「試合の前の夜は、もう眠れなかったです。今までずっと20年間レスリングやってきて初めてです。こんなに寝られなかったのは」
ロンドン・オリンピックの前夜をそう語るのは、意外にも「吉田沙保里」選手。
「意外にも」というのは、レスリング界での彼女は「無敵の女王」として知られているからだ。その戦歴を振り返れば、あらゆる世界大会で「金メダルしかない」。むしろ、負けた試合を探し出す方がよっぽど大変なのだ。
そんな無敵の女王がなぜ、ロンドン・オリンピックを前に「極度の緊張」から夜も寝られぬほどであったのか?
じつはオリンピック直前の吉田選手、「もう勝てないんじゃないか…」とまで悩み続けていた。
「あぁ、私、ここまで来て負けんのかなって、ずぅっと心の中で思ってました…」。
◎高速タックル
吉田選手の最大の武器は「高速タックル」。それを食らった選手は「気づいたら終わってました」と唖然とするほどに、そのスピードが速い。
相手とは組み合わず、1mほど離れた「独特の間合い」から一瞬で繰り出される吉田選手のタックルは、ほとんど野性的。かわしたくともかわせるものではない。この高速タックルあっての女王と言っても過言ではない。
本人に語らせれば、それは高速タックルではなく「本能タックル」なのだと言う。相手のスキを感じたら、「身体が勝手に反応する」というのだ。まさに野生の狩りさながらではないか。
その威力を世界に知らしめたのが、8年前のアテネ・オリンピック。自身初のオリンピックで金メダルに輝いた。
続く4年後の北京オリンピックでは、すでに不動の女王となっていた。磨き上げられた高速タックルは、いかんなく獲物を狩り続け、全8試合すべてで全選手がその餌食となった。快心の金メダル。堂々の2連覇である。
◎狂い
ところが、その「本能」にも狂いが生じる。それは去年9月の世界選手権(2011)。
世界の強豪たちも女王に負け続けてばかりはいられない。当然のように、その対策を練り上げて来ていた。世界各国のコーチたちは、「戦略を練ってきた」と口をそろえ、中には「あの戦い方をすれば、吉田選手に絶対勝てる」と自信をみなぎらせるコーチも。
それは「守りに徹して、高速タックルをひっくり返す」というものであった。
しかし、言うは易し、行うは難し。女王・吉田はそんな秘策をものともせずに、決勝まで世界の強豪たちを蹴散らしていった。
ところが、決勝のビーバーク選手(カナダ)ばかりは、一味も二味も違っていた。完璧なまでの守り。攻める気など毛頭ないかのごとき堅牢さである。
ジリジリと下がるビーバーク選手。ジワジワと焦りの汗がにじむ吉田選手。攻め口がどこにも見えない。
そして、最初にシビレを切らしてしまったのは、女王の方であった。不用意に飛び込んだ吉田選手を、待ってましたとばかりのビーバーク選手。身体に叩き込んできたのであろう「返し技」が吉田選手に美しく決まった。
ついに返された女王の高速タックル。「まさか…」、吉田選手は動揺を隠せない。
しかし、それは偶然ではなかった。その後、吉田選手の高速タックルは何度も何度も返される。何度も何度も「まさか」が続いたのであった。
◎勝って負ける
残り3秒、意地を見せた女王は辛うじて勝ちをものにする。しかし、その試合内容には全く納得がいかない。
ジャンケンで負けただけでも、「クソーーッ」と悔しがるというほど負けず嫌いの吉田選手。試合には勝ったが、高速タックルは敗れた…。その悔しさはいかほどであったであろう。試合後の彼女は、ずっと泣き続けていた…。
一方、負けはしたが「高速タックル返し」に成功したビーバーク選手は、その心境を「禅の境地」と表現した。そのシンとした静けさの中、「カンが冴えまくり、吉田選手の動きが『見えていた』」と語る。
その静かな水面に不用意に飛び込んでしまった吉田選手。狩るはずが、逆に狩られてしまう結果となった。彼女自身、高速タックルを返された経験がなかったため、「まぁ、入れば取れるだろう」という軽い気持ちがあったと後に語る。
スキのなかったビーバーク選手に対して、「取れるだろう」というスキを見せた吉田選手。その結果は必然であった。もはや、吉田選手の高速タックルは「本能」からではなく、「打算」から繰り出されていたのであるから。
アテネ、北京と2つのオリンピックで吉田選手に辛酸を舐めさせられてきたビーバーク選手は、ついにロンドンで女王を仕留める糸口を見つけたのであった。
※ビーバーク選手はアテネで銀メダル、北京で銅メダル。
◎変える
「変えなきゃダメだ。あと残り一ヶ月だろうが、一週間だろうが変えなきゃ」
全日本の栄和人(さかえ・かずひと)監督は、吉田選手に攻撃スタイルの変更を迫る。相手と組まずに「独特の間合い」を保つのではなく、「相手と組んで」技を繰り出せと言うのである。守りの殻に閉じこもる相手を引っ張り出すには、離れているよりも組み合ったほうが効果的だと考えたのだ。
そうは言えども、20年以上にも渡って身体に染み込ませきた戦法を一朝一夕に変えることは至難の業。組もうと思っても、身体が前に出ていかない。明らかにやりづらそうな吉田選手は、練習相手の大学生にまで攻め込まれてしまう。
「自分が得意なのは、スピードで押し倒すっていうのなんで、組むとやっぱり、それができない。やりづらいし、力も使わないといけない」と吉田選手は漏らす。
「力」の重要性が増したため、さらなるパワートレーニングに挑む吉田選手。70kg以上の女子選手2人を背中に背負って、50mの坂道登りを繰り返す。
「こっちが73kg、こっち72kg。合わせて145kg。私は50kgしかない。凄いでしょ。あー、えっらっ」
◎敗北
戦闘スタイルを一変させて臨んだ今年5月のワールドカップ。これがオリンピック直前、最後の国際試合であった。
さあ、女王は強さを増していたのか?
