2012年11月05日

ガウディの遺志を継ぐ日本人。サグラダ・ファミリアの外尾悦郎


その男は、路傍の「石」にすっかり心を奪われた。

それは、道路端に山積みされた何の変哲もない御影石。普通の人であれば気にも止めぬような、日常の風景の片隅にすぎないものだった。



その男の名は「外尾悦郎(そとお・えつろう)」、のちにサグラダ・ファミリア(スペイン)の主任彫刻家となる男。しかし、当時の彼はまだ大学を出たばかり。自分の未来がどこにあるのか、まったく定かではなかった。

「なぜ、石に魂を奪われてしまうのだろう?」

若き日の外尾氏は、「石に奪われた魂」を取り戻すために、いつしか、「石の本場」ヨーロッパ大陸へと誘われていった。



◎奪われた魂


25歳にして立ったヨーロッパ。期間は3ヶ月。

はじめはパリに、次にドイツへ…、などと考えを巡らせる外尾氏。「まてよ…、デカいドイツ人と体力勝負するためには、スペインで栄養をつけておかないと…」。

結局、最初に足を向けたのはスペイン。「ついでに、サグラダ・ファミリアでも見ておくか…」。その気分は、単なる一旅行者のそれであり、切なる魂の叫びでも何でもなかった。それでも、彼の足は確実に「正しい未来」へと踏み出されていた。

ちなみに、サグラダ・ファミリアというのは、130年以上も建築工事が続けられているという途方もなく巨大な教会であり、その完成は数十年後とも数百年後とも言われる「永遠に未完の工事現場」である。





旅行者気分でサグラダ・ファミリアに着いた外尾氏。

しかし、そこに無造作に積まれた石の山を目にした時、彼の魂は「歓喜の雄叫び」を上げていた。

「あぁ、奪われた魂はここにあった…!」



一般の旅行者がサグラダ・ファミリアの天を突くような高さに目を奪われている中、外尾氏の目は、まだ建築物の一部ともなっていない足元の石に釘付けになっていた。

それらの石は、いずれ天下のサグラダ・ファミリアを構成するであろう未来の卵。

その未来が、外尾氏には見えていたのであろうか?



◎あり得ないであろう1%


さて、自分の魂の置きどころを見つけたといえども、サグラダ・ファミリアには何のツテもない。単なる旅行者、リュックを背負った見ず知らずの若輩の日本人。外尾氏が天下のサグラダ・ファミリアで仕事をさせてもらえる可能性は「100に一つ」もなかった。

おそらく、普通の人であれば、無難に大学で講師を務める日常へと帰っていったのであろう。普通の人にとって、それが「99%確実な未来」に思える。



それでも、外尾氏は「あり得ないであろう1%」に全てを賭けた。

何度も門前払いを食らった。それでも、彼は食らいついて離れなかった。そしてついには、試験を受けることが許され、見事に合格という陽の目を見ることとなる。

日本を離れてから2ヶ月、三ヶ月の予定だった旅行は、ずいぶんと予定が延びることとなりそうだった。



しかし、その職はサグラダ・ファミリアの職員というわけではなく、一回一回の契約で仕事をするという「請負いの彫刻家」であった。つまり、その都度その都度、相手を納得させる結果を出し続けなくてはならないという、じつに不安定なものであった。言うなれば、毎回毎回、試験に合格し続けなければならない身分に過ぎなかった。

「負けてしまったら終わり」

そんな崖っぷちを外尾氏は歩き続けた。サグラダ・ファミリアで石を刻む唯一の日本人として。



◎「生誕の門」


当初は3ヶ月の予定だった旅行、それが今や、34年という長き移住生活となっている。

その長い年月、外尾氏は厳しい評価に勝ち続けた。世界の並み居る芸術家たちを相手に、「ソトオ(外尾)」という外国人ばかりが仕事を獲り続けたのである。



そして、彼の名を世界に雄飛させることとなるのが「生誕の門」。

彫刻がなかった生誕の門。その門に飾る彫刻のデザインには、名だたる彫刻家たちが名乗りを上げ、そのアイディアを競い合っていた。出品された模型は「マリア像」や「ヨセフ像」などなど。じつに教会の門として相応しいものばかりであった。

