「大リーグを『力』でねじ伏せる」
アメリカに渡った「ダルビッシュ有」投手の心は、そんな野心に燃えていた。
「はっきり言って、日本人はもう技術、技術なので…。やっぱり、『力』も対等にいかないといけない。技術だけじゃなく、パワーでも勝たないといけない」
ダルビッシュの胸の内には、「低迷する日本人投手の評価を自分の手で取り戻したい」という熱い想いが渦巻いていた。そして、196cm・98kgという恵まれた体格は、それが可能なようにも見えた。
しかし、その道は本人が考えていた以上に暗く険しいものだった…。
◎豪速球ストレート
日本では2005年、ドラフト一巡目で日本ハムに入団して以来、6年連続で二桁勝利、MVP2回、奪三振王3回…。
日本ハム時代のダルビッシュのストレートは最速156km、ホームランバッターにも堂々のストレート勝負を挑んでいた。
西武の中村剛也選手は、その対戦をこう振り返っている。「ボールが唸ってくるっていうんですかね。力もホントあるんで、ストレートを待ってても去年はほとんどとらえられませんでした」
その輝けるダルビッシュを獲得したのが、アメリカ大リーグの「テキサス・レンジャーズ」。1億1,700万ドル(93億円)でその豪腕は買われた。球団社長のノーラン・ライアンは、こう語っていた。
「ダルビッシュの最大の魅力は、150kmを超える伸びのあるストレート。空振りをとれる豪速球」
ライアン自身、現役時代は「ライアン・エクスプレス」の異名をとったほどの豪腕投手であり、160kmを超えるストレートを武器にノーヒットノーランを7回も達成している。英雄は英雄を知るのだろうか、そのライアンにダルビッシュは買われたのである。
「テキサス・レンジャーズ」というチームは、アメリカンリーグ西部地区の強豪であり、2010年から2年連続で大リーグNo.1を決めるワールドシリーズに進出していた。しかし、あと一歩及ばずチャンピオンを逃していたレンジャーズ。
ダルビッシュ獲得は、悲願の大リーグ初制覇へ向けた最大の武器であったのだ。
◎不安のデビュー
アメリカに渡る前、ダルビッシュは肉体改造に汗を流し、体重を10kg増やし、ストレートの球威にもさらに磨きをかけていた。
そして迎えた初登板。その実力を一目見ようと集まったアメリカのファンは4万人超。観客席からは「ユウ・コール」が湧き上がっていた。「ユウ! ユウ! ユウ!」
注目の第一球は期待通りのストレート。しかし、明らかなボール。そして、2球目もボール。
結局4球続けてボールで、ストレートのフォアボール。易々と一塁を踏まれてしまう。そして、ランナーを貯められたところでタイムリーヒットを打たれ、いきなりの4失点。
ストレートのコントロールが定まらぬまま、この回だけで3つのフォアボールを与えてしまっていた。最終的には味方打線の援護により、辛うじて初勝利は上げることとなった
しかし、ダルビッシュ本人にも、大勢のファンたちにとっても、それは不安を残すデビューであった。
◎競技自体が違う
「気持ちはすっごい冷静だったんですけど、いざ動いてみたら、身体がやっぱり興奮しちゃってたんです」とダルビッシュは初戦を振り返る。
興奮してしまっていた身体は、前へ前へと行きたがり、ストライクの枠にストレートが決まらなくなっていた。
しかし、不本意に終わった原因はそれだけではない。
「滑りやすいボール」に「極端に固められたマウンド」
ダルビッシュが「競技自体が違うんじゃないか」と言うくらいに、日本の野球とアメリカの野球は異なっていた。ボールの材質は日本のものと違って、滑りやすい。そして、マウンドはカチカチに固められている。
「いきなり変わるっていうのは難しい。しかも、質の悪い方に変わるっていうのは、すごい難しいんです」
これはかつて、多くの日本人投手たちが苦しんできたことでもあった。
◎変化球
それでも開幕からの4試合で3勝を上げたダルビッシュ。4月の月間最優秀新人賞にも輝いた。
ストレートのコントロールには悩まされ続けたものの、ダルビッシュはそれを補って余りあるほど多彩な「変化球」をも持ち合わせていた。大きく縦に割れるカーブ、鋭く曲がるスライダー、タイミングを外すチェンジアップ、シンカー、カットボール、スプリット…。
とくにツーシームと呼ばれる変化球は、ストレートとまったく同じフォームで、球速もほとんど変わらないにも関わらず、バッターの手元で微妙に変化する。
