2012年12月02日

交わり続けた現生人類。弱くも強い生存術


「石器とパソコンのマウス」

両者は50万年という長大な時を隔てながらも、その形と大きさだけは不気味なほど酷似している。それは、この2つともに「人間の手になじむように作られている」ことだけは見事に共通しているからだ。



はたして、われわれ人類はいかなる歴史を経て、石器からマウスに至ったのか?

石などを道具として使う動物は人間のほかにもいる。だが、マウスを作るまでに至るのは現在の人類のほかに見当たらない。

石器とマウスの間には、人類特有の行動原理とこれからの未来が隠されているというのだが…。





◎性別による分業


「人類は最初に男を女のために働かせ、そして女を男のために働かせたようです」

ここで注目するのは男尊女卑とかそういう類いのことではなく、純粋に「分業」という観点である。この点、男が上か女が上かはまったく関係のないことで、両者の仕事が大昔から異なっていたということだけが注目される。



たとえば、昔々の狩猟採集生活において、男は遠くへ狩猟に出かけ、女は近場で木の実を採っていた。

ハッザ族の場合には、男はイボイノシシを倒し、女は植物の根を掘っている。お互いの仕事が分かれているので、男は地面を掘る必要がないし、同様に女はイボイノシシの危険にさらされることがない。



こうした事例はわれわれ現生人類にとっては全く目新しいことではなく。「何をいまさら…」とウンザリされるほどである。

ところが不思議なことに、こうした「性別による分業」の痕跡は、ネアンデルタール人にはまず見られない。といっても、彼らに知性が欠けていたわけではない。脳ミソの大きさだけとってみれば、むしろ今のわれわれよりも大きいくらいだ。彼らは高度の知的な種だったのであり、死者を丁重に葬る心の深さも持っていた。

また、ネアンデルタール人には言葉もあった。FOXP2という遺伝子の存在がそれを示している。それでも彼らに「分業」という概念がなかったらしいのだ。狩猟といえば男女一緒に出かけていたらしい。



一時はネアンデルタール人も大変な隆盛を誇ったわけだが、結局は現生人類、つまり今の我々にその地位を取って代わられることになる。そして、今の世の中にネアンデルタール人たちは存在しない。古い土の中から発掘されるだけである。

両者の運命を分けたものは何だったのか?

その一つの可能性が「分業」ということだ。





◎交換


そしてもう一つ、賢いはずのネアンデルタール人のしなかったことが「交換」だったという。

彼らの遺跡から発掘される道具類は、決まって「その地方原産の素材」で作られている。一方、同じ谷にある現生人類の遺跡からは、遠く離れた地域にしか存在しないはずの黒曜石で作られた道具が出土したりする。



ネアンデルタール人にも身近な交換はあったのかもしれない。しかし、地域を大きく隔てた「交易」と呼べるような交換は彼らにはなかったようである。

一方、現代につながる現生人類はおよそ数万年前から集団間の交易が行われていたと考えられている。いや数万年どころか、100万年以上前のアフリカの遺跡からも黒曜石や碧玉などが遠く離れた地にまで運ばれていたことが示唆されている。アルジェリアの海岸から200kmも内陸に貝殻が運ばれている例もある。



モノの長距離移動は、民族そのものの移動ではなく、やはり交易によるものだったということをオーストラリアの原住民アボリジニは示している。

彼らはアイザ山という場所で石斧用の石を採掘し、それを隣り合う部族とエイのトゲなどと交換し、それが数珠つなぎとなりオーストラリア大陸に広く行き渡っていった痕跡が見てとれる。



現生人類によるこうした交易の歴史は実に長い。農耕の歴史の10倍以上も長い。

交易により栄えたというのは、何もシルクロードや大航海時代のことばかりではないのである。交易はむしろ、現生人類の要石とも言えるほどのものなのだ。



◎効率


ネアンデルタール人ができなくて現生人類ができたこと、それが「分業と交換」であったと考えられている。そしてそれば、石斧で終わるかマウスにまでつながるかの別れ道でもあった。

たとえば、槍を作るのを得意とするアダムが、土器づくりの名人・オズがいたとする。その2人がそれぞれの槍と土器とを交換したら、両者ともにWinWin(三方良し)。それは時間の節約にもなるだろうし、専門技術をさらに磨くことにもつながるだろう。この協力関係は「交換」という前提において享受できる果実である。



石器は一人でも作れるかもしれないが、マウスは無理だ。

たった一つのマウスが必要とするモノは、金属、シリコン、プラスチックなどなど多岐に渡る。異なる物質、または異なるアイディアが一つに結晶化したものこそマウスという存在なのだ。

そして、その裏には必ず分業と交換が成り立っている。



この「分業と交換」が人類の歴史上、いかに効率的であったかを示す好例がある。

「明るさ」を手に入れるため、今から200年前の1800年頃、1時間灯るロウソクを買うには「6時間分の労働」が必要であったという。

それが100年後の1900年ともなると、「たった15分」働くだけで1時間分の明るさが手に入るようになる。単純計算すれば、100年で4倍の進化だ。この100年間でいかに人類の交易の範囲が広がったかは語るまでもない。



そして現在、1時間分の明かりはどれほどの労働を必要とするのか?

