温泉の香りも、今は深く深く心に染み入る。
山ゆゑに笹竹の子を食ひにけり
ははそはの母よ ははそはの母よ
その笹竹の子は、晩のおかずだったのだろうか。それを口にした茂吉の心は再び乱れる。
「ははそは母よ」、「ははそは母よ」…。その残響は心に鳴りやまない…。
◎無常
かつて、芥川龍之介が「一番小説を書かせたいのは誰か」と問われた時、芥川は即座に茂吉の名を出したという。
「赤光(しゃっこう)」という歌集はもともと連作の多い構成だが、その中でも「死にたまふ母」は大作(59首)であり、それはまさに「小説」のような流れをもつ。
しかし、茂吉の歌は「無常観的・遁走的」と五島茂らに詰(なじ)られたことがあった。その一方で、茂吉の歌はその「無常観・遁走観」こそが魅力だと語る人たちもいる。
「無常は復古ではない。『まっすぐ向こう側へ駆け抜けるもの』なのである(松岡正剛)」
「向こう側」へ駆け抜けるという茂吉の無常観。しかし、母の臨終に際しては、茂吉の心はすんなりと向こう側へ駆け抜けることはできなかった。
赤い光と青い光の間を行きつ戻りつ、そして抜け切ったと思っても、またふたたび戻ってきてしまう…。そんな、揺れる人間・茂吉が「死にたまふ母」には描かれているように思う。
母の死が目前に迫る第2部(其の二)において、カエルの声や玄鳥の赤いノドが、茂吉の心の傷口を無情にも広げていく。
最後の第4部(其の四)、温泉につかる茂吉は静けさを取り戻していくように思われる。しかし、何気ない「タラの芽」や「笹竹の子」が茂吉の心をかき乱してしまう。
本来は何の感情もないはずのカエルの声や山の幸。それでも茂吉はそこに「想い」を感じずにはいられなかった。そうした自然の情景が、向こう側へ駆け抜けようとする茂吉の足をしつように引っ張るのである。
ただ、ここに描かれている31歳の茂吉は、徒にあがくことなく、感情は感情のままに、自然は自然のままに受け入れているようにも思われる。
かつて、方丈記を記した鴨長明は「もの憂しといえども、動ぜず」と言った。
「動ぜず」というのは、動揺しないというよりもむしろ、動くに任せて逆らわないと捉えたほうが正確である。たとえどんなに心が乱れたり沈んだりしようとも、変に元気を出そうとしたりせずにそのままにしておいて「動ぜず」ということだ。
無常の先にあるもの。
その向こう側とは?
それは、心を存分に揺らした先にこそあるのかもしれない…。
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