豪速球のストレートがこれらの変化球と組み合わせられた時、彼の実力は遺憾なく発揮される。ストレートを待っている打者を変化球で仕留めたり、逆にストレートでねじ伏せたり…。この「球種の豊富さ」も彼の魅力の一つだった。
それはダルビッシュ自身も自認するところである。
「状況、状況に応じたピッチング、僕のいいところはそういうとこなんです。試合、試合ごとに『まったく違うピッチャー』になれる」
ヤンキース戦(4月24日)でのダルビッシュは、変化球を多用していた。その割合はじつに76%。自慢のストレートをほとんど投げずに勝利をものにしたのであった。
◎まったく違うピッチャー
アメリカに乗り込んだ時には、「力」のストレートで「日本人投手の力」を大リーグに知らしめることを心に決していたダルビッシュ。しかし、前半戦の戦いぶりを見る限り、「まったく違うピッチャー」になっていた。
それは、チームからの要請でもあった。「豪速球で三振を奪うのではなく、少ない球数で打たせてとれ」、そんな指示がピッチング・コーチのマダックスから出されていたのである。
大リーグの登板間隔は日本よりも短い。日本が中6日のところ、アメリカは中4日。この過酷なスケジュールで長いシーズンを乗り切るには、球数を減らす必要もあった。
ピッチング・コーチのマダックスは、こう語る。「ユウ(ダルビッシュ)は最初、『力』でバッターをねじ伏せようと考えていました。しかし、我々が求めているのはそんなことではなく、シーズンを通じてチームを勝利に導ける手堅いピッチングだと伝えたのです」
ダルビッシュもそれに納得し、それに従った。自分の想いには反するといえども、周囲のアドバイスにできるだけ応えなければならない。日本とは違い、彼はアメリカではまだ十分な実績のない新人投手であり、それが新人の「通過儀礼」でもあった。
その結果、着実に勝ち星を重ねていったダルビッシュ。前半戦を終えた時点で、10勝5敗。奪三振の数はリーグ4位となる117という好成績であった。
◎イライラ
しかし、「力」のストレートで勝負させてもらえないダルビッシュは、まったくの不完全燃焼。
そんな彼がストレスを発散すべく、前半戦でただ一度だけ、自分を通してストレートで押しまくった試合があった。それは6月7日のアスレチックス戦。変化球をぐっと減らし、投球の半分以上をストレートにしたのであった。
その結果、打たれまくったストレート。この日打たれた6本のうちのじつに4本がストレートであった。打たれた原因はやはりコントロール。いずれも甘いコースに入ったところを叩かれたのだ。
「すごいイライラしてましたよ、やっぱり」とダルビッシュ。
ある記者会見では思わず、こんな本音も…。
記者「今日で、ふた桁奪三振をとったのが4試合目になったんですけれども…」
ダルビッシュ「まあ、変化球で逃げ回ってれば、取れるんじゃないですか。結果はいいですけど、全然評価に値しません。なかったことになってます」
あくまでも「力」、ストレートで行きたいダルビッシュ。
変化球は「逃げ」でしかない。
それでも、ストレートのコントロールはイライラが募るほどに乱れるばかり…。前半戦で与えてしまったフォアボールは66。これはリーグで3番目に悪い数字だった。
◎不調のドン底
「あんなに悪いダルビッシュは見たことがなかった」
かつて千葉ロッテマリーンズの監督を務めたこともあるレッドソックスの指揮官・バレンタインは、8月6日のレンジャーズ戦をそう評した。
「不調のドン底」に沈んでいたダルビッシュはこの日、レッドソックスに今季最多の11安打を浴び、8敗目を喫していた。その前の5試合も、そのうちの4試合が6点以上奪われるという絶不調ぶり。
それを心配したコーチ陣は、必要以上に大量のアドバイスをダルビッシュに浴びせかけた。しかし、それらに言葉にダルビッシュはますます悶々を深めるばかりであった。
最悪のレッドソックス戦のあとの彼のブログにはこうある。
「何もかもがうまくいかないのは、野球人生で初めてでしょう…。逃げ出したいって気持ち…」
もともとフォアボールなど気にしていなかったというダルビッシュ。しかし、周りからファースト(初球)ストライクを強要されれば、「初球とらなかったらヤバイ」というマインドにもなってくる。
そしてそれは確実に「悪循環」の引き金となっていた。フォアボールでランナーを貯められたところ、甘くなった球を持っていかれる。
