2012年10月29日

思い出すたびに変わる過去。忘れたことも忘れる人間


「どうにもならないことを『忘れる』のは幸福だ」

ドイツの古い諺は、そう言っている。

それでも、「忘れたくとも忘れられない」という辛い記憶があるのも確かだ。そうした心の傷は、あたかも一生忘れられないかのように感じられる。



しかし、人間の記憶とは、我々が思うほど「堅牢」なものであろうか?

人間の脳は、見聞・体験したことをビデオカメラのように正確に録画しているのだろうか。それを我々はそのままに再生(思い出す)ことができているのだろうか。

今回とりあげる論文は、人間が「忘れたことを忘れている」かもしれない幸福、もしくは不幸に関するものである。



◎事実から空想へ


2001年9月11日、アメリカでは前代未聞のテロ事件が起きた。2機の航空機が世界貿易センタービル、通称ツインタワーに高速のまま直撃。110階建ての超高層ビルは崩落。3,000人近い人々が犠牲となった。

この衝撃的な事件は世界中にリアルタイムで報道され、その後も何度も何度も繰り返し報道された。そして、ニューヨークの事故現場に居合わせた人々も、何度も何度もその悲劇を語った。

まさに「忘れたくとも忘れらない」不幸が、人々の脳ミソの裏の裏にまで焼き付けられた…、かに思われた。



ところが悲劇から1年後、数百人の被験者に対して、「あの恐怖の一日」の記憶を思い出してもらったところ、37%の割合で「話の細部が変化していた」。

そして3年後、その割合は50%にまで達する。すなわち、記憶の半分が変わってしまっていたのだ。「なかには原形をとどめないほど話が変わっている人もいた。ある人の記憶では、ツインタワーが崩落した時にいた場所さえ変わっていた」。

どうやら、何度も何度も語るにつれて、話の内容が変わっていき、それはいつしか「空想」に近づいていってしまっていたのだ。



◎映画というより演劇


「最も厄介なのは、自分の話がこんなに変化していることを自覚していないことです。激しい感情のせいで、『どう考えてもありえない話』まで全て真実だと思い込んでしまうのです」と、この研究を行った心理学チームは語る。

語る人々は空想を語っているつもりは全くない。彼らは自分の目で見て体験した「真実」を語っている”つもり”である。それは、ビデオカメラで録画した映像を再生しているかのように正確無比な”はず”である。



ところが客観的に調べてみると、彼らの話は確実に真実から遠ざかっていっていた。

「どちらかと言うと、同じ映像が再生される映画というよりは、演じられるたびに微妙に変化する演劇に似ています」



最近の世論調査によると、アメリカ人の63%は「記憶がビデオカメラのように正確で、後から再生して検討することができる」と信じている。

こうした思い込みはアメリカ人に限ったことではない。我々は「過去を変えられない」と思い込んでいる節がある。

しかしどうやら、我々は「忘れたこと自体を忘れてしまっている」ようだ。「無知の知」ならぬ、「忘の忘」…?



◎ゆるい配線


ところで、脳の記憶とはいかなるメカニズムを持つのであろう?

記憶がつくられる時、まず脳の神経ネットワークに変化が起き、その記憶が「広大な電気の織物」の中に織り込まれる。そして、その記憶が脳というコンピューターに配線され、つなげられることで固定化される。

もし、この配線が永遠ならば、その記憶はビデオカメラに録画された映像のように、いつでも正確に再生することが可能となるはずだ。



しかし、脳の配線は思ったよりも「ゆるい」。細いケーブルはすぐに外れ、記憶の細部は思い出せなくなる。9.11テロの事後調査では、あれほど衝撃的な事件でありながら、わずか1年で37%の記憶の配線が外れてしまっていた。

人は記憶を「思い出す」たびに、外れた配線を脳につなぎ直すという作業をする。それでも、外れた線が元の場所に接続されるとは限らない。もともとは「真実」につながっていた線も、「空想」に再接続されるかもしれない。3年もすれば、テロ事件の半分は真実から離れてしまっていたのだ。



要するに、「記憶は思い出すという行為によって作られる」のである。

そういった意味では、「不変の過去」というのは幻想であり、過去は思い出すその時、つまり「現在において形づくられている」ということになる。



◎流動的な記憶


記憶を思い出す時に、脳ミソが必要とするものがある。それは「タンパク質」である。何かを思い出すとき、脳はタンパク質を使って神経細胞に配線するのである。

そのタンパク質はその都度、新たに合成されることになる。というのも、典型的な神経タンパク質は2週間から数ヶ月という期間が過ぎると、分解・再吸収されてしまうためだ。

つまり、記憶をつないでいたタンパク質は2週間から数ヶ月すると、どこかへ消えてしまうのだ。それは「忘れる」ということである。脳というコンピューターはそれほどに「流動的」にできているのである。