なんと「わずか0.5秒」。最近の100年の進化は1800倍ということだ。

これこそグローバル化による交易の広がり、そして分業による専門的技術の深化の成果といえるであろう。





◎鉛筆の作り方


「いったい、何人ほどが一つのマウスの製造に関わっているのでしょう。数十? 数百? 数千? いや数百万かもしれません」

工場でマウスを作る人は、原材料を必要とする。原材料となるプラスチックを作るには原油を採掘する必要がある。石油採掘場で働く男たちはコーヒーを飲むだろう。そのコーヒー豆の栽培は…。などと考えていけば、キリがない。



その昔、フランスのルイ14世の夕食は500人にも及ぶ一流の料理人たちが腕を振るったというが、現在のわれわれはどうか? 街にでも繰り出せば、ルイ14世以上の美食が堪能できるではないか。今のわれわれにとって、自ら一流の料理人を自宅に抱える意味はほとんどない。

分業と交換の結果、われわれには「するべきこと」が格段に減った。だから、マウスの作り方など当然知らないし、生きることの基本である食料生産にすら関わらずともよい。



こうした状況を経済学者のレオナルド・リードは「私は鉛筆」という論文で皮肉った(1950年代)。

「誰も鉛筆の作り方を知らない…」

鉛筆を組み立てる工場の人も、芯の材料となる黒鉛を採掘する方法や、木々の伐採方法など知らないのだ。ましてや一般の人々をや。もしたった一人で無人島にでも放り出されたら、鉛筆一本つくることすら適わない。もちろん、鉛筆以上に必要なものなど…。



◎取り引き


それでも現生人類が成し遂げた「交換と分業」の価値は今のところ色褪せない。

「未だかつて、犬と犬とが公正に取り引きするのを見たことがない(アダム・スミス)」

チンパンジーですらそうだ。彼らは群れの中では木の実を石で割ることを教え合うかもしれないが、群れという枠を超えた交流は好まない。

働きアリもそうだ。彼らはその名の通り大変な働き者かもしれないが、それは自分の女王様のためだけに働くのであり、間違っても他の巣の女王様のためではない。



一転、現生人類はこの点に関してたいそう寛大である。確かにはじめは他の地域との交易に抵抗するかもしれない。しかし、人類の歴史を振り返れば、一貫して交易の幅は広がり続けている。政治的には問題視される自由貿易なども、経済的な視点で見てしまえば問題は氷解してしまう。

たとえば、農産物を自由化してしまうと、その土地の弱い農家などはグローバル化の大波にあっさりとさらわれていってしまうのかもしれない。しかし、人類全体で見れば、それは局所的な悲劇にとどまる。歴史的には、そうした発想が人類という種全体を利してもきたのである。





◎世界の終わり


マッド・リドリー氏が学生だった今から40年前の1970年代、世界には「終わり」が近づいていた。

「人口爆発は止めようがなく、世界規模の飢餓は避けられない。環境中の化学物質はガンを世界に広め、人類の寿命を短くする一方。森林には酸性雨が降り注ぎ、砂漠化の拡大にも歯止めがかからない。頼みの綱であった石油は枯渇、挙げ句の果てには核戦争が一触即発だ」



ところが現在、それらの懸念が完全になくなったわけではないが、少なくとも世界は終わらなかった。

いやむしろ好転した面も多い。人間の寿命は縮むどころか30%も延びて、幼児死亡率は60%も減少した。世界の食料懸念は逆に、一人当たりの食料生産高を3倍にも拡大させ、2倍にも増えた人口を何とか賄い続けている。



なぜ、人類の世界は終わらなかったのか?

ではなぜ、ネアンデルタール人は終わったのか?