「フォアボールを出すまいと甘いコースに投げてしまうから、ユウはフォアボールを与えた次のバッターに打たれていた」とマダックス・コーチ。
◎負けん気
ダルビッシュは滅多なことで弱音など吐いたことはなかった。ましてや、「逃げ出したい…」などとは…。
小中学時代の彼を知る山田朝生コーチは、「あいつは、負けん気だけはホントに人の100倍ぐらいもった子でした」と語る。負けた試合のあとは、誰よりも早くグラウンドに現れて、ひたすらに走り込んでいた。
「チーム内で練習している時はまだしも、他チームとの他流試合で負けた時は、ものすごく悔しかったみたいですね」
そんな負けず嫌いのダルビッシュがこだわり続けたのが、「誰にも負けないストレート」。
「僕は変化球投手じゃないですよ。『力』で勝負できますっていう気持ちは心の中で持ってたと思います」という山田コーチ。ダルビッシュは子供時代から、「力野球」を志していたのである。
自身の恵まれた肉体は、アメリカでも「力勝負」できると思っていた。
ところが、その先に待っていたのは、野球人生最悪の屈辱だった…。
◎救いの手
「もう、フォアボールは気にするな。お前はもうフォアボールはいくら出してもいいから」
そうマダックス・コーチはダルビッシュに話しかけてきた。今まで球数を抑えるよう厳しく指導していたマダックスが指導方針は180°転換して、ダルビッシュの好きにやらせようと決めたのだ。
驚いたダルビッシュ。「僕は信じられなかった。日本の野球で結果は残してきたといっても僕はルーキーです。マダックスはずっとメジャーのコーチをやってきて、しかも2年連続でワールドシリーズにも行ったという絶対的なプライドがあるのに…」
レンジャーズのワシントン監督も、ダルビッシュのドン底ぶりを見かねていた。
「彼は周囲のアドバイスにできるだけ応えようと、あまりにも気を遣いすぎていた」と感じていたワシントン監督。ダルビッシュに「気持ち良く投げることが最も大切だ」と語りかけた。そういうピッチングをしてこそ、「周りの人間もすべて満足するようになるのだ」と。
ダルビッシュの「力」に賭けてみよう。
チーム全体がそんな雰囲気になっていた。
「ほんとそれは助かりましたね」とダルビッシュ。
◎盲点
復調のキッカケは、何気なく眺めていた試合の中継映像の中にあった。
目が吸い寄せられたのは、翌日の対戦が予定されていたレイズのピッチャー「デビッド・プライス」。シーズンでリーグ最多の20勝を上げることとなる押しも押されぬレイズのエースである。
「全然、力が入ってない。何も考えてないんじゃないかっていうぐらい、簡単に投げている」
そのフォームは驚くほどリラックスしていた。一方、自分の映像を見てみると、驚くほど力が入っている。
「足上げる時にはもう、肩に力が入ってるんです」
確かに、遠目にもわかるほど肩が固く縮んでいた。フォアボールを出すまいと焦るあまり、いつも以上に力が入りまくっていた。ストレートに込めるはずの力が自分の肩にばかり集中してしまっていたのだ。
さらに刮目すべき発見は、プライスの「足の着き方」にあった。
その着地は5本の指が同時であり、足裏全体がマウンドをしっかりとつかんで身体全体のバランスを支えていた。
プライスのベタ足に対して、ダルビッシュの足は「小指側」から斜めに着地していた。その結果、ヒザまでが外側を向いてしまって力が逃げ、身体もバランスを崩している。そして、それがボールのコントロールを乱れさせていた。
日本ではなんの問題もなかった足の着き方。しかし、それは日本の柔らかいマウンドがクッションとなって、身体のブレを抑えていてくれていたからであった。ところが、アメリカのマウンドは固い。足元のブレはそのまま指の先まで響いてくる。
このことにダルビッシュはずっと気づかずにいた。もちろん、親切なアドバイスをたくさんくれていたコーチ陣も…。
しかし今、ダルビッシュは自分で気づいた。負けず嫌いの彼は「自分で見つけて、自分で気づいてやっていくのが僕」と常々思っており、自分の信じる力が人一倍強かった。
「自分でしようと思えたから、そこから全ては変わりました」
◎復活
ダルビッシュ復活の狼煙は、翌日のレイズ戦で高々と上げられた。
固いマウンドをしっかりとつかんだ左足は、ダルビッシュの「力」を余すところなくストレートに伝えてくれた。彼の内に燻っていた力はついにボールに乗って、外へと放出されていったのだ。
