2012年12月07日

日本人がカンボジアでつくる「コショウ」。世界最高級


「クラタ・ペッパー(Kurata Pepper)」

それはドイツでもてはやされる「最高級コショウ」のことである。

「クラタ」というのは、日本人の姓である「倉田」。つまり、この世界最高級のコショウは、じつは日本人「倉田浩伸」氏がカンボジアの地で生産する胡椒なのである。



なぜ、「カンボジア」なのか?

倉田氏がその奇縁を得るのは、若き日の大学時代。NGOのボランティアとして同国に入ったことがそのキッカケだったという。倉田氏の任された仕事は、カンボジアの独裁政権ポル・ポト時代に避難民となってしまった人々を同国に帰還させるプロジェクト。



タイ国境のレセプションセンターで働いていた倉田氏に、難民となっていた人々はこんな不安を訴えていた。

「カンボジアには何も産業がない。どうやって生きていったらいいのか?」

はたして「ハコものだけの支援」で充分なのか? 国の自立にはもっと別の方法も必要なのではないか? 若き日の倉田氏にとってのこの疑問は、のちに続くコショウへの道の始まりでもあった。



「カンボジアは農業国だから、農産物を輸出してはどうか?」

倉田氏のチャレンジは、そこからスタートした。



「ドリアンはどうだ?」

その悪臭(失礼!)にも関わらず、日本に輸出するとドリアンの評判はたいそう良い。ところが、輸送の段階で問題が発生した。その「王様の匂い」が他の乗客のスーツケースについてしまうというクレームが来てしまったのである。

そのため、ドリアンは「危険物」という汚名を着せられてしまい、日本に輸送する手段はチャーター便という極めて高額なものしか選択肢がなくなってしまった。完全にアウト。コスト的に無理だった…。



「じゃあ、ヤシの実は?」

これもやはり輸送の問題で引っかかってしまう。他の荷物が上に乗せられて、その重みでヤシの実が破裂してしまった。周りの荷物は水浸し…。…失敗。



失意の中にあった倉田氏は、ある日何気なく目を通した資料に「コショウ」のデータを見つける。それは1960年代の農産物に関する資料であり、当時はコショウがカンボジアの主要な商品作物であることが記されていた。

現在、コショウの産地といえば「ベトナム」。同国の生産量は悠に世界の消費量すべてを賄えるほどに巨大である。ところが調べてみると、ベトナムで胡椒の生産が開始されるのは1960年代。じつは50年ほどの歴史しかない。世界に雄飛したのはここ15年という浅さである。



意外なことに、ベトナムが世界の輸出を占める以前、胡椒といえば「カンボジア」だった。しかもその歴史は遥か遠い中世から続くものであり、じつに700年以上。アンコールワットの時代から胡椒づくりの伝統があったのである。

植民地時代、カンボジアの胡椒は宗主国であったフランス人に高く評価されていたという。カンボジアの胡椒は「ほどよい辛さと爽やかな香り」がその特徴であり、それがまさにフランス料理の求めるものだったのだ。辛さが強すぎる胡椒では繊細なフランス料理の風味を損ねてしまうのである。



「これだ!」

倉田氏は直覚した。

カンボジア再生の道はコショウにあり。



残された資料を唯一の頼りに、かつてのコショウ産地を訪ね歩くと、なるほど「良い胡椒」がある。輸出産業が廃れてしまった今なお、その香りと味は優れており、品質は非常に高い。

それなのになぜ、カンボジアの胡椒畑は廃れてしまったのか?

それはポル・ポト独裁政権時代の悲劇だった。農民たちが強制収容所へと送られてしまい、コショウ畑のほとんどが根絶やしとされてしまったのだ…。



なんたる奇縁。

大学時代の倉田氏がカンボジアに関わるキッカケとなったのは、そのポル・ポト時代の避難民を帰還させる仕事。

そして今、その同じ時代に根絶やしにされてしまったコショウ畑の命運が、倉田氏の手に委ねられることとなったのだ…!



あるコショウ畑は、胡椒の木が3本しか残っていなかった。

ポル・ポト政権により強制収容所に送られていた3年間、まったくケアができなかったために「ほぼ全滅」してしまっていた。

それでもその畑の主は、少しずつ少しずつ必死に畑を広げ、1ヘクタールほどの面積にまでなっていた。しかし、品質のコントロールまでは及ばず、お世辞にも商品にできるものではなかった。



そこで1997年、倉田氏は自社農園を持つことに心を決める。最初の土地は1ヘクタール、50年契約。カンボジアの首都プノンペンからは160kmも離れた片田舎であった。

その地域は依然としてポル・ポト派が力を保持しており、封鎖なども日常茶飯事で自由な往来すらかなわない。そもそも道路自体のインフラ整備などもなされていなかった。

そんな中、倉田氏はオフロードバイクにまたがってでも自社のコショウ畑に通い続けたのだという。



現在、その畑はより条件の良い場所に移転がかない、6倍近くの6ヘクタール弱にまで拡大している。直営のほかの契約畑はその5倍の30ヘクタールにも及ぶ。従業員は36人。日本人は倉田氏一人。

倉田氏の目指すのは、安心・安全のコショウづくり。徹底的に有機栽培にこだわっている。その品質の高さが、世界一のコショウ消費国であるドイツの厳しい舌をも唸らせているのである。

それでも倉田氏は、まだスタート地点にすら立っていないと感じている。彼の考えるスタート地点とは、「ポル・ポト時代の前の姿」。「世界一」の称号をほしいままにしていた栄光の時代である。



