その少女は、一心に「一枚の絵」を描いていた。それまで何にも集中したことのなかった子が…。
その絵に興味を引かれた先生は、「何を描いているの?」と尋ねてみる。
するとその6歳の少女は、「神様の絵(picture of God)を描いているの」と無心に答える。
少々困惑した先生。「でもね、神様がどんな姿をしているかは、誰も知らないのよ」と教え諭す。
その言葉を聞いた少女は、むしろ得意げにこう切り返した。「じゃあ、もうすぐわかるわね(They will in a minute)」
◎フランクさんからです
次の話は、ある子供たちの劇の舞台。場面は「キリスト誕生」。その生誕を祝うために、3人の賢者が3つの贈り物、金・ミルラ(乳香)・フランキンセンス(没薬)を届けるシーン。
3人の賢者に扮した4歳の男の子たちは、頭にタオルをのせて、それぞれの贈り物を渡していく。
最初の少年、「私は『金』を贈ります」。
2番目の子、「私は『ミルラ(乳香)』を贈ります」。
そして最後の子、「これは『フランクさんから』です(Frank sent this)」。

少々解説を加えると、最後の子は「フランキンセンス(frankincense・没薬)」と言うはずだったところを、「フランク・セント・ディス(フランクさんからの贈り物です)」と間違えて言ってしまったのである。
◎失敗は最悪
これら2つのエピソードに登場する子供たちは、「間違いを恐れていない」。というよりも、間違いを気にもしていない。「何か間違っていたの?」
これらの話を紹介したケン・ロビンソン氏は、こう続けている。「子供たちは一か八かやってみる。何も知らなくてもただやってみる。間違えることを気にしていたら、独創的なものなど生まれない」と。
一転、大人社会はといえば、「間違いは許されない」。間違いを犯せば、ダメの烙印を押されてしまう。「失敗は最悪だ(mistakes are the worst)」。会社から追い出されてしまうかもしれない。
この大人社会に向けて、子供たちは、その成長、もしくは教育過程において、次第に「間違い」が許されなくなっていく。そして、それと同時に本来持っていたはずの「独創性」も失われていくことになる、とロビンソン氏は指摘する。
「創造性は、読み書きする能力と同じくらいに大切なはずなのに…」
◎アーティストの芽
画家のピカソは、「子供たちはみんな、生まれながらのアーティストだ」と言った。

しかし残念ながら、大人になるまでアーティストであり続ける人は、ほとんどいない。たいていはどこかで、その芽を摘まれてしまうのだ。6歳の頃には知っていたはずの「神の姿」を忘れてしまうのだ。
おそらくは、かのシェークスピアでさえ、その芽を摘まれもおかしくなかったかもしれない。
きっと学校では、こう言われていたはずだ。「そんな話し方するんじゃありません! みんな混乱するでしょ!」
シェークスピアにだって、誰かに英語を教えてもらっていた子供時代があったのだろうから…。

