2012年09月20日

300年の教え「先義後利」。うまいぞ、うまいぞ半兵衛麩屋


「むかしむかし、京の五条の半兵衛じいさん

京の八百八寺の坊さんや、ちょんまげ結うた町衆が

『うまい』『うまい』と食べる『麩』をつくっておったとさ」



その「麩」、第二次世界大戦の敗戦による大混乱のさなかに、さっぱりつくることが出来なくなっていた。

大変まじめな十代目が、粉を練る機械から焼き釜から全部を国へ差し出してしまったからである。それは、国による鉄の強制供出に素直にしたがった結果だった。

それでも、小麦粉さえあれば麩はつくれる。ところが、真面目な十代目、「闇市の小麦をつかっては、『麩に失礼』」と言って、すっぱり商売を休止してしまったのである。



◎馬鹿正直な麩屋


結果的には十何年間、一銭の商いもできなくなった「半兵衛麩屋」。家財道具から書画骨董、はては家までを売りながら暮らすことを強いられた。

しかし、戦後の日本は「超インフレ(物価高騰)」。道具や物を売って、ひと月は暮らせると思っていても、「3日で無くなってしまう」ほど。

一枚一枚身ぐるみを剥がれていくような売り食いは、「タケノコ」のような生活だったという。



それでも、大真面目な十代目は「義」を重んじた。それは、300年来伝わっていた家訓、「先義後利(せんぎ・こうり)」を信じてのことである。

義とは「正しい人の道」のこと、利とは「人の強欲」のこと。もし、欲が先に立てば、いずれは身を滅ぼす。「人をだましてまで儲けても、長続きしない」というのである。

戦時中は、隠れて小麦を買い、麩をつくって売るような「闇の商売」をして儲ける人たちもいたという。しかし、一徹者だった十代目は、頑なにそれをしなかった。



「闇で麩を売れば儲かるのはわかってる。けど、ご先祖さんが大切にしてきた麩を闇でつくることは、申し訳なくてできひん。うちはこのまま馬鹿正直な麩屋のままでええ」

「義を先にして、利を後とする(先義後利)」、そうすることが栄える道だと十代目は信じていた。



◎今日の教えは今日限り


昭和27年、統制品となっていた小麦粉の統制が解除になり、ようやく自由に麩がつくれるようになった。しかし、家はないわ、道具はないわ、お金はないわ…。おまけに十代目は病に倒れてしまう。

そんな「ないない尽くし」の苦境にあっても、この老舗には300年来の「教え」がしっかりと残っていた。そして、それは事あるごとに十代目から11代目(現当主)の息子に語り継がれていたのである。



「あんなぁ、よおぅききや…」。これが十代目の口癖であり、この言葉のあとには、決まって大切な教えが語られたという。

とはいえ、この口癖がでるのは「机の上」ではない。実生活の中で出てくるのである。だから文字として紙に残らない。「ある時は水の上に竹ザオで、ある時はお風呂の曇った鏡に指で、またある時は、手のひらや背中の上に…」。

「今日の教えは、今日この場限り。しっかり体で覚えておきや」ということだ。





◎まさか


清水寺にお参りに行った時のこと。

「おとうさん、上り坂ばっかりでしんどいやん」と、子ども時分の11代目は愚痴っていた。そして、ようやく清水寺まで登り切った時に十代目は話し始めた。

「いつまでも上りばっかりやない。上りがあったら必ず下りがある。その下りも、いつまでも続くのやない。いつかは平らになるか、上りに変わるもんや」



「商売もこの坂道と一緒で、良い時もあれば、悪い時もあるのを覚えておきや。

上り坂の時にうぬぼれて、生意気なことをしたり言うたりしていると、下り坂を自分でつくってしまうことになるのや。いったん下り坂になると、『貧すれば鈍する』と言うて、何してもあかん。焦ったら焦るほど、悪うなっていくのや。