ところが、そのコンクールの末に通ったのが、外国人「ソトオ」のデザイン。



「なんで、ソトオという外国人ばかりが、あの門をやるんだ?」

スペイン本国の芸術家たちは、お国自慢の建築物のデザインが外国人に攫(さら)われていくことに納得がいかない。その違和感は、日本の法隆寺や東大寺に外国人のデザインが入るようなものだろう。

しかし、そんな不満も2000年に外尾氏が15体の天使像を完成させると、みな唸らざるを得ない。現在、サグラダ・ファミリアで世界遺産に登録されているのは、この生誕の門である(2005)。この門自体の建築はガウディによるものだが、その装飾を手がけたのは日本人・外尾悦郎なのである。



◎設計図のない建造物


「私の出したアイディアは、他の方々とは全く違っていたのです」

生誕の門のデザイン・コンテストを振り返る外尾氏。

そもそも、サグラダ・ファミリアという未完の建造物には設計図が残っていない。そのため、ガウディという希代の建築家の思想を「想像」する形でしか建設は進められない。生誕の門のデザインに関しても、一切の資料は残っておらず、やはり芸術家たちの「想像力」だけが頼みの綱だった。



「私は少なくとも、同じモチーフが重なり合うことはないであろうと考えました。全体的なガウディの作品を見つめても、『繰り返し』ということをあまりしない人ですから」

この点に気づけたのは外尾氏だけであり、それが決定打ともなった。



「ソトオはなぜ、そんなことに気づくんだ?」と、他の彫刻家たちが不思議に思うことも多々あるのだという。

サグラダ・ファミリアの完成を見ることなくこの世を去ったガウディ。わずかに残された手がかりは、彼が生前に造り上げた建造物そのもの、つまり過去にしかない。しかし、その過去だけを見つめていては、未来のサグラダ・ファミリアは描けない、と外尾氏は語る。

「残された資料は何もありませんから、答えは出てきません。だから、彼を本当に知りたければ、ガウディを見るのではなく、『ガウディが見ていた方向』を見る。その方法でしか理解はできないと思うのです」





◎自然


その「ガウディが見ていたもの」とは何か?

ガウディは生前、「人間は何も創造しない」と言っていた。それでは、人間は何ができるのか?

ガウディに言わせれば、人間ができるのは、神の創造物である自然を「発見」することだけである。ガウディにとっての「自然」というのは、「常に開かれている偉大な書物」なのであった。



ガウディが得意としたのは「自然に即した建築」。

「構造は自然から学ばなければならない。構造的に安定しているのは『美しい形』だ」

ガウディは自然の中にこそ「最高の形」があると信じて疑わなかった。



そうした彼の自然への賛美がもっとも顕著に現れているという作品が「コロニア・グエル教会」の地下聖堂。

傾斜した柱や壁が洞窟のような空間を生み出している実に複雑なこの設計に、ガウディは「数字や方程式を一切使わなかった」と云われている。10年以上にわたり、ひたすら実験を繰り返して「最高の形」を発見したのだという。





◎逆さ吊り実験


その有名な実験が「逆さ吊り実験」と呼ばれるものである。この実験自体は非常に単純なもので、宙に渡したネット状のシートに重りを吊り下げて、そのたわみ具合を調べるというものである。

当然、重りを吊るされたネットは、重りの重力によって下に引っ張られる。建築物というのは、自然の力であるこの重力に抗する必要があるわけだが、その力に逆らわないためには、重力によって生じる「曲線」に沿って造る必要がある。

ガウディが考えたのは、重りの重力に引っ張られた形を、上下逆さまにすることであった。そして、その形がそのまま、重力に素直に抗する建造物の形となった。



重力には重力で応じたガウディ。彼はそれを机上の計算ではなく、実地から発見した。

ガウディのたどり着いた曲線は、現在では「カテナリー曲線」として知られるもので、単純な例でいえば、両端を固定された電線が、自らの重みでたわむ姿でもある。そして、それはサグラダ・ファミリアにも実用化された構造であった。



