「イチゴ、ありがとう!」
当時2歳だった娘は、そう言って大喜びした。だがじつは、それはイチゴではなく「トマト」だった。
その甘さもさることながら、その先の尖った形がイチゴと勘違いさせてしまったようだ。
そのトマトの名前は「トマトベリー」。
日本で普及するよりも先に、イギリスやアメリカなどの海外で栽培面積を増やすことになった品種であり、日本の種苗メーカー「トキタ」が生み出したものであった。
社長の「時田巌(ときた・いわお)」氏は、このトマトベリーを「偶然できてしまったもの」だと語り出す。
「研究農場の試作品種を見ていたら、どうも狙ったものができていない。そこに一本、『先の尖ったトマト』がありました」
担当者に「これは何だ?」と聞いたところ、「いや、これはダメです。先が尖ってしまうんです…」とガッカリしている。
でも、時田社長にはその尖った形が「ハート」のように見えて面白かった。
それを2歳の娘に見せてやろうと家に持ち帰ったところ、冒頭の通り、イチゴだと思われて大喜びされたのであった。

◎スピードある海外市場
「これを活かそう」と思い立った時田社長は、さっそくイギリスのバイヤーに写真を送った。
「これは面白い!」とすぐに話がまとまった。
「日本だとビジネスとして具現化するまでに複雑なステップがあるんですが、向こうは規模が大きいこともあって、一人と話をするとスーッと物事が決まっていくことが多いですね」と時田社長。
アメリカも同様、大規模生産者がスーパーに電話一本すればそれで万事OK。
「以前、アメリカの展示会でトマトベリーをプレゼンした時、そこに若い人が試食して気に入ってくれました。その若い人が是非やりたいからと日本に来たんですが、じつはその人、全米で5本の指に入る大規模生産者でした」
彼の農場は、アメリカのみならずメキシコにまで及ぶ広大さで、温室の面積だけでも数十ヘクタールもあった。当然、必要とされるタネの量もケタ違い。
2008年にこの「トマトベリー」を世界最大級の見本市(フルーツ・ロジスティカ)に出品したところ、革新・新規性を競う「イノベーション・アワード」で見事に世界3位を受賞。
「なんだ3位か…」とちょっとガッカリしたと社長は言うが、この好成績はアジア勢で初という快挙であった。当然、周りは狂喜乱舞。日本の農業が世界に認められた瞬間でもあったのだ。
「来場者は5万人以上、国籍はおよそ140カ国。世界の人々が注目している展示会でした。日本からの出展者もチラホラいましたね」
◎中国
トキタ種苗株式会社というのは、今年で「創業95周年」を迎える伝統ある企業。
早くから国際化時代の到来を予見していたという先代は、23年前にいち早く中国に進出。現地との合併会社を設立し、数年で黒字化。以来、トキタ・グループの中では「最も優秀な成績」を収めているという。
「10年くらい前に中国に視察に行った時は、中国の栽培技術的は『まだまだだな』と思ったものですが、今では途方もなく進化しました。ネギ一つとっても、下手な日本の農家よりはるかに上手に作ります」と時田社長。
中国の農業も欧米同様、規模が大きくスピードがある。そして商売意識が日本よりずっと高い。
「脅威です。ヤバいと感じるほどです」
ただ、品質やパフォーマンスが良ければ「高くても買ってもらえる」。
「こちらも作りがいがありますね。日本で売られている価格より、中国の方が高く売られている品種も出てきたほどです」と時田社長。
◎インド
中国の次にトキタ種苗が手を伸ばしたのは「インド」であった。15年ほど前の話である。
「最初はカルチャーショックでした。ハイアットのような高級ホテルに泊まっているインド人もいれば、路上に溶け込んでいるように暮らしている人もいるんです」
そんな路上の人々を見ていた時田社長は、ふと思った。
「この人たちだって、ニンジンは食べるだろう…」
ということで、さっそくインドに会社を作った(TOKITA SEED INDIA)。同族会社なのですぐ作れる。今では「インドのニンジン4本のうち1本くらい」がトキタのニンジンなのだという。
トキタの種は、インドの土と相性が良かったらしく、その収量パフォーマンスがインドの地元種とは比べ物にならないほどに優れていたのが、その勝因だった。
