「大リーグはこのまま『金持ち球団の寡占状態』になっていくのか?」
そんな状態が10年ほど前のアメリカ大リーグでは続いていた。「球界一の資金力」を誇るニューヨーク・ヤンキースが、1998〜2000年までワールドシリーズ3連覇を果たしていたのである(その翌2001年もリーグ制覇、ワールドシリーズ出場)。
アメリカの4大プロスポーツの中にあって、「野球だけサラリー・キャップがない」。つまり、選手獲得に使える資金に「上限がない」。ゆえに、優秀な選手ほど金持ち球団に買い漁られるばかり。
「球団間の実力差は『資金力に比例』して開く一方だ」
貧乏球団はといえば、名のある選手の「年俸高騰」を指をくわえて眺めているより他になかった…。
ところが10年前、「ある革命」が起こる…。
◎貧乏球団
「逆さに振っても鼻血も出ないほどの貧乏チーム」
オークランド・アスレチックスは、そんな貧乏球団。「大リーグ30球団のうちで、常に下から数えたほうが早い」という状態が続いていた。
確かに、逆さに振っても鼻血は出なかったかもしれないが、逆さになったおかげで「発想」は逆転した。そして、のちに「マネーボール理論」と呼ばれるようになるアイディアが転がり出てきた。
貧乏アスレチックスにとって、高額な一流選手は高嶺の花である。では、「一流とは何か?」と考えた。
バッターであれば、それは「打率」だった。そして、ピッチャーであれば、それは「勝ち星と防御率」であった。
なるほど、つまり打率の高いバッターや、勝ち星の多いピッチャーはアスレチックは「買えない」ということだ。
じゃあ、打率の低くいバッターから、または勝ち星の少ないピッチャーから、「掘り出し物」を探そうではないか、そういうことになった。
◎出塁する能力
そもそもヒットを打つだけでは野球は勝てない。打撃の最大の目的はヒットを打つことではなく、「点を取ること」だ。
その点、「打率」というのはヒットを打った回数にすぎないではないか。必ずしも、それが点につながっているとは限らない。
では、「打点」はどうか?
それは、その選手がバッターボックスに立ったその時の状況に大きく左右される。前の打者が塁に出ていなければ、たとえ3塁打を打ったとしても、それは得点に結びつかない。その反面、ランナーが3塁にいる状況で出番が回ってくれば、自分は内野ゴロでも外野フライでも打点を挙げられる。
つまり、打点というのは「打順」に大きく左右されることになる。「投手の後を打つ1番打者に打点がつくことはあまりないだろう」。ちなみにゲーム理論によれば、最強打者は2番に置くのが一番効率よく得点できるそうである。
打点よりも「出塁する能力」のほうが重要だ。
塁に出れば、得点のチャンスは確実に増える。また、そのランナーを進める能力として「長打力」も注目された。一打で一コマ進められるのか、2コマ進められるのかは大きな違いである。
では、その出塁力と長打力、どちらの方が重要なのだろうか?
統計アナリストのボール・デポデスタが様々に検討した結果、「出塁率の方が3倍も重要である」という結論が出た。
「出塁率とは、アウトにならない確率である」
したがって、出塁率が高いほど「ゲーム終了の可能性を遠ざける」。9回の攻撃がある野球では、1回3つ、計27個のアウトを取られるまでゲームは終わらない。アウトを遠ざければ、勝つチャンスが伸びるのだ。
出塁の方法の一つにフォアボール(四球)というものがある。たとえ打撃が冴えなくとも、四球を「選ぶ」ことで塁に出れる。
面白いことに、この「四球を選ぶ能力」、すなわち「選球眼」というのは「天賦の才能」らしい。プロ入りしてから伸びるというこがないのだそうな。
「四球数」
これは盲点だった。「そんな地味な数字には、今まで誰も注意を払わなかった」。それゆえに、四球数が多いからといって、その選手が注目されることはなかった。すなわち「安かった」。
長打力はないが、出塁率が高い。そんな選手はちゃんといた。彼らには「天賦の選球眼」があった。長打力に関しては、プロ入り後のトレーニング次第でいかようにもなる。つまり、「後づけ」ができるというデータもあった。
というわけで、選球眼のある選手は「ホームランを打つパワーを養え」が、アスレチックスの鉄則となった。はじめからホームランを打てるバッターは、貧乏アスレチックスに買える買い物ではなかったのだから…。
◎ピッチャーの責任
さて、ピッチャーの場合は、勝ち星や防御率で年俸が決まる。これら常識的な数値の高い選手に、アスレチックスの短い手は当然届かない。
では、どうするか?
