2012年11月22日

日本の海岸線を9,000年守る「緑の長城」への想い。宮脇昭


「瓦礫は『資源』です」

開口一番、「宮脇昭(みやわき・あきら)」名誉教授(横国大)はそう言った。

東日本大震災が生んだ気の遠くなるほど膨大な「震災瓦礫(総量3,000万トン)」。それが実は、厄介モノのゴミではなくて、「これからの日本に必要な資源」だと言うのである。



「捨てればゴミ、活かせば資源」とは言うものの、世間に震災瓦礫を活かそうという気運は、およそ無きに等しい。十把ひとからげに「廃棄物」として扱い、北は北海道から南は沖縄まで「画一的にバラ撒いて焼こうとしている」。そして、どこが引き受けて処分するかで「モメに揉めている」。

その震災瓦礫を、宮脇氏はどう活かすのか?



◎自然の防潮堤


「緑の堤防を…」と、宮脇氏は説明をはじめる。

「海岸沿いに穴を掘り、瓦礫と土を混ぜて、高さ20mほどのマウンド(小高い土手)をつくるんです。そこに木々を植樹して20年もすると、20〜30mの樹木が生い茂ることになります。そうすれば、マウンドと合わせて高さ50mもの緑豊かな『自然の防潮堤』が出来上がるわけです」



今回の大津波を受けて、われわれは「コンクリートの防潮堤」がいかに脆いものだったかということを痛感させられた。世界一だと誇っていた釜石の防潮堤(63m)ですら、「結局は住民の命を守りきれなかった」。それは、ノッペラと固いコンクリートが大津波のエネルギーを「倍加させてしまった」からでもあった。

「どんなに高い堤防を建設しても、おそらく津波を完全に止めることはできません。そもそも、高い堤防で津波を止めると考えること自体、人間の傲慢さのような気がするんですよ」



一方、自然の森には「破砕効果がある」と宮脇教授は言う。複雑な「しなやかさ」をもつ森は、受けたエネルギーを「減殺」してくれる。

また、「引き潮」の際にも森の防潮堤は最後の「救いの手」となり得る。

「気仙沼の階上(はしがみ)地区では、ほとんどの家が流されましたが、昔ながらの森林が残っておって、それにしがみついた人たちが助かったんですよね」



平常時、森の堤防は「防風林や防砂林」としても役立つ。

そして万一の時、身を呈して津波のエネルギーを吸収し、なおかつ、引き潮に奪い去れようとしている人々を、最後の最後まで助けようとしてくれる…。

「大自然の営みと、どのように呼吸を合わせていくかによって、災害を最小限に食い止めることはできると思います」



◎緑の長城



その森の堤防、青森から福島までの東北沿岸300kmに幅100mでつくる計画を、宮脇教授は提案する。そして、それは日本の海岸線3,000kmにまで延長していく。中国の「万里の長城」ならぬ、「緑の長城」である。

「この『緑の長城』は、次の氷河期がくるまでの9,000年間、日本の国土と日本人の命を守ってくれることになります」

その森は、東日本大震災で亡くなられた方々の霊を弔う「鎮魂の森」であり、同時にこれからの日本人にとっては「希望の森」ともなる。



「瓦礫を生かす森の長城プロジェクト」

その財団をつくったのが細川護煕(ほそかわ・もりひと)元総理。彼は熊本県知事時代から「森づくり」にかけては熱心で、その指示に従わない役人は「課をすり替えた」ほどだったという。熊本のお殿様の生まれである細川氏は、自身も立派な「菩提の森」をもち、森づくりに対する関心には浅からぬものがあったのだ。

「宮脇さん、森の長城づくり、苦労しているようですが、僕にできることは何でも言ってください」。そんな電話が細川氏からあったのだという。以前、細川氏が中央政界に乗り出した時、宮脇氏にも参議院出馬の要請があったのだとか。



「ぜひ、お話を聞きたい」

宮内庁からもそんな電話がかかってきた。天皇陛下がそうおっしゃっているというのだ。

はじめは40分間という予定であったが、陛下が「もっと聞きたい」とおっしゃるので、結局は1時間10分もの会談となったそうだ。「非常に熱心に耳を傾けてくださいました」。

