2012年11月29日

クジラを優しくした魔法。小さなオキアミと怖いシャチ


冬のクジラは赤道近くに暮らしている。だがなぜか、夏に向けては北極の海にまで北上していく。その回遊距離は5,000km以上。

こんな壮大な旅をクジラたちは毎年の恒例行事として行なっている。というのも、エサが豊富にあるのは北の海なのだが、子育てとなると寒すぎる。クジラの赤ちゃんの薄い皮膚では耐えられない。そのため、暖かい南の海にまで南下して来なくてはならなくなるのである。

しかし、この大回遊には大きな危険も伴う。それは海の殺し屋「シャチ」が虎視眈々とクジラたちを待ち伏せしているからであった…。



◎赤ちゃんクジラ


12月のメキシコ、バハ・カリフォルニアの海には待望のクジラの赤ちゃんが誕生した(コククジラ)。

赤ちゃんといえど、生まれた時から体長は悠に3mを超す巨体である。デカイはデカイが、その身にはまだ脂肪が充分についておらず、寒さにはとても弱い。これから母親のオッパイをたくさん吸って充分な脂肪を付けていくことが必要だ(一日500リットルもの乳を飲むという)。

クジラはわれわれ人間と同様、哺乳類である。魚ではない。だから海で長く息が続かない。とりわけ赤ちゃんクジラは「数分に一度」、水面上に浮上しなければならない。しかし、生まれたばかりの赤ちゃんは自力でそれが出来ない。母親の背中に持ち上げてもらわなくてはならない。



必然、母親クジラの子育ては多忙となる。大量のお乳を与えるのみならず、つきっきりで頻繁に水面上へと持ちあげてやらなければならない。

冒頭に書いた通り、クジラのエサは北の海にある。子育てをする南の海は栄養に乏しく、大人になったクジラを満足させるほどのエサがない。それゆえ、赤道付近の暖かい海は子育てに最高の場所である一方で、母親クジラにとっては最悪の場所である。エサがないのだから。

母親クジラの授乳は5ヶ月ほども続くというが、その間、ほぼ「絶食状態」となる。そんな中、毎日毎日、大量のお乳を赤ちゃんに吸われ、数分に一度の海面浮上を繰り返す。赤ちゃんクジラが着々と肥え太る一方で、母親クジラは痩せ衰えていく。その体重は激務の中、3分の2にまで減少してしまうのだという…。



◎進路は北へ


メキシコの海には「コククジラ(克クジラ)」という種が暮らし、日本の海(小笠原諸島近海)やハワイには「座頭(ざとう)クジラ」が泳いでいる。これら北太平洋のクジラたちは、春になると一様に北の海を目指す。豊富なエサを求めて。

腹を空かせたクジラたちは、太平洋の北の果て「アリューシャン列島」のスキマを抜け、その先に広がる「ベーリング海」へと向かうのだ(ロシアとアラスカを首飾りのように繋ぐのがアリューシャン列島であり、その先の北極海につながるのがベーリング海)。



なぜ、北の冷たい海に大量のエサがあるのかというと、北極海の氷に閉じ込められていた栄養分が解氷とともに一気に解放されるからである。

解放された栄養の濃い海水は南へ南へと流れていくものの、ロシアとアラスカをつなぐアリューシャン列島が「防波堤」となり、ふたたび北へ北へと回流していく。そして、その栄養の渦はベーリング海を反時計回りに撹拌することになる。

こうして、アリューシャン列島という防波堤に隔たれたベーリング海という巨大な水たまりは、とんでもなく栄養豊富な巨大なスープと化すのである。



この濃いスープを狙ってわざわざ北上してくるのはクジラばかりではない。ニシンもくれば海鳥も来る。

ニシンの大群は推定10万トン。日本で水揚げされるニシンの30倍近く。オーストラリアから来る海鳥(ハシボソミズナギドリ)は何万羽いるのか数知れず。10km四方の海面は真っ黒に埋め尽くされることになる。