栽培の面での困難も幾多とある。

コショウの木は若い時には多くの実がとれるものの、古木になってしまうと収穫量が激減する。最高に採れる時は1ヘクタール当たり5トンも7トンも採れるのだが、平均すればその半分にも満たない。

有機栽培にこだわる倉田氏には、さらなる困難もある。木が弱ってきた時に薬が使えないために、収量減少の問題がいまだに克服できないのである。



また、労働力も問題だ。

コショウの労働力は収穫の一時期ばかりに大量の人出を必要とする。だが、コショウ畑のような田舎にはなかなか人が集まらない。町に働きに出ている人々が収穫の一時期にだけ手伝いに来てくれるのは難しいのである。

人手不足による収穫の遅れは、意外なダメージをコショウ畑に与えることとなる。基本的に黒胡椒というのは「緑の実」を収穫するのだが、収穫が遅れると熟して「赤い実」になってしまう。すると、「土がドンドン痩せていく」。実を熟させるパワーというのは相当なもので、赤く熟すまで樹上に放っておくと木の体力までもがミルミル落ちてしまうのだ。

土地と木が消耗すれば、病気や害虫にも弱くなる。薬剤を使えない有機畑にとっては致命傷だ。つまり、収穫の遅れはこうした悪循環の起点ともなってしまうのである。



「町に行かなくても同じくらいの収入が得られる仕組みが必要です」

今のカンボジアの人々は、家族で一緒に暮らしたがるのだという。本当は家族から一人離れて町へ出稼ぎになど行きたくないのである。だから、もし農村に通年頼れる仕事があれば、そこで働きたいのだという。

そのためには今の規模では小さすぎる。販路を拡大しなければならない。そのマーケットはどこへ広げるのか?

「ドイツが一番です。ドイツは日本の4倍くらいコショウを消費します」

また、デンマークやカリフォルニア州(アメリカ)も有望だという。日本では愛知県。倉田氏の妻の出身地という縁に加え、日本有数の農業発展県でもある(愛知県は1000万円以上の年収を上げる農家の割合が極めて多い)。



「日本企業とタイアップして開発を進めています。近々日本のマーケットにも並べられるようになるのではと思います」

この秋から、「クラタ・ペッパー」は日本での販売を開始した。しかし、取り扱いはアマゾンや紀伊国屋インターナショナルなどと限定的である。

それでも反響は大きい。レビューには「この胡椒を使ったら、他のものは使えません」とまで書いている人もいる。どうやら、その人は現地カンボジアで、クラタ・ペッパーの「比類なき香り」に魅了されてしまったらしい。「アマゾンで買えるようになって一安心です」。





「カンボジアには、まだまだ宝の山が埋まっています」

倉田氏はそう語る。「地元にあるもので世界的に価値のあるものを、もっともっと世界に出していきたいですね」。

実に力強い言葉である。暗中模索の地からコショウを引っ張りだしてきた人物の力量や、推して知るべし。ベトナムがたった15年でコショウの天下を獲ったのなら、かつて世界一だったカンボジアがその座を奪うことも決して夢ではないだろう。幸いにも、この地の伝統は熾烈な内戦を経験しながらも、根絶やしにされてしまったわけではなかった。



倉田氏のスピリッツとカンボジアの風土が出会って生まれた「クラタ・ペッパー」。

今の企業規模は決して大きいとはいえないものの、その中身は日本を代表する堂々たるグローバル企業のそれである。



もし、カンボジアに宝の山が眠っているのなら、もっと歴史の深い日本には、どれほどの宝が埋もれているのであろうか?

未来の芽は、希望という土壌の上に顔を出すのだろうか。倉田氏がカンボジアのコショウに見ている希望は、日本の農業がもつ潜在力に比すれば、ひょっとすると決して大きいものではないのかもしれない。

それでも彼はすでに、国際的なコショウ会議に招かれるほど世界への発言力をもっている。



日本のスーパーにもクラタ・ペッパーが並ぶ時、それは日本人として誇れる瞬間でもあるだろう。

カンボジアを救わんとした倉田氏の志が、母国日本にも恩恵をもたらすこととなるのだから。



世界に誇れる日本人。

倉田浩伸氏は、そんな一人となるのだろう。

コショウの花咲くカンボジアの地で…。







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posted by 四代目 at 12:00| Comment(2) | 農業 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
カンボジアの胡椒を弊社の低温除湿乾燥装置で乾燥加工する事を提唱申し上げます。当社では緑色山椒粉末や本ワサビ粉末を含め、大根おろし粉末は生大根粉末八割に塩茹でした大根葉粉末一割に本わさび一割の混合により緑色大根おろし粉末を「香りツーン大根ちゃん」として商品化済です。温度30℃で熱劣化を最小限にし仕上がり時の湿度は1%アンダーで香りを最大限に閉じ込めた乾燥加工を実現します。是非試験乾燥の機会を希望するものですが如何でしょうか。
Posted by 株式会社 デハイドレートジャパン at 2017年05月11日 18:07
カンボジアの胡椒を弊社の低温除湿乾燥装置で乾燥加工する事を提唱申し上げます。当社では緑色山椒粉末
や本ワサビ粉末を含め、大根おろし粉末は生大根粉末八割に塩茹でした大根葉粉末一割に本わさび一割の混合により緑色大根おろし粉末を「香りツーン大根ちゃん」として商品化済です。温度30℃で熱劣化を最小限にし仕上がり時の湿度は1%アンダーで香りを最大限に閉じ込めた乾燥加工を実現します。是非試験乾燥の機会を希望するものですが如何でしょうか。
Posted by 株式会社 デハイドレートジャパン at 2017年05月11日 18:07
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