◎大学教授
もし、宇宙人が地球の「教育現場」を目の当たりにしたら、こう思うのかもしれない。
「ははぁ、地球人たちは『大学教授』ばかりを生み出そうとしているのだな」と。
世界各国での教育は、奇妙にもほとんど共通しているのだという。「子供が成長するにつれ、教育はだんだんと腰から上へと向かい、最後は頭にフォーカスする。それも脳のある一部分だけに」
そんな教育に生み出された最高峰、大学教授。「彼らは自分たちの身体を『頭』を運ぶための乗り物としか見ていませんよね?」。彼自身が大学教授でもあるロビンソン氏は、愛情を込めて皮肉る。
「身体は、教授を会議に連れて行くための乗り物なんです。ダンスなんかさせてみなさい、ビートは完全に無視です。ハチャメチャなダンスをしながら『早く家に帰って、今夜のことを論文に書こう』なんて考えているんですから」
教育の科目の優劣も、おおよそ世界共通なのだという。
「数学と語学がトップで、次が人文系。一番評価されていないのは『芸術系』。地球上どこへ行っても!」
さらに、最下位の芸術系にもまた、序列がある。
「美術と音楽は、演劇やダンスよりも上です」
なるほど、教育の階段を登れば登るほど、一番下のダンスからは遠ざかっていくのが世界共通の仕組みらしい。
それならば、最高峰の大学教授たちは、そのダンスからは最も遠いところに位置しているわけである。
◎ダンス
「ダンスを毎日教える教育制度はありません。子どもたちは一日中でも踊っているんだけど…」とロビンソン氏。
というのも、ダンスは世の中の役に立たない、仕事にならないと思われているからでもある。ダンスができるからといって雇ってくれる会社は、そうそうない。
こうした偏狭な学校教育の結果、「無数の天才的で創造性あふれるアーティストたちが『自分には才能がない』とあきらめてしまう。学校は彼らの才能を評価できないどころか、ダメ出しをしてしまうのだから」
ジリアン・リンという女性は、世界的な「振り付け師」であり、「キャッツ」や「オペラ座の怪人」などを手掛けたダンスの才能にあふれた人物である。
しかし、彼女の小学校時代は「絶望的」だったという。学校は彼女の両親に「学習障害」があると告げたのである。なぜなら、彼女は「じっとしていられなかった」からだ。
おそらく今であれば、彼女は「ADHD(注意欠陥・多動性障害)」という病気にされていたであろう。しかし、幸いにも1930年代当時、そんな「すてきな病名」は存在しなかった。
それでも、彼女はその道の専門家の医師のもとへと連れて行かれてしまった。
◎開花
病院の小部屋に一人にされたジリアンは、いつも通りに「そわそわ」し始め、ついには踊り出してしまう。
それを別の部屋から見ていたのは、幸運にも見識豊かな医師。彼は彼女の才能にいち早く気づいてくれた。「お母さん、ジリアンは病気なんかじゃありません。彼女は『ダンサー』なんです」
医師の勧めでダンス・スクールに通うことになったジリアン。「どんなに楽しかったか、言葉にならないわ!」と狂喜。
「だって、そこには私みたいな子どもたちばっかりいたんだから。みんなジッとしていられないの。私たちは、考えるために、頭よりも身体を使わなくちゃいけないの!」
以後、才能を開花させたジリアンは、ロイヤルバレー学校のオーディションに合格してソリストになり、卒業後はダンスカンパニーを設立。以来、何百万という人々に感動を喜びを与え続けている。
もし、子どもの頃に病院送りにされた彼女を診たのが、あの医師でなければ…、「彼女は薬漬けにされて、大人しくさせられていたかもしれない…」。
「人間は豊かな可能性を持って生まれています」と、ロビンソン氏は語る。「しかし、これまでの教育は、その無限の可能性の中から、ある特定の商品資源(a particular commodity)だけしか取り出してきませんでした。まるで地表をめくって、石炭だけを掘り出すかのように」
◎天賦の才
ジョナク・サーク博士は、こんなことを言っている。
「仮に、すべての昆虫が地球から消え去ってしまったら…、その後の50年間で、あらゆる生き物が消滅することになるだろう。また、もし地球上から人類が消え去ったら…、50年後にはあらゆる生命が繁栄するに違いない」
昆虫と人類の違いは、「天賦の才」に生きているかどうかであろう。
残念ながら、一般的な学校教育は、子どもたちが生まれながらに持っている「天賦の才」の芽をセッセと摘み取ってしまう傾向にあるようだ。
ある禅の言葉は、こんな問いを発する。
「森で一本の木が倒れ、その音を誰も聞かなかったとしたら…、それは本当に起こったことなのか?」
気づかぬことは起こっていないことなのか?
我々はいったい何の音を聞いているのだろうか…。少なくとも天性のアーティストたちが挫折していく音は、あまり聞こえてこないだろう…。
踊らなくなった人類は今、何か別のモノに踊らされているのかもしれない…。

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出典:TED Talk
ケン・ロビンソン「学校教育は創造性を殺してしまっている」