自分で『下り坂やなぁ』と気がついたら、その時はじっと辛抱するんや。『花咲かぬ冬の日は、下へ下へと根を生やせ』。できるだけ根を生やして、雪の水をたくさん吸って、ぐっと辛抱するんや。いつか雪が解けたら、その養分で花を咲かせたらええ」



そうは言えど、戦後の大混乱は度を超していた。これを十代目は「まさか」という坂を転がり落ちてしまった結果だと言う。

「あんなぁ、よおぅききや。

坂も上り坂と下り坂だけやないぇ。世の中には『まさか』ていう坂もあるのや。この坂が一番怖い。まさかの坂だけは『自分の力ではどうすることもできない』ことを忘れたらあかん。うちも、まさか戦争で商売ができんようになるとは思わんかった。

だけど、まさかの坂を落ちそうになっていても、ものは思いようで、反対向いたら上り坂や。お天道さんがよぉう見たはる。

さ、お参りも済んだし、ボチボチ帰ろか。走ってこけんときや。『まさか』になるぇ」



◎お陰さん


大掃除の途中、干した畳の横で昼メシを食べていた時のこと。

「畳にお日さん、当たってるか?」と十代目。

「うん、よーぅ当たってる」と11代目。

「お日さんの当たってるとこは、よぅ乾くやろ。でも、よぅ見てみ。日がよぅ当たっているところがある分だけ、日の当たらん陰もある。表があったら、それと同じだけ裏があるんのや」



「お日さんの当たらん陰の方かて、『お日さんに当たりたいなぁ』と思うてるかもしれん。でも、この陰は辛抱しているのや。『私さえ辛抱してたら、表はポカポカと気持ちようお日さんを楽しんで、きれいにならはるのやさかい』と思うてな。

お日さんの当たっている表の方は、この陰があるのを知らなかったり、みんなにお日さんが当たっていると思うたらあかん。自分が気持ちのええ時は、誰かが気分悪うても、辛抱してくれる人がいはるのや」



「あんなぁ、よおぅききや

自分が光っている時は、陰に回っている人に感謝して、ねぎらわなあかん。時には自分が陰に回って、他人さまに光ってもらわなあかんのや。

『お陰さんで』と感謝の気持ちをもたなあかんのや、わかったか」



すると11代目、「お陰さんで」と答えた。

「ワハハ、お父さんも言うた甲斐あるわ」



◎ウンコ


赤ちゃんのオムツ替え、そのお尻にはウンコがべったり。

思わず「あー、汚いなぁ」と11代目。

すると十代目、「何が汚い。ちょっとこっちへおいで」と厳しい。



「人間が生きているは、懸命に生きてきた他の生き物たちの命をもろて生きているのや。

一生懸命生きていた動物を殺して、料理して、胃の中でグチャグチャにして、栄養をとるだけとって、もういらんモノをお尻からポンと出す。それがウンコや。

それを挙げ句の果てに『あー、汚な』と言われたら、殺された牛も怒るわな。きのう食べたエビやニワトリも可哀相や。おまえかて、死ぬ思いで働いてクタクタになってる時に『役にも立たん奴や』と言われたらどうや。食べられたエビさんの立場になってみ」



「あんなぁ、よおぅききや

人が死んだらお葬式をするやろ。便所は人間が生きるために殺して食べた生き物のお葬式の場所なんや。

便所の中でお線香あげて、般若心経まであげて言うてるのと違う。手を合わせて、お礼を言うてから流してあげたらよいのや。明日からウンコに手を合わせてあげや」

合掌



◎亀


そんな十代目は病に倒れ、10年ほどの闘病生活のすえに息を引き取った。

半兵衛麩屋の後を任された11代目は、当時まだ20歳そこそこ。半ば放心状態にあったある日、ふと、かつて布団の中で聞いた「亀の話」が思い出された。ウサギと亀が競争して、途中で寝たウサギをノロノロの亀が追い越す、あの話である。