もし、記憶を長く保存しておきたいのであれば、忘れる前に思い出して、それを再保存しておかなければならない。

それは、なんと面倒なことであろうか。もしデジカメで撮った写真を数ヶ月に一度、保存し直さなければならないとしたら…、いずれ面倒臭くなって、失うに任せてしまうのではなかろうか。よほどのお気に入りでない限りは…。



余談ではあるが、コンピューターが人間の脳よりは長く記録を留めるといえども、それとて永遠ではない。コンピューターのハードディスクにも寿命があり、それはDVDやCDといった記憶媒体とて例外ではない。

「デジタル・データ」というのは永遠のようでいて永遠ではない。再生するためのコードが変われば、また書き直さなくてはならなくもなる。その変化はアナログ以上に速い。

そのため映画などはフィルムで保存した方が安上がりなのだそうだ(ある報告では10分の1以下)。保存状態さえ良ければフィルムは500〜1000年持つと言われているが、粗悪なDVDは5年も持たないとのこと。



◎エラー


なるほど、人間の記憶が変化していくのは、定期的な書き換えが行われているためである。

では、もしその書き換えの際に、何かトラブルが発生したら、その記憶は失われてしまうのであろうか?

実はそうらしい。記憶を再固定させるための新たなタンパク質が、何らかの理由で阻害されると、あっさりその記憶が失われ、忘れてしまうというのである。



脳と神経を結びつけるタンパク質の一つに「PKMゼータ」という酵素がある。

PKMゼータの遺伝子発現が増大するように遺伝子操作されたラットは、「異常な記憶力」を持つようになる。記憶テストの成績が、通常のラットの2倍近くにもなるのである。

それは、PKMゼータが通常よりも長期間、神経細胞と接続され続けるためで、その結果として「忘れにくくなる」のである。



その逆に、記憶をつなげるPKMゼータの邪魔をするとどうなるのか?

ZIP(ゼータ作用タンパク質)と呼ばれる物質は、PKMゼータの「抑制物質」であるが、これを注射されたラットは記憶を失ってしまう。

そのラットはサッカリン(人工甘味料)と吐き気の記憶が関連づけられていた。サッカリンをペロリと舐めると吐き気を催す。その「嫌な記憶」により、そのラットはサッカリンを舐めなくなっていたのだ。

ところが、記憶をつないでいたPKMゼータの生成が抑制物質(ZIP)で阻害されると、そのラットはサッカリンを舐めると吐き気がするというのを忘れ、また美味しそうにサッカリンをペロペロ舐め出したのであった。



◎過去の書き換え


記憶を思い出す時に、それに必要なタンパク質(PKMゼータなど)が作られなければ、記憶は失われてしまうのか?

もしそうなら、それを阻害する物質は「記憶の消しゴム」となるのではないか。



こうした考えはラットのみならず、人間にも有効である可能性が示唆されている。

たとえば、強い多幸感をもたらす薬物(MDMA・通称エクスタシー)で異常に幸せな気分になっている時に、思い出したくもない「嫌な記憶」を思い出したらどうなるのか?

その結果は劇的だった。ひどいトラウマ(心の傷)を負っていたはず患者の実に83%の人々に明らかな症状の軽減が見られたのである。それは、トラウマとなった嫌な記憶が、薬物の生み出した異常にハッピーな記憶と再接続されたためだった。



この実験例では、記憶を消そうとしたわけではなく、思い出す際に「新たな記憶」との再接続を試みたのである。つまり、意図的に好ましい記憶に書き換えたのである。

思い出す時に記憶が再形成されるなばら、その時の状況を変えることで、過去の不幸な記憶が変えられるのではないか。それはある意味、正しかったということだ。



◎悪循環


では逆に、嫌な記憶を思い出す時、最悪の心理状態であったのなら、どうなるのか?