……、結果は散々…。まさかの敗北が吉田選手を待っていた…。
東京で開催されたこのワールドカップ、団体戦で日本はチームとしては優勝したが、主将だった吉田選手は、まさかの敗北を喫していた。彼女の戦歴で数えるほどしかない敗北、それがオリンピック直前の彼女を襲ったのだ。
4年4ヶ月ぶりの負け。北京オリンピックで金メダルをとって以来、吉田選手はどこへ行っても負け知らずだった。ところが敗れた。しかも、19歳という新進気鋭の若手選手に…。
ロシアのボロジョア選手は、女王の高速タックル対策に余念がなかった。いやむしろ、その「返し技」だけに全エネルギーを費やしていた。
組もう組もうとする吉田選手に対して、ボロジョア選手にはまったく組む気がない。守り守りの一辺倒。不安に苛まれる吉田選手。あのビーバーク選手の姿が頭から離れない。
「タックルを返されるんじゃないか」、その見えない何かにブレーキをかけられてしまっていた吉田選手。それでも、その迷いの中から高速タックルを繰り出した。しかし、あえなく返されてしまう。完全に腰が浮いてしまっていた。
残り30秒、またもや強引に割り入ったタックルがボロジョア選手に返され、まさかの敗北…。
女王の時代は終わったのか?
高速タックルはもはや世界で通用しないのか?
オリンピック直前、無敵の女王は最大の試練の上に立たされていた。
◎骨の髄
吉田沙保里選手がレスリングを始めたのは、わずか3歳の時。
父親の栄勝さんは、全日本レスリング選手権で優勝するほどの豪の者であり、自宅でジュニア向けのレスリング道場を主催していた。こうした環境の元、3人兄弟の上2人の兄たちに交じり、吉田選手は稽古を重ねてきた。
一日2〜3時間の練習のうちの1時間はタックルに費やされ、一日のタックルは100回を超える。のちの高速タックルは、まさに骨の髄まで身体に染み込んだ「本能タックル」であったのだ。
当然、少女時代から吉田選手はタックルを得意としてきた。
「速かったんですよ、ほんとに」と母親は振り返る。「タックル入ってポンポンポンと終わっちゃうんです。だから、写真も撮れないんです。あまりのスピードにシャッターが間に合わなくて」。母親の大切に持っている写真は、そのいずれもがタックルを決めた後のものばかりであった。
◎悩み、もがき…
その高速タックルが今、世界の強豪たちに攻略されようとしている。作戦を変えて組もうと思っても、異常に警戒している相手は容易に組ませてくれない。
オリンピックの一ヶ月前、吉田選手はもがき続けていた。
「自分に何が足りなかったのか? 勝つためにはどうすれば良いのか?」
失ってしまったタックルへの自信を取り戻すために、吉田選手はひたすらタックルを繰り返していた。何度も何度も…。
それは、「もう勝てないんじゃないか」という不安との闘いでもあった。
◎不安の開幕
そして、不安のままに迎えたロンドン・オリンピック。開会式で日本選手団の「旗手」を任された吉田選手は、オリンピック3連覇という偉業に臨もうとしていた。
しかし心ない人々は、吉田選手の3連覇は成らないと言っていた。先のワールドカップで、完全に高速タックルを封じられたことで、もう勝てないと決めてかかっていた。そして、「旗手を務めた選手は金メダルをとれない」というジンクスまで持ち出した。
ロンドンに入っても調子の上がらない吉田選手。調整のトレーニングでも、タックルを潰されてしまうことがしばしば。
「あぁ、私、ここまで来て負けんのかな…」
吉田選手はオリンピックの試合が始まるギリギリまで悩み続けていたという。
◎肚
そして、眠れぬ夜が明けた8月9日、ついにその日が始まった。
一回戦、そこには「らしくない吉田」がいた。まるで別人のように守りの徹し、必死で攻め込みたい衝動を抑え込んでいるかのようであった。それでも、相手は格下。手堅く勝ちを収めた。
次の試合も順当に勝ち、準決勝へと駒を進める。
迎えた準決勝の相手は、ロシアのジョロボア選手。ワールドカップで痛恨の負けを喫した因縁の相手、若さと勢いのあるイヤな相手である。
リベンジしたい気持ちと、逃げ出したい気持ち。その間に心は揺れていた。