「亀さんは負けるのを知っていて、なんで競争したんやと思う?」

「………」

「それはなぁ、亀さんは勝つことではなしに、自分が頑張って山の上まで行くことに挑戦したんや。亀さんの相手はウサギさんではなくて亀さん自身。亀さんは自分と戦ったんや」



「あんなぁ、よおぅおきき

亀さんが自分自身と戦うのは、それでええ。それで立派や。

けどな、亀さんは寝ているウサギさんを追い抜く時に、『ウサギさん、そんなところで寝ていたら、競争で負けるよ』と、油断していたウサギさんを起こしてあげるくらいの優しさと寛大さがあったら、もっと良えのや。

『自分に厳しく、人には優しく』の心を持たんとあかん」



「『優』の字は、『人』と『憂(うれい)』が組んである。憂いは心配するていうことだから、優の字は『人を心配する』という意味で、『優しい』と読むのや。そんな優しい人こそが『優(すぐ)れている人』なんや。

勝つ人が優れているわけやない。困っている人には一緒に心配してあげ、悲しんでいる人には一緒に悲しみを味わい、一緒に泣いてあげられる人が『優れた人』なんや」



◎実践


十代目の教えは、石田梅岩の影響を多大に受けていた。その梅岩は、実践せずに頭だけの知識をもつ人間を「文字芸者」と非難していたという。

戦後の大混乱で、のれんが上げられなくなってもなお、十代目は先代よりの「教え」に忠実にしたがった。まさに「実践の人」である。

「まさか」という坂を転げ落ちながらも、闇で儲けることを良しとせず、畳の裏のような陰を堪え忍んだ。それでも、生きとし生けるものたちへの感謝を忘れず、ただただ他人に優しくあり続けた。



そんな薫陶を体で受けていた11代目が店を再興するのは、ある意味、必然のことだったのかもしれない。それでも、その実践は容易なからぬことであった。「工場がない、機械がない、何もないから製造なんて出来ません」と若き日の11代目は、寝込んでいる父親・十代目に言ったことがある。

すると十代目、「おまえ、なんか勘違いしてるのと違うか?」

「ご先祖さんは300年も前に、いまの商売をしておられた。当時は電気もなければ機械もない。全部手作業やった。手でつくったらええやないか」



さっそく、母から鍋とシャモジを借りて、11代目は自らの手で麩をつくってみる。

すると、機械では判らなかったことがドンドンわかってくる。「麩の固い柔らかいを機械は教えてくれません」。もう少し水を入れたほうがいいかどうかは、その日の天候、気温、水温などによっていつも違うのだ。