その結果は予想通り、トラウマがますます酷くなり、「PTSD(心的外傷後ストレス障害)」をも引き起こして危険性がある。PTSDの記憶は非常に苦痛のまま残り続け「現在を侵食し、未来を荒廃させる」。



誰かを慰める時、「話せば楽になる」という言葉を聞くことがある。

しかし、その話す時、思い出させる時の環境次第では「ますます苦しくなってしまう」のだ。



トラウマ(心の傷)の解消法の一つに、「緊急事態ストレス・デブリーフィング(CISD)」というものがあるが、これは、苦痛に満ちた体験を自分の言葉で説明させるもの、つまり「話せば楽になる」という治療法である。

訓練を受けた治療の進行役は、およそ3時間にわたり患者の苦しみを詳細に描写させる。「この事故で一番つらかったのは何ですか?」といった質問を繰り返し、心の傷を深く深く、その根底まで思い起こさせるのだ。



その結果、心の傷は癒えるのか? 

残念ながら、PTSD(心的外傷後ストレス障害)の発症率が3倍にも上るという調査結果がある。つまり、この治療法が役に立たないどころか、事態がよけいに悪化してしまったのだ。

アメリカ陸軍が行った調査では、戦地の惨状を目の当たりにした兵士たちは、CISDの治療によりアルコール依存症に陥る可能性が高まることも判っている。



「緊急事態ストレス・デブリーフィング(CISD)」というのは、アメリカ国防省、イスラエル軍、国連、赤十字などでも用いられており、年間3万人、9.11テロ事件の後にも盛んに行われた。

この治療法の問題点は、嫌な記憶を思い起こさせる時の「環境」に気を配らなかったことだとされている。

確かに「話せば楽になる」。しかし、それを苦しみのなかで思い出させてしまうと、苦しみは増幅してしまうのだ。少々過激だとしても、ハイになれる薬物を用いて話させた方が、よほどに心は軽くなるのである。



◎感情を抑えて思い出す


それほど過激な薬物を使わなくとも、効果を上げている研究者もいる。

そこで用いられたのは「プロプラノロール」というノルアドレナリンを抑制する物質である。ノルアドレナリンというのは、激しい感情を起こす神経伝達物質であるから、それを抑制すればネガティブな感情が抑えられるというのである。

その結果は恐怖を消し去るほどではなかったが、ストレス反応は顕著に低下していた。その患者たちが、日常生活に支障をきたすほどに心の傷を抱えていたことを考えれば、それは十分な成果であった。



患者の一人であったある女性は、「子供のころに性的虐待を受け、暴力的な男と結婚してしまい、その男は自宅で首吊り自殺。数年後、10代の娘はトラックに跳ねられて死んだ…」

まるで旧約聖書のように呪われた人生を抱え込んでいた彼女は、酒を飲むことでギリギリで耐えていた。昼から夜まで飲み続けて…。「4年間をアルコールで無駄にしました。飲んでいないと、涙があふれて止まりませんでした…」。



その彼女は、感情を抑える薬「プロプラノロール」を与えられた後、自分の身にまとわりついて離れない不幸を大きな声で読み上げるということを繰り返した。

さすがに最初は苦痛以外の何物でもなかったのだが、5週間もすると変化が現れはじめる。「思い出すたびに心が引き裂かれるのは変わりませんが、それとともに生きていけるような気がしたのです。少しだけ楽になりました」。

それは「ささやかな回復」であった。しかし、精神医学においては、このような「ささやかな回復例」すらほとんどなかった。



◎思い出す時の条件


「嫌な記憶」というのは、脳のある決まった引き出しの中にしまわれている。それが「扁桃体」と呼ばれる部分である(そのため、扁桃体にダメージを受けてしまうと、恐怖が思い出せなくなる)。

もし、その恐怖の引き出しがノルアドレナリンなどの感情を掻き立てる物質で開けられてしまうと、その恐怖がますます増幅してしまう恐れがある。そうした症状がPTSD(心的外傷後ストレス障害)となってしまうのだ。



「プロプラノロール」は、感情の火付け役であるノルアドレナリンを抑制することで、その恐怖を和らげた。また、MDMAのような薬物は、無理やり幸せ感を演出することで、不幸を中和した。

いずれの例においても共通するのは、「思い出す時の条件をコントロールしたこと」である。一方、その条件を無視して失敗したのが、軍隊などで用いられていた「緊急事態ストレス・デブリーフィング(CISD)」であった。



その成否を分けたのは、「記憶とは何か」という問いへの解釈である。

それは固定された不変的なものなのか、それとも時とともに流れ行くものであるのか?