また、インド人は「トウガラシ」もよく食べる。
そこで、日本から遺伝子のプールを全部持っていった。ところが、インドの土にトウガラシのタネを撒いてみると「全部ダメ」。インドの在来種以外は、青々と茂らなかった。
「日本ではナンバー1の品種でも、土が変わるとダメということもあります」
ニンジンの場合はラッキーだったが、トウガラシの方では苦戦が続いている。トウガラシ文化に関しては中国・韓国の方が一日の長もあり、「まだまだこれから」ということだ。
ちなみに、インドには経営の難しさもあった。
「インドでは人が辞めたり入ったりが激しいんです」
仕事に飽きると、すぐ「辞めます」という人もいる。10年かけて育て上げたマネージャーもライバル会社にあっさりと持っていかれてしまった。
「さすがにガックリきましたが、その後に入ったマネージャーが前任者の5倍くらい仕事ができたので、今ではありがたかったと思っていますけど(笑)」
◎イタリア
イタリアに出たキッカケは、知り合いのイタリア人が何かやりたいと言ってきたからだった。
「イタリアを起点として、ヨーロッパをカバーできれば面白いな」と時田社長は思ったという。「日本人は『イタリア好き』ですしね」。
初めのうちは、トマトベリーをはじめとする日本の野菜をヨーロッパに売り込んだというが、その流れは途中から逆転して、イタリアの野菜が日本に来ることになる。
「考えてみれば、イタリアの野菜を食べて美味しくなかったことがなかったし、イタリアは野菜の消費量がものすごく多いんです」
イタリア人は日本人以上に「いろんな種類のしかも独特な野菜」を普段から食べている。
「でも、日本ではほとんど知られていません。だから、チャンスがありました」と時田社長。今はイタリア野菜を日本で栽培しやすいように改良する取り組みを行なっている。
「現在、プロの農家がうちの品種を採用してくれています」
現在のトキタ種苗株式会社は、中国を皮切りにインド、イタリア、そして昨年からはアメリカに現地法人を設立。
親子2代にわたる夢であったというアメリカ進出。消費大国アメリカの胃袋を日本の野菜で満たす日が一歩一歩近づいている。
◎他人がやらないこと
埼玉県に生まれた時田巌社長は、アメリカの大学院(ニューヨーク・ロチェスター大学)を出ている。
「大学院で一番勉強になったのは、『世の中には頭のいい人が、ごまんといるなぁ』ということでした」
時田社長が学んでいた大学院には、日本から企業派遣された人たちも数十人いたというが、みんな凄く頭が良かった。
理解の早さや分析能力などでは、とても敵わない。ショックを受けた時田社長が感じたのは「自分が特別だと思ってはダメだ」ということだったという。
「自分が思いつく程度のことは、すでに世界ではごまんという人たちが思いついているんです。それが大学院で得た一番の収穫でした」と時田社長。
そう痛感して以来、「他人がやらないこと」を意識するようになったという。
「インドやイタリアで開発するというのも、そうした発想から来ています」と時田社長。
幸いにもトキタ種苗株式会社は同族会社であり、「決めたらパッと動ける」。それが最大のメリットとなって、世界中にタネを蒔くことができた。
◎自然と一緒
時田社長は「株主重視とは正反対」と言う。
株主は短期的な成果を求めてくるが、品種の開発には「時間がかかる」。
「株主第一という姿勢は、種苗という業態に向いていないんです。種の開発には平均すると10年くらいかかります。でも、時間がかかるからやめようという発想はないんです」
品種開発は年月がものをいうところが大きく、後からでは絶対に追いつけない。
時田社長がトマトベリーに至ることができたのも、ミニトマトにいち早く取り組んでいたという積み重ねのタマモノであった。
「私たちは『自然と一緒』に商売しています。いくら技術が進んでも『植物が必要としているもの』は変わっていません」
しかし、そういう考えを持つ会社が少なくなったのも事実であるという。
極端な例では、遺伝子の特許を押さえる戦略をとるアメリカのモンサントなどがある。化学薬品メーカーである同社は株主重視の「完全な重商主義」であり、自然と一緒という感覚とはほど遠い。