法律事務所で働くボロス・マクラッケンは、こんな仮説を本で読んだ。
「投手力と守備力をハッキリ区別することはできない」
はたして、どこまでが投手の責任で、どこまでが野手の守備の責任なのか? その線引きが困難、いやむしろ不可能だとその本は言うのである。
趣味の野球に好奇心を刺激されたボロスは、「投手単独のデータ」を隈なく見ていった。すると、興味深いデータの動きが浮かび上がってきた。
「被安打率(打たれた確率)」は毎年変動が激しいものの、「与四球・奪三振・被本塁打」は「年によってあまり増減しない」。
なるほどと納得したボロス、きわめて大胆な推理を導き出した。「ホームラン以外は、ヒットになろうとなるまいと『投手の責任ではない』」。投手にできることといえば、ヒットを防ぐことではない。ホームランを防ぐことである。また、三振を取ることも、四球を出さないことも投手のできることだ。
しかし逆に、それ以外は投手のコントロール下にないというのである。運に恵まれた投手は野手のファインプレーに救われる。反面、野手にエラーや悪送球などが出れば、それはそれは手痛い。それゆえに、被安打率という数字はシーズンによって大きく変動してしまうのだ。
「多くの研究家がボロスの仮説の間違いを証明しようとした。だが、結局できなかった。反証どころか、仮説を裏付けるデータばかりが出てきた」
はたして、またもや貧乏アスレチックスの買える「割安な選手」の指標が出来上がった。
勝ち星や防御力にヨダレを垂らしながらも、「与四球・奪三振・被本塁打」の数字とのニラメッコが始まったのだった。
◎マネーボール理論
打率よりも「出塁率」。打点に惑わされない。
ヒットを打たれるのは投手の責任ではない。勝ち星も防御率も投手の能力をあらわすものではない。
などなど、マネーボール理論は従来の野球常識に楯突くこととなった。
論より証拠。以後のアスレチックスは「毎年のようにプレーオフに駒を進めるようになった」。しかも、カネをかけずに。
「マネーボール」というベストセラーが出版されるのは2003年のことであるが、ワールドシリーズの歴代優勝チームを見れば、2002年から「低年俸球団」の反撃がはじまっていることが簡単に分かる。
マネーボール理論から発火した「野球統計学(セイバーメトリクス)」は、確実にアメリカ大リーグに浸透していったのである。
少々皮肉なのは、本家本元のアスレチックスには未だワールドシリーズ制覇もリーグ制覇もないことである。プレーオフという惜しいところまで行きながらも…。
むしろその恩恵を享受したのは、ほかの低年俸球団たちだった。総年俸ランキングでトップ10に入らない球団も、軒並みワールドシリーズに駒を進めるようになった。
下から数えたほうが早い球団(ワースト10)も例外ではない。2003年のマーリンズは総年俸25位、2007年のロッキーズも25位、2008年のレイズは29位、2010年のレンジャーズは27位(30球団中)…。こうした低年俸額でワールドシリーズ進出を果たすチームも珍しくなくなったのだ(うちマーリンズは優勝)。
今年(2012)も、プレーオフに進んだ8チームのうち、オリオールズ(総年俸額19位)、ナショナルズ(同20位)、アスレチックス(同29位)が低年俸組からの進出であった。
残念ながら、アスレチックスはまたもやここで散ってしまったのだが…。
◎アンチ・マネーボール
しかし、マネーボール理論のような「頭でっかち」の野球に不快感を抱く人々もいる。
その一人がクリント・イーストウッド。映画史に名を残す名監督であり、名俳優でもある82歳。彼は最新作「人生の特等席」という映画の中で、「アンチ・マネーボール」を体現している。
クリント・イーストウッド演じるのは古参スカウト、野球だけを人生に年を重ねた男「ガス」だ。
かつてのガスは「球団の宝」となるような逸材を幾多と発掘してきた名スカウトだった。しかし近年では「コンピューターを駆使する『マネーボール派』」にすっかり押され気味。年を旧るほどに、ガスのような旧タイプには風当たりが強くなる一方であった。
そんなガスは高校生スカウトの担当を任される。ちなみに、純正なマネーボール理論によれば「選手の将来性には期待を抱かず、高校生は獲得しない」となっている。
この映画において、マネーボール派は「中身のない人間として描写され、徹底的に揶揄されている」。
おそらくクリント・イーストウッドの描きたかったことの一つは、「コンピューターだけでは野球は分からない」というメッセージだったのだろう。あくまでも「現場重視」。スカウトには「五感を重視する」のが古き良きガス流であった。
◎カネとデータと、スポーツと…。
野球から目を話せば、イングランドのサッカー・プレミアリーグで昨季優勝したのは「マンチェスター・シティ」。このチームは、アラブの王族に買収されて以降、あふれる資金によって世界の有名選手たちを買い漁ったことでも有名である。
カネとスポーツ。
アメリカ大リーグ随一の常勝集団ニューヨーク・ヤンキースは、やはり資金力も随一。
そこにケンカを売ってきたマネーボール。
カネではなく、データで戦(いくさ)を挑んできた。
そしてさらに、データ偏重に疑問を投げかける「アンチ・マネーボール」。
それぞれが異なる戦術でアプローチするのは、一様にチームの「勝利」。
打者の最大の目的は、ヒットを打つことではなく「点をとること」。最強打者の目的は、チームを勝利に導くこと。
その戦術が多様であればあるほど、ゲームは面白さの厚みを増していく。
きっと、カネもデータも、アンチ派も、みんないるから面白い。
カネがない奴が勝つのも痛快だし、「気合い」で勝つのもまた爽快。
シンプルな湯豆腐だけではつまらない。チャンコ鍋もまた旨いのだ。
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出典:
Sports Graphic Number (スポーツ・グラフィック ナンバー) 2012年 11/22号
「野球はお金じゃない」「イーストウッドが紡ぎ出す老スカウトの滋味深き人生」
Webサイト「マネーボール理論とは」