そして、ひとたび手が覚えた麩の感触は、いつでも作り直すことができた。機械などなくとも。



◎桜


「もうちょっとしたら、桜も咲くなぁ」とつぶやく十代目。

同じ桜を見ていた11代目、「桜はええなぁ、春だけ咲いたらええのやし」。



その言葉に少々気色ばむ十代目。

「確かに桜が咲いているのは10日間ぐらいや。でも、そこだけを見ていたら大間違いや。

桜はそのたった10日間のために、残りの355日間、きれいに咲くための準備をしているのや。新しい枝を出したり、幹を太うしたり、真夏のカンカン照りにも動かんと。

花の咲いてる10日間だけを見て、『桜はええなぁ』て言うたら、がんばっている桜がかわいそうや」



仕事は「段取り八分」。見えない準備こそが花を咲かせる。

半兵衛麩屋は戦争で一時休止したといえど、その花の咲かぬ冬に、じっと辛抱、下へ下へとしっかり「根」をはっていた。

代々続く「教え」はタネとなって残っており、それが然るべきときに新たな花を咲かせることになったのだ。



◎鴨川と老舗


古くから続く「教え」は頑なところがある反面、ひときわ「柔らかい部分」も持っている。

「『伝承』と『伝統』は違います」と、11代目は語る。「伝承は昔からのものを守っていく部分。それに対し、伝統は次々と新しいものへ改革していく部分です」



暑苦しい夜、鴨川へ涼みにやってきた時のこと。

「きのう来たときと今日、何か変わったとこないか?」と聞く十代目。

「何も変わってへん。川はあるし、家もそのままや」と11代目。



「そうやなぁ、きのうと今日の景色は、見た目は同じや。

けど、鴨川にはきのうと『違う水』が流れているやろ。この鴨川の水は、何千年と昔から流れているけど、いつも『新しい水』が流れている。同じ水は一度もないのや。

鴨川という川は変わらんけど、その水は常に変わっているのや」



「うちの家も代々麩屋をやってるけど、鴨川の水と同じように、つくっている麩はどんどん変わっているのや。

明治になって、外国からメリケン粉が入ってきたり、粉を挽くええ機械が入ってきたり。その時の材料によっても麩は変わってくるし、お客様の好みが変わったら、それに合わせないかん。その時代によって、食べ方も違うんやから。

車かて、昔は駕籠に乗っていたのが、人力車ができて、自動車ができた。今でも『駕籠がええ』言うてはる人は一人もいやへんやろ。『人力車のほうがええ』と言ってた人力車屋は、もうなくなってしまった」



「あんなぁ、よおぅききや

『しにせ』を漢字で書いたら『老舗』。老人の店と書くけど、しにせが老いたらあかんのや。『死舗(しにせ)』になって潰れてしまうんや。

『老舗』やのうて、『新舗(しんみせ)』でないとあかん。新しい店を出した初代のつもりで商売を始めなあかん。

根、つまり理念さえ腐らせなければ必ず新しい花は咲く」



◎泥棒と和尚


こうした理念が、半兵衛麩屋をして300年以上もの歴史を刻ませることになったのであろうか。「不易流行」という教えは、「変わらぬこと(不易)」と「変わること(流行)」、その双方の必要性を説いている。

半兵衛麩屋の古い幹の中にはいつも新しい水が流れ、咲く花の色はその時代を映してきたのであろう。



「先義後利」、「義を先にして、利を後にする」。その理念は変わらない。

かといって、利益を決しておろそかにはしない。「利益をあげない商人は商人にあらず」、つまり「利益を無視する商人は愚か者である」とも言うのである。

十代目は、商人があげるべき利益を、托鉢僧へのお布施にたとえていた。



「道の向こうから泥棒が来たらどうする?」と問う十代目。

「逃げる」と11代目。

「そうや。泥棒は人のモノを盗ると思うているから逃げられるのや。でも、和尚さんは、お金をください言うて町を歩いたはるのと違う。町の人のために、お祈りしながら歩いたはるから、お金がもらえるのや。

お金が欲しいと思っている泥棒は、みんなから逃げられる。お金を欲しいと思っていない和尚さんには、わざわざ家の中から出てきてまで、みんなお金を渡しているのや」



「あんなぁ、よおぅききや

『儲けたろ』『人を騙しても儲けたろう』思うたら泥棒と一緒で、お金に逃げられて一銭も入らへんのや。

『他人に喜んでもらおう、他人のためになるようにしよう』と思うて商売していたら、和尚さんと一緒で、お金の方から追いかけて来てくれるのや。

その代わり、修行中の和尚さんと同じように、他人に喜んでもらうには、冷とうても裸足で辛抱せんならんのや」



◎うまいぞ


「いつしか過ぎた三百余年。今でもせっせと麩づくり。

半兵衛の麩は『うまいぞ うまいぞ 変わらんぞ』」



その暖簾は、戦後の闇の世界にあっても決して汚れることはなかった。

「商いの正道」は確かに守られたのである。



「人さま ありがとう

色々なものに ありがとう(半兵衛麩屋・社是)」







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出典:
半兵衛麩屋のこと
致知2012年10月号「老舗に学ぶ 事業永続への道」
posted by 四代目 at 09:40| Comment(0) | 企業 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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