人はこの異様な生物の集中を「アリューシャン・マジック」と呼ぶのだそうな。



◎オキアミ


クジラ、ニシン、そして海鳥らが狙うのは「オキアミ」という小さな小さなエビである。

冬の間、北極の氷の中に閉じ込められていた栄養が、春の光を受けて植物プランクトンの大発生を促す。そして、それを糧に動物プランクトンの一種である「オキアミ」が大量発生するという流れだ。この時期、このベーリング海に大発生するオキアミは「世界一の密度」という特濃ぶりである。



クジラはその巨体に似合わず、この小さな小さなオキアミが大好物だ。巨大な口をガバリと開けて、大量の海水ごとオキアミを丸呑みにする(海水はクシのような歯のスキマから海に戻す)。

そもそもクジラが巨大化したのは、このオキアミのお陰だとも言われている。160万年前の氷河期が終わると、地球は一時急激に温暖化。それはまるで冬が終わったあとの北極海のようであり、それまで氷の中に閉じ込められていた栄養分が解け出し、海中へと大量放出されることとなる。

その結果、春先のベーリング海のようにオキアミが大量発生。赤道付近の海全体が特濃スープと化す。アリューシャン・マジックどころの比ではない。食えども食えども尽きぬオキアミ。この無尽蔵のオキアミを無尽蔵に食べ続けたお陰で、クジラは現在のように巨大化したのだという。



しかし、その巨体は災いともなった。巨体を維持するために、慢性的に大量のオキアミを必要とするようにもなっていたのだ。

氷河期の頃には赤道付近にあったオキアミのスープも、温暖化が進むにつれて徐々に北へ北へと遠ざかっていく。遠ざかるにつれて、クジラの回遊する距離は伸びていく。1,000km、2,000km、3,000km…、まるで忍者が成長する苗木を飛び続けて、その飛躍力を高めていくようにクジラたちは回遊力を高めていった。

それでも赤ちゃんクジラは依然として寒さに弱いままだったため、クジラたちはどうしても赤道付近の暖かい海を必要とした。しかし皮肉なことに、暖かくなればなるほどエサは減っていった。そしてついに、エサ場は現在の北極海直下のベーリング海にまで遠のいてしまっているのだ。その距離なんと5,000km。

これがクジラが大回遊を宿命づけられることとなった壮大な歴史の内幕である。



◎対シャチ


激ヤセした巨体にムチ打つ母親クジラ、赤ちゃんクジラとともに北の海を目指す。

南の海をあとにして2ヶ月、ようやく親子クジラにはアリューシャン列島が見えてくる。オキアミのスープ、ベーリング海はこの火山列島の先にある。しかし、アリューシャン列島を抜けるのはそうそう容易ではない。なにせ、クジラの通り道を熟知している狩人「シャチ」がその関所で寝ずの番をしているからだ。

待ち伏せするシャチは総勢およそ200頭。これほどのシャチが一堂に会するのは、世界の海広しといえどもこの時期のこの場所だけだ。幅わずか10kmのユニマック海峡をクジラたちは通ることになっている。ここがオキアミのスープへの最短コースだからだ。



さすがのシャチといえども、大人のクジラは襲えない。デカくて強すぎる。そこでシャチの狙いは必然的に「赤ちゃんクジラ」一本に絞られることとなる。

母親クジラも分かっている。これは毎年のことだ。シャチを恐れていては餓死するばかり。その危険を覚悟で狭い海峡(ユニマック海峡)に突入していかなければならない。



クジラ親子はあっという間にシャチに見つかった。シャチに見つからないということは不可能。シャチのよく聞こえる耳は、40km先の音をも拾うことができる。海峡の幅はその4分の1にすぎない。シャチの最高スピードは時速70kmだ。