自然の上に軸足をおいていたガウディにとって、設計図は「役所に届けるために必要なもの」に過ぎなかった。何よりも彼が重視するのは「模型」であった。

それゆえ、晩年のガウディが全精力を傾けたサグラダ・ファミリアに関しても、模型は熱心に作ったものの、設計図はあまり描かなかったのだという。

不幸はスペイン内戦(1936〜1939)の折りに起こった。サグラダ・ファミリアの貴重な模型は破片となり、設計図のほとんどが焼失してしまう。それゆえ、現在のサグラダ・ファミリアの建造は「答えのない設計図」を夢想しながら、手探りで進んでいくしかないのである。



◎真っ暗闇


「ガウディならば、この門をどう飾るのか?」

外尾氏は、そんな「苦悩」の中につねに身を置いている。そして、苦悩の中にいるからこそ、気づくことができるのだとも言う。

「苦悩する人はもう、気づかざるを得ないんですよ。同じ状況にいても、苦悩しない人は何も気づきません。気づく必要もないのですから」



最初の十数年間は、まだ幾分の資料が残されていた部分だったので、それを足掛かりにすることができた。ところが、建築が進むにつれ、いよいよ未知の領域へと踏み込んでいかざるを得なくなる。

その行く先は、どこを見ても「真っ暗闇」。苦悩しかない「まったく孤独な世界」。外尾氏の契約はつねに一回限り。その危ない橋は、進めば進むほど危うさを増してゆく。



「溺れている状態のようでもあり、そのままジッとしていると溺れてしまいそうでした」

溺れぬようにと、ガムシャラに動き回っていると、ふと「か細い光」が見えることもある。そこに小さな答えがあることもあれば、ないこともある。それでもとにかく、もがいてもがいて、もがきまくるしかない。



苦悩が深ければ深いほど、その闇は深い。それゆえ、どんなかすかな光にでも気づくことができる。

「一度も闇の中に入ったことのない人、それは幸せと言えば幸せかもしれません。でもその幸せは、真っ暗闇の中から一条の光を見つけた時の喜びとは比較にならないものです」

これが外尾氏の答えである、「なんで、ソトオをそんなことに気づくんだ」という疑問への…。



◎コンクリート


サグラダ・ファミリアが完成すれば、それは170メートルを悠に超える高層建造物となる予定である。

そして、その強度を支えるのは鉄筋ではなく、素朴な「石積み」。つまり、石を重ねただけで高層ビル30〜40階もの高さに至るというのである。

これはガウディの思想の根幹である「自然に即して作る」という考えに基づくものである。「石というのは自然の素材であり、ゆえに自然と一体なのだ」とガウディは言う。「自然と一体であるがゆえに強く、美しいのだ」と。



しかし、ガウディの生きた時代は今から100年近くも前の話。

そのため、教会側は石積みから「鉄筋コンクリート」への転換を打ち出した。



この決定に愕然となった外尾氏。「オレはこの仕事を辞める…」と、背を向けることに…。

なんと、彫刻もすべてコンクリートとすると言うのだから…。外尾氏の魂を奪い続けていたのは、ほかならぬ「石」である。それは決してコンクリートではない。



外尾氏に言わせれば、コンクリートは「死んでいる」。コンクリートというのは、力づくで無理やり型にはめて生み出された遺体に過ぎない。

死んでいるがゆえに、その劣化も速い。建造時は頑強であるコンクリート造りの建物、しかし100年も経たずに取り壊されるものが後を絶たないのだ。



◎石


その見かけばかりが強そうなコンクリートに対して、自然の石は「生きている」。

生きているからこそ、外尾氏は路傍の石にも心を奪われてきたのである。彼にとってのサグラダ・ファミリアの最大の魅力は「全部が石」という、その一点に尽きる。



そして、ガウディの言う通り、石は強い。

石が積まれただけの中世の城は、いまもヨーロッパに幾多とある。そして、日本にも、ペルーにも…。歴史的な石積みの建造物は、大地震という自然の洗礼にも耐え抜いてきたのだ。



コンクリートと石の違いはなにか?