「また、タックルを返されるんじゃないか…、また場外際でかわされるんじゃないか…」
と、ここに来て、吉田選手の表情は一変。
「出すぞ! いま出さなきゃ、いつ出す! この大っきな舞台で!」
肚は決まった。
◎無心
「タックルいったーーーっ」。絶叫する実況中継。
粘るボロジョア選手。「こっからです、こっからです、あっ、返されたか?」
「いや、押し出したっ! オリンピックでは押し出しましたーーーっ!」
そのタックルは、ワールドカップで返された時のそれとは一変していた。
本能に戻っていたのである。「無心」で繰り出されるタックル。ボロジョア選手は、それを返す術をまったく心得てはいなかった。
「今までやってきたことを迷わずやれば、絶対勝てる」、吉田選手はそう自分を信じ切っていた。
続く第2ピリオドも圧巻。相手に1ポイントも許さない完勝である。
渾身のガッツポーズ。ついに女王は復活したのだ!
オリンピックという極度の緊張感が、その本能を蘇らせていたのであった。
◎決戦
そして決勝戦。相手は世界選手権で高速タックルを返されたビーバーク選手。負けはしなかったが、悔し涙に泣かされた苦い経験が頭をよぎる。
あの時の世界選手権と同様、またしてもビーバーク選手は守りの壁を固く閉ざす。あの一戦以来、辛抱作戦と呼ばれるようになった不気味な戦略だ。
それでも、吉田選手には全く動じる気配がない。守るなら守ってろと言わんばかりに、じっと相手のスキを待つ。もはや彼女はかつてのように考えてなどいなかった。ただただ無心で待っていた。
「来たーーーっ! 吉田沙保里きたーーーっ!」
無心で足を前に運んだ吉田選手、反撃を許さない完璧なタックルを決めた。「禅の境地」にあるというビーバーク選手といえども、「無心」ばかりは読めないようだ。
「3連覇に向けて、残り9秒! あっ、ビーバーク攻める」
追い詰められて動じたのはビーバーク選手のほうであった。しかし、苦し紛れの攻めなど吉田選手に通じるわけがない。
「あと4秒…………。吉田沙保里、勝ったーーーーーっ!! すべてを跳ねのけた3連覇!!!」
この実況の言葉がすべてを物語っている。まさに吉田選手は「すべてを跳ねのけた」のであった。最大の試練に潰されることなく、それをブン投げてやったのだ。
快心のガッツポーズの吉田選手。マットの上で宙返り。駆け寄った栄監督までブン投げた。
笑顔で齧った金メダルの味やいかに。
◎通ず
終わってみれば、吉田選手はロンドン・オリンピックの全試合で高速タックルを決めていた。その結果だけを見れば、まさに圧勝。どこにもスキはなかったかのようである。
まさか、その前夜、対戦相手の顔が頭の中を巡り続け、どう戦えばよいかを直前まで迷って寝られなかったなどとは想像もできない。
彼女は見事なまでに「無敵の女王」の名そのままだった。
しかし、オリンピック直前の彼女は別人のように、打ちひしがれていた。そして、本能を失っていた。蒙昧の闇はいつ果てるとも知れなかった。
その彼女の目を醒まさせたのが、オリンピックという大舞台。その舞台に立った者しか味わえないという「緊張感」だった。
「窮すれば変ず。変ずれば通ず」
この格言どおり、窮した彼女は変わった。そして、その想いは通じたのであった。
◎負けを知る
オリンピックが終わった直後、吉田選手は次の世界選手権への出場を曖昧にしていた。
「もう、この緊張感やだぁ(笑)」
そう言っておどけた後、「でも、カレリンを超えるところ、見たいでしょう?」と彼女は続けた。
カレリンというのは、オリンピックを含む世界大会で12連覇という前人未到の大記録をもつレスリング選手。ロンドンで金メダルを手にした吉田選手は、その偉業に並んでいたのであった。
今年9月、吉田選手は期待通りに世界選手権で優勝。前人未到を超えた13連覇を成し遂げた(国民栄誉賞およびギネスにも認定)。
「負けを知って強くなりました。心の部分も」
常人ならば軽く押し潰されていたであろう巨大な壁を乗り越えてしまった吉田選手、これからどれだけ強くなっていくのだろうか?
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出典:NHK「アスリートの魂」吉田沙保里

