2012年10月13日

なぜ出雲大社はあれほど大きいのか? 大国主神の国譲り


旧暦10月、日本全国の神様たちはみんな「出雲」に集まると云われる。いわゆる、国々から神々がいなくなる「神無月(かんなづき)」である。

海蛇に導かれた日本中の八百万の神々は、旧暦10月10日、出雲(現・島根県)の国の「稲佐の浜」へとやって来る。その浜で神様たちのお出迎えをするのは、出雲大社の神職にある人々。神々には、「神籬(ひもろぎ)」と呼ばれる榊の枝へと宿ってもらい、出雲大社へ。


出雲大社境内の東西には、細長い「十九社」という建物があり、ここが八百万の神々の宿舎、そして神々の話し合いの場になるとのこと。これから一週間にわたる一年に一度の話し合いが始まるのである。



◎「縁結び」の大仕事


出雲大社で待っている神様は、大国主神(おおくにぬし)。

日本中の神様がみんな集まって何を話し合うのかといえば、それは「縁結び」。神々は人の名前が書かれた札を互いに見せ合い、その「縁」を結んでいく。

文字通り、札と札とのヒモを結んでいく神々。結ぶのは男女の縁ばかりではなく、仕事の縁、農作物と天候の縁…と、一週間がかりの大仕事である。



この時期、出雲の人々も神々には気を遣う。「お忌みさん」といって、この一週間ばかりは「静けさ」を保つことを心掛けるのだという。

たとえば、騒音を出す掃除機を使うのを控えたり、テレビの電源を抜いておいたり…。それもこれも、大事な神様がたの話し合いの邪魔にならぬようにとの気遣い。

日本中の神様が集まる出雲の旧暦10月は「神無月」ではなく「神在月(かみありづき)」。神様を迎える方も何かと気苦労が多いのである。



※ちなみに、出雲大社が「縁結びの神様」として有難がられているのは、この地で日本中の縁結びの話し合いがなされるという言い伝えに由来している。



◎巨大な社


出雲大社が造営されたとされるのは、今から1,300年以上も昔の話。現在のものは江戸時代(1744)に建てられたもので、今は60年ぶりとなる平成の大改修工事が行われている(2008〜2013)。

その本殿の高さは24m(8丈)という破格の大きさ。日本で「大社」の名を持つ神社は出雲大社のみということであるが、その本殿は日本一の大きさなのである。まさに大社。





言い伝えによれば、昔はもっと巨大だったらしい。中古には48m(16丈)、上古には96m(32丈)もあったと云われている(ちなみに、大阪の通天閣は高さ100m)。

そのあまりの大きさ、にわかには信じ難い。出雲大社の宮司の家に伝わる「金輪造営図」という大社の設計図には、そう書かれてあるのだが、その信憑性はしばらく疑われていたほどである。「そんな大昔に、そんな技術があるわけがない」と。



ところが平成12年(2000)、本殿前を工事していた際に思わぬものが出土した。それは「金輪造営図」に記された通りの、直径1mの丸太を3本束ねて巨大な一本の柱としたものであった。次々と見つかる巨大な柱。その配置はまさに設計絵図そのままであった。

9本の巨大な柱が支える高さ48m(16丈)の本殿(現在の倍)、そこに昇るための100mを超える階段。それほど巨大な社が古代出雲にはあったというのである。






◎「国譲り」の神話


なぜ、出雲大社はそれほど巨大であったのか?

それは、その祭神である「大国主神(おおくにぬし)」がそう望んだからである、と古事記は記す。「わが住処を、太く深い柱で、千木(屋根の装飾)が空高くまで届く立派な宮を造っていただければ、そこに隠れておりましょう(古事記)」



なぜ、大国主神は隠れていなくてはならないのか?

それは、大国主神が出雲の国を、アマテラスに譲ったからであった(国譲り)。

アマテラスというのは言わば「天上の神」である。それに対して、大国主神は「土地の神」。出雲の豊かさに魅了されたアマテラスは、出雲の地を自分の子孫(天孫)に継がせたいと考え、出雲の主であった大国主神に国を譲らせたのである。



◎国譲りへの反抗


当然、出雲を守り続けていた大国主神の心中は穏やかならぬものもあったのであろう。現に、大国主神の息子の一人は「国譲り」に猛反発して、アマテラスの使者と力比べをしたと神話は語る(毎年、氷川神社で行われる奉納相撲という神事は、その力比べに由来する)。

アマテラスの使者・タケミカツチの神と力比べをした、大国主神の息子・建御名方神(たけみなかたのかみ)。結局、大国主神の息子が敗れ、息子は遠く諏訪(長野県)まで落ち延びることとなる(これが諏訪神社の由来であり、出雲のほかに旧暦10月を「神在月」と称するのは、この諏訪地方のみである)。