「品種改良といっても、元々は『自然がつくったもの』で、人間が作ったソフトウェアとは違います。そこに権利を主張するのは、いわば『後出しジャンケン』みたいなもので、私にはおかしいとしか思えない」
そう語る時田社長は、種という遺伝資源について強い問題意識を持っている。たとえば、品種改良されたトマトの遺伝子に権利を主張して、他の人が使おうとすると特許使用料を要求することに強い違和感を抱いている。
「でも、私は彼らのやっていることに脅威を感じません。おカネだけを目的とすると長続きしません。冷ややかに見ています」
間もなく100年企業にならんとする会社を率いる社長の言葉は重く響く。
◎知恵比べ
時田社長は、品種改良の面白さを「自然との知恵比べ」にあると言う。
「たとえば、100粒の種が実って地面に落ちたとしても、半分くらいは発芽しません」
もし全部が発芽してしまうと、干ばつや洪水などがあったら全滅してしまう。だから、種の保存のためにあえて芽を出さない種が半分くらいあるのだそうだ。
人間の知恵は、芽を出したがらない種を「いかに発芽させるか」にあると社長は言う。
「一言で言えば、種に『危機感』を与えてやるんです。種を残そうとするのは、子孫を存続させるためです。だからヌクヌク育てていると、なかなか種ができない」
そう言って、時田社長はキャベツの葉っぱをむしり出す。
「でも、いじめすぎてもダメなんです。ここが自然との知恵比べです。じつに難しい。でも、楽しくてしょうがない(笑)」
サクランボなどの青果物も、あえて生命の危機感を与えることで甘みが増すことがよく知られている。しかしやはり、いじめすぎると枯れてしまう。ただ、青果物をとる農家と「種をとる農家」では、そのテクニックがまったく違うという。
「環境を極限に持っていくという点では、種をとる方が難しいかもしれません」と時田社長。
その難しさゆえに、技術の伝承がなかなかできない。日本の気候だけでは難しいところも多く、「種をとる仕事は95%以上海外にお願いしているのが現状」だという。
◎適地適作
時田社長は最良の種をとるために、世界中のいろんなところの地理や気候を贅沢に使う。
「たとえば、日本で売られているホウレンソウは、ほとんどデンマークで種をとられています」
「適地適作」、それこそが野菜にとって最も理に適っていると時田社長は考える。
逆に「地産地消」という考えは、野菜にムリをさせることになる。一つの土地、一つの気候があらゆる野菜に向いているとは限らない。
日本人はどうしても考え方が土地に縛られてしまいやすいが、世界の人々はもっともっと自由に発想していると時田社長は言う。
たとえば、「ワワサイ」という糖度の高いミニ白菜をトキタ種苗は台湾に売り込んでいるというが、暑さが苦手なワワサイをどこで作るか悩んだことがあったという。
ところが台湾の業者に聞くと、あっさり「インドネシアの高地で作らせる」と答える。
「『えっ?』と驚いたんですが、そういう柔軟な発想がごく自然に出てくる。日本ではなかなかそういう発想は生まれません」と時田社長。
◎タネを撒き続ける
日本の農業はどこへ行こうとしているのか?
今はその模索の時期、岐路にあるのかもしれない。
たとえ迷いがあるといえども、「とにかく、今、種を蒔かないといけない」。そう時田社長は語る。
「何年かすれば必ず実を結びます。とにかく、今、現場に出て『種を蒔きつづけること』です」
先代が23年前に中国に蒔いたタネは、今大きな実りの時期を迎えている。そして、現・時田社長はインドにもイタリアにも、そしてアメリカにもタネを蒔いた。
品種改良の際に、スタッフがこう言うことがある。「社長、時間がかかりますよ」。
すると、時田社長は決まってこう答える。「いいんじゃない(笑)」。
時間をかけること、それが「自然とともにある」ということなのだろう。
たとえ時代が変わっても、植物が必要としているものは変わらない。それと同様、人間が本当に必要としているものも、じつは昔からあまり変わっていないのかもしれない。
ただ、選択肢だけは格段に増えた。これは幸にも不幸にも「悩ましいタネ」である…。
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出典:農業経営者2012年6月号
「世界中にタネを蒔きつづける 時田巌」