そこには「今のことろ」という条件がつくのかもしれないが、やはり際どいながらも現代の人類が正しい道を歩み続けている結果とも楽観できる。



「お断りしておきますが、私はIQの議論をしているのではありません」

マット・リドリー氏が言わんとすることは、個々の人間が賢いから人類が生き残ってきたということではない。「交換と分業」を基本とする全体としての集合知がうまく機能したと言いたいのである。個々の知性だけだったならば、ネアンデルタール人の方が上だったかもしれない。



「社会にとって意味があるのは、人々がいかに上手にアイディアを伝達し合っているか、いかに上手に協力しているかなのです」

個人個人がマウスの作り方を知っている必要はない。「私たちは皆、断片は知っていますが、全体は把握していません」。それはそれで良しということだ。マウスのアイディアは共有され、うまい具合に活用されている。





◎孤絶


もし、人類が交易から切り離されたら? 現代風に言うならば、もし、人類が情報共有から遠ざけられたら?

「その答えは、技術の進歩が遅れるばかりではなく、実際に後退することもあるのです」



タスマニアという現在の島は、かつてオーストラリア大陸とつながっていた。ところが一万年前、温暖化と海面上昇により、大陸から切り離された。

「島民は進歩が遅れたばかりでなく、退歩したのです」

骨から漁の道具を作れなくなり、衣服すらも作れなくなったのだという。その頃のタスマニア島には4万人もが暮らしていたというが、それでも「必要なスキルを維持するには少なすぎた」のだ。

一方、南米のティエラデルフエゴ島は、南アメリカ大陸から切り離されてしまいながらも、その文化が後退することはなかった。それは島と大陸間の交易は途切れなかったためであった。地続きではなくなったものの、完全に孤立したわけではなかったのである。



昨今、日本のガラパゴス化、つまり孤島化を心配する声もあるが、長大な歴史を概観すると、その心配の根っこも見えてくる。それは現生人類にとって本能的な恐れなのかもしれない。

しかし幸いにも、日本は一万年前に孤立したようなタスマニア島とななり得ない。この現代において孤立することは甚だ困難。北朝鮮ほど徹底していても、それは難しい。

インターネットなどによるソーシャル化は加速するばかりで、情報交換の頻度はどこまで増えれば気が済むのかと問いたいほどだ。





◎生殖


男女の別から始まったという「分業」も、今や細分化につぐ細分化、専門化につぐ専門化である。

鉛筆一本の作り方どころか、そもそも、この世界の全体像を把握している人など存在するのであろうか。



しかし、それでも人類が人任せにしていないことが一つある。

それは「生殖」。働きアリが女王様に任せきりにしたことを、人類は頑なに「これだけは自分でやる」と言い張っている。

「イングランドでさえ、それを女王に任せようとはしないのです(笑)」



人間の行う生殖方法を「有性生殖」という。その反対は無性生殖だ。両者の違いは、「拾うか捨てるか」である。

無性生殖というのはアメーバが分裂するような殖え方であり、その方法は必然的に強いものしか生き残れないことになる。あるアメーバは他のアメーバと交わって殖えるのではなく、どちらか強いもの、もしくはその場に適したものだけが生き残って殖えていく。選ばれなかった方は、残念ながらサヨナラだ。

一方、人間などの有性生殖というのは、他者と交わることで初めて殖えることができる。その際、両者のそれぞれの形質を基本的には半分半分とり入れることになる。その両者に優勢・劣勢はあれど、たとえ弱い要素であっても不用意に捨て去られることはない。とりあえず取り込まれ、そして融和していくのである。



確かに、ネアンデルタール人という種は今はもういないのかもしれない。

しかし、われわれのDNAの中に彼らの要素が取り込まれている可能性は高い。



◎現生人類とは


人間の有性生殖という特性は、強いものだけが生き残る社会ではない。弱いものを見捨てずに内包していくことにこそ、新たな道は拓ける。

また、ネアンデルタール人との違いを考えると、他人に任せるということと、モノや情報を共有することの意味も見えてくる。



はたして、現生人類というのは競争の上に成り立ってきたのであろうか。

数万年の歴史を振り返るにつけ、どうしてもそこに疑問を感じざるを得ない。われわれの本能には、アメーバのような切り捨てをどうしても受け入れられない心も存在する。



石器で終わるのか、それともマウスまでたどり着くのか。

その意味をもう一度見つめ直してみることは無駄ではない。



強さ、そして賢さとは何か。

きっと、われわれのDNAはそれを知っているのであろう。

強さの中に潜む弱さ、賢さとともにある愚かさ、そんな矛盾がわれわれのDNAには組み込まれているのだから…。







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出典:NHKスーパープレゼンテーション
「アイディアがセックスするとき マット・リドリー」

posted by 四代目 at 05:26| Comment(0) | サイエンス | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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