神話の世界というのは寓話のようなもの。「国譲り」という平和な響きの裏には、明らかな対立の構図がある。国譲りを迫った使者と、大国主神の息子の力比べが相撲という平和的なものであったかどうか…。出雲大社近くの遺跡からは358本もの銅剣も出土している。

天上の神アマテラスは、現在の天皇家につながる大和朝廷。一方の大国主神は有力な地方豪族。しかも、出雲の地には「たたら製鉄」があった。鉄よりも強い「鋼(はがね)」を造る高い技術を擁していたのである。



◎八岐の大蛇とスサノオ


出雲の地には現在、スサノオを祀る「須佐神社」というものもある。スサノオというのは天上の神アマテラスの弟である。しかし、そのあまりの乱暴ぶりから天上界の問題児とされた神である。

その須佐神社には不思議なものが現代にまで大切に伝わっている。それは「八岐の大蛇(やまたのおろち)の骨」である。輪切りにされた背骨のようなその骨は、バスケットボールほどの直径がある。

ご存知、八岐の大蛇といえば、スサノオの退治した「8つの頭と8本の尾をもつという化け物」である。



天上界(高天原)から追い出されたスサノオは、ふらふらと出雲の地を歩いていた。すると、斐伊川のほとりで涙にくれる老夫婦と出会う。その涙のわけを聞けば、八岐の大蛇という怪物が娘の「稲田姫」を食おうとしているというのではないか。その老夫婦には8人の娘がいたというが、毎年毎年、娘たちを一人ずつ食べてしまった。そして、今年は稲田姫の番だというのである。

「稲田姫」の美しさに心を奪われたスサノオは、彼女との結婚を条件に八岐の大蛇退治を引き受けた。一計を案じたスサノオは、濃い酒を用意して大蛇を待つ。そこに現れた大蛇、まんまと酒に酔って正体不明となる。そこをすかさずスサノオは斬りつけた。

スサノオの剣は、大蛇の尻尾を切った時、その刃が欠けた。あとで不思議に思ってその尾を裂いてみると、尾の中からは立派な大刀が現れる。これが「天叢雲(あめのむらくも)の剣」。天皇家の三種の神器の一つとなるものであった。

※天叢雲の剣は、姉のアマテラスへと献上され、のちに東征した大和武尊の窮地を救う「草薙(くさなぎ)の剣」となる。そして、源平合戦の最終戦・壇ノ浦で海中に没したとも云われる。






◎大蛇という比喩


さて、このスサノオによるヤマタノオロチ退治伝説には、さまざまな歴史が隠されている。

まず、スサノオの歩いていた斐伊川というのは、出雲のたたら製鉄を支えた「良質の砂鉄」を産した川である。スサノオの剣が欠けたというのは、出雲の剣がスサノオのそれよりも硬かったからなのかもしれない。

日本刀の原料ともなった出雲の玉鋼(たまはがね)は、砂鉄10トンからわずか1トンしか取れないという貴重なものであり、古代出雲で造られていた玉鋼ほどに純度を高めるのは、現在の技術をもってしても困難だと言われている。



古代出雲には、そうした高い技術をもつ集団がいたと考えられ、それが八岐の大蛇に重ねられていると考える人もいる。大蛇の腹が赤くただれていて、その血によって斐伊川が真っ赤に染まっていたというのは、鉄分を含んだ赤い水が斐伊川に流れていたからなのかもしれない。

また、大蛇は「洪水の化身」とも考えられ、毎年娘をさらうというのは毎年の氾濫を意味し、稲田姫というのは稲作の田んぼの象徴だとも言われている。たたら製鉄には「大量の木炭」を必要とするため、周辺の山々の木々が伐採され、その結果、洪水が起きやすくなっていたとも考えられている。

はたして、スサノオは自慢の力で出雲を服従させたのか、それとも、治水を請け負った英雄だったのか?



◎天穂日命(あめのほひのみこと)の子孫


いずれにせよ、天孫一族で最初に出雲と関わりをもったのがスサノオと考えられ、出雲出自の大国主神はその跡を継いだとされている。そして、のちに国譲りとしてアマテラスへ出雲を譲るのである。

国譲りの使者として、アマテラスははじめ、天穂日命(あめのほひのみこと)を出雲へと遣わしたと云われている。ところが天穂日命は大国主神に従ってしまう。ミイラ取りがミイラになってしまったのだった。その後に改めて遣わされたのが、先に記したタケミカツチの神。大国主神の息子と力比べをした神である。



現在、出雲大社の宮司を務める家系は、アマテラスが最初に出雲に遣わした天穂日命(あめのほひのみこと)の子孫と云われている。天穂日命はアマテラスの次男でもある。

出雲国造家とも言われる「千家(せんげ)家」が、その子孫であり代々出雲大社の宮司である。この家系は天皇家に次ぐ長い歴史を誇っており、現当主は千家尊祐(たかまさ)氏、天穂日命から数えて84代目である。