「明治天皇は明治神宮を残されました。昭和天皇は戦後の奇跡的な復興という歴史を残されました。今上陛下には、9,000年続く南北3,000kmの『緑の長城』を残していただきたい」と、宮脇氏は熱く語ったのだという。





◎引き算


名のある有識者の中には、「海岸沿いに住むから被害に遭うのであって、高台に住めばいい」という人もいる。

しかし、それでは不十分だと宮脇氏は考える。寺田寅彦が言うように、「20年経ち、30年経てば、人間は忘れてまた海岸沿いに下りてくる」。

そんな息の短い人間が忘れたとしても、森の長城は逆に根を深く張り、その強さを増すことであろう。同じ悲劇を繰り返さないためには、人智・人命を超えた何かを残しておかなくてはならない。そのことを、宮脇氏は必死で提案するのである。



「総理! これは今しかできないことなんです!」

しかし、残念ながら政府の腰は重かった。役人たちも「前例がない」と許可を渋る。宮脇氏の脳裏には細川元総理の言っていた言葉が浮かんでいた。「役人ほど使いにくものはない…」。

政府や役人の周りには、高い高い堤防が張り巡らされているかのようであった。



それでも食い下がる宮脇氏。

「ドイツのベルリンでは、戦争瓦礫を全部土に埋め、そこに植樹して、いまでは高さ120mの立派なトイフェルスベルクの森に育っているんです!」

それでも、「日本はドイツと違う」、「土に埋めて、廃棄物から有毒ガスが出たらどうするのか?」などなど、みんな「引き算」をするばかり。



宮脇教授は机上の学者ではない。いままで、世界1,700ヶ所以上で4,000万本もの木を植えてきた実績も伴っている。「現場、現場、現場」の人間なのである。

ところが、「一本も木を植えたことがない人間」が異を唱える。机に座ったままでの空論を…。彼らは現場の調査を具体的に行わぬままに、瓦礫処理に税金3,500億円を静かに計上するのであった…。





◎木を植える以外、釘一本打てない男


かつて宮脇氏が細川元総理に秋波を送られた時、家内から「あなたは木を植える以外、釘一本打てないんだから」と言われたという。

岡山県の農家の生まれである宮脇氏は、小さい頃から「一年中草むしり」に追われていたという。そこで、なんとか両親を楽にさせてあげたいという一心から、「雑草の研究」に取り組むこととなる。

しかし、雑草という地味な論文には誰も見向きもしてくれない。そんな中、唯一目を止めてくれた人物が、のちに恩師となるチュクセン教授。宮脇氏は彼の招きに応じて「ドイツ」へ渡ることとなる。



ところが、期待に胸を膨らませていた宮脇氏は、ドイツで幻滅…。

来る日も来る日も、現場で植物を調べ、土を掘り続ける毎日。「せっかくドイツまで来たのに、本も読めなければ、ほかの教授の話も聞けない…」。



そんな不満を聞いたチュクセン教授は、宮脇氏にこう言ったという。

「見よ、この大地を! 39億年の生命の歴史を!

 現場に出て、目で見て、匂いを嗅いで、舐めて触ってみろ!」



チュクセン教授に言わせれば、すべては大地に書いてある。

「大地が発している微かな情報から、見えないものを見ようと努力するんだ!」



◎土地本来の森林


宮脇氏がチュクセン教授から学んだことは、それぞれの土地には「土地本来の森林」が必ずあるということだった。

ドイツは何千年も前にそれを失っていた。森を破壊し、過剰な放牧を行い、その上に都市と文明を築いてきた。それゆえに、土地本来の森林の姿は「着物の上から素肌を見る」ほどに困難だった。それでも、その微かな痕跡をチュクセン教授は嗅ぎ取ろうとしていたのである。



一方の日本はどうか?

