「あんたのように遊んでいて食っているというのは、大したもんだ」
そのコーヒー豆屋のオジイは、ニート(無職)の兄ちゃんを皮肉ったわけじゃない。ほんとに偉いと思ったのだ。
人間働かなくちゃ食っていけない時代に、働かなくとも食ってる奴がいる。ほんとに偉い。オジイはといえば、101歳になった今も現役で働いている。
「そのまま、一生通せよ」
そう言いながら、オジイはニートの兄ちゃんにコーヒーをタダで飲ませてやる。
ニートを偉いとは思うが、オジイは働くのが好きだ。
明治時代に生まれてからこのかた、101歳までずっと働きっぱなしだ。
当時の13人兄弟というのは、家族にとっての大きな負担だった。だから、捨てられた。
「おいしいオトト(魚)がたらふく食べられるから」と親父に言われて汽車ポッポで向かった先は、親戚の家。最初は捨てられたと思ってないから、丸二日野宿をしてでも生家へと帰ろうとした。
しかし、ようやく生家にたどり着くと、おふくろは「お腹すいただろ」と優しく声をかけてくれるが、親父は「こいつは捨てた子だ。家のガキじゃない」と露骨である。
「…そうか、オレは捨てられたのか…」。その時、小学生の頭はようやく状況を理解した。
大学を目指すため、千葉から東京へ出たときには、大いにたまげた。
当時、東京へ行くということは、「宇宙」へ行くも同じだった。
日本橋の三越デパートは巨大な石の塊だ。その入り口からは赤絨毯が敷いてある。田舎者が思わず下駄を脱ぐのも、また然り。
大学は慶応、そこから三井物産。しかし、会社勤めが肌に合わず、半年で辞めてしまう。結局、元の漁師に戻った。
「雑魚ばかり獲ってたって、お金にならねえ」
そういうことで、「クジラ」を狙うことにした。ニュージーランドへも行ったし、ノルウェーにも行った。時代は関東大震災、世界恐慌と激震が走っていた。
第二次世界大戦が勃発すると、中国、のちにインドの戦地に送られた。
インドの山岳に分け入った時、途中に少数民族の集落があった。見ると、子供たちが手で魚を獲っている。そこで、元漁師のオジイはジャングルから伐ってきた竹でカゴを編み、ワンサカと魚を獲って見せた。そして、カゴも魚も全部くれてやった。すると、集落の大人たちから大歓迎されて、なにかにとご馳走にもなった。
しかし、戦争の方はまったく思わしくなく、オジイが従軍したインパール作戦は、日本軍が喫した歴史的な敗北となった。
それでも生き抜いたオジイ。50過ぎてから、山登りを始める。
年間100日以上は山に登り、日本の山をだいたい終えた。それで今度は外国だ。アンデスやキリマンジャロ。その時アンデスで出会ったのが、コロンビア人のポーター(荷物運搬人)。彼はコーヒー豆の生産をしていた。
そんなこんなで始まったコーヒー豆の輸入販売。もう85歳になっていた。
どうやって売るのかツテもない。じゃあ、ということで、コーヒー豆をリュックにつめて、日本全国800軒以上の焙煎店を訪ね歩く。見本として1kgほどのコーヒー豆を配って歩いた。そして、そのうち10軒に1軒くらいからは注文があった。
最初は生豆だけを卸していたのだが、近所の人からは「焼いた豆が欲しい」と言われ、少し焼いてみることにもなった。
そんなオジイがニートの兄ちゃんに「大したもんだ」と感心するのは面白い。
その言葉の裏には、100年以上のオジイの人生が詰まっている。
100歳を超えても、オジイは「自転車」で得意先を回る。
「これが健康の秘訣だね」というその距離は、遠いところで往復3時間もかかる。
当然、宅配便という「便利なもの」も勧められる。それでもオジイは自転車から降りない。
「オレが自転車で持っていった豆を相手がこぼしたとする。すると、ちゃんと拾ってくれるんだ。『旦那が一生懸命、汗流して持ってきてくれた豆だ。一粒だって無駄にできない』ってね」
今の親は、子供がご飯をこぼしても「捨てておけ」と言うらしい。でも、オジイの豆ばかりはそうもいかない。
「ここなんだ。オレが言いたいのは」
モノは同じでも、そこに詰まった想いは全然違う。
オジイのコーヒー豆には、101年分の「味」が詰まっている…。
出典:致知2012年12月号
「101歳、独立自尊 安藤久蔵」
参考:コーヒー豆輸入販売「アロマフレッシュ」

