サラリーマン2年目の「宮本輝」氏は突然、「パニック障碍」に陥った。
電車に乗れない。人混みも、地下街もダメ。梅田のド真ん中の会社に行き着いたとしても、会議室がダメ。エレベーターもダメ。
「もう、辞めるしかない…」
そんなある日、急の土砂降りで雨宿りを余儀なくされる。
そこで立ち寄ったのは近くの本屋。皆考えることは一緒なのか、本屋はスゴイ人混みだ。辛うじてスペースが空いていたのは入口付近。ちょうどそこには文芸誌が置いてあった。
それは有名な文芸誌。パラパラとめくって、巻頭の短編を読み始める。ところが…、「つまらない…」。巻頭を飾るぐらいだからと期待して読んだのだが、それが実に「つまらない」。最後まで読む気が失せるほどの「つまらなさ」であった。
「これでこの人が作家として食っていけるのなら、オレは『明日にでも作家になれる』な…」
土砂降りの雨の中、宮本輝氏はそんなことを思っていた。
◎結核と芥川賞
「あっ…、そうか。作家になれば、電車に乗らんでもええし、会議にでなくてもええな。よし、作家になろう!」
そうして、宮本輝氏は「作家」になった。もちろん、会社は辞めて。
ところが、執筆中の体調が優れない。ゴホゴホと咳が止まらなくなり、しまいには息をするのも辛いほどに。さらには疲労感と倦怠感。一度横になると起き上がる気力が失せる。そしてある時、血を吐いた。
「あ、これは結核だ…」
そう分かったのだが、宮本氏は病院に行かなかった。「今、病院に行けば、絶対に強制入院させられる」と思って、「病院に行くのは、『芥川賞』をとってからにしよう」と心に決めたのである。
◎入院
デビュー作「泥の河」は太宰治賞(1977)。その後に仕上げた二作目の「螢川」で、見事に念願の芥川賞を受賞(1978)。
それでも宮本氏は病院に行かなかった。
「芥川賞は作家の世界へのパスポートをもらったにすぎない。実際、『芥川賞をもらってそれっきり』という作家は山ほどいる」と考え、「もう一作書いてから病院に行こう」ということにしたのである。
そして、三作目の「幻の光」を書き終えた宮本氏は、ようやくその足を病院へと向けた。当然、即刻入院。
「明くる日、保健所の人が家中消毒しに来ましたよ(笑)」
◎濡れ落ち葉
会社勤めから「パニック障碍」に陥った宮本氏は、その毎日が「死にに行っているようなもの」だったという。「この恐怖は、罹った人にしかわかりません」と宮本氏。
それゆえ、「血を吐いたから、はい入院」などとは思わなかったのだという。なにより、残されていた道は「小説家になる」という一本道だけだった。作家になるまでかかった3年間、不思議と妻は「あなたなら絶対なれるわよ」と信じて疑わなかったという。
その妻の根拠なき自信は、太宰治賞、芥川賞という形となり、1978年には史上最年少(40歳)にして吉川英治賞を受賞することにもなる(「優駿」)。
宮本氏が再び体調に異変をきたすのは50代。ようするに更年期である。
町行くガラス戸を見て、「なんか、ショボくれた爺さんが歩いているなぁ」と思っていたら、それが自分の姿だったり…。「オレ、こんなに背中を丸めて歩いていたのか」と驚いたという。
◎憧れの50歳
そんな「濡れ落ち葉」の時期をすぎると、今度は一転、「凄く楽しく」なってくる。
じつは宮本氏、50歳という年齢には密やかな憧れがあった。というのも、昔ある人から「オレは50を過ぎた人間の情熱しか信じない」と言われたことがあったからである。
そう言われたのは宮本氏が35歳の時。当然、その意味は分からない。
48歳になって、阪神淡路大震災で家を失い、シルクロードに旅立つも、その意味は分からない。
「ああ、そうか」と思うのは、50歳になる直前。
それまでの人生が「はなたれ小僧」であったことに気付かされたという。
「50歳を過ぎてからの人生は、それまでの50年よりももっと深いものだと知りました」と宮本氏。
その後の作品、「骸骨ビルの庭」は司馬遼太郎賞と紫綬褒章を受賞することとなる。
◎足下の泉
子供の頃から人よりも不幸を体験してきたという宮本氏。
事業に失敗した父親は貧乏暮らしと女性問題を家庭にもたらし、母親はアルコール依存症になってしまう。その多額の借金を背負わされた息子の宮本氏は、「ナニワの金融王」みたいな連中から逃げ回るハメに…。
「運の悪い人は、知り合う人もやっぱり運が悪いですよ。ヤクザの下にはヤクザが集まるし、性悪女は性悪男とくっつく。これは不思議なものです」と語る宮本氏。
「だから、『嫁さんは立派だけど、亭主はねぇ…』なんてことはない。家庭の中に入ってみたら、みんな似たもの同士ですよ。どちらか一方だけが悪いなんていうことはないです」
辛酸をなめ続けてきた宮本氏は、「出会いの質を変えるには、自分が変わるしかない」という境地に至る。
「『足下を掘れ、そこに泉あり』という言葉がありますが、自分の足元を掘っていったら、必ず泉が湧いてくることを忘れていたんです」と宮本氏。
「パニック障碍」という逆境は、結果的に宮本氏に足元を掘らせる結果となった。そして、出てきたのが小説家としての溢れんばかりの才能であったのだ。
「『あっちに行ったら水が出ないか、向こうに行ったら井戸がないか』と思っていたけど、じつは自分の足元にあったんです」
◎100篇の長編小説
現在65歳の宮本輝氏の次なる野望は、「量で世界一になろう」というものだ。
「今まで、純文学で100篇の長編小説を書いた人はいないよ」との言葉に刺激され、「よし、やろう!」と心に決めた宮本氏。85歳までに100篇の長編小説を書くことに挑戦し続けている。
「年に2本ずつ、あと20年。そのためには85歳まで生きなあかん」と笑う宮本氏。
その豊かな泉は、枯れることを知らないようである。
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出典:致知2012年11月号
「作家・宮本輝さんに聞く 人生、山河あり」


すごくまとまっていて、素晴らしいと思いましたが、途中から宮川輝になってしまってます。
直されてはいかがでしょうか?