次々と際どいコースに決まるストレート。この試合、7回を投げたダルビッシュ、出したフォアボールはわずかに2つだけ。彼はふたたび「まったく違うピッチャー」になって立ち直っていた。
「たいていの場合、ルーキーのピッチャーは9月に入ると少しペースが落ち始める。しかしユウはシーズンが深まるにつれて、逆にピッチングのレベルを上げていった。そんなケースは今まで見たことがなかったね」
レンジャーズのベテラン、マイケル・ヤングも、ダルビッシュの「力」には舌を巻かざるを得ない。先発の新人投手の中で、防御率がダルビッシュよりもよかったのは岩隈久志(マリナーズ)のみ。
ここに日本人投手の「力」は大リーグに示された。
◎渾身の一球
9月20日のエンジェルス戦。ダルビッシュは「力勝負」で挑む。ストレートの真っ向勝負だ。
対するバッターは大型ルーキー、マイク・トラウト。まだ21歳の若さにして、今シーズンホームランを30本放ち、3割2分6厘(リーグ2位)を記録することになる大リーグ屈指の強打者。
ノーアウト1塁3塁のピンチで登場したトラウト。ツーストライクと追い込んだところで、キャッチャーのソトはマウンドのダルビッシュの元へ駆け寄った。
「渾身の一球を投げてくれ」と言うソト。「お前の一番いいボールは、矢のようにまっすぐ進むストレートだ」。
「インコースの高めでいいか?」と答えるダルビッシュ。
なんと、インコースの高め「インハイ」ほど危険なコースはない。甘く入れば確実に長打にされる。大リーグにおいても、超一流のピッチャーにしか許されないコースである。
「ああ、それでもいい。そっちのほうがいい」とキャッチャー・ソト。
コントロールに自信を深めていたダルビッシュは、あえてインハイで最強打者に挑むことを望んだのだ。
「気づいたら空振りしていたよ」と、バッターのトラウト。空振りの三振である。
「狙っていたストレートが来たから、『しめた』と思ったのに…。ダルビッシュには対戦するたびに興奮させられるよ」
シーズン序盤(5月)、ダルビッシュのストレートは、トラウトのバットによってスタンドに運ばれていた。それを今回は空振りに仕留めたダルビッシュ、力勝負を制することとなった。
◎総括
「ユウにはとても満足している」
かつての豪速球投手で、現在球団社長のノーラン・ライアンは、ダルビッシュの一年をそう総括した。
「彼は進歩したし、環境の変化にもうまく適応した。彼はメジャーリーグ投手としての立場を確立したと思うし、我々のチームのローテーションの柱の一人にもなった」
ダルビッシュのメジャー最初のシーズンは、16勝9敗、奪三振221、防御率3.90の好成績で幕を閉じた。
先発から6回以上を投げて自責点を3点以内に抑えることを、クオリティスタートというが、ダルビッシュのそれは18試合。「この内容はメジャーにやってきた日本人投手の初年度の成績としては最高の部類に入る」。
2007年の松坂大輔よりも多くの勝ち星を上げ、野茂英雄の236奪三振(1995)と比べても遜色がない。
そして何よりも特筆すべきは、「彼が一度調子を落としながら立ち直り、後半は本来のピッチングを披露。最後まで安定したという事実である」。
◎高まる期待
ダルビッシュの大活躍はチーム(テキサス・レンジャーズ)に多くの勝利をもたらすこととなった。しかし、チーム自体は地区で敗れた(2位)。
3年連続のワールドシリーズ出場の夢は、アスレチックスにまさかの逆転勝利を許してしまい、その後のオリオールズとのワイルドカード戦にも敗れた。
「ダルビッシュはチームのために素晴らしい活躍をしてくれたが、それ以外の選手が期待通りに機能しなかった」とワシントン監督は振り返る。
そのことは、ファンたちもわかっている。実際のダルビッシュの「力」を目の当たりにしたのだから。
負けてなお、鳴り止まぬ「ユウ・コール」。超満員の大観衆は、スタンディング・オベーションでダルビッシュを讃えた。
ファンたちは信じている。
ダルビッシュの「力」が、いつかレンジャーズをワールド・チャンピオンに導いてくれんことを…!
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出典・参考:
NKHスペシャル「ダルビッシュ有 〜大リーグと闘った男〜」
Sports Graphic Number (スポーツ・グラフィック ナンバー) 2012年 11/22号
「ダルビッシュ有 〜指揮官が導いた真夏の覚醒〜」