◎出雲大社の本殿


夜明け前、出雲大社の宮司である千家尊祐氏は、御火所(おひどころ)と呼ばれるお清めの建物へと向かう。家族でさえ立ち入れず、中の様子を語ることも固く禁じられている神聖な場所である。

御火所で朝の祈りを捧げると、食事をとる。料理もすべて一人で行い、そこで使う火は尊祐氏が宮司になったときに起こした火で、その火は絶やすことなく一生使い続けられる。「穢れのない火が神に使える心を保つのです」。

大国主神に直接願いを告げることができるのは、この宮司のみ。千家家は世の中の平安と天皇家の繁栄を日々祈り続けているとのことである。



出雲大社の本殿内部は、60畳という広さ。天井に描かれているのは、鮮やかな雲の絵(八雲之図)。雲は神がいるところの象徴である。八雲といわれるのに7つしか雲が描かれていないのは、8つ描いて完成させると、そこで発展が止まってしまうからだそうである。

そして、その本殿を支えるのは、本殿の中心に建てられた立派な柱「心御柱(しんのみはしら)」。古来、柱は神が宿るものとして崇められてきたものであり、本殿はその柱を守るためのものなのである(神様の数え方は、一柱、二柱…)。



ところで、肝心の大国主神の席、御神座はどこに?

じつは出雲大社の本殿は普通の神社と御神座の位置が異なる。本殿に入った正面が壁で遮られているため、その壁の左側から回り込まないと、御神座にはたどり着けない(逆コの字)。

そして、御神座の「向き」も普通の神社とは異なる。普通は南側を向いているものだが、出雲大社の御神座ばかりは「西側」を向いているのである。出雲大社の西は海。その向こうは神々が住むという常世の国。そこは国譲りの際に約束した、大国主神が取り仕切る世界なのである。

出雲の大国主神は一度、天上界の申し出(国譲り)をキッパリ断っている。そこで出されてきた条件が、巨大な出雲大社の造営であり、大国主神の冥界支配であったのだ。



◎ある一説


古代出雲が大和朝廷に従うようになった歴史には、どんなドラマがあったのか? 今に伝わる断片的な歴史や風習に、そのドラマは見え隠れしている。

出雲国風土記の大国主神は、こう言っている。「私が支配していた国は、天神の子たちに譲ろう。しかし八雲たつ出雲の国だけは、垣根のように青い山で取り囲み、自分が鎮座する」と。



出雲国風土記というのは、大和朝廷がつくった古事記や日本書紀とは異なり、出雲大社の宮司(千家家)が1,300年前に編んだものとされ、全国の風土記の中では唯一ほぼ完全な形で今に伝わるものである。

この書によれば、大国主神が支配していたのは出雲一国だけではなく、もっと広範な国土であったことを示唆している。国譲りとして譲ったのは、出雲以外のほかの国々だったというのである。逆に譲らなかったのがお膝元の出雲だったというのである。

ある壮大な一説によれば、大国主神の支配は東方は越(北陸)、南方は紀伊(和歌山)、西方は筑紫(北九州)、北方は海を越えた新羅(朝鮮)にまで及んでいたとされている。もちろん、息子が逃れた諏訪(長野)も勢力下であったのだろう。






◎稲佐の浜


大国主神に国譲りを迫ったアマテラスの使者は、「稲佐の浜」にその剣を突き立てた、とある。稲佐の浜とは、旧暦10月10日に日本全国の神々を迎え入れる場所でもある。古代において、この浜はかように重要な場所だったのである。

現在も出雲大社において行われるという「縁結び」の話し合いに、アマテラス系の神々は今も参加しないという説もある。たとえ来たとしても「最後に参上し、最初に退出する」という伝承も残る。



出雲系の神々が主となって行ったとされる「縁結び」の話し合いとは、古代、如何ようなものだったのであろう。それはアマテラス系との和解を探るものだったのか、それとも…。

古代の神々には、古代の権力者たちの影がそこに重なる。そして、出雲一国、もしくは出雲大社に雲隠れせざるを得なかった大国主神の姿も…。



◎一つ


万世一系と言われる日本の歴史も、それをヒモ解けば、決して初めから一枚岩だったわけでなかったことが、容易にうかがい知れる。今は神々となった人々も、かつては血気盛んな時代があったのだ。

それでも今、この国は一つの言語、一つの民族となっている。天皇家の伝説も含めれば2,600年という永い時間の中で「一つ」となったのだ。



もしかしたら、古事記と日本書紀という日本の正史は、正しい歴史を伝えていないのかもしれない。伝説として語られる逸話は、官軍に都合に合うように美化されているところもあるのだろう。

しかし、大和朝廷は日本全国に「風土記」という形で地方の歴史を公式に残せるような配慮を成した。

それは、悲しい歴史を知る人たちへの優しさだったのかもしれない…。







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出典:新日本風土記「出雲」
posted by 四代目 at 09:04| Comment(1) | 古代史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
ヤマタノオロチは川の神で実在する
Posted by at 2013年06月30日 13:47
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