それは、生きているか否か、自然であるか否かであると、外尾氏は語る。



幸いにも、サグラダ・ファミリアの彫刻は石で造られると決まり、外尾氏は現場にとどまることとなった。

「ガウディが見ていた方向」を見据える外尾氏にとって、コンクリートの未来など、到底考えられなかった。





◎永遠の生


石が生きているのであれば、それで出来ているサグラダ・ファミリアもまた「生きている」。

たとえ、現在の工事がいつか完成する日が来たとしても、それは「完成ではない」と外尾氏。サグラダ・ファミリアは「永遠に生き続け、育ち続ける」と断言する。

サグラダ・ファミリアは、人々が生かし続ける限り、完成はないと言うのである。その真意は、建造物としての完成とはまた別の次元にある。



確かに、ガウディという不世出の建築家はもう死んでいる。

しかし、ガウディの遺志を継いで、その方向に歩み続ける後続がいる限り、ガウディは生き続ける。



実際のガウディの死は、その天賦の才に似つかわしくないほど悲しいものだった。

ミサに向かう途中だったというガウディは、路面電車に轢かれた。ところが、浮浪者と勘違いされたガウディ、その手当てが遅れ、その3日後に73年の生涯を終えることとなる(1926)。

妻子を持たなかったガウディは、その晩年を一心不乱にサグラダ・ファミリアに賭けており、建設資金に私財のすべてを投じ、ほとんど無一文になっていた。身なりに気を使うこともなかったというガウディの見かけは、浮浪者と勘違いされるほどみすぼらしいものだったのだ。



◎答えのない未来


サグラダ・ファミリアという教会は「贖罪(しょくざい)教会」と呼ばれるもので、その性質上、建設資金は「信者からの寄付」で賄われることとなっている。そのため、地域の経済が低迷してしまうと寄付も減り、その建設計画も頓挫してしまう。

不幸にして、ガウディの生きた時代には第一次世界大戦が起こっている。そのため、サグラダ・ファミリアの建つバルセロナ(スペイン)は財政危機に見舞われ、その建設は思うほどに進まなかった。



それでも、ガウディはサグラダ・ファミリアという壮大な構想を小さくすることなど微塵も考えなかった。

「私がこの聖堂を完成できないことは、悲しむべきことではない。必ず、あとを引き継ぐ者たちが現れ、より壮麗に命を吹き込んでくれる」

彼がそう信じた通り、ガウディの示した未来は100年たっても色褪せることがなかった。いや、むしろ彼の言う通り、「より壮麗に」なっているのかもしれない。模型や設計図が失われたことが幸いし、「あとを引き継ぐ者たち」の想像力は無限に喚起されるばかりである。サグラダ・ファミリアには、設計図という小さな枠にこだわる必要がないのだから。



あとを引き継ぐ者たちの一人である外尾氏は、その答えのない未来をこう思い描く。

「見えないけれども『本来あるべき答え』を見つける。『あるべきなのに、今ないもの』を見つける」

外尾氏が理想と考える彫刻とは、人々に「あぁ、これがなぜ、今までなかったんだろう」と感じさせるものなのだという。

その答えは「自然」の先にある。それこそが、「ガウディの見ていた方向」なのだろう。現在、外尾氏の手がける門扉には、アヤメや野バラなどの植物や、テントウ虫やトンボなどの昆虫の装飾が施される予定である。



サグラダ・ファミリアという建築物に限らずとも、現在の世界には「あるべきなのに、まだないもの」は、まだまだたくさんあるのかもしれない。

人はそれらを「創造」するわけではない。ただ「発見」するだけなのだ。

「自然」に目を向け続けたガウディは、そう言っている。



「未完」であるがゆえに、生き続けるサグラダ・ファミリア。

その未来は、まだまだ広がり続けている…。







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出典・参考:致知2012年12月号
「天才建築家がガウディの遺志を継ぐ」

posted by 四代目 at 08:36| Comment(2) | 宗教 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
なるほど、コンクリートは死んでいるが、石は生きているか。そう言われれば納得です。石文化の意味は深いですね。
Posted by 根保孝栄・石塚邦男 at 2012年11月05日 18:12
大変興味深い内容で楽しく拝見させていただきました。

また遊びに来ます。

ありがとうございました。
Posted by 職務経歴書の転職 at 2013年04月22日 16:06
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