一気に戦闘隊形をとるシャチ軍団。横一列になってクジラ親子を猛追。そして即座に捕捉。彼らの戦略は赤ちゃんクジラを母親から引き離すというただ一点。

防御体勢をとる母親クジラ。赤ちゃんクジラを自分の背中の上に押し上げてオンブ体勢。容易にはシャチに手を出させない。しかし、この体勢は自分の身をつねに海中に沈めて置かなければならない。赤ちゃんよりは息が長く続くといえども、母親クジラにも呼吸は必要だ。繰り返すがクジラは魚ではない。われわれと同じく空気を必要とする肺をもつ。



母親のスキはそこにあった。一瞬のスキにシャチは赤ちゃんクジラに強烈な体当たりを食らわせ、あっという間に赤ちゃんクジラを母親の背中から引き離してしまう。

続いてシャチは孤立した赤ちゃんクジラの上に覆いかぶさり、海中へと沈めにかかる。赤ちゃんクジラの息が続くのはわずか2分程度。人間同様、数分間沈められただけで命はない。

そこに突進してきたのは母親クジラ。指をくわえて見ている場合ではない。一分を争う緊急時だ。そのガリガリの身はもう力が残っていないようでもあったが、何とか気合いで赤ちゃんクジラを奪い返す。



この攻防は何回も繰り返され、ついには40分を超えていた。母親クジラももう限界を超えている…。

しかし幸いにも、シャチは去っていった。彼らの体力とて永遠ではない。この親子はついに持久戦を制したのである。



◎シェア


先の親子クジラは、幸運な例である。

実際、狩りの名手であるシャチの成功率は50%以上。この狭い海峡を通る赤ちゃんクジラのじつに半数はシャチの餌食となる。クジラが命がけでオキアミを目指すのと同様、シャチも命がけでクジラの大群を求めてやって来るのである。

一頭のシャチが一日に必要とする食物の量はおよそ300kg。この海峡にあっては、ときにそれ以上の大漁に恵まれる。すると、シャチたちは不思議な行動をとる。食べきれないほど獲ったクジラを「違う群れ」の仲間と共有するのである。



「普段シャチは、群れごとにバラバラに暮らしています。しかしクジラが獲れると、血縁のない群れとでも一緒にエサを食べるのです」と長年観察を続けるマトキン博士は言う。

食べきれないほどのクジラが獲れると、その群れはわざわざ盛んに鳴き声をあげて、他の仲間を呼び寄せるのだという。おおよそ獰猛なハンターには似つかわしくない思いやりの行動ではあるまいか。



ほかの群れと分け合ってなお、クジラの肉が余るときもある。

するとその肉は海上に打ち捨てられ、それはアラスカの岸辺にまで流れ着く。その棚ボタを待ち構えているのがヒグマたち。シャチの食べ残しは一切無駄になることがなく、誰か彼かのお腹の中に収まっていく。



◎救出劇


シャチ以上に仲間同士の絆が深いといわれるクジラ。

狭い海峡でほかの群れと出会ったクジラは、決まって行動を共にする。群れが大きくなるほど、シャチにやられる可能性は低くなる。血のつながりなど関係ない。



ところがある日、なぜか赤ちゃんクジラがたった一頭になっていた。普通であれば母親が面倒を見るはずの赤ちゃんクジラ。なんらかの理由で母親を失ったのであろうか…。

これほどの好機をシャチ連中が見逃すはずはない。いつもは母親から引き離すのに苦労するはずが、すでに母親がいないのだ。

あっという間に包囲されて海中へと沈められる赤ちゃんクジラ。もう絶体絶命…。



ところが…!

遠方より鳴り響く雄叫び、巨大なザトウクジラの群れが猛烈な勢いで突進してくるではないか!

普段、ザトウクジラがシャチに向かってことなど考えられない。それが大きな唸り声を上げて、赤ちゃんクジラの救出に現れたのだ! 海中であえぐ悲痛なる赤ちゃんクジラの叫び声をキャッチしたのだろうか…?