2年後に帰国した宮脇氏は、日本に古くからの森林が「鎮守の森」として無数に残されていることに驚いた。ドイツとは違い、この国の民族は森林を破壊せず、むしろ共生してきた歴史を持っていたのである。

「そういう意味では、欧米人よりも日本人は森を大切にし、森と共生してきた民族です」



全国の神社を歩きまわった宮脇氏は、その森に共通して生えているのが「タブノキやシラカシ、アカガシ」などの常緑広葉樹であることに気がついた(北海道や山地を除く)。

つまり、日本の土地本来の森林とは、そうした種の樹木であり、それらが最も強く日本に根付くことができるということであった(潜在自然植生)。





◎本物の森


こうした気づきを元に、宮脇氏は日本の「災害跡地」を調べていくことになる。

すると予想通り、やはり潜在自然植生である常緑広葉樹(タブノキやシラカシ、アカガシなど)が幾多の災害を生き抜いてきていることが明らかになった。

「阪神淡路大震災の時も、多くの建造物が倒壊し、火事も広がりましたが、アラカシやタブノキ、クスノキなどに囲まれた家や公園の前で火勢は止まり、多くの命が救われました」

東日本大震災において、気仙沼の階上地区で引き潮から人々を守ったのは、ほかならぬこうした木々であった。



しかし残念ながら、神社を守っていた鎮守の森は現在激減している。たとえば、神奈川県にはかつて2,860もの鎮守の森が存在していたというが、今あるのはわずか40ほどだという。

今の日本で行われていることは、伝来の森との共生ではなく、欧米式の破壊による文明の構築であった。



伐採した樹木の代わりに、「土地に合わない樹木」が取って付けられたように植えられている。たとえば、7万本も植えられていたという「アカマツの防潮林」は、東日本大震災の大津波にすっかり洗い流されてしまった。

「たった一本生き残ったアカマツが『奇跡の一本松』と報道されましたが、あの事実が教えているのは『マツの単植では防潮林の役目は果たせない』ということです」



土地本来の本物の森は、「火事にも地震にも台風にも、ビクともしない」。

それが科学者としての宮脇教授の結論であり、緑の長城に植えるべき樹種でもあった。



◎そのうち


「日本人の『そのうち』は、『やらない』という意味です」

行政が出てくるのを待っていたら、何10年も仕事が遅れてしまう。



この点、宮脇氏には苦い後悔もあった。それは福島第一原発の周辺に森づくりを勧めた時のこと。

「原子力はCO2(二酸化炭素)を出さないから、結構です」と、福島原発側は宮脇氏の提案を一蹴したのである。



「もしあの時、海側にマウンドを作っていれば…」。そんな想いが宮脇氏の心の片隅に残る。「今ごろ、高さ50mの森に育っていたはずだった…」。

浜岡原発も同様、「すでにハードな防潮堤がありますから」という理由で、宮脇氏の防災の森は結局、海側ではなく山側につくられることになった。「これでは、津波から守れない…」。



◎遺産


「庭がなくて人でも、自宅のベランダでポット苗を育てて、それを植樹する土地に寄付するだけでもいいんです」

「やれることからすぐに始めなければ」という想いを強くしている宮脇氏は、そんな「志民」を求めている。



「木は2本植えれば『林』、3本植えれば『森』、5本植えれば『森林』になります。

 できることから始めて、点から線(林)、線から面(森)、面から帯(森林)になっていけばいいと思っています」





御年84の宮脇氏はいま、今後の9,000年につながる大仕事を日本に残そうとしている。

「緑の長城」

それは日本が世界に誇る遺産になるかもしれない。



終戦から3年後の広島、原爆の爆心地から2kmも離れていないところのタブノキからは「新芽」が出ていたという。30年は住めないと言われていたのに…。

「やはり本物は強い」

その新芽を目の当たりにした若き日の宮脇氏は、そう確信したという。



時代に流れていくものとは何か?

そして、残るべきものとは?







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出典:致知2012年12月号
「震災の瓦礫から未来を拓く 宮脇昭」

posted by 四代目 at 06:05| Comment(0) | 植物 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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