幸にも不幸にも、どうやら記憶は変わり続けるようだ。それを思い出すたびに。

記憶を思い出す時、その記憶の周りが不幸や恐怖でいっぱいだったら、その記憶はそれらに接続されてしまう。逆に、幸せな線が周りにぶら下がっていれば、その記憶は幸せな配線をされることになる。



◎頑固なパラダイム


記憶を不変だと思い込んでいたのは、古代ギリシャのプラトンもそうである。

プラトンは記憶を「ワックス・タブレット(蠟を塗った記録用の板)」に刻まれた痕跡にたとえている。現代風にいえば、それはハードディスクに記録するようなものである。「忘れる」ことはあるが、記憶が「大きく歪められる」とまでは思っていなかった。



それは現代の我々も同じである。古代ギリシャ以来の「頑固なパラダイム」は、先進的な研究の成果を無視し続ける。

だからこそ司法の現場では、事件の目撃者が証言台に立ち続け、その発言が重要視されるのである。

しかし、その記憶の信憑性には大いに疑う理由が示されつつある。記憶を保持するタンパク質は早ければ数週間で消滅し、新たに記憶を書き換えるためのタンパク質は、その時々の状況で結びつくパートナーを気まぐれに変えるのだから。すなわち、エラーが頻繁に起きているのである。

「空想が現実のように最固定化されてしまう」



◎過去・現在・未来


なるほど、記憶のメカニズムをたどれば、楽観的な人の周りに幸せが集まる理由もかわるような気がしてくる。

記憶が思い出すことによって再構成され続けるのであれば、幸せな人の過去はどんどん幸せで上書きされ、不幸な人の過去はその逆となる。



過去は過去のようでいて過去ではないようだ。過去の記憶は常に現在と結び付き、リフレッシュされているのだから…。無理やりに笑顔をつくる功徳もこの辺にあるのだろう。

過去に足をひきづられて未来を損なうのか、それとも過去を笑い飛ばして新たな未来とつなげていくのか? それは人間に許された自由であるようだ。

なにせ、脳は忘れるようにできている。ただ不幸なのは、忘れたことまで忘れてしまうため、あたかも過去が不変であるかのように感じてしまうことだ。これが数千年来、人類の重しともなってきた。



幸いにも現在、専門家たちは「記憶は過去の忠実な描写のように感じられるかもしれないが、その信憑性はまったく当てにならない」と考えるようになっている。「回想するという行為が、記憶そのものを全く変えてしまうことがある」のだ。

中国の老荘思想は昔から「忘」の徳を説いてきた。忘れることは困ったことでもあるが、有り難いことでもあるのだと。

カーライルは忘却を「黒いページ」にたとえた。黒いページの上に書かれた輝く文字は読み易いが、「もしそれことごとく光明であったら、何も読めはしない」。



◎希望の種


この論文の著者であるジョナ・レーラーは言う。

「記憶とは微量の化学物質の作用にすぎない。近い将来、記憶は取捨選択できるものとなるだろう」

記憶が作られる時には新しいタンパク質が必要だが、それがブロックされると書き込みエラーとなってしまう。思い出す時に必要なタンパク質がなければ、オリジナルの記憶までが消えてしまう。

「脳は過去の完全な記憶を丸ごと保管してくれているわけではない。記憶を未来に関連づけて考えることができるのも、そのお陰だろう」



「記憶とは何か?」

それは過去のためにあるのではなく、未来のためにあるのだと、ジョナ・レーラーは結論付けている。

「過去は変えられる。少なくとも自分の中では」

それは人間にあらかじめ備えられた「希望の種」なのかもしれない。思い出すたびに新しい物語が始まるのだ。



「最も大切な記憶が、最も当てにならないとしたら?」。そんな疑問を抱く時、「これまでの常識が音をたてて崩れていく」…。

もし、何も覚えていられないと考えた時、今の行動はどう変わるだろう? 記憶があるからこそ存在する過去は、思い出せるからこそ存在する。それがもし、なくなってしまったら…。

過去に囚われない真っさらな未来というのも、また魅力的ではなかろうか…?







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出典:WIRED Vol.4
「忘れ薬 The foggetting pill」
posted by 四代目 at 08:01| Comment(1) | サイエンス | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
臨床神経科医のOliver Sacksによるイタリア出身の画家のFranco Magnaniの話がまさにそうですね。人間のすべての記憶はそのままの形で保存されるのではなく、思い出すたびに再構築されるものであると。大学で使っていた教科書のThe Universe of English Uに載っていたので読み返してみました。
Posted by Y at 2012年10月30日 13:11
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