クジラの中でも巨体を誇るザトウクジラは大型バスよりも巨大である。そして、その巨体の3分の1もの長さを誇る立派な胸ビレが最大の武器。重さ500kgを超える巨大な鉄槌となる。シャチの群れに飛び込んだザトウクジラの群れは、シャチの頭を狙ってその鉄槌を振り下す。もし当たればシャチには致命傷だ。

巨大な尾ビレも力強く縦に振る。大量の海水ごとシャチは吹っ飛んでいく。これほど激しいザトウクジラの猛攻にシャチの群れは大混乱。ほうほうの体(てい)で逃げ回る。

それでもザトウクジラの怒りは収まらず、執拗なまでにシャチを全速力で猛追していく。シッポをまいて逃げまくるシャチにはもはや最強のハンターの称号は似合わない。



◎心優しきザトウクジラ


じつは助けられた赤ちゃんクジラはコククジラであった。つまり、助けてくれたザトウクジラとは別の種である。種を超えた絆がクジラ間では存在するということか。

「明らかにザトウクジラはコククジラを守っています。クジラが何を考えているのか、本当のところはよく分かりません。ただ私には、彼らには弱いものをかばう、いわば思いやりの心のようなものがあると思えてならないのです」

30年以上にもわたりクジラの観察を続けてきたマトキン博士も、クジラによる種のカベを超えた救出劇は初めて目にするものだった。



そういえば、と博士が思い出したのが、ある論文。そこにはアザラシを助けたザトウクジラの話が書かれてあった。

シャチの群れに完全に包囲された哀れな一頭のアザラシ。それをザトウクジラの群れが助け出したというのだ。アザラシを巨大な胸ビレの内に抱え込んだザトウクジラは、アザラシが沈まぬように自身は背泳ぎのような格好になって20分もの間、シャチの攻撃からかばい続けたのだという。



地球上でも有数の巨大生物であるザトウクジラ。その巨体に似合わず、その心はじつに繊細なのかもしれない。

オキアミという小さな小さなエビを食べ続けていることが、そんな思いを想起させる。

彼らにとっての「生き抜く」というのは、きっとそういうことなのだろう。なにも力に任せて他者を追い落とすことだけが生き抜くことにつながるわけでもない。



◎祭典


さあ、シャチの海を抜けた先に広がるのは、豊饒の海ベーリング海。

夏の到来を告げる激しい嵐はその先触れだ。嵐によりかき混ぜられた海底の栄養、それはオキアミの大発生のための下準備となる。



ポツリポツリと現れた水鳥は、1時間も経たぬうちに海面を真っ黒に覆い尽くす。いよいよ、アリューシャン・マジックの幕開けだ。

来た来た来た。お腹を空かせたクジラたち。母親クジラも赤ちゃんクジラも、コククジラもザトウクジラも…。北太平洋中のクジラたち4万頭が姿を現した。

身体を横倒しにして口いっぱいにオキアミを頬張るクジラたち。心なしか、その顔は笑っているようにも見える。ひたすら海面に踊るクジラたちはここで一年分の栄養を食いだめしておくのである。食っても食っても今は食い尽くすということがない。かつての氷河期明けの海のように…。



なぜ、母親クジラが恐ろしいシャチの群れに突っ込んでいったのか?

オキアミの大群を前にした赤ちゃんクジラもその意味を悟ったに違いない。



この夢のような夏が終われば、子どもたちは母親から離れ一人立ちすることとなる。

来年またこの海に来る時には「自分の力」で来なければならない。



守られる者は守る者となり、強き者は弱き者を助けることになる。

オキアミの起こした魔法は、クジラたちに巨体を与える一方で、そんな優しい心も同時に授けた。

餌であるオキアミも、捕食者であるシャチも、そんな魔法の立役者なのだ…。







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出典:NHKスペシャル
「大海原の決闘! クジラ対シャチ



posted by 四代目 at 07:47| Comment(1) | 動物 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
とても魅力的な記事でした!!
また遊びに来ます!!
ありがとうございます。
Posted by 履歴書の転職 at 2013年01月17日 14:08
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